避けたい訪問者、邸に訪れる
いよいよ平安異聞録、第二章始動!!
長い長い第一章が書き終わり、漸く第二章に進めて嬉しい限りです。
第一章は今後長い付き合いになる晴明と憲平の出会い編でもありましたが、色んな思惑と謎(伏線)が交差している回でもあったので、ちょっと詰め込みすぎないようにとか、直接的な言葉は避け濁す場面が多くて盛り上がらないところも多かったので、二章ではもう少しのびのび書きたいなぁ~と思っています。
個人的に面白い感じでキャラが掛け合わせてるのを書くのが好きなので、そういうシーンを増やしたい(笑)
それでは皆様、第二章もどうぞ!
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雨季独特の湿った匂いが漂う中、敷地内の警備にあたっていたいた一人の男は、仕事中だというにも関わらず『はぁぁ』と大きな溜息を吐き出していた。
幸いこの場には自分しかいない。
だからこそ、溜息を隠すことなく吐き出したのだが、それでも生真面目なこの男が職務中にこうして溜息を吐き出す時点でそれなりのことではあった。
この男、憲平は生真面目を絵にかいたような人間で、身だしなみでは着崩れを嫌い、糊のしっかりと効いた衣服を着こみ、その癖などなさそうな少し硬めの直毛をきつく結び上げている。
頭も固く、冗談を自分から口にすることも、また上手に返すことも出来ない堅物人間。
それが長所になっているのか、短所になっているのか…それは分からないが、少なくともそのせいで馬が合わない人間も多くいる。
そして、そんな憲平の溜息の原因になっているのもまた、憲平と馬が合わなかった人間であった。
憲平の悩みの種、それは傍若無人で我が道を突き進む問題児、安倍晴明という一人の少女のである。
今年の春先に、帝に呼ばれた席で初めて紹介され知り合った少女であり、その際に自身の不徳が致すところではあったが、色々と揉めてしまい互いにとって最悪の出会いとなった。
お陰で、互いが苦手意識を持ってしまい、憲平自身はもう関わることもあるまいと、理想の安倍晴明の姿を打ち砕かれるだけの結果を残すことで幕を閉じるはずだった。
しかし、早々に忘れようと思っていたはずが、その後も色々と晴明と接触する機会があり。
その最中改めて人となりを知っていくにつれ、初めに持った印象と変わらぬところもあれど、それだけではない一面も多いと知り、それなりに彼女への認識を改めた。
未だに彼女の傍若無人・唯我独尊・傲岸不遜という言葉がぴったりな態度や、悪い意味で一級品な口の悪さは苦手…というか腹が立つし、治る気配のない振舞いのはしたなさに慣れることはないが、それでも互いに顔見知りと呼べる程度の仲になった…と思う。
思うという曖昧な表現になってしまうのは、あくまで憲平は認識を改めたが、晴明が憲平を今現在はどう思っているかが分からないからである。
内裏での悲劇の際、晴明との不仲に決定的な亀裂を生んでしまった憲平の失態については謝罪をした。
一応、晴明からは許しを貰え、事件解決までは共に行動する場面も多かったが、基本的には初め同様に『阿呆』『馬鹿者』と憲平は晴明から罵られ…たまに叩かれ続けていた。
阿呆だの、馬鹿者だのという認識がそのままなのであれば、初めて会った時晴明から言われた『嫌い』だという認識もそのままなのではないか…と、憲平は考えてしまうのだ。
あの事件の後、突然晴明が目の前で体調を崩して倒れてしまうというひと騒動があり、その時目撃した晴明の弱った姿が今でも目に焼き付きいている。
心配で何度も晴明に会う為に邸まで足を運んだ…が、その際は勿論のこと、体調が回復した後も晴明が憲平に姿を見せることはなかった。
所謂"門前払い"と言うやつだ。
初めは、治ったばかりだからまだ人と会うのは辛いのだろう…と、憲平も疑問には思わずすぐに引いたが、その後も大内裏に出てきていないと父である帝から度々聞かされ(愚痴られ)、気になったので再び様子を見に邸へ赴くも、やはり面会謝絶。
それは、体調不良に関係ない明確な拒絶であった。
立て続く面会謝絶に、関係が改善したと思ったのは憲平の一方的な勘違いだったのではと気落ちしていると、足繁く通う内にだいぶ顔見知りになりつつある玄泉から、『憲平様に限った話ではないので』と慰めのような言葉を貰ったが、それが本当か嘘かも憲平には分からない。
ただ慰めの為にかけてくれた方便のような気もする。
だが、その答えを持つのは当人である晴明に他ならない。
つまりは、憲平には晴明の真意なんて予想すらまともにできず、本人の口からはっきり聞かねば分からない……晴明と憲平の仲とはその程度の仲なのだ。
憲平が悶々としている内に、出仕を頑なにしなかった晴明が、職務放棄が二月に差し掛かる前辺りで、時々だが晴明は顔を出すようになった。
何故かそわそわとする自分に違和感を感じながらも、どこかで会うこともあるだろうか…なんて思っていたら、会うことはおろか見かける事すらないまま、最後に晴明の姿を見て言葉を交わしたあの日から早二月半が過ぎていた。
鬱々とした曇天が続く雨季も終わりが近づき、あと一月もすれば、今度は日照りが続く季節を迎える時期になってしまう。
別に彼女と仲良くなりたい訳ではない。
ないが……それでも気になってしまうのだから、考えてしまうのは仕方がない。
一度でも顔を合わせていたら違ったのかもしれないが、会えずじまいの憲平は、悶々としたよく分からない気持ちに思考は気取られてばかりで、やはり今日も一人溜息と共に項垂れるのであった。
――――そして、そんなこととは露知らぬ晴明。
彼女は数日ぶりに、気まぐれで陰陽寮へとやって来ていた。
陰陽寮の中に強制的に作り上げた城(屏風などで勝手に仕切った個人スペース)にて、扇で自身へと生ぬるい風を送る。
煽がないよりはマシだが、それでもこの生ぬるい風では、とてもではないがこのじめっとした暑さを和らげるには力不足であった。
梅雨独特の雨が続いていても、湿った熱気のせいでべたりと肌に髪が纏わり付き、気持ちの悪い暑さに肌には薄らと汗が滲む。
「うぅ…暑っつい………」
晴明は机の上に肘を乗せ、立てた右腕に頬を乗せるようにしながら、左の手はずっと風を送り続けていた。
だらりと力なく背を丸めた晴明は、職場であるにも関わらず、"やる気"の"や"の字も見受けられない。
なら何故ここに来ているのか。
それは簡単。
本日、邸に来るはずの客人から避難する為であった。
別の場所に逃げ込むことも考えたが、邸にいない理由が露見した際に、雲隠れと仕事で大きく相手の反応が異なるため、ならば比較的言い訳のきくこちらに顔を出すことにしたのだ。
そこまでして避ける必要があるのか?と、知らぬ者は言うだろう。
だが、邸に残っていたらそれなりの面倒事が、その客人の手土産として持ち込まれるのは明白。
同じ面倒事ならば、大内裏にて本来の職務をこなしていた方がまだましだと、屋敷に残してきた家人らにも行先は告げずにこっそり屋敷を抜け出て出来たというわけだ。
こと晴明が関わると大事にしかねない者が邸には多いので、一応書置きは残してきたが、その内容は『暫く仕事で留守にする。客人には私の不在を謝罪し、用件は承りかねるとしっかりと断りを告げて帰ってもらってくれ』というもの。
玄泉辺りは、それを見れば私が逃亡するために家を空けたことを察するだろうが、来客予定の相手はなかなかに強敵。
果たして、その内容で納得して早々に帰宅してくれるだろうか?と、毎度のことながら晴明もまた、彼の人と同じように頭を悩ませていた。
何も、逃げて来ずとも直接会って断ることも出来る。
なんだったら最悪、晴明にだって妥協できることはあるのだ。事前に早文で知らされていた頼み事を受けるだけならば、嫌々ではあるが引き受けてもよい…とは考えてはいる。
ただ、それは本来依頼人の仕事であり、別に晴明が必ずしも行わなければいけない道理も必要性もない。
なので、可能な限りは自分達でどうにかしてほしい…というのが本音だ。
こないだまで(と言っても二月以上は前のことだが)内裏で潜入調査の為身を粉にして働き、その大きな仕事を終わらせたのだ。ましてやその後体調不良で倒れもした。
(まぁ、それがあちらにまで伝わり、厄介な面々が邸まで乗り込んで来そうになって困ったが……)
人目のある中で倒れてしまった為に目撃者も多く、その話が本日来客予定の相手の家にも流れ着いてしまったらしい。
もし来られていたら余計に体調を悪くすること間違いなし。
後日その話を聞いた時にはひやりとしたものだ。
だが、出来る従者は『そう言うだろうと思い、今回は悪化しない限り私共だけで面倒を見ますとお断り申し上げておきました』と、にこりと穏やかに笑っていた。
その言葉を聞き、従者のあまりの出来の良さに晴明は心から感動を覚えたものだ。
良くやった!と、思わず力強く玄泉を褒めたのはその感動ゆえだ。
褒められた玄泉は『そこまで邪険にしなくても…』とは言っていたが、邪険にしているのではない。
苦手としているだけだ。
あの家の者達は一癖も二癖もありすぎる上に、晴明にやたらとちょっかいを掛けたがる。
故に、それに嫌気がさした晴明がこうして逃亡を図ることになるのだ。
ともあれ、向こうも晴明の体調不良のことは知っている現状。
それから二月以上経つ今、時期的には妥当というか…珍しく待った方ではあるのだろうが。
どう考えたって、こちらに来る機会を伺っていた…としか思えない。
いや、まぁ、何かにつけて晴明を訪ねようとする節があるのは昔から知っている。
知ってはいるが、それはあくまであちら側の面々についてであり、あの人個人に照準を当ててしまえばそう多くはない。
だからこそ、絶対に厄介ごとだと本能的に拒否反応が出てしまうのだ。
問題なく体調も回復しても尚、晴明は引き篭って屋敷の者以外と会うことはなかったが、それはまぁ通常使用なもので。
療養期間をゆうに超えているのは理解しているが、例え屋敷に引き篭っていたとしても、晴明とて仕事を全くせずに二月を過ごしていたわけではない。
細々とした依頼をこなしたり、自宅での自身の研究や実験、そして時折ではあるものの大内裏まで赴き天文博士として(それ以外の仕事も多々回ってきたが)職務を遂行していた。
そもそも晴明は面倒事は避け、好きなことだけをして、だらだらのんびり自堕落生活を送ることを信念に生きているのだから、これ以上は面倒な仕事は回避したいのが本音。
……だって、とても疲れるから。そう、とても。
他人の…ましてや彼らの持ってくる話は面倒なことが多いので、疲れるから受けたくない。
しかも、あの人が来るということは、厄介な話とは別件で共に持ってくるであろうあちらの件。
寧ろ、後者の方が晴明が逃亡するに至る最大の理由だった。
それだけは、妥協という言葉など一文字も口から出てこない程、話を聞くことも考える余地も無いほどお断り案件であり、今までも散々言ってはいるのだが。
なかなかその話が減ることもないまま、寧ろ歳を重ねていくにつれて量が増量していく。
晴明の明確な意志を理解しているなら、全てに対して否と向こうで処理してくれればいい話なのに、屋敷に届く個人からの文とは別に、あちら側に来た話を持ち込んでくるから非常に厄介なのだ。
いっそのこと、届かなかったものとして纏めて焼却でもしてくれ…と切に願う。
そんな話を前に零せば、ならば…とあの人から提示される妥協案は必ず一つで、それにも晴明は頷くことは出来ず拒絶を続けている。
確かにその妥協案を受け入れれば、あの人は晴明が頷かない限りは、政治的な道具のように本人の意思を無視して話を纏めることはしないだろう。
そして、晴明が拒否し続ける限り、その名と立場を使って保留してくれるとは思う。
けれど、それだけは絶対に受け入れられないと晴明は頑なに拒絶を続けた。
『何が不満なんだ』とぼやかれたが、こればかりは不満とかそういう話ではないのだ。
晴明にとって、その話は初めからあり得ないものであり、検討する必要も意味もないくらい明白な答えが胸の内にある。
ただ、それだけのことだった。
自分の考えが変わることは万に一つもないと晴明が言えば、『まぁ、いい』と、とりあえずは晴明の意識改革さえ出来れば良いのだと言われたことがある。
つまりは、少しでもその気になるならばこうする意味はあるのだと、人の人生だと言うのに要らぬ世話を焼き、あーだこーだと長丁場の説明と説教という辛い時間を味合わされるのだ。
そんな事をされても、何がなんでもその件についてはお断りの意思を貫く晴明は、こうして訪問客が屋敷に来る前に、まだ日も登りきっていない早朝にこっそりと、でも素早い動きで忍びながら逃げ出してきたのだ。
だだ…逃げ出してきたはいいものの、別に陰陽寮には避難を目的に来ただけであって、仕事をしたいわけではない晴明。
自分がすべき仕事は、数日前に来た時にもう終わらせてある。
追加の仕事もないわけではないが(本当は頼みたい仕事は山のようにあるが晴明が突き返しているだけ)、急ぎというわけでもないから気も乗らない。
部下達から指導を頼まれはしたが、動くのが億劫な晴明は口頭だけで解決できる案件に関してだけは助言をしてやっていた。
それでも晴明が対応してくれるのは珍しいと、無視や話を一蹴せずに相手をしてくれたことに、部下はそれはもう大喜びして次から次に、様子を窺いながらも晴明の個室には人が訪れていた。
(……気まぐれで助言してみればすぐにこれか)
暫くは暇つぶし程度に相手してやっていたが、上限を知らぬ彼らが尋ねて来るのが段々と鬱陶しくなってきた晴明は、面倒がってもう答えんと告げると『そんな!?』と、大の男たちがめそめそとしだす。
典薬寮の者達もそうだが、それしきのことで大の大人や男がめそめそするなよ…と、晴明は若干引き気味だ。
彼らにとって、晴明に教わる事はとても価値あることであり、出仕も少なく気難しい晴明に教わる機会は絶対に逃したくない。
だからこそ、質問の終了=機会が没収されたということになり、例え大の大人であろうが男であろうが、求める者からしたら皆が絶望し盛大に落胆するのだ。
特に、質問を一回も出来ていない者達はその数倍落ち込む。
故に大人であろうと男であろうと、泣きべそ寸前なのは仕方のない反応でもあった。
その情けない姿にやれやれと大きく溜息を吐いて、仕方なく聞きたいことがある者達で集まって質問を紙にまとめてくるように言い放つと、晴明の度重なる珍しいお許しに、すっかり元気になった部下は早速皆の元へ駆けて行った。
それからかなり時間が経過しているが、まだ紙を持って来ないあたり、質問が殺到しているのだろう。
これは容認するべきじゃなかったかもしれない…と、少しの後悔を滲ませつつも、特にすることもなく、ただこうして生ぬるい風を送っているだけの晴明。
(それにしても、ベタベタして暑い…)
同じ"暑い"でも、まだ夏のカラッとした暑さの方が幾らかましだと、その時は思っていた。
この後、それはそれで辛い……と嘆くことになるとは思いもよらずに。
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その頃、ある屋敷ではひと騒動起こっていた。
その騒動の元となっている事案は、安倍晴明の屋敷へ向かう人選だった。
晴明の屋敷は特殊な結界が張られており、簡単に訪問できる場所ではない。
場所…自体には勿論訪問は誰でも出来る。
ただしその中に入る事が出来ないのだ。
晴明の許可なき者は屋敷の門前を潜っても屋敷の入口には辿り着けない。
悪しきものに至っては、弾き返され門前すら潜れない。
そんな特殊な結界が張られている。
だからこそ、許可のある者についていく……という方法であれば、屋敷の入口には辿り着けるのだ。
ただし、あくまでそこに行ける手段を得るだけであり、入口を守る者から更なる許可がないと入室は出来ない。
入ったとしても、安倍晴明に直接会えるかは分からない。
それが安倍晴明の屋敷であり、安倍晴明のやり方だ。
ただ、この屋敷の者に関しては晴明に会える確率は少しばかり高い。
一名は初めから確定しているが、残りの付き添いの枠に誰が滑り込むか…、という揉め事を数人が起こしていた。
揉めているのは主に四人だが、それ以外の者も本当はそこに混ざりたいくらい、付き添いという名目で陰陽師として名高い安倍晴明に会ってみたいと思ってはいる。
思ってはいるが、そこに混ざれる程肉体的自信のある猛者も、ちょっとやそっとで折れる事の無い強靭な精神も、ここでの地位や立場もなかった。
何せ、今揉めている四人は、この屋敷の中でも将来を有望視されている人物達だ。
だから、誰になるかを見守ることしか、蚊帳の外に追い払われている者達には出来ない。
どうせ、自分達はついては行けないだろうから。
ならば、早く決まってくれないかなと、少し迷惑そうにすらしていた。
騒々しすぎて敵わない………と。
四人の内、二人は血気盛んに、残り二人は静かだったり穏やかではあるがその分言葉に含みを持たせながら、やや威圧的な空気をたたえていて、自分からは決して引こうとはしていない。
「前回は行ったんだから今回は譲ってよ!きっと晴明も私が行った方が喜ぶもん!」
「嫌だね。前回だって譲ってもらった訳でもないのに、なんで譲らなきゃいけないんだよ。そっちがただ負けただけだろ!恩着せがましい」
「僕も、前回は行けなかったから逢いたいなぁ。あの子にも僕にも役目があるから、今回を逃すと、次いつ会えるのか……役目があると、本当にままならないんだよね」
「………あれは、俺がたまに様子を見に行かねばいかん」
と、この通り。
誰もが、自分が行くと言ってきかないのだ。
一人目は、女の子だと言うのに年上の男を相手にして怖くないのか、まるで毛を逆立てた猫のようにしゃー!と歯をむき出しで、『譲れ』と食って掛かっている。
二人目は、その猫のような女の子に負けず劣らずの威勢の良さで、あしらうかのようにしっしと手で追い払いながら、挑発的な言葉を敢て吐き捨てている。
三人目…は後にして、四人目に関しては、淡々とした口振りではあるものの、まるで自分の義務だと言わんばかりに断言していた。
普段寡黙なくせに、こういう時だけは口が良く動くと、こんな言葉少なな会話しか参戦していないのに評価されている。
そんな評価をされるような普段とは一体。
因みに後回しにした三人目だが…彼は穏やかそうな口振りだが、その言葉にはたっぷりと裏があり。
彼の言葉を要約すると、『君達と違ってやる事が多いと自由が効かないから、その僕に譲るのは当たり前だよね』、という具合だ。
吐き出された溜息には、もれなく無言の重圧までかけている。
外見含め、一番のほほんとしてはいるものの、この男が一番要注意なのだ。
ただ、言い分としては事実でもあるので、三人はそこには敢えて触れないように、聞こえぬふりを貫きつつ揉めていた。
でないと、自分達はあっさり付き添いの座を奪われてしまうのが目に見えている。
「毎度毎度、お前達は本当に飽きないな……あまり長引くようなら今回は共を連れずに行くが?」
その一言にぴたりと揃えた様に四人が口を閉じた。
いつも誰かしらは共に連れて行くからとこの四人はその座を争っていたが、その話自体このままでは危ういと四者とも各々悔しそうにしたり思案する。
「分かりました…ならばこうしなさい。当たりを引いた者を連れて行く」
「分かりました」
「…いいだろう」
「いいわっ!」
「しゃーないな」
そうして収まるところを知らずに言い争っている身内の者に、確定済みの一名が声を掛けたことで仕方なく生まれた案。
お陰で漸くこの闘争に終わりが見えそうになった。
そうして共に付き添う権利を得た一名と確定済みであった一名は自宅の牛車に乗り込み、牛飼い童に行き先を指示すると邸を出発した。
箱の中で揺られながら向かう間、会話と言う会話はなく静けさだけがその場にあった。
それは気まずさ故でもなく、かといって関係が冷め切っているからというわけでもない。
寧ろあの四人の中で誰よりもこの二人は気安い間柄であると言えるだろう。
その静寂の中、箱の片隅にあったあるものを認めて男が向かい合う相手に話しかける。
「またそんなに……はぁ。あの子の反応が手に取るように分かる」
「あぁ、そうだろうな」
こんもりと膨れているそれを見て、手渡した時の晴明の姿を思い描いた青年が少し眉根を下げた。
対する相手も表情こそ変わらないものの、纏う空気が自分と似たようあものを含んでいたので同じような心境なのだろう。
ならそんなもの捨ててしまえばいいのに…と内心では思いながらも、目の前の人がそんなこと出来る性格ではないとよく知っている青年。
これは自分達ではなく晴明個人に宛てられたものであるし、その中にはそれなりの身分を持っている者からのものも多くあるだろう。だからこそ簡単に処分できないから面倒で仕方がない。
(面倒……晴明の口癖だな)
いつの頃からか使う機会が増えた『面倒』と言う言葉に、すっかり晴明の口癖が移っていると青年の口元に笑みが零れた。
きっと今日も我々の来訪を『面倒だ』と零しているに違いない。
嫌な顔をされると分かってはいるが、離れて暮らしている上に、元来引き篭もり癖のあるあの子に会うには、こうでもして強引に行かなければ会えないのだから仕方がない。
そうでなくとも二月程前に『安倍晴明が内裏で倒れた』と邸に報告が入った時、心配で駆け付けたかった所を『主には今お会いできません』と、あの番人たる従者が我々の立ち入りを拒否した為、会うどころか邸の中にすら入ることは叶わなかった。
今日はそんなことはないだろうが、忠臣たるあの青年のその態度に苛立った気持ちはまだ胸の中で僅かに燻っている。
晴明の命であったのだろうが、そう都合よく抱いた気持ちは消え去らないものだ。仕方がない。
箱の中で交わした会話はそれきりで、そこから少しの時間を置き牛車がゆっくりと速度を下げた。
牛車が完全に停止すると、外から『到着致しました』と声がかかり、そっと御簾を押し上げて順々に箱から降りる。
その手にはさっき指し示した手土産を持って。
どうせ本日の滞在は長引くだろうと予期し、牛車には先に帰っているように命じて二人は門前に並ぶ。
その門を潜りぬければ玄関口たる大戸が現れる。
これが番人の許可がなければ屋敷内に入れぬ、謂わば"審査の門"だ。
ここまでは予め許可を得ている自分も含め、今日ここに来れずに苦い顔をして留守番しているだろうあの面々も許可を得ているので来ることは容易い。
問題はこの先の"番人"の許可があるかどうかだ。
番人の役目を担っている者ははまちまちではあるが、基本はあの優し気な好青年を装う玄泉と言う名の従者が任されていた。
装う…と言う言い方は悪いが、どうしてもそう感じてしまうのだからそうとしか例えようがない。
穏やかな気質で、その姿形は高身長で美しい宝玉のような珍しい紫の瞳を持つ美丈夫ではあるが、それは彼が異なるもの故の美しさであろう。
晴明から彼女に従っている従者の一部については少し聞きかじっている。
そんな彼が何故晴明に従っているのか等は分からないが、従者の中で侮れないのは間違いなくあの男だと青年は認識していた。
そして今日の門番は一体誰か…とその戸に声を掛ければ、出てきたのは予想を裏切ることなく件の男。
「お待ち申し上げておりました。忠行様、保憲様も」
目の前の大戸をゆっくりと押し上げて現れた玄泉は、その顔に上品な笑みと柔らかな動きで挨拶を交わしてきた。
「久しいな。早速だが、晴明は?」
その挨拶に端的に返した此度の訪問者、賀茂忠行は本題である晴明の所在を玄泉にいち早く確認する。
それは最早恒例行事ともいえよう会話のやり取りだ。
「それが…主は仕事に出ておりまして。申し訳ございません」
「来ることは伝えていたはずなのに仕事か?」
「いつものやむを得ず受けた仕事という事のようです。…本当にすみません」
申し訳ない、と謝る玄泉がいうやむを得ず受けた仕事と言うのは隠語のようなもので、ようは晴明が仕事を理由に逃亡したことを指している。
主の命がある為直積的なことは言えないが、あまりにも立て続く逃亡に玄泉なりに申し訳なさを抱いた末に作った隠語だ。
つまり『逃亡を防げず申し訳御座いません』と言う謝罪が込められている。
「君のせいではない。あれがずる賢くすばしっこいのだから。どうせ、他にも何か言伝を預かっているのだろう?」
「流石は忠行様…その、申し上げにくい事ではあるのですが、主から『用件は承りかねる』と仰せつかっております」
「やはりか…まったくあの子は。一応聞くが、行き先は?」
「存じておりません」
知っていればそれとなく隠語を使い居場所を教えてくれることも多い玄泉が『知らない』という事は、本当に何も知らないのだろう。
そのことに忠行はしかめっ面でもう一度『全く…』と零す。
「いつお戻りになられるかはわかりませんが、お二人とも中で待たれますか?」
相も変わらず申し訳なさそうに告げる玄泉に、忠行は少し黙り込むと『保憲』と連れの名を呼んだ。それに付き添いの男…賀茂保憲が答えると。
「お前はここで待て。仕方がないから晴明は後回しにして帝へ謁見してくる。その折にいない可能性は高いが陰陽寮にも立ち寄って来よう。もし万が一晴明が戻った際には絶対逃すなよ」
そう厳しい顔で告げ、保憲の返事も待たないで早々に一人で門を抜けて外に行ってしまった。
父である忠行の命に逆らうことなどそもそも考えてはいなかった保憲は、ふぅと苦笑気味に小さく息を吐き出すと玄泉に向き直る。
「では、私だけ上がらせてもらおうかな?」
こうして賀茂忠行は内裏に向かい、賀茂保憲は晴明の邸に留まることになったのだ。
ここまでお読み下さりありがとうございました!
続く、 避けたい訪問者、宮中に現るも宜しければお待ち下さい。