10階の猛是
人口2.000万人を誇る大都会、唐京。街が巨大になれば表もあれば裏もある。スラム化した雑居ビル群の中で少女が独り、今時手書きの地図を持ってウロウロとしていた。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい? 」
一見、人の良さそうな若い男が声を掛けてきた。
「すいません、『しんじく』にオレンジホールって劇場があるって聞いて来たんですけど、道に迷っちゃって。」
すると、その若い男は少女の容姿をあらためて確認してからにこやかに答えた。
「あぁ、オレンジホールか。知ってるよ。俺…僕が案内してあげよう。」
すると、何処からか声がした。
「どうやって、ありもしない場所に案内するんだよ? 」
声の主は銀髪に銀縁のミラーサングラスを掛け、純白の…お洒落なのか奇抜なのか微妙な服装をしていた。どちらにしても、ここのスラム街には不似合いな格好ではあった。
「何者だ、貴様っ!? 」
若い男が先程までと態度を一変させたので思わず少女も後退る。
「汝、欺くなかれ…ってな。オレンジホールってのは神示区にあった劇場で、ネーミングライツが更新されず資金繰りに困って半年前に解体されていて、もう存在しない。そもそも、ここは深熟区だ。」
それを聞いて少女は頭を抱えた。
「神示区じゃなくて深熟!? あたしが田舎で劇団に誘われたのが3ヶ月前なのに半年前に解体!? 」
銀髪の青年は呆れたように息を吐いた。
「ふぅ。もしかして手付金とか払っちまった? 」
少女は無言で激しく頷いた。
「よぉ嬢ちゃん。俺とくれば、たんまり稼がせてやるぜ! 」
「闇風俗でか? 」
再び若い男が少女に掛けた声を銀髪の青年が遮った。
「うるせぇな。俺はそっちの嬢ちゃんに聞いてんだよっ。」
若い男は懐からバタフライナイフを取り出すと広げて身構えた。
「汝、姦淫するなかれ。汝、殺めるなかれ。今なら三つの戒めについて破戒未遂だ。おとなしく立ち去れば見逃してやるぜ? 」
「舐めんなぁっ! 」
若い男はバタフライナイフを振りかざして銀髪の青年に襲い掛かった。だが、次の瞬間には銀髪の青年は純白の服装の下から繰り出した二本の白銀の直刀で、右手でバタフライナイフを弾き飛ばし、左手で首筋を据えていた。
「もう一回、聞くか? 」
「い、いえ。去ります。今すぐ去ります。」
銀髪の青年の言葉に若い男は大慌てで逃げ去った。
「じゃあな。気をつけて帰れよ。」
銀髪の青年からすれば騙されていた事が分かったのだから田舎に帰るものだと思ったのだが、そうもいかないらしい。
「あの、行くとこ無いんです。田舎は引き払って来ちゃったし、お金も手付金で渡しちゃって一文無しなんです。袖振り合うも多少の縁って言うじゃないですか。助けてくださいっ。」
少女は懇願するものの銀髪の青年は呆れるしかない。
「あのなぁ。田舎で騙されて唐京まで出て来て、たった今また騙されそうになったばっかりだろ? 普通、こんな格好した見ず知らずの男に頼むか? 」
だが少女はニコニコしながら銀髪の青年の顔を見ていた。
「だって助けてくれたじゃないですか。きっと、貴方はいい人です。」
銀髪の青年は呆れたように天を仰いだ。
「ついてこい。お前、名前は? 」
「歌音。襟谷歌音です。何処に行くんですか? 」
歌音は足早に歩く銀髪の青年の後を慌てて追った。
「そこのビルの十階。俺の事務所兼住居。なんでホイホイついてくるかな? 」
銀髪の青年は歌音には、また騙されるかもしれないという不安は無いのだろうかと疑問に思った。
「だって貴方は欺くなかれ、なんでしょ? 」
確かに、さっきはそう言ったが、それさえ嘘かもしれないと疑わないのだろうかと銀髪の青年は思った。
「猛是だ。」
「えっ? 」
「品井猛是。貴方じゃなくて猛是でいい。」
すると歌音はポンと手を打った。
「十階の猛是さんですね! 」
「おかしな形容を付けるな。」
雑居ビルではあるが十階建てとなると、この辺りのスラム街では珍しかった。猛是はビルに入ると階段に向かった。
「エレベーターじゃないんですか? 」
問うた歌音に猛是が顎で指した方には一基しかないエレベーターには故障中の貼り紙がしてあった。
「残念。一度、乗ってみたかったのにな。」
歌音は普通に残念そうだった。
「一度? 駅にもあったろ? 」
「駅! さすが都会。電車走ってるんですね。夜行バスで来たんで電車も乗った事ないんですよ。」
ここは大都会唐京。電車くらい走っていて当然である。いったい、どんな田舎に住んでいたのか猛是も気にはなったが、そんな話しをしている間に二人は十階に辿り着いた。猛是が扉のノブに手を掛けると開いている。注意深く扉を開けると中で女性が待っていた。
「お帰りなさい、猛是。後ろの娘は、お客さん? それとも彼女かしら? 」
「か、か、彼女なんて、とん、とんでもないっ。」
女性の問いに歌音は顔を真っ赤にした。呆れたように猛是は頭を掻いた。
「歌音、そこで赤面するな。話がややこしくなる。海美もからかうな。てか、なんで家の中に居るんだ? 」
海美は歌音の慌てぶりを見てクスクスと笑っていた。