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19.狂い出す平穏

お久しぶりです。

お待たせして申し訳ありません。

長く時間を開けてしまったので、簡単に前回までのあらすじを。


【2章これまでのあらすじ】

ヴィルムリンドと戦う力を付けるため、アレンたちは大迷宮「覇闘迷宮」のある都市ルトマーレに来ていた。

そこで待っていたのは、教官のライガとその妹カノンにしごかれる日々。悲鳴を上げながらも、ユノの助けも借りて修行を続ける。

そんなある日の午後、バルバトスの提案でアレンは教会へ向かうのだった。


 思わぬ出費で財布が少し軽くなったものの、エルド伯爵からの謝礼金はこの程度で尽きるものじゃない。

 ……まあ、やっぱり受け取っておいてよかったな、とは思ったけど。



 ──商業地区から少し北へ登っていくと、教会がある。

 外観はロマイナの教会とほぼ同じ。だが、ここは孤児院も兼ねているらしく、敷地外からも元気な子どもたちの声が聞こえてきた。


 隣のアマリリスが俺を見る。


「……教会に、行くんですか?」


「ああ。ちょっと見てみたくてさ」


「……じゃあ、私も付いていってもいいですか? 教官との待ち合わせの時間には、まだ少し時間があるので」


「もちろん」


 俺がそう言うと、彼女は少し安心したように笑った。


 アマリリスを伴い、建物内に入る。

 ──瞬間、バルバトスが言った。


『……いるぞ、ここ』


「……!」


 緊張が走る。

 身体を硬直させる俺の耳に、悪魔の声が届く。


『間違いない。同胞の気配を感じる。ここには──この教会には、悪魔が封じられている』


 予想通り、といったところか。

 クラウディアの従えている悪魔──悪魔イポスのように、教会に封印された悪魔が他にいるのではと考えていたのだが……。


 バルバトスが気配を感じ取った、ということは──やはり、俺たちの予想は当たっていた。



 ふぅ、と息を吐く。

 隣のアマリリスに気付かれないよう、なるべく自然に。

 体内の緊張ごと、空気を吐き出す。

 動揺を抑えて、廊下を進む。


(ここに、悪魔がいる……。ってことは)


 この場所は、狙われる。


 クラウディアが言っていた。俺たちの敵──『光なき明日(フューチャレス)』は、悪魔の力を狙っていると。

 そして奴らは実際に、ロマイナの教会で神父やシスターを皆殺しにしてみせた。


 あの、命を命と思っていない所業。

 男も、女も、老いも、若いも。全てを焼き尽くす、一方的な殺戮。

 それと同じことが、この教会でも起きるかもしれない。


 この、孤児院も兼ねた教会であれが起きれば。

 失われるのは、神父やシスターの命だけではなく──。


 教会の中に入る前に聞いた、子どもたちのはしゃぐ声。

 それが頭の中に響いた。


「……っ!」


 駄目だ。それだけは、駄目だ。

 ヴィルムリンドのときみたいに、無関係な人たちが殺されるのは、我慢ならない。



 ───廊下の途中で足を止めた。



「アレン君?」



 アマリリスが振り向く。

 が、俺の目はしっかりと、まっすぐに壁に───壁にかけられた絵画に向けられている。


 たぶん、この絵の向こうだ。

 俺が悪魔召喚の魔導書を見つけたときのように、この絵の向こうには、隠された通路があるはず。


 そんな俺の考えは、バルバトスの呟きによって確信に変わる。


『この向こうだ。この絵の向こうから、気配を強く感じる』


 ……思い出せ。

 あの時、クラウディアはどうやって隠し通路を出現させていた?

 たしか、絵に魔力を通せば───。



「……その絵がどうかしたんですか?」


「……」


 ……いや、駄目か。

 アマリリスがいたんじゃ、あの時の再現は出来ない。

 彼女の目があるのに、悪魔の封印を解くなんて……。


 俺はひとまずアマリリスの方を向き、誤魔化すことにした。


「いや、綺麗な絵だなって、思ってさ」


「そうですね。随分と、古い絵みたいですけど」


 アマリリスはしげしげと絵を眺めた。

 その隙に、必死で頭を高速回転させ、策を練る。


 ……なんとかして、アマリリスをこの場から離れさせることは出来ないだろうか。

 そうすれば、人がいない内に、通路の向こうの悪魔を解放して保護することが……!


『……いいや。それは止めておいた方がいい』


「!」


『悪魔の中には、非常に好戦的な者や殺戮を好む者もいる。ここに封印されているのが何者かわからない以上、下手に封印を解けば、この場が戦場になりかねないぞ』


 食いしばった奥歯が、ギリッと音を立てた。

 敵の狙う対象も、その位置もわかっているのに、何も出来ないのか。


 ……いいや、ある。

 一つだけ、ある。

 俺に出来ることが。



 俺は一瞬虚空に──バルバトスのいる場所に目を向けた後、アマリリスに向き直った。


「……行こうか。教官との約束に遅れるのも悪いし、ざっと見て、早く帰ろう」


「はい。そうですね」


 アマリリスが俺に背を向け、再び廊下を歩き出したのを見届けてから、俺は小さく呟いた。


「一つ、頼めるか。バルバトス」


『何だ』


「……ここを守ってくれ」


 俺の考えた策──それは、バルバトスをここの警備に当たらせることだった。

 敵が如何に強力な魔術師でも、悪魔の力には敵わないだろう。

 だから、バルバトスには、俺の側に付いているよりも、敵が確実に狙うこの場所を守って欲しかった。


 ──だがそれは、同時に俺自身を危険に晒すことにもなる。


 このルトマーレに来る前、クラウディアから合宿中に『光なき明日(フューチャレス)』と接触すると聞かされても、俺は心のどこかでそれを楽観視していた。


 俺の側には常に最強の悪魔が付いている。

 だから大丈夫だろう。

 そう思っていた。


 ……だが、違った。

 クラウディアは未来が視ることができる。

 彼女が視たのは、恐らくこの未来。


 そうだ。でなければ辻褄が合わない。

 クラウディアは俺に、早く強くなるように忠告した。

 それは、俺がバルバトスが側にいない状況で敵と出会うから。

 彼女はそれを知っていて、俺が一人でも戦えるようになる為に、あんなことを言ったんだ。


『……』


 バルバトスは答えない。


 恐らく、バルバトスもクラウディアの言葉の真意には気付いているはず。

 だが彼女としては、俺の使い魔という立場上、わざわざ危険に晒すような真似は出来ないのか。


 黙ったまま、答えない。



「頼む……。これしか無いんだ。ここの人たちを守れるのは、お前しかいないんだ」


『……』


「ここで見捨てるような真似なんてしたら……それは俺の目指す魔術師じゃないんだよ……!」


 俺たちだけなんだ。

 戦えるのは、ここにいる俺たちだけ。


 それなのに戦わないなんて……そんなこと、俺にはできない。

 俺の目指す魔術師なら──俺の憧れたあの人なら、見捨てたりなんて絶対にしない。

 だから、俺は戦わなきゃいけない。


 そんな思いを込めて悪魔を見る。

 俺の視線に、彼女は──。


『まったく……』


 はぁ、と。

 大仰に溜め息をつく。


『……仕方ない。そんな言い方をされては、私も従わざるを得ないというわけだ』


「助かるよ」


 俺がそう言った直後、スッとバルバトスの気配が薄くなった。

 彼女が俺の側に離れ、完全にこの教会の警護に集中したのを感じる。


「アイツがいなくなっただけで、こんな不安になるなんてな……」


 だけど、いつまでも頼ってられないし。

 俺だって一人でもやれるって、使い魔に見せてやらなきゃな。


 そう決意を固めて、俺はアマリリスの後を追った。




      ◆




 教会を出た後、アマリリスはライガ教官の元へと向かった。

 アマリリスとは別れ、バルバトスも教会に残り、俺は一人ぼっちになってしまった。



 商業地区を通りながら、宿へと向かう。

 この辺りは変わらず人が多くて、人混みの苦手な俺には、いるだけで少し疲れてしまう。


(嫌だなぁ……ただでさえ人混み苦手なのに、なんか顔が怖い人多いし……)


 つい数分前に戦う覚悟を決めておいて、こんなことを言うのは情けない話だけど。

 でも実際、すれ違う相手の八割くらいが人相悪ければこうもなる。

 だって、向こうの方からぶつかってきて、因縁フッかけられたりとか……ありそうじゃないか。


 自分よりも体格の良い、顔の怖いお兄さんたちに囲まれたりしたら……体が震えてきた。


「いやいや、どんな相手でもヴィルムリンドに比べたら、大したことないだろ」


 頭をぶんぶん振って、自分で自分に突っ込む。

 あの鏡の世界で対峙した恐ろしい気配に比べれば、たかが冒険者くらい──。



 なんて、そんなことを考えていたせいだろうか。

 あろうことか、その顔の怖いお兄さんにぶつかってしまった。


「うわっ!? す、すみませ──」


 ハッとして、慌てて相手を見上げる。


「……?」


 そして、俺は首を傾げた。


 俺のぶつかった相手は、何かをじっと見つめていた。

 周りを見渡せば、周囲の人たちも足を止めて、何かを見上げているようだった。


「何を……」


 呟きながら、群衆の視線の方へと顔を向ける。




 女が、浮かんでいた。


 歳の頃は二十前半くらいか。

 この街には不似合いな、ドレスのような真紅の衣装を身に着け、口紅を塗った女。まるでどこかのパーティー会場から迷い込んだよう。

 紫色の長い髪が、風に遊ばれているかのように宙でうねっていた。


 ──そんな女が、俺たちを見下ろしている。

 何もない、空中に立っている。


「何だ……ありゃ……」


 人混みの中の誰かが、ふと呟いた。

 その風に消えるような声を聞きながら──俺は自分の魔術師としての勘が、警鐘を鳴らすのを感じた。



 女の唇が、弧を描く。

 こちらを見下ろす目に、嗜虐(しぎゃく)的な色が覗く。



「────あはっ」



 目があった。

 気がした。


「みぃつけた」


 ねっとりと絡みついてくるような、ハチミツを塗りたくったみたいな、甘ったるい蠱惑的な声。

 女との距離はかなりある筈なのに、まるで耳元で囁かれたみたいに、ぞわぞわとする感覚が首筋を撫でる。


 つい、と女の腕が動いた。


「あなた」


 持ち上げられた腕が、緩慢(かんまん)な動きで人混みの中のから一人の人間を選びだした。

 ──俺だ。

 女の指はまっすぐに俺を指差している。


「ん〜、結構、好みかも。だから食べさせてくれない?」


 恐らく、女の言葉の意味を理解できた人間は、この群衆の中には一人もいなかったと思う。

 しかし、ここにいるのは、ほとんどが戦いを生業とする冒険者。迷宮に挑戦する戦士たち。

 女の態度の裏に隠れた敵意に、皆が反応する。


 俺もまた、体内に意識を向けて、魔力を呼び出そうとした。


 ───だが。

 全ては、もう遅かった。




「いくわよ、ヴェパール」





 吐き気がするくらい甘い声。

 それに反応するかのように。


 どぷり、と。

 何か、液体のようなものが動く音がした。



「!」



 黒いどろどろした液体が、女の足元から湧き出していた。

 それは重力に逆らうように、球状になって、女の体を包んでいく。

 やがて俺達の前で、真っ黒な球体が完成した。



 ──そして、弾けた。


 飛び散った黒い液体が、群衆に降りかかる。

 びちゃっ。びちゃっ。

 びちゃっ。びちゃっ。

 びちゃっ。びちゃっ。びちゃっ──。


 俺の元にも、ドロッとした液体が飛んでくる。

 魔力で障壁を作り、液体を受け止める。

 地面に垂れた謎の液体からは、鼻がもげるような異臭が漂っていた。



「ぐッ──!?」


 突如、黒い液体を浴びた人が苦しみだした。

 地面に倒れ、もがいている。

 運良く無事だった人間が慌てて駆け寄って、治癒魔術の魔術結晶らしきものを押し当てた。


「無駄よぉ。そんなもの、効くわけないじゃない」


 女は、ヒラヒラしたドレスの裾をはためかせながらゆっくり降下してくる。

 そのドレスの色は、いつの間にか真紅から毒々しい赤と紫に代わり、袖から伸びた長いリボンが腕に巻き付いて、意思を持った触手のようにうごめいている。


 そして女は、群衆が後退りして開けた空間に、ふわりと降り立った。


 俺は一瞬だけ、目の動きだけで周囲の様子を見る。

 女の言葉通り、あの液体を浴びせかけられた人々は、周囲の者が何をしても、変わらず苦しみ悶えるだけだった。


 明らかな異常事態。

 何か、とてつもなく奇妙で危険な気配がする。

 平穏が崩れていく気配が。


「そ・ん・な・こ・と・よ・り……」



 女の足が、地面から浮く。

 浮遊しながら、近づいてくる。


「っ……!」


 その魔力に、覚えがあった。

 間違いない。

 この魔力。この苛烈さ。

 これは──!



「悪魔……!?」


 目の前の女から感じるそれは、バルバトスやイポスと同質のもの。

 人間には到底辿り着けない領域の波動。

 肌が粟立(あわだ)つほどに、感じる。


 驚愕をはらんだ俺の呟きに、女はくすりと笑う。


「あらぁ? 気付いたの? ……流石バルバトスの契約者ね」


「そういうアンタは……」



 俺は先程の女の言葉を思い出す。

 『いくわよ、ヴェパール』と。女はそう言っていた。

 ヴェパール。その名前を俺は知っている。


「アンタは、悪魔ヴェパールの契約者」


「あはっ、せいかーい」


 ──悪魔ヴェパール。

 魔導書の中で、一度名前を見た。

 七十二の悪魔の一柱。


 その能力は、確か。

 確か───。


 クソッ! 思い出せない!

 こんなことになるなら、もっとしっかりあの魔導書に目を通しておくんだった!


 自分自身への苛立ちで舌打ちしたくなる。

 だが落ち着け。冷静になれ。


「お前は……何者だ」


「さぁ、何かしら?」


 ……とぼけるつもりか。


 俺の予想が正しければ、コイツは『光なき明日(フューチャレス)』の構成員。

 俺がバルバトスと契約していることを知っている理由が、それ以外に考えられない。


 ……だが。

 一体、どこから知ったのか。



 ──その答えは、意外にも背後から告げられた。



「おいカルミヤ。殺すなよ、俺の獲物だ」


「あら……」



 聞き覚えのある声。

 咄嗟に振り向く。



 音もなく。

 いつの間にか──。



「クレイグ、いたのね」




 クレイグ・クレインが立っていた。

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