女の園、潜入調査【伍】
少しずつですが、星を頂いたりブックマークしてくださる方が増えて、見てくださり評価してくださる方がちゃんといるのだと目に見えてとても嬉しいです(*´`)
ありがとうございます♡
ここから新キャラ『春時』君の登場です。今回はちょびっと友情出演で、【内裏に巣食うもの編】ではこの後会話で名前がたまに出るくらいになります。
ふわふわ男子を是非味わっておいていただければ(笑)
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近衛の詰所での一件で苛立たしげに、陰陽寮へと向かっていた。未だ心中穏やかといかず、憤慨したままの晴明。顔には眉間に皺が刻まれ、形の良い眉は吊り上がっていた。そして憤りを表すようにズカズカと大股で歩く晴明。歩くと言うより競歩のように些かなっている。
殆ど人のいない時間なのでそう多くはなかったが、時折すれ違う者は、猪のようあまりの勢いに、思わず道を開けたぐらいの形相と速度で陰陽寮を目指していた。
(何とも胸糞悪い……)
憲平の、人の命の重さなどと抜かしす姿を思い出す度、晴明の額には更に眉間に深い皺が刻まれていく。
(誰よりも、人の命のことなど知っておるわ……人だけではない、その他の命の重みも十分に)
昔を思い出すように傾き始める思考に、晴明は慌てて頭を振る。それは今思い出したところで仕方がない事だからと。握りつぶされたように痛む胸を小さな掌で押さえつけながら小さく唇を噛み締めた。
今成すべきことはそこじゃないのだ。
不快感を押し込めるため精神を統一させようとしていると、俯いていた晴明の視界が不意に薄暗くなる。
「……どうしたの、晴明?」
突然聞こえた馴染みのある声色に顔をあげれば、目の前には稚海藻でも頭から被ったのか?と思える程、前髪で顔の上半分は隠れている青年がいた。
もう見慣れた光景に晴明は驚きはしないが、夕暮れ時のこの時間にぬっと現れたら一瞬驚く風貌だろう。
そもそも突然予告もなく目の前に現れる時点で普通は驚くのだろうが。
晴明と春時の間ではそれも当てはまらない。
「あぁ、春時か」
「……うん、そうだよ?」
おっとりとした口調で、頷く春時という名の青年。
晴明の『春時か』は疑問形ではないのに、そうだと答えてくる辺り、この青年は少しばかりズレている。
「それは分かっている。どうしたこんな時間に」
「……どうしたの、は僕が先に聞いたんだよ?晴明」
春時はおっとりまったりしているので、いつも言葉はじめで間が空く。それを分かっているから、晴明は基本春時が話し始めるまで少し待つようにしていた。
どうせ話を急かしても変わらないことも折り込み済みである。
「そういえば聞かれていたな。なに…今ちょっとした任務中でな。夜間も大内裏にいるのだ」
詳しく話しても意味は無いし、話が広がりすぎても困る。詳細は言わず任務とだけ話し、場所も内裏ではなく大内裏と大雑把に括る。
そんな晴明の言葉に彼は納得しなかったらしい。う~んと唸り声を上げると、首を緩やかに横に振った。
「……そうじゃなくて、晴明、元気ない。どうしたの?」
こてんと首を傾けた春時。一緒に顔面の稚海藻もふわっと揺らぐ。
「あー……いや、大したことは無い。ちょっと嫌なことを思い出しただけだ」
普段物事をはっきりと言い切る晴明にしては言葉を濁した言い方をしてしまう。
晴明をよく知る彼にはそれが本当はあんまり大丈夫じゃないとすぐに分かったようで、そっと晴明に手を伸ばした。
「……任務、終わったら差し入れ持っていくね?」
晴明は頭を優しく何度か撫でられる。
春時のふわふわと揺れる稚海藻の隙間からは、時折優しい翡翠の瞳が覗いていた。
「……だから、そんな顔しないで?」
最後にふわりと笑った春時はその手を離す。
「そんな顔と言うが、その髪で大して見えていないだろう……全く、せめて分けんか」
ふっと肩の力の抜けた晴明は、春時の髪に手を伸ばす。
掻き分けるように顔に被さった前髪を左右に分けてやると、やっと稚海藻人間から人になった春時を晴明は満足そうに見た。
顕になった春時は翠の目をきょとんとさせている。
「……わぁ、もう日が暮れそうだったんだ」
驚いたと気の抜ける口調で話す春時に、本当に驚いているのかと問いたくなる。
どうやら余程視界が狭まっていたらしい。よくその視界の中で自分を見つけられたなと晴明は呆れた。
(いつものことといえばそうなのだが……)
いつも気付けば稚海藻人間になっている春時のことだから今更過ぎた。思えば誰かが髪をどうにかしない限り、春時はいつもこんな感じなので、春時の素顔を知る人も少ない。かと言ってわざわざ髪をどうにかしてやる人も稀なので、結局は基本春時は稚海藻人間なのだ。
その狭い視界でどうやって生活しているのか謎だが、無頓着故かわざとなのか…何度言っても改めない春時。仕方なくこうしてたまに晴明が手ずから前髪をどうにかしてやることも多い。
「で、お前はどうしたんだ?」
やっと互いに目を見て話せるようになると、ぱちぱちと吸うど瞬きした春時がふにゃりと笑った。
「……晴明がね?最近居ないから、聞いて回ってたの」
「誰に?」
昼が過ぎれば皆帰り、この時間まで残る者はほぼ居ない。宿直の者くらいだろう。
まさか誰彼構わず『晴明見ませんでしたか?』と聞いていたのではないだろうなと思い春時に問う。この青年は素でやりかねないからだ。
「……あのね~、この子達」
身を少し寄せて、晴明に手元を覗くようにと促す春時。先程から片方の腕で何かを抱えている気はしていたが、その中には薄茶色のなにか丸まったものが埋まっている。よくよく見れば、ふわりとした毛だるまはなんとなく見覚えがある。
(この毛………)
それにそっと手を伸ばすと、まん丸とした胴体に埋まっていた頭がぴょこんと顔を出した。頭に付いた三角耳をひょこひょこと動かし、長い髭が細かに動く。
「猫……だな?」
「……うん。猫だよ?」
「猫に聞いていたのか?」
「……そうだよ?ちゃんと晴明の匂いも覚えさせたんだ。三日かかっちゃったけど、見つけられてえらいよね」
色々な猫に聞きこみをし、この子に匂いを覚えさせて晴明を探してみたと言っている春時に、簡単にその光景が目に浮かぶ晴明。
(本当に猫に『晴明知らない?』って聞いて回っていたのだろうな……しかも三日も)
どう考えても完全に不審者である。さぞ後ろ指さされていたことだろう。
(そして匂いを覚えさせたって何でだ?私の匂いの残る物なんて春時は持っていただろうか?)
疑問が浮かぶが、手元に抱えた猫の頭をよしよしと撫でる春時と、同じく嬉しそうにその目を細めて『にゃぁお』と返事をしている猫を見て、そこは聞くのをやめておいた。
「もう、何も言うまい………」
「……後で煮干あげるね。晴明の顔も見れたし、僕帰るね。……任務終わったら教えてね?」
「……分かった、気をつけて帰れよ」
手を振る春時を見送りながら、はぁと溜息をこぼす頃には、完全に憲平との出来事などどうでも良くなっていた。ある意味春時のおかげですっかり元通りに戻った晴明。
その足で陰陽寮に寄り、日が完全に落ちきるまでの間、少しだけ溜まっていた仕事を済ませてから内裏へと戻った。
「───今から戻る。話がある為、後宮に戻る前に話の場を用意しろ。場所が決まればこの式に言葉を乗せて空に放れ……」
向かう前に伝達用の式に言霊を吹き込み、鶴の形に折るとそれをふぅっと一息吹きかけ空に放った。途端に命を持ち出した鶴を象った式は小さな羽を羽ばたかせ、上空を漂い内裏の中へ入っていく。
すっかり日も落ちた為、辺りに焚き付けられた松明。その火に照らされていた内裏を囲う門番の内、晴明が忍び込もうとしている辺りの門番は、見たところ先程詰所に居た者が立っていた。一時的なものなのか、それとも覚悟を決めて協力する流れになったのか、まだ帝と話していない晴明には分からない。正面から堂々と『帝へのお目通り』として入っても今の清明は問題ないのだが、その後出て来ない事を変に勘繰られても面倒だった晴明は、いつものようにするりと隙をついて中へと潜り込む事にしていた。
死角に隠れていると、つんつんと頬に何かが当たる。それが何か分かっている晴明は片手を平らに差し出してやると、掌にちょこんと降り立った鶴。
「解」
人差し指と中指を伸ばし鶴に触れ、一言『解』と晴明が呟くと、鶴から声が聞こえてくる。
『清涼殿にて待つ、外に側近を待たせておくから来たら声をかけなさい』
鶴から聞こえて来たのは帝の声だ。行先が決まった晴明は、鶴に"お疲れ"と呟くとそれはすぐに燃え尽きた。
やはりいとも簡単に内裏に忍び込めた晴明が、清涼殿まで赴くと既に外に側近が待っていた。本日二度目の再開だ。
よぅと軽く手をあげれば、晴明を見て頭を抱え出す側近。
「………やはり簡単に忍び込めるのか………」
小さく呟く言葉に、当然だと一言だけ返した。
「主上は?」
「中でお待ちだ、入れ」
疲れ果てた顔で先を促され中へと踏み込む。
中を歩く度間隔をおいて立つ警護の兵がこちらを伺っていたが、それを側近が良いと手で制し、晴明は御簾で締め切られた場所の前に立った。そこに膝をつくと一礼する。
「おかえり、晴明」
「主上。安倍晴明、只今戻りました。まずはご報告から」
御簾越しに晴明は主上への報告を始める。朝集殿での話は側近の男が話しているであろうが、その時の様子と今後の対応を伺っていると思いますがと前置きをしながらもう一度話す。そして、あの時側近に指示はしたものの、何故かという理由までは伝えていなかったので、配置換えなど内裏から引き離した理由も付け加える。
「呪詛をこまめに回収していてもあそこまで弱っていたということは、その者自体が弱いということ。いくら先程払ったからといえ、また元の場所に戻せば恐らくすぐに倒れます。今は敵を誘い出すためにも、油断させることが大事な時…その間彼らを何度も払うことは出来ない。この呪詛は生命力を奪う。私が間に合わないようなことがあれば最悪死にます。その為此度は彼らには身の安全を優先させ、一度内裏から離れる必要があると私は判断しました」
理由を述べた晴明に、帝は『良き判断だ』と今回の対応を良しとした。理解を得られたことに、晴明はもう一度頭を下げる。
「ご対応、感謝致します。……して、主上。近衛から返事はございましたか?正直、"近衛"としてあんなに意識の低い者では使い物にならない。あれならいなくても構わないのですが」
「報告は来ているが…随分と酷い言われようだな。何かあったのか?」
ぴくっと晴明は眉を動かす。その顔にはじわじわと怒りが滲み始める。
「そうだな。それはもう不愉快極まりない事がな」
もういいかと判断し、砕けた言葉に戻した晴明は率直に感じたことを言った。
いつもお小言を言う側近は、今回は怒りもせず後ろで静かに佇むだけだった(疲れすぎて怒る気にもなれなかった)。晴明の抽象的な返事に、詳しく聞こうと帝は御簾をたくし上げて出てくる。
「どんな事だ?」
「言っても詮無きことだ。報告の際あやつがそれを言わなかったのであれば、私の口から言うことではあるまい」
ふんと鼻を鳴らした晴明。明らかに機嫌の悪い晴明に、言わねばわからぬわと帝が漏らす。
「貴様の雛鳥が身の程知らずにも程がある。大して揉まれてもいない、本当の危険を知らない、狭い世界しか知らない。あの男"人の命"について語りおった。中身も重みもない言葉を簡単に振りかざす、ただの糞餓鬼だ」
「……そんな事があったのか。すまなかったな、晴明。それは相当晴明にとって不愉快だっただろう。あの子はどうも視野が狭くてね…」
まだ子供の晴明に"糞餓鬼"扱いされたのは我が息子ではあるが、陰陽師として森羅万象を解き明かすことに力を注ぎ、生命をとても大切にしている晴明に言うことではないと、帝も『あの馬鹿者』と頭を抱えた。
詳しくは帝も知らないが、晴明が殊更"命"というものに重きを置いていることは昔から知っている。
その為なら惜しむことなく、自分の身など顧みずに行動する事も。
そんな晴明だからこそ帝はいつも心配し、とても信頼しているというのに。
まるでその晴明に喧嘩を売るような真似を"あの子"はしてしまったらしい。
(早くも本気で晴明を怒らせるとは……)
普段不機嫌になったり怒鳴り散らすことも多い晴明だが、恐らく今回の件は逆鱗にまで触れたであろうあの子に帝までがやや怒り気味だ。
それなりの付き合いの帝ですら、たった一度…たった一度しか晴明の逆鱗に触れたことはない。
当時はもっと幼かった晴明に、底冷えするほどの怒りを向けられた事を思い出すと、いい歳だと言うのに今でも少しばかりぞくぞくする程だ。
(……後であの子を呼び出して話をせねばならんな)
ふぅと眉間に寄った皺を揉み解す帝。同じく額に皺を刻む晴明の額には未だに深い皺が寄ったままだ。
「……貴様、あやつを何故私に会わせる?多方は予想はついてるが、その通りにいかないことも貴様なら分かっていただろう」
「確かに晴明が私の意図を汲み取って簡単に頷いてくれるとは思っていなかったな」
「なら、今後は二度とあやつと引き合わせようとするな。雛鳥だろうと、糞餓鬼に私は容赦はせんぞ」
「……ははは」
鋭い目で凄まれれば、帝は曖昧に乾いた笑い声だけ上げた。
「で?あやつからの報告はどうだった」
「一覧にあった者は皆了承したと。今は晴明が渡した書き置き通りに動いているはずだ」
「ちっ………そうか、それならそれで仕方あるまい。盾ぐらいにはなるだろう…使える者は使わせてもらおう。手筈通り近衛には霊符も渡してあるし、ここにも結界を事前に敷いておく。敵に悟られぬように発動はしないでおくが、緊急事態には発動させ、中に留まっている者を瘴気から守るから安心しろ」
協力することになったにも関わらず、何故かちっと舌打ちした晴明。
詰所での事を相当根に持っているようだ。
いざと言う時は私情を挟まないが、今はそうではないらしい。
「ただあの阿呆に、余計な動きだけはするなと伝えておけ。………下手に動けば、一番初めに死ぬのは確実にあやつになるぞ」
最後の言葉はとても真剣な声音で告げ、それだけ言い残すとすっと立ち上がった晴明は、清涼殿を出ていった。
側近が念の為外まで見送りに付き添うために晴明の後を追う。
(確実に一番手に死ぬ…か。あれでも相当腕は立つんだが、晴明が言いたいことはそこでは無いのであろうな。精と身の精の部分を指しているのだろう。私もそこを補いたかったからこそ、晴明と引き合わせたのだが…)
あの子は相当嫌われてしまったな、と帝は内心溜息をつく。
それでも最後に嫌いだという相手の事ですら気にし忠告を残してくれるあたり、やはりあの娘は本当に優しい。
「少し、早まったかなぁ………」
帝はぼんやりと宙を見上げながら、一人後悔を漏らした。引き合せる時期を見誤ったのかもしれないと。
お読み下さりありがとうございました!
続く女の園、潜入調査【陸】も是非お待ちください。