ルークの逆襲
誤字脱字の報告、感想、ありがとうございます!
ビアンカの兄、ルークのお話です。
ここに怒れる5歳児がいる。
名をルークという。
マルティネス公爵家の嫡男だ。
ミルクティ色の髪の毛に晴れた青空の様な薄いブルーの瞳。
肩を怒らせて歩いても、ただただかわいいである。
5歳になった時から貴族の教育が始まった彼は、「さ・し・す・せ・そ」が苦手で、時々噛んでしまうのが最近の悩み。
しかしこの前「おかあしゃま」と言ってしまった時は、あまりの可愛らしさに母親をメロメロにし、抱きしめられた。
彼はそれに味を占め、矯正の練習をさぼり気味になってしまったのが、、ルークの乳母サマンサの最近の悩み・・・。
ルークは母親が大好きなのである。
着々とマザコンの道を歩いているルーク。
3歳までずっと両親のベッドで川の字で寝ていた。
夫人は子育てを乳母に任せっきりにすることを良しとせず、自分もできる限り母親業を頑張っていた。
貴族の子は生まれてすぐに個人の部屋に移され、乳母に育てられるのが常識なのだ。
その為夫人の教育方針は、この世界では大変稀であった。
しかしその幸せも3歳の時に壊れることとなった。
公爵は、幼児に向けるとは思えない表情でルークに対面し、彼の両肩をしっかり掴んだままこう言った。
「ルークも弟か妹が欲しいだろ? ん? そうだろ???」
ビックリしたルークは、初めての恐怖体験から逃れるよう、父から目線を外す為だけに少し下を向いた。
その瞬間、公爵は鬼の首を取ったかのように満面の笑みで妻に振り返った。
「ほら! 私たちはルークの願いを叶えてやらねば!!!
今日からルークはお部屋で寝るんだよ。
サマンサ! ルークを自室に連れて行きなさい。
サマンサ!
サマンサ?
サマンサ ――――――――!!!!!」
それからルークは一人で眠るように矯正された。
初めての理不尽な仕打ちに、3歳のルークは涙目になったがどうすることも出来なかった。
公爵が(大人気なく)勝利した瞬間である。
それから少しして夫人が妊娠し、ルークに天敵が現れたのが今から約半年前の事である。
最初は未知の存在の出現に興奮していたルーク。
初めて見た赤ちゃんは・・・
(ママがお猿さんを産んでしまった!!!)
ルークは恐怖に慄き、その小さな猿をマジマジと見つめる。
瞑られた瞳の色が気になり、何気なく手を伸ばして目を触ろうとした瞬間、
「ルーク、ダメよ! 何するの!?」
大好きなママに怒られたのである。
ルークは泣きながら部屋を出て行ってしまった。
「君は出産を終えたばかりで疲れているだろ?
眠りなさい。
ルークは私が見てくるから」
そう言って公爵は、優しく夫人のおでこにキスをしてからルークを追いかけた。
嫡男は厳しく育てなければいけない。
だから私が鞭になるから、君はルークの飴になってあげて欲しい。
ルークが生まれた時、キリッとした男前の表情で自分にそう告げた夫。
しかしルークが生まれて9カ月が過ぎた頃、国の東部で大雨による大災害が起きた。
王宮で大臣の役職に就いている公爵は、ほとんどの時間屋敷に戻ってくることができなかった。
そして、やっと起きている息子と対面が出来た時、
「い~~~や~~~~~!!!」
夫に抱っこされた瞬間に拒否反応を起こしたルークは、公爵の顔に手をついて、彼の腕の中で見事なイナバウアーを披露したのである。
それから、公爵は飴だらけの男と成り下がったのである。
(甘やかす事に長けた人だもの、大丈夫よね?)
公爵夫人は、夫に拗ねてしまった息子を任せ、眠りについた。
その頃、ルークの部屋で。
「ルーク、お前の望み通りお兄ちゃまになったぞ。
これからは妹を大事にするんだぞ?
泣かせてはいけないよ?
お前ももうすぐ5歳だから、教育を始めなくてはな!
寂しいな~、これからはママ・パパではなく、お父様・お母様になるのか~・・・。
ル~ク~・・・。 パパは寂しいぞお・・・」
娘が生まれた感動で情緒が不安定になった父親に、息子を慰める余裕はなかった・・・。
そんなこんなで、未だにビアンカをライバル視しているルーク。
その彼の耳に届くのは、
「うぇ~~~ん、 ぐすん」
ビアンカの泣き声である。
(また泣いた、うるさいなぁ・・・)
ビアンカの泣き声がすぐに分かるよう、ビアンカの部屋のドアはいつも開いている。
そのため、隣の部屋のルークには丸聞こえなのだ。
(お前がしょっちゅう泣くから、お母様は忙しくなってしまうんじゃないか。
一言ガツンと言ってやろうかな?
・・・まぁ、相手は赤ちゃんだ。
でもビアンカのせいで、お昼寝の時も夜の時も、お母様が絵本を読んでくれなくなった・・・)
「うえ~~~ん。 くすん・・・。 ふえ~~~ん」
「もう! 泣きたいのはこっちだよ全く!
やってられないよ! ・・・ったく」
テーブルに肘を乗せて愚痴を言う姿は何だかハイボールを飲みそうな勢いだが、ルークはサマンサが入れてくれたホットミルクをフーフーしながら飲んだ。
サマンサはそんなルークの姿に微笑んで、ある提案をした。
「さっきビアンカ様の乳母のミーナがミルクを作りに行ってしまったようです。
ちょっとビアンカ様の様子を見にいきましょうか。
奥様もお疲れでただいま仮眠を取られているようですし・・・。
お兄様であるルーク様が面倒を見てあげたら、奥様は大変お喜びになると思いますよ」
ルークと5年の付き合いのサマンサ、ルークを手の平で転がすのはお手の物である。
「お母様の為なら、仕方ないね!
ちょっとビアンカの様子を見てみよう」
ルークはサマンサと一緒に隣の部屋へ入って行った。
ドアの外からは覗いたことはあるけど、部屋に入るのは初めての事。
ルークは辺りをキョロキョロしながらベビーベッドに近づく。
サマンサに抱っこされて上からベビーベッドを覗いたら、
(人間に変化している!!!)
ルークの中でビアンカは、猿として生まれ人間へと進化した猿人類に、分類分けされた瞬間であった。
「ビアンカ様は早く奥様のお腹から出てきてしまったため、未熟児として生まれました。
その為、他の赤ちゃんより小さくて弱いのです。
少しの体調不良でも儚くなってしまわれるでしょう」
「死んじゃうってこと?」
サマンサはルークに微笑んだ。
「はい。
なので、ビアンカ様には泣いて、不調を我々に訴えていただかないと。
喋れないビアンカ様のお仕事は泣くことなんです」
ビアンカがいつの間にか泣き止んでいて、大きなエメラルド色の瞳に大粒の涙を溜めてルークを見つめる。
(お母様と同じ瞳・・・)
そこにビアンカの乳母のミーナがミルクを持って戻ってきた。
「おんろ~、坊ちゃま、ビアンカ様に御用っすか?
ミルクあげてみんすか?」
「それはいいわねぇ! そうしましょう!!!」
ルークが何も言っていないのに、サマンサが勝手に返事をしてルークをソファに座らせてしまった。
ルークは諦めて今の状況を受け入れる。
なぜならばサマンサとミーナは、公爵夫人が伯爵令嬢だった頃から、遊び相手として側仕えしていた寄子の貴族の子で、夫人がこの公爵家に嫁いで来た際に侍女として付いて来た、夫人の腹心でもある。
夫人とは主従を超えた関係で、生まれた時からルークを知っていることもあり、2人はルークを親戚の子供の様に(雑に)扱っていた。
因みに余談だが二人は異母姉妹で、ミーナにだけ訛りがあるのはマルティネス公爵家の七不思議の1つである。
連携プレーの様に、ルークをソファに置いたサマンサにミーナは哺乳瓶を渡し、ミーナがさっとビアンカを抱き上げてルークに渡す。
しっかりルークがビアンカを膝で抱っこしたのを確かめて、サマンサが哺乳瓶をミーナに返し、ミーナがビアンカの口に哺乳瓶を含ませた。
そしてビアンカが飲み始めたのを確認してからミーナは「さ、どんぞどんぞ!」という目でルークにアイコンタクトを送ってくる。
その間ルークは死んだ魚の様な目で二人の動きを見ていた。
ミーナの手が外れて、ルークだけがビアンカを抱きしめミルクをあげる。
すると、ビアンカが嚥下を繰り返すたびに、哺乳瓶が少し揺れ、ルークの腕にも僅かな振動を感じた。
ルークが、「生」を感じた瞬間だった。
小さな手で哺乳瓶を掴み、一生懸命に嚥下を繰り返すビアンカ。
「ちっちゃい・・・」
ミルクの匂いと赤ちゃんの少し高い体温、ルークはその時、「愛しい」という感情を知ったのだ。
その姿を、父と母が扉から覗いて悶絶していることも知らずに、
ルークは初めての感情に興奮して、目を見開いて鼻をふんすふんすさせていた。
ルーク、5歳、マザコンからシスコンにシフトチェンジした瞬間だった。
「いや~、あの時のルークは本当に可愛かったな~。
ビアンカのせいでおかーたまが抱っこしてくれない(声真似)・・・って!」
晩餐会で機嫌よく酔っぱらっているマルティネス公爵が、ルーク5歳の顔真似&声真似をして笑う。
その度にディナーの席は大爆笑だ。
「・・っく・・・」
ビアンカの隣でルークは、恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にした。
「お兄様、我慢なさって。
口を挟んでしまっては、また一から話を繰り返されてしまうだけです。
今わたくし達にできることは、ただ、・・・耐える事だけです」
ビアンカはテーブルの下で兄の手を握り、慰めた。
マルティネス一家は毎年年の瀬に、大臣職で忙しい公爵の代わりに領地を運営してくれている分家を集めて、領地の収支報告会を行うのである。
王家に次ぐ広い領地を持っている公爵家は、多くの寄子が領地の運営に携わっている。
その会議が終われば始まるのが、年の暮れの「忘年会」。
社交場ではなく親族だけの集まりの為、ビンテージのワインを何本も空け、毎年公爵はべろべろに酔っ払うのだ。
もちろん公爵だけでなく他の親族達もだ。
そこで、酔っ払った公爵が始めるのが、この暴露話である。
18歳のビアンカと、23歳のルークは不思議で仕方なかった。
何故年寄り達は、いつも同じ話を何度も何度も繰り返すのか。
そして皆、初めて聞いたかの様に大笑いするのである。
さらに、毎回話すたびにちょっとずつ盛られるのである。
しかも、前回盛った話が次回は真実となっているのだ。
(俺たちは、あんな大人にならないよう気を付けよう)
(ええ!)
ルークとビアンカ、アイコンタクトで将来を誓い合った瞬間である。
「ビアンカを落とさないように小さな手で抱きしめて、片手で哺乳瓶を持つのが難しいのか、すんごい真剣な顔でビアンカを見つめながらミルクをあげているんだよ~。
ものすっごく鼻をふんすふんすさせて(笑)!!!」
がはははと大きな口を開けて公爵が爆笑すると、みんなも大きな声で笑った。
夫人たちは、早くこの話が終わるようそれだけを願って席に座っている兄妹を、生温かい目で見てくる。
拷問の様な時間だった。
だけど、ビアンカはこの話が好きだった。
なぜならば、公爵の酔った時の暴露話は二択で、
もう1つはビアンカが王宮のお茶会でぎゃん泣きした話だからである・・・。
(今年はお兄様が生贄となったわね。助かったわ。
来年にはわたくしは嫁いでいるから、もうこの拷問ともおさらば・・・。
お兄様、敬愛しております。しかし背に腹は代えられないの・・・)
ビアンカは心の中で兄に敬礼をした。
「俺は、さ・し・す・せ・そが苦手だったから、「おかあしゃま」と言ってしまったことはあるが、「おかーたま」と言ったことは断じてない!」
ルークはビアンカと反対の隣に座る自身の妻に言い訳をしている。
(え? そこなの? どーでもよくない?
って言うか、5歳で「おかーしゃま」も大概よ?)
「ふふふ。ルーク様、可愛かったでしょうね、わたくしも見たかったわ」
兄嫁のセリフを聞いて、ビアンカは改めて思った。
兄があまりにも恥ずかしがるから暴露話に含まれているが、ルークの話は全然恥ずかしい話でもなく、ただただ可愛いだけである。
ビアンカがすました顔で果実水を飲んでいることに気づいたルーク。
ルークは学園で知り合った令嬢と昨年恋愛結婚をした。
彼女の前ではいつでもかっこいい男でいたいのだ。
そのため、この話はルークにとっては恥辱でしかない。
ルークの逆襲が、今 始まる ———————————。
「父上、可愛いと言ったらとにもかくにも、ビアンカの”ぎゃん泣き”ではございませんか!?」
「そうだ、そうだ! ビアンカの鼻提灯は可愛かったな!!!」
(ブ————————ッ!!!)
ビアンカの口から噴き出た果実水は、虹の様にアーチを描いていた。
今年も平和なマルティネス公爵家だった。
「ビアンカのお話に関しては、お父様は盛っていないわよ。
確かに鼻提灯を出してわ。
だって割れる前にお母様がハンカチで押さえたんだもの」
「お嬢様、私も見ました。
立っっっっっ派な鼻提灯でございました!」
「や~め~て~~~!!!!」