03.少女ユノ
───さて。
何とかこうして、学園まで帰ってきた訳だが……。
教会で見つけた金髪女からの手紙。
あれがどうにも気にかかる。
取り敢えず、俺は手紙の指示どおりに銀髪のあの子に会いに行くことにした。
したの、だが……。
「……」
『入らないのか?』
「いや、入る……けどさぁ」
俺は今、女子寮の前で立ち尽くしていた。
俺が鏡の世界で助けたあの子は、普段は女子寮の空き部屋で寝かされている。
初めのうちは医務室にいたのだが、怪我もなくただ寝ているだけだと判明したので、こっちに移されてきたのだ。
「……」
だから、女子寮に入らない限り、あの子の様子を見ることもできないのだが……。
(ここ、良い思い出がないんだよなあ……)
……まあ、男子が女子寮で良い思い出があったら、それはそれで……おかしいと言うか、問題な気もするが。
とにかく、入りづらいのだ。
こうして銀髪少女の様子を見るために女子寮を訪ねることは、初めてではないが、毎回ここで足踏みしている気がする。
しかしいつまでもここに突っ立っている訳にはいかないので、俺は諦めて入り口に近付いた。
扉の横に立っている止まり木にいたフクロウが、こちらを見た。
『……何の用事?』
誰か女子生徒の声が問う。
俺に『前科』があるせいか、口調どころかフクロウの目まで鋭い気がする。
「例の子の様子を見に来た」
『良いでしょう、入りなさい。一階の奥の部屋よ』
知ってるよ、と心の中で返しながら、中へ。
以前ここで酷い目にあった記憶を、意識して思い出さないようにしながら、彼女が眠っている部屋へと向かう。
部屋の奥にあるベッドに、彼女はいる。
目を閉じ、毛布の下で薄い胸を微かに上下させる少女。
変わらず綺麗な銀髪がサラリと枕へ流れている。
初めて合った時は汚らしい格好だったが、今は世話をしてくれている女子生徒たちのお陰もあって、清潔に保たれているようだった。
───あの日から、変わらず彼女は眠り続けている。
あの首輪による精神服従は、やはり被害者の精神にかなりのダメージを与えるようだ。
肉体の傷を治癒魔術で直せても、心の傷までは治せない。
ましてや眠ったまま目覚めないのであれば、尚更だ。
「……」
俺はベッド横の椅子に腰掛けた。
バルバトスは姿を消したまま、入り口の扉の横に腕組みをして立っている。
この少女は女子生徒たちに随分可愛がられているらしい。
共通の妹が出来たみたいな感覚、とはルフィナが言っていた言葉だ。
部屋の中には花やぬいぐるみなど、お見舞いの品らしき物が沢山あった。
ボロ布のような服も、今は誰かのお下がりらしき可愛らしい寝間着に着替えさせられている。
……多分、今は下着も履いているのだろう。
「こんだけ愛されてるんだ。そろそろ目を覚ましてもいいんじゃないか……?」
金髪女曰く、もうすぐ目覚めるとのことだが。
それは、一体いつのことなのか。
この子には聞きたいことが沢山ある。
他の連れ去られた人とは、明らかに違う扱いを受けていたからだ。
あの場にいた誰に聞いても、「知らない」「そんな子がいたんだ」とだけ。
名前も素性も知れない、正体不明の少女。
彼女は、一体何者なんだろうか。
何故、あの場所にいたんだろうか。
そんな思いを抱え、俺はしばらく眠り続ける少女を見ていた。
───と、
「うぅん……」
と少女が微かに呻いた。
「!」
ゆっくりと、瞼が開く。
焦点の合わない赤み瞳があちこちと彷徨い。
やがて、俺を捉えた。
「……ぁ」
そのまま、少しの間見つめ合う。
「……あれ、わたし、なんで……。ここは……?」
少女は体を起こそうとした。
だが数日の間ずっと寝ていたからか、ぐらりと倒れそうになってしまう。
俺は慌てて彼女を受け止めた。
「お、おい。あまり無理するなよ、ずっと寝たきりだったんだから……」
「え……。私、ずっと……?」
俺は少女に今までの事を話した。
ヴィルムリンドのこと、鏡の世界で少女と出会ったこと、首輪のこと。
少女は不安そうに、しかししっかりと俺の話を聞いていた。
「そう……ですか。そんなことが……。じゃあ、アレンさんが私を助けてくれたんですね」
「ん……まあ、そういうことになるのかな……?」
何だかむず痒い感じがして、俺は別の話題を探した。
「それよりも……名前、君の名前を教えてくれよ。いつまでも『君』じゃ、やりづらくてさ」
「名前……」
ポツリ、と少女は呟いた。
ストン、と手元に視線を落として、しばらく停止。
そして、顔を上げた。
赤い瞳が俺を見つめ
「私は、ユノ……。ユノ・レイスと言います」
ペコリと頭を下げる。
「よろしく、お願いします」
「ああ。よろしく」
───それが、俺とユノとの出会いだった。
「それじゃあ、ユノ。ユノの話を聞かせてくれないか? 色々聞きたいことがあるんだ」
「良いですけど……あまりお役には立てないかもしれませんよ……?」
ユノは困ったように笑った。
「私、何だか記憶が曖昧で……」
「記憶が……!?」
これも首輪の影響だろうか。
ずっと寝たきりだったせいで、まだ脳が完全に覚醒していないからかもしれないが……。
話を聞いて見たところ、ユノが覚えているのは、ほんの少しのことだけだった。
自分の名前。父親がいた事。父親と二人で、人里離れた場所で暮らしていたこと。
そして───。
「あの日……お父さんは出かけてて……。覚えてるのは、動物の鳴き声と、黒いオオカミみたいな生き物と……」
そこまで言って、ユノを目を閉じた。
苦しそうに頭に手を当てる。
「……すみません。これ以上は……」
「わかった、もう十分だ。無理させて悪かったな」
「すみません……」
「いいんだ。……今日はもう帰るよ。ゆっくり休むんだ」
「はい……ありがとうございます」
しかし、結局ユノとヴィルムリンドとの関係はわからずじまいか……。
待遇は奴隷のそれとはいえ、ユノは明らかに特別扱いされていた。
やはり、何かあるとしか思えないが……。
「あの……すみません、一つだけ……いいですか?」
「ん?」
部屋を出ようとした所でユノに呼び止められ、俺は振り返った。
ベッドの上で、ユノは不思議な顔をしていた。
「あの、そこの女の人は、どうしてずっと何も言わないんですか?」
「え……?」
女の人、だと……?
まさか……いや、そんなはず……。
「……女の人、って」
「そこのドアの横で、腕を組んで立っている女の人です。どうして、ずっとそんなところで黙ったまま……」
つい、とユノが『女の人』を指差した。
その先には────。
瞠目したバルバトスが立っている。
「あっ、すみません。そういう人も、いますよね……。ただ無口なだけですよね……。なのに、私……」
「ユノ……こいつが見えるのか……?」
「え……み、見えますけど……」
馬鹿な。
俺とバルバトスは思わず顔を見合わせた。
姿を消した悪魔が見えるだと?
そんな、あり得ない。
契約者である俺以外の人間に見ることができるなんて……。
それも、魔術師でもないただの少女に。
「どういうことだ、これは……」
『……さあ、な。私にもわからない』
流石のバルバトスも、これには動揺しているようだった。
「姿を消している間、お前は俺以外の人間には見えなくなってるんじゃなかったのか?」
『いや、例外として、あの子どもが私以外の他の悪魔と契約していた場合、私の姿を見ることはできる……。だが、あんな魔術師でもないただのガキが悪魔の契約者だとは、到底思えない……』
それに、あいつが悪魔の契約者なら私も同胞の気配を感じ取れるはず───とバルバトスは言った。
……ますます、わからない。
「あ、あの、私、何かいけないことをしてしまいましたか……?」
俺とバルバトスが話す様子を見て不安になったのか、ユノが声を上げた。
「いや大丈夫だ」と、彼女を一旦の安心させて、俺はもう一度ユノに訊いてみる。
「確認の為にもう一度訊くけど……ユノ、こいつが見えるか?」
『おい、こいつって言うな』
「はい、見えます……。あ、でも声は聞こえません。何か言ってるのは見えるからわかりますけど……声は……」
「そうか……」
どういう理屈なのかはわからないが、やはりユノにはバルバトスの姿が見えているようだった。
「……どう思う?」
『さあな。さっぱりだ』
そう言って、バルバトスは透明化を解除した。
気配が一気に色濃くなる。
「ユノと言ったな。私はバルバトス。そこのへっぽこの使い魔だ」
「おい、へっぽこって言うな」
「わあ、今度は声が聞こえます!」
何やらお喋りを始めるバルバトスとユノ。
気が合うのだろうか、何だか仲が良さそうに見える。
……クラリスの時もそうだったけど、バルバトスってコミュニケーション能力が高いのか?
(俺の時はめちゃくちゃ辛辣だった癖に……)
と、二人の様子を見ていた俺は、あることに気付いた。
そういえば、このユノの赤い目。
あまり見ない、珍しい目の色だ。
(もしかして、この目か……?)
この赤い目が、何か特別な力を持っているのだろうか。
……いや、考え過ぎか。
なんにせよ、ユノが目を覚ましたのはめでたいことだ。
今は、それを喜ぼうじゃないか。




