16.その頃のロマイナ/迫る脅威
「……『光なき明日』ですか」
デルタミヤ魔術学園、学園長室。
トルードの推理を聞いたアイゼルとリームは難しい顔で唸った。
「確かに、全盛期のヴィルムリンドが行っていた悪辣な人体実験の為に、彼に被験者を提供していたというあの組織なら……協力者がいてもおかしくありませんね」
「……しかしだとすると、状況はかなり厄介だと言えるのう」
一度は追い詰めたはずの『最悪の魔術師』。
しかしバックに巨大な犯罪組織が付いていると考えると、こちらが不利になってくる。
『光なき明日』は、これまで数百年間、各国家の捜査を何度も振り切ってきた、神出鬼没、全貌不明の恐ろしい組織だ。アイゼルですら『光無き明日』の末端構成員を捕らえるのが精一杯だった。
ヴィルムリンドがその庇護下にあるのなら、彼の行方を特定するのは至難の業。かなり難しいと言える。
「……」
アイゼルは一度唸ると、小声で何か詠唱する。
すると引き出が一人でに開き、中から出てきた一枚の地図がふわりと机の上に広げられた。
トルードが訊く。
「それは?」
「学園に寄せられた、黒い獣──ヴィルムリンドの使い魔の目撃情報を印した地図です」
よく見れば、地図にはいくつかの印と日付が書かれていた。今日まで、新しい情報が来るたびにアイゼルがせっせと書き込んだものだ。
日付が今日に近付くにつれて、地図に書かれた目撃情報のマークの位置はロマイナから遠ざかっている。
しかし……。
「もし、その『黒衣の魔術師』を通して、こちらの対策が筒抜けであったとすると……。これらの目撃情報も、私たちの目を欺くための囮の可能性が出てきますね」
「もしくは、情報自体が偽物か。どちらにせよ、現地へ送った調査隊は無駄だったかもしれぬな」
珍しく真面目な口調で言うと、老魔術師は白い髭を指で撫で始める。
八十の老人とは思えない鋭い眼光と、普段の温厚な様子からは想像も出来ない凄味。それは、老いたとはいえまさしく『最強の魔術師』の姿だった。
『優しい学園長』の姿しか知らないトルードは、その溢れ出す威厳を前に思わず生唾を飲んで、身体を固くしてしまう。
一方リームは、このアイゼルが何か深く考え事をする時の癖を知っていた為、そこまで萎縮すことはなかった。
慣れた手付きで、アイゼルのカップに茶を注ぎ足す。
「学園長、眉間にシワが寄ってますよ」
「……おお。すまぬな、つい癖で……。まったく、ただでさえシワだらけなのに、これ以上増えるのは勘弁したいのう」
何事もなかったかのように普段の調子を取り戻して微笑むアイゼルに、トルードは苦笑するしかなかった。
「……さて」
温かいカップを口に運び、アイゼルはトルードの方を向く。
「センタース君、君は確か教会で起きた事件の担当だったのう」
「え、ええ……。そうです」
「では、同じような事件がロマイナ以外の街でも起こっていることは知っているかな?」
「! そ、それは……!? 初耳です……」
このところ捜査に忙殺されていたトルードは、そういったニュースに耳を傾けている時間はなかった。
それに、基本的に領内で起きた事件の話は、外へは漏れないようにすることが多い。不祥事が他の貴族の耳に入って弱味を握られるのを避けるためだ。
「だが今回はそんな言っている余裕はなかったようですね。なにしろ、ここ数日で何件も同様の被害が起きています。これは何かあると踏んで、各領地で情報の共有が行われたのです」
「このことは儂らも先日初めて知った。……そして、その情報に君の推理を掛け合わせてみようと思う」
アイゼルがそう言うと、机の上に立てられていた羽ペンがスウッと浮遊し、地図の上に何事か書き込んでいく。
「まず、教会襲撃が最初に起きたのはこのロマイナ。君の推理通りなら、『黒衣の魔術師』はここでこちら側の情報を集めていた」
そして、教会を襲撃。
目当ての物は既に持ち去られており、彼は街を後にする。
「そして、次は数日後。この街」
サラサラと羽ペンが地図に印を書く。
ロマイナから少し離れた街だ。馬でもあれば二日もかからない距離。
……同一犯でもおかしくはない。
「ここでも、同じく教会が襲われておる。そして、同じように隠し部屋も見つかった。……そんなようなことが、数日置きに何件も」
サラサラ、サラサラ……。
羽ペンは移動しながら、絶え間なく情報を書き込む。
そして……。
「犯人は教会を襲いながら、移動を繰り返しておる。その進む先にあるのは……」
ピーッ、と地図にラインが引かれる。
ロマイナから数日かけて、他の街に立ち寄りながら『黒衣の魔術師』が目指している場所。
そこにあるのは────。
「《覇闘迷宮》───迷宮都市ルトマーレ!」
マズい、とトルードは悟った。
迷宮都市には、アレンたちがいる。
そして自分の推理が正しければ、『黒衣の魔術師』はヴィルムリンドの協力者。そんな奴が、アレンのいる場所に向かおうとしている。
───その目的は、一つしか考えられない。
「クリアコード君が危険だ……!」
サッと血の気が引いた。
同時に、部屋の温度が急激に下がる。
復活したヴィムリンドに立ち向かった勇敢な若き魔術師──アレンの名前は、ある意味では有名になっている。『黒衣の魔術師』が彼のことを把握していてもおかしくはない。
いや、ヴィムリンドやクレイグと繋がっている人間ならば、むしろ知らない方が不自然だ。
一瞬の内に、様々なことがトルードの脳内で駆け巡る。
あまりのことに言葉を失っている彼をよそに、アイゼルが鋭く、しかし的確に指示を飛ばす。
「リーム、早急にライガに使い魔を送れ。ただちに生徒たちを帰還させ、その後は学園で保護する」
「すぐに取り掛かります」
リームは頷くと、ルトマーレに送る手紙を書くため、学園長室を出ていく。
それを見届け、アイゼルはまだフリーズしているトルードを見やった。
「センタース君は、くれぐれもこのことをクラリス様には知られぬように。辛い事件に巻き込まれたばかりのお嬢様には、ショックが大きすぎる。……それに、余計な心配をかけるのは、クリアコード君も望まぬことじゃろう」
「は、はいっ、必ず」
ようやく動き出したトルードは、大きく息を吐くと、祈るように目を閉じた。
脳裏に浮かんでくるのは、歳の割にはあまりにも過酷すぎる戦いに巻き込まれた少年の顔。
(どうか、無事で……。お嬢様は、君に育てたお花を見せるのを楽しみにしているのです……。だから、どうか……!)
思わず唇を噛む。
「アレンに見せてあげるの、喜んでくれるからしら」と毎日欠かさず花の世話をしていたクラリスのことを思うと、トルードは胸がいっぱいになる。
そんなトルードを尻目に、アイゼルは窓の外を見つめた。
「すべて……考え過ぎで終わればいいが……」
だが、皮肉なことに。
自分が最も信じる、己自身の魔術師のしての勘が「そんなことはあり得ない」と告げているのだった。
◆
夜の深い闇の中を行く。
頼れるのは、魔術で作った光球のみ。
前を行く男の黒いローブがはためく。
早いペースで歩く男になんとか付いていきながら、クレイグ・クレインは軽く後ろを振り向いた。
「おい、よぉ。『黒衣の魔術師』さん」
「……」
「後ろが付いてこれてねぇぜ」
言われた男──『黒衣の魔術師』は足を止めた。
そして無言のまま振り向く。
「ねえ〜、ちょっと休憩しな〜い? あたし疲れちゃったわぁ」
クレイグの少し後ろを歩いていた女が声を上げる。
媚びるような、甘ったるい声だ。
クレイグは舌打ちした。
この女の声は、家の財産を狙って兄に近づいてきた女どもを思いだす。金と権力欲しさに、男に媚びるような格好と言動で誘う毒虫たち。
長男である兄にはベタベタとくっついたが、自分には見向きもしなかった奴らだ。
「オ、オイラも、カルミヤに、賛成……」
その女──カルミヤの後ろから、息も絶え絶えな様子の情けない声が届く。
今にもすっ転びそうな様子の、いかにも冴えない感じの少年が息を上げていた。
と、クレイグの横にいた男が怒号を飛ばす。
「おいポコ! テメェ、この程度で何ひーひー言ってやがる! 女より体力がねえとかふざけてんのか!? あぁ!?」
「だってよぅ、ザムルの兄貴ぃ。オイラ、元から運動とか苦手だし……」
「甘ったれてんじゃねえッ!」
ザムルはポコの元まで走っていくと、その尻を蹴飛ばした。
悲鳴を上げるポコを見て、カルミヤが高笑いを上げる。
「アハハハハ! 豚みたーい!」
「か、カルミヤ、酷い……」
「だってポコってホントに豚みたいな顔してるだもーん。もうちょっとマシな顔してたら、あたしが童貞貰ってあげたのになー」
「えっ……」
「あ、今ちょっと期待した顔したー。キモーイ! アハハハハ!」
クレイグは自分の顔が引きつるのを自覚した。
これが自分たちの協力者。『光なき明日』という名をヴィムリンドから聞いたときは身構えたものだが、その実かなりふざけた連中だった。
こいつらと付き合っていくことを考えると、気が滅入る。
げんなりした顔で『黒衣の魔術師』を振り向いた。
「アンタ、よくこんな連中と一緒にいられるな」
「あれらには利用価値がある。人間性などどうでもいい。……あの三人はお前に貸し与えた戦力だ。せいぜい上手く付き合え」
クレイグの言葉にすげなく返し、『黒衣の魔術師』はさっさと歩き出す。
クレイグを含めた四人が慌てて後を追う。
自分の隣に並んで歩くクレイグを、『黒衣の魔術師』が一瞥する。
ただ一瞬チラリと視線を向けられただけなのに、クレイグは言いようのない恐怖を感じた。
「……なんだよ」
「お前も利用価値があるから生かしているだけだ。ヴィムリンド翁が寄越してきた男でなければ、とっくに焼き殺している」
「……っ」
勢い込んで凄んでみたものの、相手は『呪いの炎』を操る魔術師。
「焼き殺す」の一言で、クレイグの勢いは消え失せる。
「私はお前の主が娘にしたことを忘れた訳ではない。ただ、私の利益のためには力を貸した方が得だと判断した」
「……」
「お前はアレン・クリアコードが邪魔。私はそいつが持つ悪魔召喚の魔導書が欲しい。……利害の一致だ」
それっきり、『黒衣の魔術師』は何も言わなかった。
クレイグも無言まま、ひたすら歩き続けた。
───やがて、その建物が見えた。
闇の中に、ポツリと明かりが浮かんでいる。
オズ教の教会。
ロマイナの街にもあった、隠し部屋のある教会。
ギリッ、と歯を食いしばる。
(ここで簡単に悪魔の力が手に入るってんなら、俺だってそうしてたのに……!)
おとぎ話か、ただの言い伝えだと思っていた七十二の悪魔。
しかしその力を手に入れた少年がいた。
───クレイグは彼に負けた。
だからその力を欲したのだ。
そして、ここに来た。
一行は教会の扉の前に立った。
───内側から、扉が開く。
「!!」
扉の向こうから飛び出してきたのは、一人の若いシスターだった。
その黒い修道服や顔には、赤い飛沫のようなものが飛んだ跡がついていた。
乾ききっていない。まだ新しい血だ。
彼女は一行の姿に目を見開いた後、半狂乱で『黒衣の魔術師』にしがみついた。
「助けて! お願い助けてください! 男が、男が皆さんを……! 皆血まみれなの……! どうか助けて……!」
しかし『黒衣の魔術師』は何も答えない。
クレイグも、カルミヤも、ポコも、ザムルも。
誰も何も言わない。
シスターは次第に異常性を理解する。
だが、その時にはもう遅い。
──彼女の命運は、既に尽きている。
「ねえ、シスターさん」
「ぁ……」
一歩、カルミヤが前に出る。
彼女はシスターの手を取り、にっこりと微笑んだ。
「あなた綺麗な手をしてるのね。白くて、すべすべで……。ああ……とっても好みよ……。たまらないわ……!」
手の甲をさすり、さすり、そして頬ずりをする。
うっとりとした表情で、顔を上気させて自分を見つめるカルミヤの姿に、シスターは思わずその手を振り払おうとした。
が、その瞬間、しゅるりと伸びたカルミヤの腕がシスターの身体を抱き寄せる。逃げられない。
ふと、カルミヤは『黒衣の魔術師』を振り向いた。
恍惚の表情。ごちそうを前にした子供のように唇の端を舐める。
「ねえ、この子食べちゃってもいい?」
「好きにしろ」
「アハッ。じゃあ、いただきまーす」
カルミヤは語尾に「♡」を浮かべると、そのままシスターの唇にむしゃぶりついた。
シスターがくぐもった声を上げて身をよじる。唾液の混ざり合う音が響く。カルミヤの手が、修道服の上からシスターの身体をまさぐり出す。
「行くぞ」
『黒衣の魔術師』の言葉に、一行はカルミヤとシスターをそこに置いて歩き出した。
振り向かずに進むクレイグの耳に、甘ったるい声が届く。
「『溟海に飲まれて狂え』」
礼拝堂へと続く廊下を歩いていると、向こうから人影がやってきた。
短刀を片手に、全身が血まみれの少年。無論、全身を染める赤は全て返り血。
彼は一行を見つけてニッコリ笑う。
「あれ? 結構早いじゃん」
「派手に暴れたな、キース」
「まぁね」
キースと呼ばれた少年は短刀を仕舞うと、頬に付いていた返り血をペロリと舐めた。
「それよりさ、女の子知らない? 若いシスターなんだけど、楽しんでる間に一人逃げられちゃってさ」
「それならさっき……ううっ」
ポコが答えようとするが、キースの凄惨な姿を見て、思わず口を抑える。
礼拝堂の扉の向こうに広がる光景を想像してしまったのだろう。
うずくまったポコの代わりに、兄貴分が言葉を引き継ぐ。
「カルミヤが相手してるぜ。今頃『毒』にやられてる」
「ちぇっ、カルミヤに取られちゃったか」
口を尖らせるキース。
「あ。そうそう。怪しいの見つけといたから」
ほら、とキースが壁を指をさす。
そこには一枚の絵画が飾られていた。
「……どこも仕掛けは同じか」
ボソリと呟き、『黒衣の魔術師』は絵の前に立つ。
ほどなくして、壁の向こうの通路が現れた。
その部屋のひんやりとした空気に、クレイグは思わず身震いをした。
壁も、床も、びっしりと石を敷き詰めた部屋。
中央の祭壇は神聖な雰囲気を演出している。
───そして、その祭壇の上に祀られているのは、幾重にも封印魔術を施された巨大な魔術結晶。
「さあ、手を触れてみろ」
『黒衣の魔術師』の声。
言われた通り、クレイグは一歩足を踏み出す。
ドクン、ドクン、と脈打つ岩。
仄白い魔力の光が溢れ出る。
ゴクリ、と唾を飲み、クレイグは岩に手を伸ばす。
後ろで声がした。
「───それが、お前の悪魔だ」
瞬間、ガラスが割れたような音。
───今ここに、新たな悪魔の封印が解かれた。




