心配されない男
「来月から就業時間を一時間減らすので」
急に仕事を中断されてまで集められた全員が、聞かされるなり思った。
(なに言ってんだ、こいつ)
「話は以上だ、仕事に戻りたまえ」
「い、いや! ちょっと待って下さい! それって条件が……! つまり、雇用契約に変更があるってことですよね⁉ 労働時間短縮なんですから!」
「ああ」
「書類は⁉ サインとかは⁉ 口頭だけで済ますんですか⁉」
一人の女性が慌てて声をあげると、頭皮が寂しくなった男が不機嫌そうな顔となる。
部長という肩書を持つ自分の言葉だというのに、まさか反論されるとは思わなかったからだ。
(ったく、俺の考えた素晴らしい経費削減案に文句言うとは……。これだから非正規は頭が悪くて嫌になる)
「なんで書類が必要なんだ」
(え?)
予想外の返答に、声をあげた女性がぽかんと口を開ける。
「契約書には会社の定めた時間に勤務を行うと記されているだろう? その時間が変更になっただけで、会社の定めた時間という言葉に変更はない。どうして書類が必要になるんだ?」
「労働条件が変わるからでしょう⁉」
最近新しく雇用された女性にとっては、信じられないことだった。
確かに奇妙な雇用契約書とは思った。労働時間がはっきりと記されておらず、『会社の定めた時間』という曖昧な言葉に引っかかりは覚えていた。それがまさか、こういう時に使われる文章だったとは……。知っていれば勤めなかったと後悔する。
「一時間も勤務時間が減る理由を教えて下さい! ただ減ると言われただけでは、納得できません!」
「理由? そんなの簡単だよ。君ら自身に問題があるんだよ。つまりだね、君ら、仕事が遅いんだよ。特に最近は時間内に終わらないのが当たり前になっているじゃないか。仕事を終わらせられない用無しは時間短縮させ、優秀な他の時間帯の人にその分働いてもらうのが効率的だ」
つまり自分たちは無能と言っている。これが怒らずにおられようか。日々、必死に働いているというのに。
「終わらないのは仕事量に対し、人数が少ないからだと思いますが?」
それまで黙っていた一人の男も反論する。
「先月、三人も辞めました。それなのに人数の補充はなく、一人当たりの仕事量が増え、負担が増えたのが間に合わない理由です。新しい人を雇ってもらえれば、時間内に終わらせることができます」
「いや、新しい人の募集は行わない」
この言葉に数名、自然と首が傾いた。
確かに募集を行っていないが、最初から行わないとは? 純粋に意味が分からなかった。
「私の計算ではね、今の人数で仕事が時間内に終わるはずなんだよ。それなのに終わらないのは、君らの仕事が遅いからなんだよ、君らのね!」
人数が減った激務の中、それでもお客様に迷惑をかけられないと頑張って働いているのに、やる気を削がれる発言をされ、何人か耐えていた糸が切れた。
「えっと……。じゃあ、どれくらいのスピードで仕事をさばけばいいのか、部長自らお手本を見せてくれませんか?」
「はあ? 自分たちの無能を棚上げし、なんてことを言うんだね、君は」
集められた全員が知っている。この部長はデスクワークばかりで、実務経験がほぼないことを。だから実務となれば、長くこの会社に勤めていながら、新人レベルに遅いことを。
本人もそれが分かっているのだろう。だから顔を赤くし、否定したに違いない。
「おい、予定の時間を過ぎているぞ」
「ああ、こんなに長引くとはな」
そんな中、ぽつりと小さな会話が一部の者の耳に届いた。
副部長等、デスクワーク面々が時計を見て会話をしている。どうやら彼らの中では、一方的に勤務時間を短縮する宣言をすれば全員が従い、それで解散するとなっていたようだ。
(アホか! 一時間も勤務時間が減ったら……。月に二万近く減収して……。年収だと二十万以上⁉ そんなの一方的に告げられて、はい分かりました。で済ます人間がどこにいるんだよ⁉)
(俺らの仕事が遅いとかなんか言っているが、テメーらはどうなんだよ! 偉そうに机にふんぞり返って、なんの仕事してんだよ! オレらが働いている中、座ってゲラゲラ笑っているだけじゃねぇか! テメーらも年収二十万以上減らすって言われて、受け入れられんのかよ!)
(結局は人件費を削りたいだけでしょう? 他に削れる経費があるじゃないの? 例えば使用していない室内の電気を消すとかさあ? あんたたち、いっつも電気を点けっぱなしで帰るじゃない。自分たちは反省する点はないっての?)
「とにかく! これは決定事項だ! 文句があるなら一応話を聞くだけなら聞いてやる! だが考えは変えないからな! ……なんだ、その顔は。文句があって辞めたいのなら辞めていいんだぞ? なにしろうちは、募集をかけたらすぐに申し込みがあるからな。お前らの代わりくらい、いくらでもいるんだよ!」
多くの者はブチ切れる寸前だった。
つい先ほど『新しい人の募集は行わない』と言ったのは、どの口だろう。どこまで自分たちを愚弄するつもりか……!
「大体だなあ、君らはこっちから頼んで勤めてもらっている訳じゃないんだよ。我が社が募集をかけた時に、自分から応募してきたんだからさあ。それなのに会社の決定に文句って、どういう了見なんだ」
最初に反論した女性は、もうなにを言っても無駄だと悟った。
(これって、パワハラよね? 労働基準法にも違反していないかしら)
「とにかく! 来月から君らの勤務時間は減る! 以上‼」
一方的に話は終えられた。
◇◇◇◇◇
帰り道、ぽつりと一人が呟く。
「私、辞めるわ。幾つか応募して受かった中で一番時給が良かったから、この会社を選んだだけだし、他の仕事を探す」
「俺も辞める。募集時の勤務時間が合っていたから、応募した。勤務時間短縮は、俺の求める応募条件を満たしてない。勤め続ける理由がない」
本当に数名辞めた。
これには人件費が減ったと部長たちデスクワーク面子は喜び、現場を監督する者たちは慌てた。なにしろ実は非正規に任せていた仕事が多く、正社員でありながらどう処理をしていいのか分からない仕事があったからだ。代わりにシフトに入れられてもどう動いていいのか分からず逆に足手まといとなり、非正規からは露骨に嫌悪される。そして仕事はさらに時間内に終わらなくなった。
「部長! 募集をかけて下さい!」
「こちらも顧客からなぜ荷物が届かないと、クレームが増え大変です!」
「分かった、分かった」
(ちっ。せっかく人件費という経費が減り、社長から褒められたってのに。なんで上手く仕事が回っていないんだ。あんな奴らが減ったくらいで、どうしてだ? ……なるほどな、現場の正社員も無能なのか。人事の奴ら、見る目がないな。今度この私が人事権も与えてもらえれば、優秀な人材を見抜いて雇えると社長へ伝えよう。とりあえず辞めた奴らより安い時給で募集をかけるよう伝えて……。なあに、どうせすぐに応募が殺到し……)
ところが待てども応募は一人もない。
疲労の重なった体ではまともに動かず、より仕事は遅くなり、残業が続く。ついに残業は法定ギリギリとなり、もうこれ以上、残業はできない状態へと追い詰められる。
もちろんこの状況では、有休を取得できる余裕はない。だから部長たちはこっそり機械を操作し、出勤しているのに有休で休んでいる日を作り、法で定められた五日をやり過ごすことにする。もちろん本人の承諾なしに。
その間にも客からのクレームが日々増え、やがてサービス残業は黙認となった。それでも間に合わないので社長命令が下り、デスクワークに徹していた面々も、現場を手伝うことに決まる。
(なぜこの私が! こんなっ、現場なんかに……!)
「もっと早くさばけよ! そんなんじゃ時間内に終わらねえぞ!」
玄人である非正規の半分も仕事を片せない部長へ向け、部下である非正規の男性が手を止めずに叫ぶ。文句を言いつつ、手は止まっていないことに部長は気がつかない。
(くそ! 文句を言う前に仕事しろよ! にしても、なぜ応募がないんだ?)
この男たちの悪行は、今回が初めてではなかった。労働基準局へ幾度も報告が入っており、ついに臨検監督が行われた。その前に労働時間を明記する等新しく雇用契約書を作成するが、返り討ちに合う。多くの者が署名をしなかったのだ。
長年の雇用契約書問題、サービス残業、果ては出勤していたのに有休を取得した日と見せかけていたことが判明し、結果是正勧告を受けた。当然の結果である。さらに是正勧告を受けたと、労働局のホームページに社名が記載されてしまった。
社長から叱られ苛ついている中、副部長が言いにくそうに話しかけてきた。
「部長、お耳に入れたいことが……。是正勧告を受ける前から、口コミで広がっていたそうです……。我が社はパワハラが当たり前で、まともな雇用契約書ではなく、それを使って言うことをきかせようとし、挙句に従業員を無能呼ばわりするのが当たり前の会社だと……。そんな会社で働きたい奴なんて、いないと……」
「誰が言い触らした、そんなデマ!」
「出所は分かりません……」
副部長には心当たりが多すぎた。長年に渡りマヒしていたが、娘に『パパの会社、マジあり得ないんですけど。パパがこの会社に勤めているって、周りに知られたくないんですけど。マジ最悪。パパもパワハラしてるんだって? ネットで名指しされてて、マジ驚いたんですけど。近寄らないで、話しかけてこないで。息しないで。あたしの名前呼ばないで。マジ親子の縁切りたいんですけど』と言われ、ようやく自分の行いに気がついた。
自分の考えや行動は、現代では違法だと。やっと理解し反省しても、今も娘には無視され、帰宅が辛い。
報告を受け慌てて部長が調べれば、確かにSNS等で有名な話となっていた。道理で応募がない訳だ。
『そんな会社に勤めている奴ら哀れ』
『その部長らマジでクズ』
『まずお前らの給料減らせよwww』
『ハゲを放置するダメ会社、勤めたくねー!』
ネットでは自分を中心に、悪口が書かれている。
「誰が……!」
「まあまあ部長、落ちついて下さい。どうぞ、お茶です」
毎日顧客との電話対応に追われる女性が、茶の入った湯呑を置く。
まだ湯気のたつそのお茶を飲んだ姿を見て、女性はニヤリと笑う。
(ぷふーっ。雑巾汁入りの茶を飲んだわ、コイツ! お前のせいでクレームの電話が増えて客に謝罪しまくり、残業しまくりで大変な目に合っているんだから、いい気味!)
結局応募がないので、辞めた面々に連絡を取り、謝罪し戻ってきてもらう案が浮上する。
ところが返事はもう次の勤め先が決まったと、全員から断られた。
そこで時給を辞めた全員と合わせ、再度募集をかける。応募はない。
「この責任、どう取るつもりだ」
今日も部長は社長に呼び出される。
「しかし社長もお止めには……!」
「止めなかったが、こんな違法行為で従業員に告げると誰が想像できる。事情を聞いて驚いたぞ、昔からそうだったそうだな。困るんだよ、こういう違法行為は」
結局、係わったデスクワーク面子は全員減給処分が下されることになり、収入が一気に減った。それについて妻に責められる。
職場では社長に責められた上、現場に駆り出されては仕事が遅い、こんなことも知らないのかと言われる。同僚からの嫌味も聞こえる。
今では募集の時給はさらに増え、現在勤めている者たちより高い。それに対し、長く勤めている者が不満を叫んだ。これ以上仕事を理解し、出来る者が辞められては不味い。そう判断した社長は、募集に合わせて皆の時給を上げた。
結局成功したはずの経費削減は、逆効果を生み出した。
残業代に時給アップ。削られたはずの人件費は、逆に増えた。
「で? どう責任をとるのかね?」
社長から毎日のように言われる。暗に責任を持って辞めろと言っているに違いない。
(辞めたら家族が……。金を得られなければ生活できなくて……。どうする、どうする? 金は大切なんだぞ? 一円でも減れば生活に影響が出るんだぞ? そんなことも分からないのか、この社長は。それにこの年令で再就職しても、月給が今より減るじゃないか。そんなの妻がまた怒るじゃないか。家のローンだってあるのに……。子ども達もまだ大学に通っているから、仕送りだって必要で……)
やつれ始めた男を心配する者は、職場にも家庭にも、誰一人いなかった。
お読み下さりありがとうございます。
この作品は基本的にフィクションですが、今年度(令和2年)に入り友人から聞いた話が元です。
なので一部、仰天な部分が伝え聞いた内容が元となっております。
(大袈裟にしましたが……)
実際は威圧的で文句や質問も許さん、俺様の言葉に従えという感じで、結局話は白紙になったそうですが、今も収入減らすと狙っているそうです……。
辞めたいけれど世情から難しく……。
そんな話を聞き、昔パワハラに合ったのでムカッときて、書いてしまった作品です。
◇◇注意◇◇
雑巾汁は創作です。
絶対に真似をされないで下さい。