17.ユノの父親
真っ暗な、何もない闇の中にいる。
聞こえるのは風の音。
そして、女の声だけ。
「ほらっ、気を抜かない! もう一発行くわよ!」
──カノンとの特訓は、毎日続いている。
目隠しして攻撃を避け続ける訓練。
果たして本当に魔術師としての鍛錬になるのか。一体これにどんな目的があって、どんな効果が期待できるのか、俺にはさっぱりわからない。
しかし教官から指示されている以上、意味のわからない修行でもひたすら励むしかない。
「ハァ───ッ」
頬に風がくる。何かが迫る気配。
それを感じた時には、既に衝撃が頭を揺らしている。
目隠しがずれてカノンの姿が見えた。
俺のこめかみに蹴りを放った姿勢。いつ見ても、憎たらしいほどに綺麗なフォームだ。
俺はその場に倒れた。
立ってられない。平衡感覚が狂ってる。
膝をついて唸る俺の頭上から、呆れたような声が降ってきた。
「情けないわねー。それでもヴィムリンドと戦った魔術師なの? ほら、立ちなさい、続けるわよ」
「無茶言うなよ……」
頭がぐらぐらする不快感を堪えながら、俺はカノンを見上げる。
……ああ、やっぱり無理だ。立てない。
諦めて背中から大の字に地面に倒れる。
空を見上げて息を上げる俺を、カノンは腕を組んで見下ろしていた。
修行を始めて一週間経った。
だが、この修行で何か掴めた感覚はない。
そもそも、これが何の為の訓練なのかもわかってないのに。
(こんなザマで大丈夫なのか……)
クラウディアの話じゃ、俺はこのルトマーレでの滞在中に『光なき明日』に遭遇するらしい。
となれば、間違いなく戦闘になるはずだ。だが、せっかくの強くなる為の特訓も、今のところ何の成果も得られてない。
(このままじゃ……)
カノンに失望されるのもわかる。
こんなんじゃ『光なき明日』とは戦いにもならないだろう。その先のヴィムリンドの相手なんてできるはずもない。
もっと、もっと強くならなきゃいけないのに。
頭に引っかかっていた目隠しを取る。
汗でべっとりと濡れていた。
少し離れた所で、手頃な岩に腰掛けていたライガ教官が立ち上がる気配がする。
俺は頭だけでそちらを向いた。
「そろそろ昼飯の時間だな。ここらで休憩にして、なんか食いに行くか」
「あ、すみません……。俺もう少しこのままで……」
腹の虫は空腹を訴えているが、脳が立ち上がることを拒否している。
この調子じゃ、まともに食事なんてできるはずない。
教官がカノンを見る。
「カノン。お前、治癒魔術の魔術結晶とか持ってなかったか?」
「持ってるけど……。あれ結構高いし、できればあまり使いたくないんだけど」
「お前なぁ」
「大丈夫です、しばらく寝てれば治りますから。二人で先に何か食べてきてください」
力なく腕を上げ、ヒラヒラ手を振る。
「お前がそう言うなら……。あとでユノを迎えに来させるからな。それまでゆっくり休んでろ」
「はい」
「あと、俺は夕方から迷宮組の方見に行くから。明日からはカノンと二人だ。仲良くやれよ」
「げ……」
苦手なんだよな、カノン。
修行の度に毎回ボコボコにされるし。
それに、何かちょっと当たりがキツイ。
「ちょっと、『げ……』って何よ」
「な、何でもない。きっと聞き間違いだよ」
カノンが眉を吊り上げる。
俺は苦笑いでやり過ごした。
「ほれ、行くぞカノン」
二人は背を向けて街の方へ戻っていく。
俺はそれを見送り、その後息を吐いて目を閉じた。
◆
「……やっぱり、あたしさっぱりわかんない」
街に戻る途中。
カノンは前を行く義兄の背に声を投げた。
ライガが足を止め、振り返らずに問う。
「何が」
「兄さんがアイツに肩入れする理由よ」
この一週間、カノンはアレンの修行に付き合った。
彼のことを見定め、分析した。
──その上で、一つの判断を下した。
強くなろうとする気概はある。
その点は認める。何か大きなものを背負っていることも、色んな人間を見てきたカノンにはわかる。
だが、それでも……。
「アイツが……アレン・クリアコードが兄さんの指導を受けられるほどの魔術師だとは、あたしには到底思えない」
「お前がどう判断しようと、俺の方針は変わらないぞ。これが仕事だからやる。それだけだ」
「……でもアイツ、たぶん今の修行が何の為のものかも理解できてないわよ」
「かもな」
短く答えて、ライガは歩き出す。
カノンはその背中に「待ってよ!」と怒鳴る。
「嘘よ。『仕事だから』なんて絶対嘘。兄さん、どう見てもアイツのこと特別扱いしてる」
「そうか? お前の勘違いだろ」
「そんなことない!」
「あー……それなら、たぶんアレだ。アレンの実力が他の奴より低いから、必然的に指導の時間が増えちまってるんだな。ま、そうならんようにお前を呼んだんだから、キッチリ仕事してくれよ?」
振り向いて、ヘラヘラ笑うライガ。
なぜかイライラした感情が湧き上がるのを、カノンは感じた。
「誤魔化さないで。あたしに何か隠してるでしょ」
「……」
「ひょっとして、昔助けたって言う子供に関係あるの?」
「……人の過去に首突っ込むんじゃねえよ」
義兄の口から発せられたとは思えないほどの冷たい口調に、カノンは思わずたじろいた。
その間にライガは背を向け、歩き出している。
慌てて後を追う。
「……アイツがああなったのは、俺の責任だ。俺の迂闊な行動がアイツの人生を狂わせた」
「それって───」
どういう、と言いかけたカノンは、思わず口をつぐんだ。
横から覗き込んだライガの顔が、見たこともないほどに悲痛な表情をしていたからだ。
「俺には責任がある。アレンを正しく導く責任が」
まるで自身に言い聞かせるようにそう言うと、ライガは歩くスピードを早める。
───それっきり、彼は何も言わなかった。
◆
横になっている内に、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
目を開けると、ユノの顔が見えた。
「あ、おはようございますっ。アレンさん」
俺が目を覚ましたのを確認して、ニッコリと笑うユノ。
思わずパチクリと瞬きする。
「おはよ……」
「はいっ。あっ、ご飯と飲み物買ってきましたよ。食べます?」
「あ、うん……」
上体を起こして、ユノの持っていた芋みたいな何かを受け取ろうとする。
が、その前に伸ばした手をパシンとはたかれた。
「もう、食べる前にちゃんと手を綺麗にしてください! そんな泥だらけの手で食べる気ですか?」
少し眉を吊り上げたユノ。
俺は無言で自分の手を見下ろす。
真っ黒だった。
「……」
笑顔で差し出された濡れた布を受け取り、手についた土を綺麗に拭き取る。
すっかり清潔になった手のひらをユノに見せ、お許しを得てから昼食を受け取った。
「……なんだか、アレンさんのお世話してると、お父さんを思い出します」
「! ユノお前、記憶がもどっ……!? ゴホッ、ゴホッ……!」
芋を咀嚼していた俺は、その言葉に驚いて、思わず咳き込んだ。
慌てて水で流し込み、ユノの方を向く。
「き、記憶……戻ったのか?」
「まだハッキリとは……。でも、なんとなく、お父さんのこととかを少し……」
「そっか……。よかったな」
「はい!」
父親、か……。
……俺の父さんってどんな人だっけ。
ほとんど記憶にないな。
確か俺が小さい頃に亡くなってたはずだ。狩りのために森に入って、そこで魔物に……。
そりゃ母さんも、森に入るなって口を酸っぱくして言う訳だよな。
「……ユノのお父さんって、どんな人だった?」
ふと気になってそう訊くと、ユノは少し考える素振り見せた。
「……優しい人でした。いつも難しそうな顔して、暇さえあれば何か調べてたり、考えたりしてたけど……。でも、私には凄く良くしてくれました」
調べたり、考えたり……か。
そういえばユノが言うには、父親の口から《覇闘迷宮》の名前が頻繁に聞こえたって話だったな。
学者か何かの仕事をしてる人だったのか? もし有名な人なら、探す手がかりになるかもしれないな。
そう思って口にしてみると、
「お父さんのお仕事はよく知りませんけど……、迷宮については、よく調べてました」
──と、ユノは答えた。
「……迷宮ってのは、この《覇闘迷宮》のことか?」
「いえ、他にも色々と……。でも、《覇闘迷宮》は特に詳しく調べてた気がします。……『禁止区域』についても」
「!!」
息を呑んだ。
『禁止区域』って、ルトマーレに来た日の夜に教官やカノンが言ってた、あの───。
(これまで入った冒険者が、誰も生きて帰ってこなかった場所……)
この前、ユノが『禁止区域』の名前に反応してたのは、そういうことだったのか。
迷宮の最奥を立ち入り禁止にしたのは、オズ教会本部だったはず。
そんなものについて調べるなんて、教会を敵に回すようなものじゃないか。世界中に影響力を持つ組織を相手に、そんな命知らずな……。
(ユノの父親って、マジで何者だよ……)
ひょっとしてとんでもない人物なのでは。
もしユノに怪我でもさせて、そのことが父親にバレたりしたらと思うと、少し恐ろしい。
一応ユノを保護してる立場だしな……。
親御さんの所に帰すまで、俺たちがユノを守らなきゃいけないんだもんな……。責任重大だな……。
意思を固める俺をよそに、ユノは父親の話を続ける。
「お父さん、調べ事ばっかりで家のこと何にもできないから……。私がお世話してたんです」
「そ、そうなんだ……」
ユノが世話好きなのは、それが原因か……。
本読むのに集中してる父親に「あーん」とかしてあげてたんだろうか……。
「あ、そう考えると、お父さんとアレンさんって少し似てるかも! 何かに対して本気で一生懸命になれる所とか、集中すると他のことに手がつかなくなっちゃう所とか……」
父親のことを話すユノの目は、何だかキラキラしていた。
本当に大好きなんだな、お父さんのこと。
それが微笑ましくて、小さく笑みをこぼす。
「あ、あと……」
「?」
ちら、とこちらを見る。
俺は首を傾げた。
「──夢を追いかけて頑張ってるところも、ですね」
「夢……?」
俺の夢は『世界一の魔術師になる』こと。
ユノの父親も夢の為に励んでいたのか。
「教えてくれたことはなかったですけど。でもよく『夢がある』って言ってました。……その時の顔とか、夢の話をするときのアレンさんにソックリ」
「そ、そうなのか?」
「はい。だからなのかな? アレンさんをを見てると、たまにお父さんと重なる時があるんです」
「……」
俺は無意識の内に手を伸ばしていた。
ユノの頭に手を置き、その銀髪を撫でる。
手を拭いておいてよかった。綺麗な髪に泥が付くところだった。
「きゃっ! な、なんですか……?」
「いや、なんか……無性に可愛がりたくなって」
そう言いながら、わしゃわしゃ撫で続ける。
女子生徒たちに人気なわけだ。
これは可愛がりたくなるよなぁ。
「ユノのお父さん、来てるかもな。ルトマーレに」
「え……?」
「だって《覇闘迷宮》について調べてたんだろ? だったら現地に来てる可能性だって、十分あり得るじゃないか」
「! そっか、そうですね……」
ポツリ、と呟く。
「会えるかも、しれないんですね……。お父さんに……」
会わせてやりたいな、と思う。
こんな可愛い娘が行方不明になって、父親も相当辛い思いをしているはずだ。
───エルド伯爵という前例を知っているからこそ、余計にそう思う。
(クラウディア……)
伯爵のことを思い出したからだろうか。
エルド家の長女の顔が脳裏に浮かぶ。
(お前がユノをルトマーレに連れて来させたのは、ひよっとして父親に会わせるためなのか……?)
クラウディアは未来視の力で、ユノが俺たちに付いてルトマーレに来ることも予知していた。
それがマイナスに働くのならば、俺に止めるよう指示するはず。
そうじゃなかったという事は───。
「……会えるさ。きっと」
「はい……」
そのまましばらく、俺はユノの頭を撫で続けていた。




