ゼラニウムの心
今日は私の誕生日だ。
空はすがすがしいまでも澄みきって青い。
ついに三十歳になった。
《フラワー藤木》で働いていると恋も出来ないわねえ、と隣のパン屋の奥さんに笑われてしまった。
この奥さんはとても気さくで、父が亡くなってから母一人で私を育ててくれた時にいつも協力してくれたと聞いている。ふくよかな感じの、見た目からして穏やかな印象を受ける人だ。
誕生日ということで、商店街のケーキ屋さんから、ショートケーキを買ってくれた。
「たいしたものでもないけど、お母さんと」
にこやかに笑って手渡してくれる。
その心が嬉しい。
六月にもなれば紫外線の心配も出てくる。
私は通り道の、外に出ている花にも水をやるためにじょうろを取り出した。
水を扱っている時は涼しい気もする。暑い日差しに、太陽に向かって手をかざす。
水をかけ終わり、店内に入った時には既に午後三時を回っていた。
今日は母はフラワーアレンジメントの教室に行っている。
しかし、出かける時どこか様子が変だったなと思いだす。
何か欲しいような、困ったような、そんな顔。
心がざわついた。
何だろう。
花に関わっている限り、できるだけ笑顔でいてほしいと思っている。そして母はいつも笑顔だった。
そのざわつきは、お客さんが来ても消えず、つくり笑いだけを残して《フラワー藤木》は夕方をむかえた。
母もそろそろお惣菜か何かを買って、帰ってくる時間だ。
二人でお店をしていれば、ときたまお惣菜ですます時もある。
と、店内が陰った。母が帰って来たようだ。
「ただいまー」
母の明るい声が聞こえ、お客さんの相手にラッピングをしていた私は背中越しに振り返った。
「おかえりなさい」
静かに言う。
すでに《フラワー藤木》にはライトがついている。
お客さんの影がライトに映し出された。
その人を見送った後、母の右手に鉢植えが握られているのに気づく。左手にはケーキの箱。
「やだ、お母さん。うち、花屋よ? どこで買ってきたの? それにケーキはいただき済みよ、パン屋の奥さんから」
私が言った言葉に母があらあらと、笑った。
「そんなに食べられるかしら」
「ホント、ダイエットだわ」
私も笑う。母に笑顔が戻って安堵した。
重たそうに持っている鉢植えは、どうやらゼラニウムのようだ。
「花、本当にどうしたの?」
再度、私は聞いた。うちは花屋だ。だから疑問をもった。
誰かに花を渡したいのなら、自分の店で見つくろえばいいのに、と思ったのだ。
「ううん花緒里に。今日誕生日でしょ? おめでとう」
え?
私に?
思ってもみない展開に、少なからず驚く。
今までこんなことってあったっけ?
「ありがとう……」
まさか母から鉢植えを受け取るとは……。と、思いながらゼラニウムの赤の縁取りのキレイさに微笑む。
花はなぜここまで心を和ませてくれるのだろう。
あ……。
ふと、そこで思い当った。
去年も一昨年もケーキを食べる時、必ず部屋のどこかにゼラニウムが飾ってあった。
はっと思い、店内を見渡す。
ない。
ゼラニウムの鉢植えがどこにもない。
今が最盛期だから?
だから鉢植えを? 他の店で買ってまで?
と、同時にゼラニウムの花言葉を思い出した。
『愛情』
母は毎年、様々な形でゼラニウムを通し、私に愛情を伝えてくれていたのだ。それも誕生日に。
目頭が熱くなるのを感じた。
三十にもなって、なおかつ変わらない心を伝え続けてくれる母。
私は台所にいる母に見つからないよう、こぼれだす涙をそっと手のこうで拭った。
【終】