一颯と童子
大都会、唐京は倭の首都である。その北方の北都に麗華が居るように、西方にある慶繁という都にも神問官が居た。この日、唐京は城東の神問官、葵猟魔が訪ねていた。
「御無沙汰しております、一颯殿。」
猟魔は軽く一礼した。
「何、堅苦しい挨拶してんだ? で、なんだ猟魔。慶繁に“見張る者”の動きはないぜ。狙いは猛是んとこの小娘だっていうじゃねぇか。唐京を離れていいのか? 」
この一颯朱蘭というのが慶繁の神問官である。と言っても本名ではない。大江一颯というのだが生業は手品師をしている。欺くなかれという教えに反するようだがエンターテイメントは別物らしい。
「今日は副業の方の用事でね。茨木さんには伝えておいた筈なんだが? 」
「童子、聞いてるか? 」
一颯が奥の方に声をかけると、1人の女性が書類の束を抱えて現れた。
「お待たせした。ちゃんと伝えたんどすけど… 。」
そう言って童子が一颯に冷めた笑顔で視線を向けると一颯は手を合わせて頭を下げていた。一颯の神問官としても手品師としてもアシスタントを務めているのが茨木童子だ。猟魔の記憶では当初、童子は神問官のアシスタントだけだった筈なのだが4人程居た手品師としてのアシスタントたちが長続きせず、一颯が頭を下げて手品のアシスタントも務めて貰っている。なので神問官とアシスタントという立場であるが一颯は童子に頭が上がらない。
「なるほど。また、お酒でも呑んで記憶を失くしたようですね。茨木さん、貴女が居てくれて助かります。」
猟魔は手品師のアシスタントが長続きしなかったのは一颯の酒癖にあるのではと疑っていた。もちろん、飲酒自体は教えに反するものではないし、それによって教えを破っていれば一颯は今頃、神問官の資格を剥奪されている筈なので問題を起こしてはいないだろう。だが、そこで済んでいるのも童子のお陰ではないかと思っていた。基本的にメールで送るなどという前提がまったく無いので書類は童子の達筆な筆文字で綺麗にまとめられていた。途中、何度も頷きながら書類に目を通す猟魔の姿を一颯は脇で見ながら感心していた。実は一颯には童子の達筆過ぎる筆文字が読めなかった。一颯に言わせれば、理屈で解ける暗号を読み取る方がはるかに楽なのだそうである。
「なるほど、慶繁の公安の動きは粗方、把握出来ました。時間が節約出来て助かります。」
「ほな、後は燃やしとくる。」
童子は猟魔が読み終えた書類を焼却しにいった。公安の動きを纏めた書類など漏洩しては一大事だ。燃やしてしまえば記録は猟魔の記憶の中だけになる。もちろん、この場には物的証拠などは存在しない。それは、これから猟魔が収集すればよい事だ。いかに神問官同士といえども、情報提供者の身の安全も守らねばならない。
「なんで探偵のお前ぇが公安なんか探ってんだ? 」
一颯が腑に落ちないのも無理はない。一応、公安局と神問官は表向き協力関係にあるからだ。
「私も趣味で公安を探る程、暇ではない。当然、依頼だからだ。これ以上は守秘義務という事にさせてもらうが、きちんと証拠が掴めたら本業に関わるかもしれない。その時はまた頼むよ。」
猟魔は軽く手を上げて挨拶も早々に出ていった。
「童子、なんか怪しい所でもあったのか? 」
「いいえ、あらしまへん。」
一颯は書類が完全に灰になったのを確認して戻ってきた童子に尋ねてみたが、特に可笑しな所は無かったようだ。それでも猟魔からすれば何かしら掴めたのだろう。残念そうな様子は無かった。
「証拠が掴めたら本業に関わるっつってたな…。公安に破戒者が? まさかな… 痛ぇっ! 」
呟きながら酒に手を伸ばそうとした一颯の手を童子が容赦なくピシャリと叩いた。だが、それで怒るでも睨むでもなく、普通にしていた。一颯からすれば、これが逆に怖いのである。その頃、猟魔はといえば、人気の無い広場の真ん中に立っていた。
「せっかく、調査書類に残るような証拠を残していなかったのに… わざわざ尻尾を出してくるとは。ありがた迷惑なんですけどね。」
猟魔が何故、広場の真ん中に居たのかといえば、物影から教われないよう見通しが良いからだ。一方向から来れば逃げやすいとも思えるが、猟魔には逃げるつもりなど毛頭ない。下手をすれば待ち伏せされかねない。
「既に汝、欺くなかれを破り、今また汝、殺めるなかれを破らんとしている。これは立派な破戒活動とみなしてもよい… のかな? 」
猟魔は取り囲む気配とは異なる方向に視線と声を投げ掛けた。
「現行犯であり、正当防衛であり、破戒者とあれば神問官の管轄ですから御随意にどうぞ。」
姿を表したのは久来だった。取り囲んだ気配は明らかに動揺していた。
「では遠慮なく。」
猟魔がベルトをスルリと抜いて一振すると一直線の細身の刀と化した。
「二人とも始末しろ。撃てっ! 」
数発の銃声の後に取り囲んでいた男たちは地面に平伏していた。
「峰打ちです。後はお任せしますよ。」
久来は男たちの拳銃を取り上げ、手錠を掛けて縛り上げると所轄に連絡を入れた。




