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平安異聞録ー稀代の陰陽師は色々問題だらけでしたー  作者: 深月みなも
依頼【内裏に巣食うモノ】
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女の園、潜入調査【弐】



**************************


飛香舎に来てから、早くも晴明は疲れていた。


咄嗟に猫を被って姫君っぽくしてみたのは良いものの、常ににこにこと微笑み頬の筋肉は引き攣り。お淑やかに振る舞う為に、着物捌きや立ち振る舞いに神経を使い。極めつけは間違ってもボロが出ない様に、言葉遣いを統一することだった。

普段の堅苦しい言い回しを封印し、育ちの良い姫君らしく丁寧な言葉を選んで話すのは思った以上に疲れる(普段もたまにボロが出て堅苦しい言い回し出なくなる時があるが、ほぼ無意識なので指摘されないと晴明は気付いていない)。

たまに出そうになるボロは、すかさず付人の雪華が助けに入ったり、誤魔化したりしてくれるから何とか隠すことが出来た。


早い内に、『簡単な身の回りの事は雪華がいるから大丈夫なので、何かあればお声をかけます』と女官達に伝えておくと、少し残念そうにしながらも分かりましたと返事を貰う。


主な施設の説明の後、清姫に与えられた部屋まで案内された晴明と雪華。


「では、清姫様。疲れておいででしょうし、私達は下がります。御用がございましたら何なりとお申し付け下さいませ。私共は少し離れた所で待機しております。」

「えぇ、ありがとう。気を使わせてしまってごめんなさい」


あらかた部屋の中のものの場所の説明を終えると、女官達は頭を下げ名残惜しそうに部屋を出ていった。

暫くは無言でいたが、人気が完全に無くなったのを確認して、更にたっぷりと間をとった後。


「はぁぁぁ………。つ、疲れた……」

「お疲れ様です、清姫様。水でも飲まれますか?」


盛大に大きな息を吐き出した。

晴明のその様子に苦笑しながらも、用意されていた水を雪華が器に移し替えて来る。常温で置かれていた水は温いが、晴明の乾いた喉を充分に潤した。


「まさか、こんな茶番のせいで藤原安子殿を追い出していたとは……やはりあの馬鹿はどうしようもないな」

「中宮様には申し訳ないですが、清姫様のせいではございませんので、気に病むことは無いかと。全てはあの方の采配です」


人が居なくなったので晴明はいつもの話し方に戻す。それでも屏風(びょうぶ)や御簾などで所々間仕切りをしただけの部屋では、あまり大声だと離れた場所にいるであろう女官達に聞かれてしまう。ある程度離れは場所に控えているだろうが、二人は声を落として話した。ただ、雪華の清姫様呼びは継続中である。

つまりは晴明様は悪くないから、何かあれば帝が責任を取りますよ…という事だ。


「まぁ、起こってしまったことはどうにも出来んし、仕方ない。藤原安子殿には申し訳ないが、ことが片付くまでの間、暫く辛抱してもらおう」

「ですね」


二人は静かに頷いた。




────そして飛香舎に来てから数日経った今、すっかり清姫がいる飛香舎の暮らしに皆が慣れ始めた頃。


当の本人である清姫こと晴明は、自身の普段とかけ離れた姿に、ここ数日晴明の気分はだだ下がりしていた。

綺麗に整えられた身なりに、薄く施された化粧。

いくら潜入調査の為とはいえ、ここまでする必要があったのだろうか?陰陽寮で素泊まりか下働きの者として潜入する予定だったのに、何の手違いか(明らかに帝の意図が介入したが)、帝の知人の姫君という待遇での潜入になってしまった晴明。


姫君としてお忍びで一時的に滞在するという設定の晴明の待遇は、それはもう手厚いもてなしだった。


「ささ、こちらにお着替えください、清姫様」

「え…、いや……」


潜入するにあたって男性名である晴明の名を使う事は出来ない。それでは潜入に支障が出てしまう為、晴明は"(きよ)"という仮の名で潜り込む運びとなった。


その名にもすっかり馴染んだ頃。


毎日人目がある時は"清姫"として振る舞わなければならない晴明。

まだ猫を被るくらいなら、面倒ではあるもののそのまでの疲労ではない。


────問題は別にあった。


この後宮への潜入で、常に"清姫"として過ごさないといけないこの苦行(着替え)、に早くも心折れそうになっている晴明。

一番の苦行であるこの行事(イベント)で唯一の救いのはずの家人である雪華を連れ込めたことで少しはましになるかと思っていたのに。


「まぁ!こちらも素敵ですね!清姫様ならこちらも似合いそうです。あ、この帯良いですね!!」


清姫に当てがわれた女官達に混ざり、きゃっきゃ、うふふとしている雪華の姿に、わなわなと体を震わせたのはつい先日の出来事だ。

雪華と女官達にあれよあれよという間に、本当の姫君のように豪華に飾り立てられた晴明。

主上の戯れの時は一時的にだから、………良くはないが、まだ良い。だが長期的にその姿をしなければいけないとなると話は別だった。

それからも毎日雪華は女官に混じり、清姫を飾り立てるのを上機嫌で手伝っている。

それは本日も変わりなく。お陰で晴明を助ける者はここにはいない。


「重たい…苦しい…重たい…苦しいっ!」


だんっ、と晴明は机を思い切り叩いた。

幸い今は部屋に一人。

女官達は湯あみの支度をしに行き、雪華は膳を下げる手伝いをしに行った。

食事を摂ったことで更に苦しさを増した腹部に、数日で募った晴明の苛々は限界に達していた。

ここ数日雪華があまりにも楽しそうにしていたから、少しぐらいならと耐えていたが、戻ってきたらやめるようにきつく言い聞かせようと晴明は心に誓う。

元々は晴明が過ごしやすいようにと、身内である雪華を連れてきたのだ。必要時以外は女官も来ないよう初日に言い渡してある。雪華さえどうにか出来ればこの苦行も終わりに出来る……はずだ。


「それにしても…本当に苦しい。少しくらい緩めてもいいだろうか……?」


あまりにも腹部の圧迫が強すぎて、若干顔色まで悪くなってきている晴明。誰もいない今、苦しさを和らげるには自らの手でどうにかするしかない。

帯を一度外した晴明は、それだけでも大分苦しさが緩和した。もう少し、と着物の上にきつく縛っていた腰紐も解いた。


「い、生き返ったぁ……」


あれほど苦しかったのが嘘のように、苦しみは消え。吸い込んだ新鮮な空気が体を巡り、顔色もだいぶ良くなった晴明。どうやら些か酸素不足になっていたらしい。


こないだ怒られたばかりだが、ここは女の園。ここにはあの口うるさい藤の目の青年はいない。よって、いくらだらしなく寛ごうが、着物を着崩そうが何も言われないのだ。

ある意味極楽である。

晴明は玄泉が居ないのをいいことに、あれほど"女らしく"と言われていた事を無視する事にして、みっともない格好で寛ぐ。


「清姫様、雪華戻りました………って、清姫様!」

「あぁ、雪華……」


そこに、膳を下げ終わった雪華が戻ってきたようで、声を掛けてからこちらに入ってくる。

そして驚いたように口元を手で覆い、晴明の元へ駆け寄ってくる。


「またこんなに脱ぎ散らかして!」


まるで屋敷に残してきた玄泉のような口振りで、頬を膨らませながら脱ぎ散らかした帯等を拾い集める雪華。


「……す、すまない」


普段から晴明の怠慢で大雑把な姿を散々見ていた雪華。いつもは怒られないからと油断していた。

まさか雪華から怒られるとは思っていなかった清明は、大人しく雪華へと謝る。雪華は全くです!と鼻息を荒くし。


「清姫様の着付けも着替えも全て雪華の仕事にございます!勝手にされては、雪華の楽しみがなくなってしまうではないですか!」

「え、怒る所はそこなの……?」


どうやら雪華は玄泉とは違う理由で怒っているようだった。ちょっと可笑しな所で怒る雪華に、晴明は首を傾げ頭を悩ませる。


(雪華のちょっとずれている考え方は大丈夫なのだろうか……たまに将来が心配になる)


色々と問題点ばかりの晴明に、ここまで思わせ心配を煽る雪華もある意味凄い。

そんな心配をされているとは露知らず、雪華はだらしなく寛いでいた晴明の後ろに回り込み、ぎゅっと晴明を抱え込むと満足気に微笑んだ。

暫く抱き枕…ならぬ、抱き晴明を満喫した雪華。


「所で、今宵は如何なさいますか?」

「ああ、いつも通り。よろしく頼むな、雪華」

「かしこまりました。くれぐれもお気をつけくださいまし」


雪華は何を、とは言わなかった。

二人は敢えてその言葉を直接口にしないようにしていた。それは念には念をという意味も含まれているが、そうでなくても互いに意思の疎通は出来ている。だから事細かに言う必要はないのだ。


ここに潜入して数日経つが、未だ呪具を仕掛けた犯人の尻尾は掴めていない。

昼間は特に影を潜め、なんの動向も見当たらない。だけど、時々、夜に少しばかりの瘴気がどこからか流れて来る。犯人はどうやら夜に活動しているようだった。

"姫君"として潜入しているせいで何分、昼間は立場上好き勝手動くことが出来ない。

だから、相手が夜な夜な活動している分にはこちらにとっても都合はよかった。

昼間は噂話などを聞き情報を集めることにし、夜になると、晴明は調査をする為に与えられた部屋を抜け出ていた。

その間、身代わりをするための式神と雪華に対応を任せ、内裏内を一人暗躍している。

普段だらだらとしている為、嘘だと思われるだろうが、晴明はそういった分野が非常に得意なのだ。


「問題ない」

「存じております。……さ、そろそろ湯浴みの時間でございますよ?」

「それも式に任せようか……」


普通、湯浴みなど贅沢過ぎて一般的にそんなに頻繁にはしない。

晴明は自分の屋敷に湯殿を設けているが、普通の家庭はそれすらない家も多い。

自宅に湯殿を持つ晴明も、湯にちゃんと浸かるのは余程汚れた時や疲れている時、あとは身を清める必要がある時だけで、基本は手拭いに水やお湯を含ませて拭うだけ。それなのにここに来てからというもの、姫という位置づけと客人としてという立場もあり、ほぼ毎日のように湯浴みをさせられていた。


(どこぞの姫でもあるまいし、そのような贅沢をする必要もないというのに、……まぁ、いまはその"姫君"という仮初の立場なのだが)


身が小綺麗になることは晴明にとっても嬉しいが、昨日も一昨日もその前も連日湯浴みが続き、正直面倒になってきていた。

本人が必ずしもそこまで付き合う必要は無いのだ。晴明は懐から人形の符を出そうとする。

こういう時は式神という身代わりを立てる手段があるのだから、使えるものは使うべきだ。


「駄目に御座います。わ、た、く、し、が!清姫様をお手伝い致しますので!ね!さっ、行きますよ」


それを引き留めたのはすぐ後ろにいる雪華だった。抱き締めていた腕に力が加わり、そのまま抱き上げられる。その細腕でどうして軽々と持ち上げることが出来るのだろうか。晴明は軽々と雪華に宙へと持ち上げられた。


「え?ちょ?このまま!?」

「行きますよ〜」


浮き足立った雪華に抱っこされた状態で、地に足すら着いていないまま晴明は湯殿まで運ばれていく。

周りの女官達が、その様子に何だと振り返ったり立ち止まっていたが、雪華の満面の笑みと、可愛らしい『清姫様』が"抱っこ"されながら運ばれているのだと見るや否や、暖かい目で『まぁ、可愛らしい』と微笑まれていたのだった。


結局、雪華を含めた女官達に時間をかけて丁寧に湯殿で髪を洗われ、体を拭われて暖まった晴明。

お陰で濡れた髪を乾かす必要が生まれ、そこでも時間を食ってしまった。


「だいぶ遅れをとったな…とりあえず、私は出る。後を頼んだ」


文句を言いながら、濃紺の着物を頭から被った晴明はそっと部屋を抜け出す。

軽やかに身を翻した晴明は、まるで体重でもないかのように軽やかに庭に降り立つと、そのまま闇夜に溶けるようにすぐに姿を消した。


「はい、晴明様」


小さく"清姫様"ではなく、"晴明様"と本来の主の名を呼んだ雪華は、その場で腰を折り消えた主に深く頭を下げた。




**************************



飛香舎を飛び出し、闇夜に紛れて単身内裏を動き回る晴明は、身を隠しながら見つからないように注意を払っていた。

内裏を警備している近衛が所々に居るので、気配を消しつつそっと傍を通り抜けていく。


幸いというかなんというか……近衛達が晴明に気が付くことなく見逃してくれていた。


警備としては全くもって意味を為していない気がするが、今はその方が都合がいいので呆れを抱きつつも晴明は黙々と暗闇の中を暗躍を続ける。

元々晴明がこうして本気で身を隠そうとすれば見つけられる者自体が少ないので、何もこの近衛達が全て悪い訳では無いのだが、それはそれ、これはこれである。


近衛達を躱しなが移動していると、辺りには確かな瘴気が漂っていたが、それは一箇所からではなく、所々から微量に漂って来るのを晴明は感じていた。

それは日に日に漂う場所が増えていることから、今は隠れている真犯人が、どこかしらに呪詛でも撒いているのだろうと、ここ数日で晴明は予想した。

瘴気はどれも微力過ぎて、直接的な害はない。恐らく人々の体力を少しばかり奪うようなものだろう。

夜の偵察にここ数日出ている晴明は、近衛達が日を追う事に少しずつ疲労や顔色が悪い者が居るのを見逃さなかった。


そして、その付近には必ず呪具が隠してあった。


「ここもか………」


今宵も僅かな瘴気を辿り呪具を回収して回る晴明。

見えづらい箇所の土に突き刺さっていたものを探り出し、地中からそれを抜き取った。

これで本日三つ目の呪具を回収した事になる。

ここ数日で回収した呪具が収めてある巾着を取り出し、今しがた解呪した呪具もそこへ放り込む。中にはそれなりの数の木片…正確には上下で太さの違う、へし折られた跡がある木片が入っていた。

形から見て、恐らく櫛をへし折ったものの一部だろう。


(それにしても、かなり回収して回っているのになかなか減らないな…一体いくつ仕掛けているんだ…?)


昨夜も五つは回収したはず。それなのに後を絶たない呪具の多さに晴明は思考を巡らせる。

内裏を混乱に落としたいなら、このような微力な瘴気を纏わせ方々に散らすよりも強い瘴気を一気に撒き散らした方が効率がいい。

ここには自分も含め陰陽師も使えている。

時間をかければかけるほど、対策を立てられてしまい相手は不利になるはず。


(相手の思惑はなんだ……)


晴明は巾着をしまい込むと、裾についた土を払い立ち上がる。するりと生温い夜風が肌を撫でた。

晴明は煩わしそうに、風に舞い上がった前髪をかきあげる。


(敵の思惑はまだわからん…今はまだ、情報が少なすぎる)


それでもこれだけはわかっている。


──悪意がこの内裏に蔓延り、呑み込もうとしている。ならば陰陽師である自分は、それを防ぎ原因を排除しなければいけない。


それが陰陽師である安倍晴明としての自分の役目だ。


「全く………面倒な」


晴明は再び濃紺の着物を頭から羽織ると、素早く次の瘴気を辿りその場を離れた。




夜中ずっと暗躍していた晴明は、ある程度呪具を回収した所で夜空を見上げると、今夜はここまでかと任務に区切りをつけた。

見た限り、まだ空が薄明るくなるには時間はありそうだが、それでもそう時間が残されている訳ではなさそうだったからだ。

今から新たな呪具を解呪し、回収してから部屋に戻るとなると些か時間がかかりすぎてしまう。

何より、連日夜な夜なの回収作業と並行して、早朝からの"姫君"としての仕事も多様にこなす晴明は、かなりの寝不足だった。

所々で式と入れ替わって仮眠を取ってはいるものの、寝れる時に寝たいというのが本音。今から戻れば少しは睡眠をとることができるだろうと、今宵の仕事は終いにした。

幸い漂う瘴気は大分薄まっているから、被害は最小限で済むだろう。被害に遭うものには悪いが、せいぜい体がいつもよりだるい…程度のものだろうし、そこは我慢してもらうとした。


足音を立てずに小走りする晴明は、ふと見覚えのある通りに足を止める。

ふわりと何処からか数枚の桜の花びらが目の前にを遮り地に落ちた。晴明はその花弁が飛んできた方を見る。


「あぁ、そうか。ここは…」


ふらりと。考えるよりも先に、晴明の体はそちらへ向かって歩き出した。


ふらりと歩き出した晴明が辿り着いたのは、先日赴いたばかりの桜の並木の前だった。


先日の騒ぎで気味が悪くなったのか、近衛すらまともに居ない。人気がないのを確認し、晴明はそっと頭にかけていた着物を外す。

あの日散り落ちた紅く染まった花弁の絨毯は、風に舞ったのか、はたまた気味が悪くてそうそうに集めて捨てられたのか。今は跡形もなくきえていた。

代わりに淡い桃色の花弁が辺りには広がっている。他の桜の木から落ちた物だろう。時々それが風でふわりと舞い上がってはまた落ちる。

その中にぽつんと、花弁を付けることなく、枯れ木のようになってしまった一本。

一本だけ枯れたようになってしまった哀れな桜の木。


「やはり、気の毒だな…お前はどうしたい?教えてくれ」


ずっと気がかりだった桜の木を前にし、そっと優しく問うように語りかける晴明。小さなその手で晴明は木の幹に触れた。桜の木がまるで晴明に何かを訴えるように、乾いた枝先が風に吹かれ揺れ動く。

晴明は触れた手の指先まで意識を集中させ、何かを感じ取るようにその目を閉じた。

声なのか思いなのか、小さな小さな声の様なものが晴明に流れ込んできて、そっと目を開けた。

ふっと小さな息を吐き、その声に答えるように口を開く。


「そう………お前の生き甲斐は…」


晴明の堅苦しい口調はいつの間にか解け、慈しむように慈悲深い瞳で見つめる。

その姿は幼い少女のものでも、陰陽師安倍晴明としての姿でもなかった。


儚さを纏う女のような、母のような…例えようのないその姿はただただ美しいとしか表現できない。


「大丈夫、私があなたに力を貸してあげる。だから思う存分、あなたは咲き誇りなさい」


晴明はそっと枝へと手を伸ばし、その枝に自身の小さな桜色の唇を寄せる。

それを合図にするように、枯れ果てたはずの枝の先に蕾が幾つも膨れ上がってくる。瞬く間に蕾を大きくし、ゆっくりとそれは閉じていた花弁を開いていく。

その花弁には以前見た禍々しさはなく、誰もが見惚れてしまうような程に美しく、大輪の淡い桜色の花々が咲き誇っていた。

仲間の桜の木と遜色ない美しい姿で花弁を揺らし、生き生きと精気に満ちたこの木を、もう誰も恐れることはないだろう。こんなにも幻想的な美しさで佇むこの木を、褒めることはあっても怖がることはもう無い。

その美しさに晴明の顔にも柔らかな微笑みが綻ぶ。


「どういたしまして」


誰に聞こえるでもない。晴明だけに届いた感謝に返事を返す。聞こえるはずのない"お礼"は確かに晴明には届いていた。

この木の美しく咲き誇りたかったという願いも、ありがとうという感謝も。彼女にだけは分かった。


「私もあなたの美しい姿を見れて嬉しいわ」


いつもの狩衣に袴を纏い立鳥帽子を被った、陰陽師としての男装めいた姿では無く、女物の着物を身に纏い佇むその姿は、知らない者が見ればどこかの姫君とすら思えるほど美しい姿で、晴明は緩やかに笑う。

桜の舞う並木の中、心地よい気が流れるものだから、少しばかりいつも張りつめている警戒心を解き、晴明はその場に身を置いた。



「あなたは…天女か?それとも…桜の精か?」


そんな緩やかな時間は、突然とも言える声でかき消された。

恐らくそう長い時間ではなかった。


どこからか聞こえてきた男の声は、どう考えてもこちらに向けられていた。

問いかけてきた内容が、かなり間抜けな内容だったがそんなことはどうでも良い。


晴明は声のした方向を勢い良く振り返る。


一瞬にして解いていた警戒心を最大にまで引きあげると、陰陽師安倍晴明として身を構えて暗闇へ視線を走らせる。

辺りを見回すが、近くには声の持ち主の姿は見つけれない。声の主はすぐそばに居た訳では無いようだ。

静かな夜ということもあって多少その声が響いたのだろう。


考えてみれば、晴明がいくら気を抜いていたといえど、誰かが近くまで来ていれば何かしらは感じ取ることが出来る。

相手が凄腕の術者、同業を生業にしている者であれば別だが、気配を消すなど中々簡単に出来ることではない。

それが出来なかったのは、その範囲にまでは誰もいなかったという事だ。

いくらあたりを見回しても灯らしいものは見当たらない。

不味いことに、上弦にすら満たない月の明かりでは晴明のいる場所から相手の姿は捕えることが出来ない。

物陰に隠れているのか、はたまた距離が開きすぎているのか。どの道、こちらから見えない事には、より一層警戒を強めるしかない。

雲もほとんどない今宵は、いくら弱い月明かりとはいえ、晴明の立つ場は光に晒されてしまい、相手には清明の姿が見えてしまう。


───些か、視覚的には不利な状況。


もしもの時に備えて晴明は着物の合わせにそっと手を忍ばせ、中にしまっていた霊符を手に掴む。


「居るのは分かっている、今ずぐ出てこい。さも無いと、こちらも強行手段を取らせてもらう」


叫ぶ訳では無い。晴明の凛とした良く通る声が闇夜に響いた。


「……っ!」


闇に潜む者は晴明の声に息を飲み、直ぐに返答をする事も、動きを見せることもしない。

それが答えだと晴明は判断し、言葉通りにすぐさま術を行使する為に着物の合わせから霊符を引き出す。

短冊のような白い紙を手にし、言霊乗せ力を注ぐ。


騰蛇(とうだ)、来い!」


一般的な陰陽師がよく使う長いものとは違い、晴明はとても短い言葉を唱えた。

その声が途絶えたと同時に僅かに光を放ち、途端に火元などないのに霊符は青白い炎を放ちつと、あっという間に炎が霊符を覆うように全てを飲み込んだ。

晴明の手から燃ゆる符がひらりと離れ地に落ちる。

地に落ちても燃え続ける霊符。札の全てを炎で飲み込んだ後、次第に青白い炎は見る見るうちに形を変え、一体どういう仕組みなのか…ありえない事に蛇のような何かの姿になった。


「逝け、騰蛇!」


全てが異質なこの光景を、男は離れた位置から見て驚きに息を飲む。

姿を為した炎の化身が生き物のように揺れ動くき、それは晴明から"騰蛇"と呼ばれ、晴明の一言で起こしていた胴体のような部分を地に伏せると俊敏且つしなやかな動きで地を這いずりながら目的の者へ一直線に向かう。


その姿はまるで本物の蛇のようだった。



身の危険を感じた男が逃げ出すよりも早く、それは男を捉えた。

炎の生き物は体全身を使い、巻き付くように男の体を駆け上がる。青い炎が男の動きを封じるように巻きついている。


(ま、まずい!このままだと、殺される!!)


咄嗟に足から這い上がって来る炎を、消すように手で払い除けようとするが、それは叶わなかった。


(燃えるっ!!)


男は死を覚悟したが、その時が来ることはなかった。身動きが取れなくなるまで炎に拘束されたはずの体は、ただ地に転がされているだけで燃えてはいなかった。

男は驚いた。未だ体に炎が燃え移らない事にもだが、その炎の異常さに驚いたのだ。

未だゆらゆらと燃ゆる炎は熱を持っていなかった。


「い、一体………これは炎ではないのか?」


うつ伏せに転がされた男は、体に巻き付く炎を眺めた。

その間に徐々に距離を詰めていた晴明は、騰蛇の炎で浮かび上がった男の姿を見て、確保ができたことを確認する。

更に距離を詰めて男の傍までやって来ると、晴明は懐から扇を取り出すと、親骨を使い男の顔を上に持ち上げた。


「捉えたか、騰蛇。良くやった………さて」


晴明によって顔を上げた男の顔。炎に照らされたその顔に、晴明は見覚えがあった。

黒曜石の瞳は男の姿を映す。その瞳はゆっくりと細められていく。


「お前だったか……"憲平"」

「お前は…あの時の娘、か?まさか、さっき見たのがお前だったとは………」


先程見間違えていた相手が晴明だと理解した憲平。

身を捩りながら気まずそうにその目を少し逸らした。


「貴様は何をしていた?……憲平よ」


縛り上げられていた先日会った男、『憲平』に、晴明は冷ややかな目で問い掛ける。

その目は、この間憲平が見かけた時の様な冷めたものではない。『冷ややかな目』…なんて優しい表現では済まない。身が凍るような、芯から冷える冷酷な目だった。

その瞳を見てぞくりと憲平の体に悪寒が走る。


「問うてるのだ、早く答えろ。貴様は今回の呪具の件に関わっているのか?」


ぐっと、顎に掛けた扇を更に上へ持ち上げる。その事で姿勢が更に辛いものになり、憲平はうっと声を上げた。

冷たい目はそのままに、口角を片方上げた晴明。悪役顔負けのその表情に、嫌な汗をかく憲平。


「呪具とはなんの事だ!?俺は、警備を終えて帰る途中だったんだっ!そしたら………天女が…桜を……」


憲平の言い分は、どうやら"たまたま通りかかった"という事だった。最後はもごもごと口篭りながら言うからよく聞き取れなかったが。

晴明は無言で憲平を暫く見つめる。憲平の目は真っ直ぐこちらに向けられていた。


「………目は泳いでいない。嘘をついてはなさそうだが……鵜呑みにするにはまだ情報不足、か」


晴明は扇をしまうと、憲平を雑に転がし仰向けにした。



────そして。


「なっ!?何をしているんだ!?」

「…五月蝿いっ。少しは静かに出来んのか、この阿呆が」

「…ぃった!……ちょ、ま、待て、待つんだ!何しているんだっ!」


晴明の行動に慌てた憲平が焦った声を上げる。

その憲平の顔面に平手の一撃を入れ、馬乗りになった晴明が迷いなく憲平の体を"調べ"始めた。




この部は主に、昼の部の晴明ちゃんの様子でした!

基本的に自堕落な生活を送っている晴明ちゃんに、姫様の生活は向いていない(笑)

そして雪華の構いたがりが炸裂中でした。


ここから夜の部へいきまーす!


意外と隠密にも長けている晴明ちゃんが、夜の内裏を駆けます。


ここまでお読み下さりありがとうございました!

続く女の園、潜入調査【惨】も是非お待ちください。

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