07.スケルトン・パニック
その扉は、俺達の目の前で開いた。
俺達が見ている、その前で、確かに開いた。
―――扉が開く。
考えて見れば、至極当然のことだ。
なぜなら、あの扉を閉めたのは、他でもない俺なのだから。
閉めた扉を再び閉めることはできない。
もう一度閉めるためには、まず扉を一端開かなければならない。閉まっている扉に対してできることは、その扉を開くことだけだ。
だから、閉じられた扉が開くのは、当たり前のことだ。
そう、あの扉は俺が閉めたのだ。
俺が。
この手で。
確かに。
古びた重い扉を、念の為背後からの奇襲に備えて、手伝いもしないでふんぞり返っている悪魔に内心悪態をつきながら、苦労して閉めた。
それが、開いている。
今、目の前で。
あの軋むような音を立てながら。
―――扉が開いている。
それは当然のこと。何も問題はない。
だから。
今、問題なのは。
『扉を開く』という動作をしている何者かがいるということ。
さらに、そいつは俺とバルバトスのどちらでもあり得ないということ。
それはつまり、この屋敷に潜む第三の存在であるということ。
そして─────
今、その確率が最も高いのは────!
「────スケルトン!」
◆
一瞬だけ。
たった一瞬だけ、時は止まった。
俺も。バルバトスも。
―――そしてスケルトンも。
全員が止まった。
呆然としていた、と言ってもよかった。
止まった時の中、俺はスケルトンを見ていた。
そいつは変な体勢だった。
両手を突き出して、何かを押すような。
取っ手を掴んで扉を開けたというよりも、扉そのものを押して開けた。そんな風な体勢だった。
静寂を打ち破ったのは、バルバトスの叫び声だった。
「────スケルトン!」
叫びが耳朶を叩く。
と同時に、俺は魔物に掌底を向けていた。
「Startenッ!」
短く、そして鋭く詠唱。
突き出した掌底に体内の魔力が集結する。
暗い食堂に、眩い光が奔る。
打ち出された魔力の塊。
拳大の光弾は、真っ直ぐにスケルトンへと向かっていく。
俺にはその様子が、まるで時の流れが緩やかになったかのように、ゆっくりと見えた。
光弾は、そのまま突き進む。
やがて、未だに立ち尽くしているスケルトンの胸元に、眩い光と共に直撃し────
「───ッ!」
その骨で出来た身体を、バラバラに吹き飛ばした。
「……」
―――それは、『魔弾』と呼ばれる魔術。
戦うための魔術としては最も初歩的な術であり、最も威力の低い魔術。
世間一般では、魔弾は大抵このように扱われ、軽んじられる。
魔弾とは魔術の基礎中の基礎であり、大した攻撃力のない一撃であると。
だが、その考えには一部誤りがある。
確かに、魔弾は攻撃魔術の基礎だ。
『最も威力の低い魔術』というのも、間違ってはいない。
────しかし、違うのは。
その『最も威力の低い魔術』でも、当たりどころによっては魔物を一撃で葬り去るほどの威力を持っているということだ。
そう。例えば、今のように。
「良い反応だったぞ。なかなかやるじゃないか」
本気なのか冷やかしなのかわからない悪魔からの称賛を聞き流しながら、俺はバラバラになったスケルトンの残骸に近付いた。
「普段からああいう訓練をしているのか? ……だろうな。訓練もなしに咄嗟に出来る動きじゃあなかった、今のは」
散らばった骨の側に片膝を付く。
ポケットから出した小指の骨と散らばった骨を見比べてみたが、どうやらこのスケルトンのものではないようだ。
骨を仕舞い直し、立ち上がる。
と、傍らに転がっていた頭蓋骨が目に付く。
空洞の目玉と視線が交差した気がして、俺は目を逸らした。
「相手が反応出来ない内に、一撃で仕留める。……よくできている。へっぽこのお前に合った戦術だ」
「……」
悪魔の軽口に付き合うのも疲れたので無視していたが、こちらが黙っていれば黙っているで好き勝手言いやがる。
せめて褒めるのか貶すのかどっちかにしろよ。
「おい―――、――?」
何か言い返そうとして、気付く。
足元に散らばった骨。
交差した、と感じた視線。
「……」
「……ようやく気付いたか」
バルバトスの呆れ声。
俺は彼女の方には視線を向けなかった。
否、向けられなかった。
床に散らばるスケルトンの残骸から、目を離すことができなかった。
「魔物は死ねば魔石になる。だが、このスケルトンにはまだその現象は起こっていない。この意味、わかるだろう?」
一歩、後退り。
冷や汗が頬を伝う。
床に転がった頭蓋骨と、目があった。
今度は、錯覚ではなかった。
そう感じると同時。
俺の目の前で、散らばった骨が再び組み上がる。
目にも止まらぬ速さで再生する魔物。
完全に復活した、と知覚した瞬間には、俺はスケルトンに首を掴まれていた。
骨の手で首を鷲掴みにされ、締め上げられる。
肉に骨の指が食い込み、首の骨をへし折ろうとどんどん手の力は強まっていく。
「ぐっ……!」
ぐぐぐ、と骨の腕に力が込められていく。
筋肉もないくせにどこからこんな怪力が出ているのか。
そんな呑気なことを考えていられる状況ではなかった。
首を締め上げるスケルトンの手を掴むが、まるで効果は無い。
魔物特有の怪力。人間の―――少なくとも、俺の力では歯が立たない。
「……っ!」
足が床から離れる。
呼吸ができない。
このままでは、死ぬ。
呼吸を止められ、死ぬ。
いや、その前に首の骨を折られる。
「っ、この……っ!」
必死の抵抗。
右手に魔力を集中させ、魔弾の準備。
が、危機を察知したのか、魔弾が発射されるよりも前に、スケルトンは俺を投げ飛ばした。
とてつもない怪力で扉に叩きつけられる。
年季の入った木の扉は、激突の衝撃に耐えられず、音を立てて砕け散った。
「っ……」
埃と木っ端の中から身を起こす。
少しよろめいて、がくがく震える膝を叩いて気合を入れ直した。
舞い踊る埃の向こう側で、骸骨はカタカタ笑う。
乾いた音が頭の中で反響し、頭蓋骨の裏側を内から擦られるような不快感が襲う。
急に息苦しくなる。
無意識のうちに、呼吸も浅く、荒くなる。
駄目だ。呑まれるな。
相手のペースに呑まれれば、この状況を抜け出せなくなる。
バルバトスはスケルトンの後ろで沈黙を守っている。動き出す様子はない。
―――アイツは頼れない。
俺自身の力で、この魔物を倒さなければならない。
落ち着け。
窮地の時こそ冷静に。
魔術師の基本だ。
ホコリの中で敵を見る。
スケルトンは乾いた音と共に近付いてきている。
慌てるな。
相手は下級の魔物。勝機はある。
こういうときこそ、心を落ち着けるんだ。
そうだ。深呼吸を───
「────すうううう、っ、げほっ! ごほっ! ごほっ!」
「何やってるんだお前は……」
むせた。
失敗だった。
埃の中で深呼吸するのは逆効果だ。
涙目でスケルトンを睨む。
奴は変わらず迫ってくる。
接近戦はリスクが高い。
ここは距離を保ちつつ魔弾で────
「Startenッ! Startenッ! Startenッ!」
魔弾を連射。
三発の内、二発は肩に。
最後の一発は胸に向けて飛んでいく。
スケルトンは最初の二発を身体を反らして躱し、最後の一発は両腕を交差して凌いだ。
(やっぱり不意打ち気味じゃないと致命打にはならないか……)
俺と奴との間に距離があれば、それだけ対応するまでの時間の余裕を与えてしまう。
どうすれば……!
────と、その時だった。
「オオオオオォォォォォ……!」
「!?」
瞬間、骸骨が咆哮した。
喉もないのにどこから声を出してるのかとも思ったが、そういう問題ではない。
ヤバい。今のはヤバい。
前に授業で聞いた。……気がする。
奴ら―――スケルトンの叫び声には、確か仲間を呼ぶ効果がある。
「!」
背後で、音がした。
嫌な予感がする。
最悪だ。最悪のパターンだ。
この気配─────
「……嘘だろ」
振り向いた先には、スケルトンの集団がいた。
一体どこに隠れていたのか。
その数、およそ五十体。
小さいのから大きいのまで。子供や巨漢の骨が、大勢。
骸骨たちが、カタカタ笑う。
味方はゼロ。
敵は推定五十体。
そして、俺は三流ヘッポコ魔術師……の見習い。
まさに絶対絶命だった。
(どうすんるんだ、これ……)
────試験合格のために悪魔を召喚したら、とんでもないことになってしまった。
その召喚した悪魔は冷めた目でこちらを見ている。
いまだ協力する気は無いようだ。
(どうするどうするどうするどうする……!)
スケルトンたちはじりじりと迫ってくる。
前には五十。
背後には一体。
ここは、やはり。
「う……おおおおおおっ!」
雄叫びを上げ、踵を返す。
狙うのは背後にいた一体。
骨の手が首を掴むよりも早く頭蓋骨を鷲掴みにする。
たった一瞬の差。
たった一瞬、奴よりも俺の方が速かった。
その差が、勝敗を分けた。
「Startenッ!」
掌底から放たれる魔弾。
ゼロ距離で頭蓋骨に撃ち込まれたそれは、スケルトンの頭部を完全に破壊した。
「──────」
今度こそ、骸骨の魔物は死んだ。
骨の身体は光の粒子となって消え、後には赤い宝石のような塊が残される。
これが、魔石。魔物の残留魔力。
「行くぞ、バルバトス!」
「……ああ」
魔石を拾い、一目散に駆け出す。
背後から聞こえる骨の音。
それを努めて意識しないようにしながら、俺は入ってきたのとは別の扉を蹴り開けて、食堂から飛び出した。
「バルバトス手伝え!」
「なんで私が……」
「いいから! やれ!」
バルバトスの手を借り、重い扉を閉じる。
近くにあった机を扉の前に配置し、バリケードを作る。
これで簡単には開かない筈だ。
「ふう……」
扉の向こう側で乾いた音がする。
が、扉が開く気配はない。
いくら奴らが怪力とはいえ、この重い扉にバリケードが加われば、そうそう突破できないだろう。
「で、どうするんだ?」
「ここは諦める。一人であんな数相手にできない。別の獲物を探すしかない」
悪魔と並んで廊下を進む。
相変わらず薄暗い。
この廊下の先に何があるのかはわからないが、多分その辺に窓とかあるだろう。それを叩き割るなりして脱出できれば……。
「……おい」
バルバトスが足を止めた。
「何してるんだよ。早くここから出ないと……」
「何か、聞こえないか?」
「は?」
言われ、耳を澄ます。
確かに聞こえてきた。
ドンッ、ドンッ、と。
何かがぶつかるような音が。
―――背後から。
背後?
「……」
「……」
俺とバルバトスは同時に振り向いた。
大きくなっていく音。
次第に伝わってくる衝撃。
パラパラと落ちてくる埃と塵。
「……嫌な予感がする」
─────その言葉と共に、扉が弾けた。
飛んでくる木片。
俺たちは反射的に身をかがめて、それらを躱す。
もしもそうしていなかったら死んでいただろう。
それは木片でではない。白い大きな影が、俺たちの頭上をもの凄いスピードですっ飛んでいったからだ。
「おい。おいおいおいおい……!」
頭上を飛んで行ったものの正体を認め、俺は戦慄した。
なんだアレは。
何なんだ。
あんなもの、見たことない。聞いたこともない。
あんな巨大なスケルトン、俺は知らない―――!
「オオオオオォォォォ……!」
幽霊屋敷に響き渡る咆哮。
俺たちの前に姿を現したのは、十メートルはあろうかという巨大スケルトンだった。