黒い蠍
唐京から離れた観輪省は霊峰の一つにも数えられる宝泰峰。その中腹にある赤戸村に城東の神問官、葵猟魔は居た。
「やっと、お見えですか。少々、待ちくたびれましたよ。」
猟魔に声を掛けられて後から来た男、アザゼルたちは身構えた。
「待ち伏せか!? 」
「いえいえ。こちらは、こちらの用事で窺ったのですが、“見張る者”も、おそらくお見えになるだろうと思い、お待ちしておりましたよ、アザゼルさん。」
携帯端末を持たない猟魔は、この山奥で教会から連絡を受け取る手段はない。しかし、歌音を狙う“見張る者”が赤戸村に来る事は予想するに難しくはなかった。
「いいのか、こんな所に居て? 今頃は… 」
「ストップ。」
何かを言いかけたアザゼルを猟魔は遮った。
「こちらも“見張る者”の指導者たちが複数動いている事は把握しています。当然、教会も神問官や司祭が動いています。他所よりも、御自分の心配をされた方がいいのではありませんか? 」
猟魔が話している間も朧と骸が狙っているが隙がない。
「1人で何が出来ようっ! 」
アザゼルが強気に出たその時、猟魔の背後で武骨な呻き声がして、誰かが倒れた。
「虚っ!? 」
朧と骸が同時に叫んだ。その脇には山を登るには場違いのバーテンダー姿の女性が居た。
「ん~、やっぱ副業の服装で教会に発注したの間違いだったかなぁ。でも、まさか私も山登りさせられるなんて思ってなかったしなぁ。」
アザゼルは身構えた。こんな服装で、こんな場所に、こんなタイミングで現れた。これはもう、神問官と考えて間違いはない。頭の中でバーテンダーをしている神問官を探してみて、思い当たる人物が居た。
「水の司祭… 黒い蠍!? 」
この二つ名は猟魔にも聞き覚えがあった。
「あ~、その変な二つ名やめてくんない? これでも世界バーテンダーコンテストのチャンピオンなんだから、どうせ名前は知ってるんでしょ? ピックティンダル・スティングレー。長いからピッキーでいいわよ。」
「先輩、早いて。」
そのピッキーを後から追って現れたのは猟魔の苦手なソフィアだった。という事はピッキーはソフィアの先輩なのだろう。なんとなくピッキーを苦手に感じた理由が分かった気がした。
「さて、これで3対3ね。そっちは指導者が1人。こっちは司祭が1人。そっちが不利なのは明白よね? 大人しく捕まってもらえるかしら? 」
ピッキーの言うとおりだ。頭数では同じでも、隕石の金属器具は司祭にも神問官にもあるが古代の遺物は指導者であるアザゼルにしかない。そして虚が風の司祭の1人、守善にまるで歯が立たなかったという報告はアザゼルも受けていた。
「確かに、こちらの不利は否めない。だからといって大人しく捕まる訳にもいかない。この村には人の気配も無い。退かせてもらう。」
すると猟魔がいきなりピッキーを抱えてソフィアを突き飛ばした。その直後、虚の体が粉々に吹き飛んだ。その隙にアザゼルたちには逃げられてしまった。
「よく気づいたわね? 」
ピッキーは何事も無かったかのように虚が倒れていた場所を調べるが、アズライール同様に一切の痕跡は残っていなかった。
「“見張る者”にとっては人の体は魂の器に過ぎず、死とは器を入れ替える事だと昔、耳にした事があってね。平たく言えば輪廻転生という事なのでしょう。おかげで捕縛には毎回、苦労させられますけど。」
猟魔とピッキーが会話をしている横でソフィアが不服そうに立ち上がった。
「なんか扱い、違わへん? 」
衣服の土を叩きながら文句を口にした。さすがに神問官、受け身をとって怪我をするような事はなかったが、ピッキーを抱えておいて自分は突き飛ばされたのが不服のようだ。
「さすがに二人を抱えるのは無理だったのでね。申し訳ない。」
口では、そう言った猟魔だが、あまり申し訳なさそうには見えなかった。
「感情、込もっとらへんな。もう少し… 」
さらに文句を重ねようとしたソフィアをピッキーが制した。
「その辺にしておきなさい。」
「先輩より、よっぽどピッキーやな。」
ソフィアは、どちらかと言えば感情をストレートに表現する。これも猟魔が苦手とする理由の一つでもある。
「ところで村人は居ないようだけど話は聞けたの? 」
「ええ。歌音を助ける為だと話したら協力的でしたから。“見張る者”の脅威が収まるまで避難して貰いました。」
こういう時に著名な神問官というのは便利である。名探偵、葵猟魔の名前と顔と神問官であるという事は、こんな山奥でも知れ渡っていた。つまり、彼の言う事に嘘はない。
「それより、何故、倭に? 」
ソフィアが倭に来ている事は彩華から聞いていたが、司祭であるピッキーが来たのは猟魔も予想外だった。
「今回は“見張る者”も大掛かりなのよね。こっちも猛是みたいな規格外が二人も三人も居る訳じゃないから伊久君をユーロピアに借りたの。で、私が代わりに来たって訳。用が済んでいるなら、ひとまず唐京に戻りましょ。ソフィア、降りるわよ。」
「はぁい。」
諦めたようにソフィアは返事をした。猛是のビルといい、宝泰峰といい、どうしてエレベーターやリフトのような移動手段が使えないのだろうと嘆きたかった。




