安倍晴明御一行【壱】
参内を余儀なくされた晴明、いよいよ出発!
向かう先で待つのは……?
待ってました!!
個人的に好きな帝が出てきます!!
晴明と帝の掛け合いが深月的に大好物です(笑)
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春の暖かな陽気の中、賑わう京の都を行きかう人々はその気分までもが陽気なものであった。
咲き誇る梅や桃、そして桜が町の至る所を染め上げ、この都に更なる活気を生み出していた。華やかさを漂わせる町や人々が溢れかえる京の都。
その雰囲気に呑まれることなく、逆にうんざりといった様子で肩を落とす少女がいた。
揺れる牛車の中、何度となくついた溜息は終わることなく少女の小さな唇から漏れ出る。
同乗している者達に心配され、励まされ。少女の今すぐ引き返してしまいそうな足を何とか引き留めている。
膝上に乗せていた暖かな毛の塊がゴロゴロと喉を鳴らすものだから、その喉を撫でてやれば身を摺り寄せてくるその姿に、心が幾何か穏やかになりはするものの。
「はぁ、行きたくない」
やはり思うのは同じ事ばかり。
人の考えなどそう簡単には変えられないものなのだ。美しく伸びた黒髪をぐしゃりと掻き乱し、項垂れた。少女はその美しい顔を、言葉の通り心底嫌だと歪めていた。
「一刻程の辛抱ですよ」
そんな少女をまるで子供をあやす様に、よしよしと頭を撫でる玄泉。
玄泉と呼ばれていた青年は藤の花を溶かしたような優しい色の瞳で、穏やかに微笑みながら少女を励まし続ける。
「…触るな」
少女を落ち着かせようと撫でていた手を勝手に払い除け、少女を抱えるように抱きしめて帰宅を促すのは、夜空を溶かしたような濃紺の髪に金色の双眼を持つ、少女とそう大差ない年頃だろう少年。
そして、少女の膝上に相も変わらずのんびりまったりと寛ぐ、白い毛並みが美しい生き物はその耳と髭を揺らすだけで、特に周りの騒々しさは気にならないらしい。
仕舞にはその騒々しさの中、止まっていた少女の手を小さな舌で何度も舐め、もっと構ってと催促するように繰り返し小さく鳴き声を上げている。
そんなよくわからない組み合わせの一行が乗り込む牛車が向かう先は、この京の都の中心部。
宮城である大内裏へと向かっていた。
事の発端である昨夜届いた主上からの書状。その内容に書かれていた内裏への参内や影武者を使うな、と言う言葉に従い、拒否権のない呼び出しに嫌々ではあるが赴くことになった。
少女とて内裏へ赴くこと自体はやぶさかではない。そもそも少女の勤め先は内裏にある。
内裏の中にある陰陽寮、それが少女の職場であり、その中でかなり高い地位に身を置いている。
その為、参内の回数は兎も角として、赴く機会は多い方だ。
故に内裏に向かうことが嫌な訳ではない。
少女がここまでこの呼び出しを嫌がるのにはちゃんと理由があった。
今回の呼び出しでこれから会う人物が少女にとっては問題なのだ。
少女は幾度となくその人物に呼び出されては、全く仕事に関わりのない事柄で振り回されてばかりいた。
それ故にその人物に苦手意識を持ち、出来るだけ関わりたくないと、あの手この手で可能な限り接触を回避してきた。
お陰で、前回少女本人が訪問して以来二回あった呼び出しは何とか直接会わずに済んでいた。
だが今回ばかりは念を押されてしまった上、何度もやはり行くのを止めようと考え直す少女を、従者達が繰り返し説得をしてくるものだから、仕方なく少女は呼び出しに応じることを決めた。
それでも嫌々なのは変わらず、少女の心は沈む一方。
そうでなくても内裏は人が多すぎて嫌なのに…と少女は文句を心の中で溢す。
内裏はどうしたって人で溢れかえっている。勤め人や妃達、謁見の為の参じた人々。
自分もその内の一人ではあるが、それが自分の意志とは反する訪問となると、どうにも足取りは重くなってしまう。
「まぁ、そんなに気を落とさずに。あの方も、悪気はないのでしょう。それに我々としても、普段が普段なので…年に数回の着飾った姿を見ることが出来るのはとても楽しみなのですよ?」
穏やかに玄泉から告げられた言葉の意味をすぐに理解し、少女の顔からサーっと血の気が引いていく。
励ましで送ったつもりの玄泉の言葉は、少女にとって堪らなく嫌な記憶を呼び起こす言葉だったようだ。
(また、あの重たい衣に身を包むのか………?)
玄泉の不吉な言葉で嫌な記憶を思い出す。
それによって呼び出された感覚に少女は身震いした。
鉛を引き摺っているのではないかと思う程に重たい複数枚重ねた着物。腹部を締め上げられ息苦しさの伴う帯。無駄に長い丈の装いは、ずるずると引き摺るばかりで身動きの取り辛いだけ。
極めつけはジャラジャラと鬱陶しい事この上ない装飾品の数々。歩幅もいつもの半分くらいしか歩けず、ただ疲れるばかりだ。
その感覚が蘇り晴明の顔は死人のように蒼白になった。
(私にとって、とても好めたものではない。世の女性は何故あんなものを好んで着るのか…理解に苦しむ)
玄泉の言うようにかなりの高確率でその状況に陥ると感じた少女は、勢いよく下ろしていた腰を浮かせた。
「やはり、今からでも戻ろう!」
勢いよく立ち上がってしまったせいで、少女の動きに合わせてガタガタと箱が揺れたが、お構いなしに少女は箱から飛び出そうとする。
「こらこら、ここまで来て…それにもう引き返すには遅いです。内裏に着きましたよ」
玄泉に言われて慌てて御簾越しに外を見れば、確かに一足遅かった。
少女等を乗せた牛車は、もう内裏の門前まで着いてしまっていた。
門前にいる武官達が牛車を操っていた牛飼童と言葉を交わしていた。
短い会話の後、御簾越しに武官の一人がこちらに向かって声をかけて来る。
「お待ちしておりました。上から話は伺っております。ささ、どうぞ」
そっと御簾を持ち上げられ、見覚えのある顔の武官と目が合う。ぎらりと光ったその目が逃がすまいと強く物語っていた。
(こ、こやつ…主上から念を押されているな!?)
武官から掛かる無言の圧に少女の顔は引きつり、狭い箱の中距離を取るように後ろへ後退する。
その少女の肩を玄泉がそっと叩き。
「諦めましょう、主」
「~~~~っ!!」
声にならない叫び声で、悔しさに少女は拳を握る。
もう少し早く動けていれば、と後悔の波に襲われる中、膝上にいた生き物が少女を慰めるかのように柔らかな肉球をポンと頬に押し当てた。
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宮城に入り、幾度となく案内された道を進んでいく。初めの頃は門前で色々と問題もあったが、今では問題なく中へと通してもらえる様になった。
それはいいのだが、用件が用件なだけに嬉しくない。
あそこで顔見知りの武官にさえ会わなければ、僅かに脱出の機会も残されていただろう。悔しさに少女は奥の歯を強く噛んだ。
まだ本来の務めとしての呼び出しであればここまで気落ちしないものの、何故か呼び出しの大半はそうでないものばかりだから頭が痛い。
(今日は一体何の用なのか…)
頼むから、ここまで大袈裟に呼び立てておいて、暇つぶしや会いたかったから…などと抜かさぬことを祈る。もしもそれが理由などと抜かすようなら、咄嗟に飛び蹴りでもしかねない。それもそれで、普段の鬱憤を晴らすのには都合がいい気もするが。
少女がにやりと良くない企みを頭で練りつつ、広い大内裏の中を武官・少女・従者の順で歩き進めると、目的の部屋へと辿り着いた。
朝集殿を通り抜け、自身の職場である陰陽寮に立ち寄ることなく、武官と共に大極殿まで連れてこられた少女達。
華美ではあるが嫌な華々しさはない室内で、ひときわ目立つ、黒塗断壇の上に載った八角形の黒塗屋形。
あれは高御座と呼ばれ、中に座ることが許されているのは限られた高貴な方のみだ。
上に鳳凰を象った装飾で飾り立て、八角の棟の下に垂らした玉幡は差し込んだ陽の光を反射させている。
屋形は覆われた帳により中を覆い隠していて、中の状況を不明瞭にしていた。中に人がいるのかいないのか、それすらも曖昧にしてしまう作りだ。
それを遠目に見ながら、少女達は部屋の中までは入らずに回廊で横並びに並んでいた。ここで一度待機をするように命じられたからだ。
回廊でいつまで待つか分からないまま立つ事に疲れてしまった少女は、朱塗りの欄干の部分に乗り上がり腰を据え始める。
あまり行儀良いとは言えない行為だが、そんなこと少女は気にもせず、足元にいた小さな従者を牛車の時同様、掬いあげて膝の上に乗せる。
(どうせここにに来るなら、図書寮に行きたかった…確か頼んでいた筆もそろそろ出来上がった頃だろう)
以前個人的に頼んでいた筆のことを思い出し、帰りに寄れたら寄ろうと少女は思う。……寄れるほどの気力が残されていればの話ではあるが。
待っている間に、呼び出しが不服で仕方ない少女の顔はどんどん不貞腐れた表情になり、手元でじゃれる白いもふもふを、これでもかというほど弄り倒している。
だらしなく姿勢を崩す主を前に玄泉は溜息を漏らすが、その表情は呆れながらも笑みを称えていた。怒る訳でもなく、ただ主の横に控える。
特に今更諭す必要がないと思っているのだろう。
従者と呼ばれるまで待つしかない少女は、ちらりと奥にある高御座に視線を向けて、その中を探るようにじっと睨めつけた。
もう来ているのかいないのか。来ているなら早くして欲しいし、来ていないなら早く来い。少女は心の中で悪態を吐く。
今回少女を呼び出したのは、その高御座に座るべき人間なのだ。
高御座に座ると言う事はそれだけ尊ばれている人間だ。簡単に近づくことも、会うこともできない相手。
そんな相手がいるだろう場所に恨みがましい視線を向けていた少女。
その視界の中に、再び先程の武官が現れ苦笑する。この武官も少女のそんな姿を見るのはもう慣れたものだったからだ。
「お待たせしました。準備が整いましたので、中へお入り下さい」
「…分かった」
これから自分より偉い人と会うというのに、少女は不機嫌さを隠そうともしない。
少女は|欄干に預けていた体を起こし、膝上から両手に移した生き物を抱き抱えながら飛び降りた。
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中へと進むと年配の男が二人、高御座を挟むように左右に立ち、少女はその正面から離れた位置に腰を下ろす。
少女より更に後ろに下がった位置に玄泉も座った。本来ならもう一人の従者である少年もそこへ座るべきなのだが。
「蒼月、私の肩は顎置きではないぞ」
「知ってる」
そう言いながらも動こうとしない少年の名は蒼月。
先程牛車の中でもべったりと引っ付いていた少年だ。少女の肩に顎を乗せ、後ろから抱き着くように少女の体を抱え込んでいた。
蒼月が抱き着いて来るのは割といつもの事なので、特にそこは気にしていない少女はまぁいいだろうとそれ以上は何も言わなかった。
蒼月の表情は少女同様に不機嫌さを表しており、目の前の高御座…否、その中に座る人物を金色の目で睨んでいる。
これもいつもの事ではあるが、少女がどうしてお前まで?と前に聞いたことがあった。
返ってきたのは『あいつがいると、俺が一緒にいる時間が減る』とよく分からない理由を返された。
肩の重さに耐えながら少女が前を見据えれば、ふっと小さく笑う気配がする。
「そう睨むな、蒼月。相変わらず、お前は主にべったりだな」
男の声が御簾越しに聞こえてくる。
その言葉の端々に笑いが混ざっているのを感じ取り、蒼月の機嫌は更に悪くなる一方だ。
「……悪いか」
「いいや。気持ちは分かるからな」
蒼月の態度にも動じずにまた笑った男は、今度は少女に話しかけた。
「久しいな、…晴明。呼び立てたのは私なのに、待たせてしまってすまないな。よく来てくれた」
「よく言いますね。来るよう嗾けたのは主上でしょう。来たくて来たわけではありません。主上、今回はどのような用件です?まさか、またどうでもいい呼び出し、と言う事はありますまい?」
『晴明』……そう呼ばれて答えたのは少女だった。
おそらく後者だろうと思いながらも、疑わしい眼差しを御簾の先にいる帝へと向けた少女…晴明は、念の為に言葉にして確認する。
そんなこちらの不躾な言い方に、両端にいた男達がごほんと大きく咳払いをする。
何度となく同じような出来事を繰り返している為、その咳払いの意味は簡単に理解出来る。
要約すれば、その口の利き方はなんだ、無礼だぞ!といった所だろう。
それも当然と言えば当然の反応であろう。
今対峙している御簾越しの男は、皇族であり日本というこの国を統べる帝だ。
この国を統一している尊い血族であり、敬うべき存在なのだ。
敬い、従い、尽くすことはあれ、無礼を許す事はそうそうない。
それでも晴明は、そんな無言の圧をも無視して尚も告げる。
「主上。貴方は私の仕事をご存知のはず」
「ああ、知っているとも。だからこそ、其方を呼んだのだ」
はははと軽やかに笑う帝は、少女の話し方など特に気にした様子もなく、予想外な返事を返してくる。
いつもとは違う珍しい流れに、少しばかり少女は驚きを露わにする。
「……では、今回は本当に仕事の依頼で?」
「そうだ。そなたに見てもらいたい樹があるのだ」
それは思わぬ内容だった。
まさかこの男からまともな仕事の依頼が来るとは。一体何時ぶりだろうか。記憶にある限りでは、直接の依頼としては一年ぶりぐらいだろうか?
「樹、でございますか?」
「この宮中にある立派な花を咲かせる桜の木なのだが、今年はどうもおかしいのだ…花が、紅く染まるのだ…血のような不気味な紅色で」
帝からの話はこうだった。
内裏内の一角にある大層見事な桜並木があり、以前は美しい花を咲かせて人々を楽しませていた。だが今年はその桜並木の中一本が一目見てすぐにわかるほど、異常な咲き方をしているようだ。
桜本来の美しさは見られず、禍々しくさえ見えるほど紅く紅く色付いた花を開花させ、血の雨のように花弁を舞わせているという。
花弁の色はまるで本当に血を吸ったのではないかと思うほどに紅く、そしてそれは一夜の内に起こった事だという。それまでは並ぶほかの桜と何ら変わりなかったと。とても禍々しい紅さだ。蕾の時であろうと気付くはずだが、誰一人としてそんな異変はなかったと言っているらしい。
突如として変色し、一気に開花さした赤い花を付けた桜の木。その恐ろしさから呪いではないかとたちまち宮中内で噂は広まった。
それ以来その桜の木に怖がって誰も近づかないという話だ。
「なるほど。だから気の流れがおかしかったのか」
「変な感じがした」
納得といった感じで、この中に入ってからの違和感を肩に乗る従者と話す晴明。
「流石だな、気づいていたか」
「気づいていたなら、何故早ぅ何とかせんのだ!」
既に違和感を感じていたという晴明に感心する帝とは対象に、怒りの声を上げる側近達に晴明ははぁと呆れた眼差しを向けた。
「依頼がない上、もしこの内裏で勝手にそのようなことをしたら、それはそれで貴方方はお怒りになるか、私を怪しむのでは?」
言われたことに思い当たることがあるらしい二人。二人はそれ以上は反論せず、ぐっと唸るように口を噤んだ。
そんな側近らの様子を見て、帝がこれはお主らの負けだなとまた笑った。
「どうだ?この頼み聞き入れてくれるか?」
真面目な声でそう話す帝に、膝上に乗せていた温もりをそっと下ろし、後ろにいた従者も引き剥がして両手を畳に付けた。
そのまま背を折り、頭を深く下げる。
「宮仕えの身。仕事であれば寧ろ喜んで力を振るいましょう。そのご依頼、陰陽師『安倍晴明』が謹んでお受け致します」
そう…少女、『安倍晴明』は告げた。
その人の噂は知らない者よりも知る者の方が多く、それだけ有名なのにその姿や詳細など謎多き人物として、この京…いや他方で騒がれている。
その人は陰陽師『安倍晴明』。
この幼い少女、その彼女こそが『安倍晴明』その人であった。
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帝に言われ晴明達が赴いたのは、一角にある門前近くの場所。複数門が設けられているこの内裏の中で、美しい桜並木が植えられている場所だ。
そこには数本の桜の木が淡い桃色の花弁をそよ風に揺らし、美しく並んでいた。ただ、その中に一本だけ…一際目立つ、異質な桜の木があった。
報告通りに花弁は紅く、枝先を幾重にも染め上げていて、誰の目にも明らかな異質さを放っていた。
「本当に真っ赤だ」
落ちた花びらを一つ拾い上げ、しげしげと見る少年、蒼月。
「これは、恐ろしいと思う人の気持ちも分からなくはないですね…主如何です?」
悩ましげに紫眼を細めた玄泉。
晴明は原因を探る為に掌を木の幹へと伸ばした。
紅い花弁を撒き散らす桜の木を前に、気の流れを追うように晴明は自身の意識を集中させた。その気の流れを辿っていけば、不自然に禍々しいもので気を乱されている箇所がある。
「…あそこに気の流れを阻害しているものがある」
確認しようと晴明はその木へ足をかけ、身軽な晴明はひょいっと簡単に木の上へと登った。
「近づいて大丈夫?」
金色の双眸が下から心配気に晴明を見上げてくる。
「問題ない。私を誰だと?」
そんな心配は無意味だと晴明は蒼月に笑みを向けた。
赤い花々で埋もれる枝を掻き分け、原因を探していくとそれは直ぐに見つかった。
枝に幾重にも、女か男か分からないが、髪が糸のようにぐるぐると巻きついている。
そこからあふれ出るのは禍々しい邪気。
これが原因の物であるとその禍々しさが物語っていた。
手早く印を結び呪文を紡いでいく晴明。
呪いの施されたそれを打ち消していくのにそう大した時間は掛からなかった。
完全に呪術が解かれたことを確認したところで、晴明がそれを外してやると、まるで全てを吸い尽くされたように花びらは全て散り落ちてしまう。
残ったのは地面に散り落ちた花弁の赤い絨毯のみ。
「可哀想に…。本来のお前はきっと綺麗に咲けた筈なのに」
枯れてしまった木の姿を見て晴明が小さく呟いた。本来の姿を想像するとこの桜が可哀想に思えてくる。
誰が仕掛けたのかは分からないが、こんなものさえ無ければ、きっと美しく咲き誇れたはずの桜の木。それが叶わなかったことが晴明にはあまりに哀れな事に思えた。
「主、ひとまず主上に報告に行きましょう?こんなものが仕掛けられているぐらいです、誰かが意図的に行っていたことは明白。主上に早く報告した方がいいかと…」
「そうだな…」
こんな風に本来の姿を無理矢理に変えられてしまった桜の木。そのことが気がかりではあるものの、内裏の中にこんなものを仕掛けるという事は大問題だ。
害のあるなしではない。何らかの意図があって、仕掛けられていた…それが問題だった。
「一度報告に戻るとしよう」
手に持った髪の束を懐にしまってあったに懐紙包む。それを手に、晴明達はもう一度帝の元へ向かった。
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「こんなものが巻きついていた…と」
帝に報告する為に戻って来た晴明は、先程回収したものを包んだ懐紙を献上した。
懐紙に乗せて差し出したものは、先程例の桜の木の枝に幾重にも巻き付けられていた、恐らく人毛と思われる黒い髪の束。
今は晴明が帯びていた怨念を払ってしまったので何の問題もない髪だが、先程まではそれが一つの呪具として機能していた。
呪具とは端的に言ってしまえばまじないをかけた道具の事だ。ただし、呪具にも良いものと悪いものがある。
人の幸福や厄災を払うための御守りと呼ばるものや、神具の様な神聖なものも一括りにしてしまえば呪具と言ってもいい。これらは人々を助けたり安心させる為のものであり、日常でもよくみられる慣れ親しんだものだ。
だが人の怨念や、良くない気の溜まり場から集めた気を込めた呪具はそれとは違う。
呪いとしての装置になり、人を害し、土地を害する。
その製造方法や用途は様々で、そんな危険なものを敢えて作り出す様な奴はまともではない。
だが一度生まれてしまった呪具は、その根源になる悪いもの、つまり原動力を無くすか、呪具自体を破壊しなければ止まる事はない。
そしてそれを行うのは専ら陰陽師だ。
完全に解呪した今ではもうなんの意味も持たない髪の束にすぎないそれを、木製の台に乗せると帝の付き人へ差し出した。
側近はそれを受け取ると帝の目の前まで運び、そっと床に置いて離れた。帝は御簾を少し上げると、置かれた木製の台に乗った髪を確認する。
「はい。髪に呪いを施し、木の枝に巻き付けてありました。その呪いにより桜の木に邪気が流れ込んでいた為、あのような赤い花弁を付けた姿になってしまったようです。時間を貰えるのであれば、その呪術を行った者探ってみますが、それにかけられていた気はあまりにも弱い。調べるとなれば少々手古摺るでしょう」
弱い呪いは害が少ないものも多いが、その分術者を辿るのも困難を極める。逆に言えば強い怨念や呪いの方が痕跡は残りやすく、その持ち主も炙り出し易い。
この場合は前者である為、時間も手間もかかるのだ。
「それでも構わん、頼む。この内裏には我が妃や子等もいる。彼女達に何かあっては困る」
「承知しました」
晴明の言葉に、帝は迷うことなく依頼の続行を申し出た。
依頼続行を了承した晴明は、今日のところはお暇しようと腰を上げる、が……その時。
「ところで。晴明との久方ぶりの再会だ。顔をもっとよく見たい、こちらへ」
げっと、晴明はつい小さく漏らす。
さぁさぁと手招く帝を前に、近づくどころか後ろに後退してしまう晴明。
両端からの“従え”という視線の圧と、さぁさぁと諦めることなく呼び掛ける帝。逃げ出せる雰囲気ではない。
晴明が振り返れば、後ろに控える従者の青年も横に首を振っただけでどうやら助けてはくれないようだ。
「はぁぁぁ…」
諦めた晴明は大きく長い溜息と共に、とぼとぼと高御座へ少しずつ近づいていく。
高御座の手前、いつもより少し近い場に腰を下ろした晴明。
この距離ならいくら御簾過ごしとはいえ、それなりによく見えるだろう。
「もっと近く」
「いや、この距離なら十分に見えるでしょう」
「駄目だ。もっと近くだ」
と思っていたのに、御簾の中から不満の声が上がった。
もう帝のいる高御座と清明の距離は二尺程しかない。これよりも近くとは、帝も難しいことを言う。本来ならば許されない距離だ。
「主上、お立場をお考え下さい。この国を統べるお方に、私がそのように近づくことは許されません」
先程までの口の利き方を考えればどの口が言っているのだ、と諭されても反論の余地がない発言だが、帝への抵抗をするのには丁度いい言い訳として、敢えて立場の違いを笑みを称え告げる。
「…もう良い!お主がそうくるなら、私が行くまでだ!」
どうやらこの距離では満足できなかったらしい帝は、これ以上は行けぬと晴明が告げると、痺れを切らしてしまい、あろう事か御簾を自らたくし上げて姿を晒すと、周りの制止も聞かずに自らこちらに降りてきた。
そして、晴明の元まで来ると。
「相変わらず愛らしいこと。元気にしておったか?少し痩せたのではないか?それにまたそんな質素な着物で。新しいものを用意させたから、着替えるといい」
御簾を潜り抜けてきた帝は軽々と晴明を抱き抱え、そのまま自らの膝の上に晴明を乗せた。
歳は今年三十四になると言うのに、年齢より若々しい見た目と性格のこの男。
晴明と会う時はいつもの帝としての威厳はなくなり、このような有様になる。まるで我が子を可愛がる父のようになってしまう残念な男だ。
(だから、嫌なんだ…)
渋い顔をしている晴明を他所に、晴明に頬擦りをしながら、帝の手は忙しなく頭の上を行ったり来たりを繰り返している。
「主上…毎度毎度申しておるが、私は陰陽師だ!華美な着物を纏う必要も無ければ、一介の役人にすぎん。そのような物与えてもらう必要もないのだ。それに私を膝の上に乗せるのはやめないか…!」
これが嫌だから一刻も早く逃げ出したかったのにと、じたばたと帝の膝の上で暴れる晴明。
折角いつもよりは気を使って丁寧な話し方をしていた(あくまで晴明基準の丁寧な話し方だが)のに、いつも通りの話し方に戻っていた。
「何を言う。そなたは血縁上の繋がりはないが私にとって娘のような存在。可愛がって何が悪い!まして、こんな愛らしい娘に魑魅魍魎の退治や呪詛の排除をさせているかと思うと、私は心が痛くて痛くて…せめてその分可愛がりたいと思うのが親心というものだ!」
そんな晴明の様子もお構いなしに熱く語る帝を前に、何を言っているのだ、この人は…と晴明は勿論、周りにいた者達も呆れ顔である。
(そもそも貴方の娘的な存在になった覚えすらないし、親ですらないのに親心とは…)
仕事に関しては魑魅魍魎の退治も、呪詛の排除も晴明自身が選んだ職なのだから帝が気にするのはお門違いというもの。
帝に言いたいことがあり過ぎるが、言ったところで…と晴明は思い直す。
今まで幾度となく似たやり取りを繰り返してもこれなのだ。あまり意味は成さないだろう。
「ささ、着物を着替えて私に見せてくれ」
上機嫌に晴明を膝から腕に抱え上げた帝は立ち上がり、そのままどこかへとすたすたと晴明を運んで行く。
その後を追うように、慌てて晴明の付き添いで来ていた二人と一匹がついて行く。
そして帝が足を止めたのは立ち並ぶ部屋の一室。
通された部屋の中には、数名の女官と煌びやかな着物に帯、丁寧な細工をあしらった簪や櫛に髪結紐。
煌びやか過ぎて目がチカチカしそうな勢いで、部屋の中にずらりと並んでいた。
帝によるもう何度目か分からないこの酔狂に付き合わされている晴明は、その何度見ても慣れない光景にあからさまに顔を引き攣らせていた。
そんな晴明を見て微笑む女官の皆も、同じく毎度付き合わされている為可哀想にという目をしているが、その中に世話焼き魂とでも言うのか。
少しそわそわと浮かれている様子が見え隠れしているのを晴明は見抜いていた。
(本当にここの者達は物好きなのか暇なのか…。何も私にこんな酔狂な真似をする必要も無いのに、何故こうも私に構ってくるのか……)
今か今かと手には櫛と鏡を持ち少女を待ちわびている女官達。
さながら捕食者のようなギラつきように晴明の顔はさらに引き攣るばかりだ。
「皆、またいつもの様に頼むな」
「はい!主上!」
帝の一言に集まっていた女官達は明るい返事をし、それを合図に抱えられていた体は地に降ろされ、帝は満面の笑みでまた後でと部屋を出ていった。
同じく部屋に足を運んだ従者二人と、その後ろを小さな体でついてきた一匹は、そのまま部屋に居座ろうとしていたが、女官達に殿方は御遠慮下さいと、玄泉と蒼月の二人だけ部屋から押し出される。
その中をするりと長い尾をゆらゆらと揺らしながら抜けて来たのは白い毛並みの一匹。
晴明の元へ来ると、ぴたりと寄り添うように横に座り、すぐに小さな欠伸と共に体を丸めてしまう。
女官達は特に一匹の獣の事は気にせず、早速と鼻息荒く作業を始めだした。
本当は足元の一匹も性別上は出禁にしなければいけないのだけど…と晴明は思ったが、敢えて口には出さないことにした。
色々と説明も面倒だから敢えて言うまいと。
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女官達しかいない部屋で、晴明は鏡を前に座らされていた。すぐ横には白い獣が寄り添うようにして丸まっている。
「さ、さ!今日はどうしましょうかねぇ?以前いらした時は、秋で真紅に至極色、香染を重ねてから唐衣を柿渋色に金糸の刺繍を全面に施した打ち掛けにしましたけども」
良くそこまで事細かに覚えていられるな、と後ろで騒ぐ女官に対して晴明は驚いていた。
毎度のお着替えとはいえ、ここに参内すること自体回数の少ない晴明など、稀客に過ぎない。それをこうも鮮明に記憶しているとは、流石、帝が信頼を置く精鋭揃いの内裏女官と言うべきか。
関心には値するが、それをここで発揮しなくとも……。
「いや…本当に簡単なもので…寧ろしなくていいので、このまま返して頂きたい…」
最後の悪足掻きとばかりに晴明は打診してみたものの、女官達は質問しておきながら晴明の声に耳を傾けることなく、こちらの方が!これがいい!と勝手に話を進めて盛り上がっている。
「……早く、帰りたい」
そんな意気込んでいる女官達の姿を見た晴明は、半泣きでただひたすら時間が過ぎるのを待つばかりだった。
因みに、晴明は女官達が事細かに前回の装いを記憶していたことを、帝が信頼するだけあって優秀な女官だと思っているが真相はそうではない。
「晴明様がいらっしゃるそうよ!皆、準備はいい!?あぁ、早くいらっしゃらないかしら…あの愛らしい方を、早く自分好みに着飾りたいわぁ」
「いいわね、羨ましいったらない。今日は貴方の番だものね。早く私の順番が回ってこないかしら~、待ち遠しいわ」
実は女官達の中で、帝から晴明の着せ替えを依頼された時、その日の装いの趣向を決めていいという順番を内輪で決めていた。
そして皆が待ち遠しいと、うきうきと晴明の参内…正確には帝からのお達しを待ち焦がれている…などとは晴明は微塵も予想していなかった。
晴明の愛らしさに惚れ込んでいる女官達だ、前回の装いの事を事細かく覚えているのは至極当然の事。
ある意味、帝に晴明の事を(着替え)任されるだけ信頼の厚い女官…という点では、晴明の予想は間違っていないのだが、その意味合いは大きく違っていることに当人である少女は気付くことは今後もないだろう。
お読み下さりありがとうございました!
続く安倍晴明御一行【弍】も是非お待ちください。