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08.迷宮都市を目指して

 アレン・クリアコードが一人離れた荷馬車の上で、蝋燭の炎と格闘している、そのほぼ同時刻。

 本来、彼が乗るはずであった馬車の中で。


「……」


 銀髪の少女ユノは、非常に居心地の悪い思いをしていた。


(ど、どうしよう……)


 ちらり、と視線を正面に。

 少女の前は空席。そこに座るはずであった少年は、現在何故か荷馬車の上にいる。


 記憶が曖昧なせいで自己というものが不完全であり、その上知り合いもいないこの状況において、ユノがすがれる相手はたったの四人。

 女子寮にて何度か顔を合わせた、ルフィナとアマリリス。

 そして自分を助けてくれた恩人であり、目を覚ましてから初めて会話した相手であるアレンとその使い魔バルバトスだけ。


 しかし、ルフィナとアマリリスは別の馬車に乗っており。

 アレンも同じくこの馬車には不在。

 そして、バルバトスはというと……。


「……」


 ──頬杖をついて、退屈そうに外の景色を眺めていた。


(な、何か話しかけた方が良いのかな……)


 そうは思うものの、ユノはこのバルバトスという少女に、話しかけづらさというか、何か壁のような物を感じた。

 無論、バルバトスがユノを拒絶しているかといえば、そんなことは決してない。

 これは、ユノが勝手に感じてしまっているものであり───人ならざる存在である彼女に対して、人が感じざるを得ない感情であった。


 極力それを表には出さないようにしていた。

 でも、もう本人には悟られてしまっているかもしれない……。


「ふわぁ……」


 バルバトスは眠そうにあくびをする。

 そんな仕草はまさしく人間のそれと同じであるのに、やはり彼女に対して『人とは違うもの』を感じてしまう。


 それを覚えるのが、なんだか嫌なことのような気がして……。

 ユノは努めて悪魔から視線を外した。


「ぐごー……、ぐがー……」


 視線を外した先では、ライガがいびきをかいている。


 ───いい加減そうな男ではあるが、キチンと生徒のことは考えているらしい。

 早速アレンに特訓の方法らしきものを教えている姿が、出発を待っている間に窓から見えた。


 あの時見えた、大量の蝋燭。

 あれは、事前にアレンの為に用意してあったものだ。

 予め生徒のことを調べ、その弱点などを分析しておかなければ、あんなことはできない。


 きっと、見た目の割に優れた人間なのだろう。

 魔術師ととしても、教官としても。

 ユノは、既にそう結論付けていた。


(そ、そういえば……アレンさん、もう修行始めてるんだよね……)


 ふと気になり、ユノは窓から外を見ようとした。

 景色は見える。

 しかし、後ろを走っているであろう荷馬車の姿は、ユノの位置からは確認できなかった。


(……心配だなぁ)


 女子寮にいた頃、アレン・クリアコードの人となりについては、そこで暮らす生徒たちから聞いたことがある。

 ……曰く、《学園最弱》の落ちこぼれであると。

 ……曰く、夜に女子寮侵入を企む変態であると。

 ……曰く、あのヴィルムリンドと戦った魔術師であると。


 聞く相手によって様々に変化する評判に戸惑いながら、ユノが一番しっくり来たのは、彼の幼馴染だというあの女子生徒の言葉だった。


『───弱いくせに、危ないことに首突っ込んで』

『自分が死ぬかもしれないのに、他人の為に突っ走って』

『怪我しても死にかけても止まらない、馬鹿な奴』


 でも、とルフィナは続けた。


『……でも、夢の為に一生懸命で。見てると何だか、応援したくなってくる。私の知ってるアレンは、そんな奴』


 ああ……、と。

 それを聞いた時、ユノは思ったのだ。

 まさにそんな感じだ、と。


 彼を見ていると、何故か応援したくなる。

 側で差支えてあげたくなるのだ。


 だけど、今の所、自分に出来そうなことはない。

 せっかく役に立てるかもと思ったのに。

 そう肩を落とすユノに、バルバトスが声をかけた。


「アレンの奴が気になるか?」


「ひゃいっ!?」


 突然話を振られたものだから、びっくりして声を上げてしまった。

 いびきをかいていたライガの体がビクンと揺れる。

 ……が、目を覚ますことはなかった。


「そこからだとよく見えないだろう。……私もずっと試してはいるが、場所が悪いのか、どうにもあいつの姿は見えなくてな」


「……」


 急に話し出したバルバトスに、思わず呆気に取られるユノ。

 いや、違う。正しくは、体が緊張してしまっているのだ。

 得体の知れない相手に、ユノ自身の意思とは無関係に肉体が萎縮してしまっている。


 そんなユノに、悪魔は言った。


「……私が怖いか?」


「い、いえっ! そんなこと……!」


「いいさ。人は、自分たちとは異なるものを怖がる。本能で恐怖する。そういう風に出来ている。……それが自分よりも遥かに強い相手であれば、なおさらだ」


 もう慣れている、と彼女は呟いた。

 ユノは、それがなんだか寂しかった。

 諦めたような彼女の横顔が、無性に悲しかった。


「……わ、私は、バルバトスさんとも仲良くなりたい、です。ちょっと怖いけど……私のこと、助けてくれた人だから……」


 ───少しだけ驚いたように、バルバトスは片眉を上げた。

 そして薄く笑う。

 さらり、とユノの銀髪を優しく撫でた。


「……そうか。なら、少しずつ私に慣れてくれれば良い。あのアレンですら、最初は私を怖がっていた風だったからな」


「え、アレンさんが……!」


 ユノは驚いた。

 自分の目から見ても、アレンとバルバトスの間に主従関係を超えた絆があるのはわかる。

 それは、家族とも恋人とも違うが、確かにそれに似た情であり……しかし友人とも違う、何か不思議な縁だった。


 強いて言うなら……魂を共有した者同士、というべきなのだろうか。

 そういった、まるでもう一人の自分に対するかのような態度。


 だから、想像できなかった。

 あのアレンが、バルバトスを怖がったなんて。


「本当なんですか?」


「ああ。あれは……もう一ヶ月前になるか。アレンが私を召喚した時のことだ」


 まだそこまで昔の話ではないのに、バルバトスは遠い過去を振り返るような目つきをした。


「あいつ、私にビビりまくってなぁ。最初の受け答えなんて、何故か敬語だったし……」


 そう言ってくつくつと笑う。

 心底おかしそうな表情だった。


「ああ、そうだ。ユノお前、確かアレンの話は最近のしか聞いてないだろう。お前を救い出して来た頃の話しか」


「え、は、はい……」


「だったら、この際聞かせてやろうか。あいつの『恥ずかしい話』」


「は、恥ずかしい話、ですか……?」


 それはひょっとして、彼が『ヴィルムリンドと戦った若き魔術師』の名声を得る前の話だろうか。

 噂に聞く、『ただの学園最弱』だった頃の。


(き、聞きたい……!)


 聞きたい。

 とても聞きたい。

 だが、本人のいない所で勝手に聞いたりしても良い話なのだろうか……?


「気にするな。どうせ、あいつ自分から話したがったりはしないんだ。向こうから話すのを待ってたら、いつまで経っても聞かせてもらえんぞ?」


「じゃ、じゃあ、お願いします……」


「ふ、良いだろう。そうだな、まずは……私と奴が初めて会った時の話。それから幽霊屋敷の話をしようか────」


 それから、悪魔は少女に自分たちの冒険譚を語った。

 落ちこぼれと悪魔の出会いから、二人の初めての戦いを。


「そしたら、あいつなんて言ったと思う? 『お前の力で俺を試験に合格させてくれ』───だとさ」


「ええっ!? ……ふふふっ」


 それから、少年と貴族令嬢の出会いを。

 少年の試験の話を。

 鏡の世界での死闘を。

 悪魔との契約を。

 囚われの姫を救い出す、一人の魔術師とその使い魔の物語を。


 全てを見てきた訳じゃない。

 バルバトスが知らないところでも、彼は戦い、挫折し、それで知らないうちに強く成長していた。


 ───でも。

 この一ヶ月、彼を誰よりも近くで見ていたのは、他ならぬこの悪魔だった。

 常に側にいた訳じゃない。

 常に見てきた訳じゃない。

 でも彼女は、一人の少年が生まれ変わっていく様を、誰よりも近くで見続けていた。



 悪魔が少女に語ったのは、そういう物語だった。




      ◆




 ───その日の夜。

 俺たちは街道を少し逸れた場所で野営の準備をしていた。


 元より、毎日宿に泊まれるほどの金銭的な余裕などない。

 こうして野営になる日があるのも、全員が知っていた。


 想定していただけあって、教官の動きは迅速だった。

 荷物の中から簡易式テントを引っ張り出し、さっさっと張り終えると、全員に指示を出す。


 女性陣は荷物の見張り。

 男性陣は食料調達。

 そして俺は───


「お前は余裕ないんだから特訓してろ」


 ……そう言われ、俺は浮かせかけた腰を下ろし、再び蝋燭に向き直った。





 そして、少しすると男性陣が魚を獲ってきた。

 近くに川があったらしい。

 彼らほどの魔術師が集まれば、人数分の魚を獲ってくることなど朝飯前だろう。


 ───パチ、パチと焚き火の音。

 魚の焼ける良い匂いが、こっちまで流れてくる。


「……そんな離れた所にいないで、もっとこっち来りゃいいのに……」


 ウェィンの声。

 輪になって夕食の焼き魚を囲む仲間たちに背を向け、俺は一人蝋燭の小さな炎と格闘していた。


 朝から続けて……もう何時間だろうか。

 何本もの蝋燭を折り続け、集中力の限界などとっくに過ぎた。

 が、限界を超えたはずのに、俺はいまだに蝋燭に風を送り込むことが出来ている。


(あと少し……もう少しで、何か掴めそうな感じがするんだ……)


 限界を超えた先。

 もはや疲れなど感じない。

 今の俺は、ただこの小さな炎に微風を送り続けるだけの機械───。


「……」


 もしかして、教官が狙っていたのはこれなのだろうか。

 と、頭の片隅で考える。


 五日のタイムリミットを設定すれば、俺は必死になって特訓に打ち込む。

 そしてこの状態になり、魔力コントロールに必要な『何か』を掴むと、それを狙って───。



「……いい加減、少し休んだら? 頑張り過ぎも体に毒でしょうに」


「せめて何か食べないと……お魚、なくなっちゃいますよ?」


 二人の少女の、心配するような声が聴こえた。

 ルフィナとアマリリスだ。

 ……教官は、何も言わない。


『おい、あまり根を詰めすぎるなよ……いや、今のお前に何を言っても無駄か』


 いつの間に側に来ていたのか。

 バルバトスの声がした。


『なあ、提案なんだが。食べながらそれをやる、というのは、お前の頭の中には無いのか?』


 俺だって、できるならそうしたい。

 というか、そうしてる。

 しないのは、できないからだ。


 ちょっと前に気付いたのだが、たぶん片手で風を送り込むよりも、両手でやった方が効率がいい。

 もちろん、放つ魔力は片手の倍になる訳だから、普通にやれば火は簡単に消えてしまう。それだけ手の平から放出する魔力も抑えなければいけない。

 しかし、こっちの方が負荷がかかるから、特訓としては片手でやるよりも効率は良いのだ。


「……」


 だから今の俺は、両手を蝋燭にかざした姿勢。

 当然、こんな状態では食事もできない。


 そう答えてやりたいのだが、悲しいことに特訓中は言葉を話す余裕もない。

 全神経を魔力コントロールに集中させて、それで手一杯なのだ。


『……仕方がない』


 すっ……と気配が遠ざかる。

 かと思えば、新たな気配。

 誰かがタッタッタッ……と駆け寄ってくる。


「ア、アレンさん!」


 ユノだった。


「なんにも食べないで特訓続けてたら倒れちゃいますよ! ……って言っても、今のアレンさんは手が離せないんですよね」


 そうなのだ。

 俺も腹が減ったし、この辺りで切り上げたいのは山々なのだが、あと少しで何か掴めそうなのに諦めるのは、勿体ない気がしてならない。


 そう伝えたいが、生憎と声も出せない状態。

 歯がゆい思いをしていると、ユノは続けた。


「だ、だから! 手が離せないアレンさんの代わりに、私が食べさてあげますねっ!」


 ───そう言って、ユノは俺の傍らに腰を下ろした。



「……」


 これは……どういうことだ?

 食べさせる?

 ユノが? 俺の代わりに?


 困惑する俺の目の前に、串に刺さった焼き魚が差し出される。


「く、口を開けてください」


「……」


「はい、あーん……」


 何故言い直した。

 ユノよ、何故そっちの言い方に変えた。


「あ、あーん……」


「……」


 ───観念して、口を開ける。

 年下の女の子に食べさせてもらうなんて、少々恥ずかしいが……背に腹は変えられない。


 俺は魚にかぶり付いた。


「……美味しいですか?」


 コク、コク。

 首を縦に振る。


「えへへ……良かったぁ」


 可愛いなぁ、ユノは。

 妹がいたら、こんな感じなのだろうか。

 彼女が女子寮で人気の理由がわかった気がする。


 そんなユノに何とかして感謝の意を伝えたいのだが、今の俺は意思疎通の手段を持たない。

 何とかならないだろうか。

 そう思っていると、何かを察したようにバルバトスが木の枝を広い、カリカリと地面に文字を書いた。


『ありがとう、だそうだ』


 ナイスッ!

 ナイスだバルバトス!

 お前今、契約してから……いや召喚してから一番良い働きしたぞ!


「えへへ……どういたしまして。あっ、お水飲みます?」




 ……まあ、ちょっと恥ずかしい思いもしたが。

 俺はユノのお陰で腹を満たすことができた。



 ───特訓はまだまだ続く。

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