13.狂犬カノン
外での喧嘩騒ぎの後。
俺は自分の部屋に戻ろうとした。
戻ろうしたのだが……。
「……」
「……」
俺は前を行く女の後ろ姿を見た。
一つに束ねた銀髪が馬の尾のように揺れている。
───喧嘩騒ぎを収めた、ユノに似たあの女。
俺は彼女の後を追っていた。
いや、追ってるつもりはないのだ。ただ進む方向が同じなだけ。
本当、自分でも不自然に思うほどに。
(これじゃあ、俺が後を付けてるみたいじゃないか……)
重ねていうが、俺にそんなつもりはない。
彼女が進む方向と、俺の部屋がある方向が同じなだけ。
本当だ。
「……」
「……」
銀髪の彼女の方も俺がずっと後ろにいるのに気付いているのか、先程から後ろを気にしている様子を見せている。
……本当に申し訳ないのだが、実際俺の部屋がある方向はこっちなので仕方ない。
今更引き返すのも不自然だし……。
俺が内心で苦悩する間も、女は進んでいく。
俺もその後を追う形で進む。
女は階段を昇った。
俺も階段を昇った。
俺たちは二階へ移動した。
女は廊下を進む。
俺も廊下を進む。
そして女は角を曲がる。
俺も角を曲が───。
「あのねぇ! いい加減にしなさいよ!」
「うわぁ!?」
角を曲がろうとしたら、その角に女が待ち伏せしていた。
その迫力に満ちた声で怒鳴られる。
思わず飛び退いてしまった。
びっくりしている心臓をバクバクさせている俺に、女はずいずい詰め寄ってくる。
「さっきから何のつもり!? コソコソコソコソ付け回して……そんなに宿の前でのことが気に入らなかった!?」
「い、いや、そんなつもりじゃ……」
「じゃあどういうつもりなの!?」
「ひぃっ!?」
ドンッ、と壁を叩く。
前には女。後ろには壁。
逃げ場のない状態で赤い目に睨みつけられ、俺の体は萎縮してしまう。
「その、たまたま……。たまたま俺の部屋がこっちにあって……。それで図らずも後を付けるような形に……」
俺は真実を語った。
紛れもない真実を。
が、本当のことを話したとしても、それで相手が納得してくれるとは限らないのである。
今回もまた、そうだった。
「はあ? 本気でそんな言い訳が通じると思ってるわけ?」
「言い訳も何も本当のことで……」
「口答えすんな!」
じゃあどうやって弁明しろって言うんだよ……。
そういえば、先程この女が喧嘩騒ぎを収めたとき、周囲の野次馬が彼女を二つ名のようなものを呼ぶのを耳にした気がする。
確か、『狂犬』とか……。
「どーせ、どっかの冒険者に頼まれて嫌がらせでもしに来たんでしょ? ほんっと、アイツらって気に食わない! あたしが邪魔なら、正々堂々正面から喧嘩売りに来れば良いのに!」
がおー、と吠える。
「……」
なるほど。俺は心の中でポンと手を打つ。
野次馬から聞こえた二つ名に合点が言った。
誰彼構わず噛み付く。
その姿はまさに狂犬だ。
思わず納得する。
……しかし、この状況。
どうするべきか……。
俺が『狂犬』に襲われて困窮していると、『狂犬』の背後で俺の部屋の扉がスゥーと静かに開くのが見えた。
……バルバトスだ。少しだけ開けた扉の隙間から顔を出してこちらを見ている。
『狂犬』は背を向けていて気付いていないが、俺からはバッチリ悪魔の顔が見える。
俺が戻ってこないのを気にして様子を見に行こうとしたのだろうか。
こちらを見たバルバトスと、目が合う。
俺は視線で助けを求めた。
────何をしている……?
視線だけで悪魔が問う。
非常に返答に困る質問だった。
────冒険者に絡まれた。助けて。
────そう言われてもな……。
────いいから何とかしてくれよ。この人しつこい。
視線で会話する俺たち。
俺の目が自分に向いていないことに気付いた『狂犬』が、訝しげに首を傾ける。
「……アンタ人の話聞いてる? さっきからどこを見て……」
振り向く『狂犬』。
彼女の視界に映るよりも一瞬早く、しかし静かに、扉が閉じられる。
「……何もないじゃない」
振り返って何も異変がないことを確認した『狂犬』が、呆れたように息を吐いた。
「はあ……。もういいわ。何か疲れちゃったし」
疲れたのはこっちの方だよ。
と言いたいが、そんなことを口にすれば新たな火種となるのはわかりきっているので、間違っても声には出さない。
「ねえ、アンタこの宿に泊まってるんでしょ? 私、人を探してるんだけど、知らない? 多分ここに泊まってるはずで、今日会う約束だったんだけど……」
「いや、俺も今日ルトマーレに来たばかりだし……。せめて、その人の特徴とかがわからないことには何とも……」
既にさっきの出来事は頭から消え去っているのか。
『狂犬』は一瞬前までの剣幕はどこへやら、といった態度だ。
「特徴、ねえ……。まあ珍しい容姿ではあるのかしら」
「知り合いなら、名前がわかってるんだろ? だったら、受付で聞けば部屋くらい教えてもらえるんじゃ……」
「むりむり。その人、有名な冒険者だから。ほら、名を上げると同業者から恨みも買いやすくなるでしょ。客が泊まってる部屋の情報なんて、主人は教えないわよ。トラブルの種になるだけだもの」
へえ、そういうものなのか。
対策が立ててある、ということは以前そういった騒ぎがあったということだろうし……。宿側も大変だ。
「実際、前に部屋に襲撃されたって言ってたし」
「うわ、やっぱり前例があったのか……。そんなに有名な冒険者が同じ宿に泊まってるなんてな」
「アンタも名前くらい知ってるんじゃない? 《蒼狼》、《白き雷獣》……色々と呼び名はあるけど、やっぱり一番有名なのは……《雷光のライガ》」
《雷光のライガ》……。
……? んん?
ライガ……?
ライガって、まさか……。
いや、そんな……。
「本名、ライガ・アルカー。冒険者界隈ではその名を知らない者はいないと言われて──」
「うっそだろオイ!?」
「うわ、びっくりした。何よ急に大声出して」
目を丸くする《狂犬》をよそに、俺は天を仰いだ。
マジか……。
《雷光のライガ》って、ライガ教官のことかよ……。
「ゴメン、俺その人の泊まってる部屋知ってる……」
「え、本当!?」
「っていうか一緒に来た……」
「え」
流石に『狂犬』もこれには驚いたようだ。
ポカン、と口を開ける。
「じゃあ、アンタ魔術学園の生徒なの……?」
「まあ、一応」
「へぇ……人は見かけによらないって言うけど、案外当たってるかもしれないわね……」
どういう意味だよそれは。
俺ってそんなに弱そうに見えるのか?
……いや、実際弱いんだし何もおかしくはないか。
と、その時。
階下から足音が聞こえてきた。
目線をそちらに向ければ、銀髪の少女。
ユノだ。
「あ! アレンさんこんなところに……」
言いかけて、ユノの動きが止まる。
彼女の瞳が俺の隣に立っている『狂犬』を認めた。
「……」
軽く目を見開き、息を呑む。
『狂犬』もまた、少し驚いたようだった。
年齢、髪型さえ違えど、彼女たち二人の容姿はよく似ている。
髪色も目の色も肌の色も同じ。
本当に、とてもよく似ている。
二人はしばし見つめ合ったまま静止していたが、やがてユノの方が遠慮がちに小さく声を発した。
「えっと、その人は……」
「ああ、さっき知り合ってさ。なんか、教官と合う約束としてて、探してるらしいんだけど……」
「はあ……」
ユノは再び『狂犬』の方を見る。
『狂犬』は、いまだユノを見つめたまま、何かを考え込むかのように静止したままだった。
「ライガさんなら、今下に来てて……アレンさんを呼んでますけど……」
「そうなのか? 良かったな『狂犬』さん。教官来てるって」
そこでようやく、『狂犬』は意識をこちらに向けた。
「え? ああ、そうね。まあ、色々と気になることはあるけれど、とりあえず探す手間が省け……」
───と。
再び停止する。
その目は、俺を見ていた。
「ちょっと待って……アレン?」
こちらを指さして、確認してくる。
……はて。何故俺の名を知っているのだろう。
俺の存在自体はクラリス誘拐事件で広まったとはいえ、名前は伏せられていたはずだし、学園の生徒以外が知っているのは違和感がある。
「今、アレンって呼ばれた? アンタがアレン・クリアコード? あの、ヴィルムリンドと戦ったっていう?」
「……そうだけど」
俺は頷いた。
それを見て、『狂犬』はふぅと息を吐く。
「……ほんっと、人は見かけによらないわねー」
「だから、どういう意味だよ……」
「じゃあ聞くけど、アンタ周りの自分に対する噂や評価を妥当なものだと思ってるわけ?」
「それは……」
正直、思わない。
『ヴィルムリンドと戦って生き延びた少年魔術師』……それが俺の評価だ。
それは間違ってはいないのだが、当たっているとも言えない。
俺がこうして生き延びているのは、ルフィナやハーケン先生のお陰だし、クラリスを救えたのもバルバトスの力があったからだ。
あの事件で俺が出来たことは、本当に小さなことだった。
クレイグには何かしてやることもできず、取り逃がしたままだったし。
挙げ句、鏡の世界で無様に気絶する始末。
結局、俺の本質は変わってない。
いまだに落ちこぼれのヘッポコのままだ。
世間の俺に対する評価は、大袈裟すぎる。
「オーラが無いのよ。アンタには」
「……は?」
「自分に自信が無い、って言うか……。なんか、覇気がない。何か一つでも自分の力で成し遂げられたら、きっと変わるんでしょうけど」
『狂犬』は腰に手を当てて言う。
……いや待て。そもそも、一体どうして初対面の名も知らない女にここまで言われなければいけないのだ。
言ってることは、まあ恐らく当たっているのだろうが。
ムッとして何か言おうとしたとき、ユノがおずおずと前に出た。
「あの……ライガさんも待っていますし、そろそろ……」
「おっと、そうだった」
長く待たせて機嫌を損ねられたら困る。
早く向かわなければ。
「あ、ちょっと待って。あたしも行く」
俺たちが階段を降りようとしたとき、『狂犬』がそう言って付いてきた。
「なんで付いてくるんだって顔してるわね。……その様子だと、やっぱり何も聞かされてないみたいね」
そう言って、ため息を吐く。
『狂犬』は階段を降りかけている俺たちを見下ろし、仁王立ちになる。
────そして、告げた。
「カノンよ」
「は?」
「あたしの名前。カノン・アルカー」
俺は軽く目を見開いた。
アルカー。
その姓は、教官と同じ───。
「兄さん───ライガ・アルカーに言われて、アレン・クリアコードの監督係として合宿に参加することになったわ。どうぞよろしく」




