07.透明の男、占いの女
《偉大なる魔術師たちを讃える祭り》は学園の名物の一つである訳だから、客は平民だけではない。
当然、貴族たちも集まってくる。その護衛も。
彼らが移動に使った馬たちは、学園指定の厩舎へ連れて行かれることになっている。
───暴れ出したのは、その厩舎へ移動中の一頭だった。
血走った目で身をよじりながら咆哮し、何かを振り払うように前足を上げて暴れる。
棹立ち、と呼ばれる体勢。
絵画などでよく見る、前足を上げて後ろ足二本で立つあれだ。
馬を引いていたのは、若い馬丁だった。
驚いて、思わず縄を離してしまう。
自由を手に入れた馬は、血走った目で虚空を睨むと、そのまま走り出した。
───基本的に、馬は穏やかで人に従順だ。
しかし同時に、非常に憶病で用心深い動物でもある。
思い通りに動かすには調教が必要だし、まず人間に慣れて貰わなくては、健康な状態を保つこともできない。
だから、貴族たちが使うのは、当然調教済みの馬だ。また気性の荒い馬よりも、比較的大人しい個体の方が好まれる。
突如暴れ出す、なんてことは、到底考えられないはずだった。
観客にとっても、誰にとっても、予想外の事態だった。
咄嗟の反応はできなかった。
「─────!」
暴れ馬は躊躇いなく人混みへ突進していく。
目の前に馬の蹄が迫ってきたところで、ようやく人々の思考は現実に追い付いた。
ざわめきが、悲鳴へと変わる。
観客たちは我先にと逃げ出した。
異変の前兆を感じていたアレンは、逃げ惑う人並みの中を逆走し、暴れ馬の目の前へと飛び出した。
この場にいるほとんどの人間は、皆無力だ。
ならば、彼らを守るために、戦える者が戦わなくてはならない。
そして、自分にはその力がある。
たとえ弱くても、ここで逃げ出すのは正しい行いではない。
「Barriere!」
不可視の障壁が、振り上げられた蹄を弾く。
稼げた時間は、ほんの一瞬。
障壁は一撃の元に呆気なく砕かれ、アレンはその衝撃で地面を転がる。
馬は少しよろめいたが、いまだ正気に戻った様子はない。
涎を撒き散らし、錯乱した様子で、転がったままのアレンに突っ込んでくる。
(やば……ッ!?)
馬蹄が振り下ろされ───。
「《暴威の粘土細工》!」
間一髪、追い付いたウェインの魔術が完成する。
突如地面から出現した土の壁に、馬は驚き、たたらを踏んだ。
アレンと馬の間に飛び込んできたウェインが振り向く。
「大丈夫か、おい! 蹴られてないか!?」
「平気だ」
転んだ時に打ったのか、少し痛むが問題ない。
手を付いて立ち上がる。
「えらいことになったな」
悲鳴が遠ざかっていく。
人々が逃げ出すだけの時間はなんとか稼げたようだ。
馬は怯えたように前足を蹴り付けていた。
よく見れば、砂粒が蟻の軍隊のように馬の足に絡み付いている。ウェインの魔術だ。
今はなんとか足止め出来ているが、これを振り払われたら、今度こそまずいことになる。
「急に様子がおかしくなるなんて……。何か原因があるとしか思えない」
「何者かの魔術。暗示か幻術か……。それしかないな」
ぼやくアレンに、返すウェイン。
ふとウェインが振り返る。
「何か感じないのか?」
「なんでそれを俺に聞くんだよ。お前の方が……」
「いいから。ちょっと探ってみろ」
アレンは何か言い返そうとしたが、諦めて目を閉じた。
神経に意識を集中させ、気配を探る。
「馬の方は俺が抑える。お前はそっちに集中しろ」
「……おう」
──突如として錯乱し、暴れ出した馬。
その姿からは恐怖が見て取れた。
それほどまでに恐れる理由は、原因は、一体何だ。
魔術によって錯乱したのだとしたら、術者はこの近くにいるはず。
しかし、この場にいるのは自分たち二人のみ。少し離れた所に、他の生徒が数人。客たちは遠くへ。
一体、どこから……。
「……!」
見つけた。怪しい気配を。
と、同時に、アレンは愕然と目を見開いた。
馬鹿な。ありえない。
なんで……気配が馬上にあるんだ──!?
馬の背に人の姿は見えない。
が、自分の感覚は確実にそれを感じ取っていた。
「そこに、いるのか……!?」
アレンの視線と表情から敵の位置を推測したウェインが、驚愕しながら言う。
その言葉に答えるように、馬の背中の上に、朧な影が現れた。
『……』
「!」
そいつは、透明な男だった。
その体に色はなく、透き通っていた。服も、髪も、肌も、全てが透き通っていた。注意しなければ、景色と同化して気付くことができないくらいに。
男は無感動な瞳で二人を見つめている。
思わず、背筋に冷たいものが走った。
(コイツは……ヤバいッ!)
そう直感したウェインは、後方の生徒たちを振り返って怒鳴った。
「何してる!? 早く手伝え!」
それまで呆然と事の成り行きを見守っていた生徒たちは、ウェインの一喝で慌てて駆け寄ってくる。
そして、それぞれが魔術で馬を拘束したり、正気を取り戻させようとした。
その中に、透明の男に対してリアクションを取る人間はいなかった。
(俺たち以外には見えていないのか……!?)
周囲の反応から即座にそう判断する。
恐らく、優れた感知能力を持つアレンと、総合的に高い力を持つウェイン以外の生徒には、この透明人間の気配を感知する事すらできないのだ。
拘束された馬は、生徒たちの尽力の影響もあり、徐々に落ち着きを取り戻していた。
透明男は、それを無感動な目で見つめていた。
『……潮時か』
ぼそり、と呟くと、透明男はふわりと浮遊した。
そのまま飛び去ろうとする。
「逃がすか……ッ!」
「ここは任せた!」
後に残された生徒たちは、いきなり走り出した二人の背中を呆然と見つめるのだった。
透明な背中を追いかけながら、アレンは前方に手を突き出した。
狙いを定め、唱える。
「Startenッ!」
掌から発射された魔弾が、透明男へ向けて一直線に飛んでいく。
そしてその胸を貫いた。
「……!?」
いや、違う。貫いたのではない。
アレンの魔弾には、そこまでの貫通力はない。
今のは────すり抜けたのだ。
『……』
透明男は一度振り向くと、ニィと笑った。
挑発的な笑みだった。
「だったら……!」
今度はウェインが唱える。
「Der heilige Wind weht weg.Lass es los──!」
それは、対幽霊専用魔術。
実体を持たず、怨念によってこの世にしがみつく魂であるゴーストを、祓う為の魔術だ。
「《破邪の旋風》!」
聖なる風が踊り狂う。
その場の空気そのものが、まるっと入れ替わるような錯覚。
清廉な気をはらんだ波動が透明男へ襲いかかる。
だが────。
『……ふっ』
透明男は小馬鹿にしたような表情を浮かべただけで、まるで攻撃が効いているようには見えない。
並のゴーストなら苦しむのはおろか、これだけで消滅する者もいるというのに。
(まさか……ゴーストじゃない……?)
(なら、アイツは何者なんだ……!?)
二人の脳裏に同時に疑問が湧く。
が、瞬時に答えが出るはずもない。
透明男は雑木林の中に逃げ込んだ。
アレンとウェインも雑木林に突入する。
「クッソ! 速えぞアイツ!」
ウェインの口からは、思わず悪態が飛び出た。
何しろ奴は実体を持たず、あらゆるものをすり抜けることができる。
この鬱蒼と繁った林の中でも、透明男は透過能力によって木々をかわすことなく、一直線に飛ぶことが可能なのだ。
いちいち邪魔な木や枝を避けて走らなければいけない二人は、どんどん引き離されてしまう。
どんどん遠くなる背中。
姿を捉えにくいのもあり、今や完全に見えなくなった。
それでも、アレンの感知を頼りに必死に追う。
二人は雑木林から飛び出した。
辺りを見渡す。敵の姿は見えない。
「野郎、どこへ消えた……!」
「気配は感じる。まだ逃した訳じゃない」
歯がみするウェインと、注意深く辺りを探るアレン。
やがてアレンが歩き出した。
「……たぶん、こっちだ。僅かにだけど、気配を感じる」
そう言いながらも、アレンは違和感を感じていた。
(何だ……? 気配の『質』が変わった……)
“気配”と言ってはいるが、アレンが探知しているのは、正確に言えば魔力だ。
魔力の『質』によって個人を特定し、それを感知して位置を探っている。
だから、さっきまで追っていた魔力の『質』が変わることなど、通常はありえないはずなのだ。
疑問を抱きながら、アレンは進む。
そして辿り着いた。
「……ここだ。近くにいる」
二人は周囲を見渡した。
……透明男の姿は見えない。
見覚えのある景色だった。
人気はなく、少し離れた所に、ポツンと屋台が一つ。
『あなたの運勢占います』の看板が立て掛けられている。
「腐女子先輩の屋台だ」
ウェインが呟く。
「誰だよそいつ」
「俺とお前をネタに気味の悪い想像してた占い師の女だよ」
「あの人そんなことしてたのか!?」
「気付いてなかったのかよ……」
その屋台は、確かに二人を占った女子生徒のものだった。
ここからは姿がよく見えないが、きっと相変わらず暇を持て余しているのだろう
「……離れてもらった方が、良いよな」
彼女がどのくらい戦えるのかは不明だが、往々にして、占いの授業を好んで受ける生徒は戦いを得意としない。
実技を重視するデルタミヤ学園では致命的にも思えるが、それでも何故か卒業できるのが、彼ら彼女らの不思議だ。占いで上手いことやってるのではないか、とウェインは思っている。
「俺はもう少しここで奴を探してみる。ウェインは先輩を頼む」
アレンの言葉に頷き、ウェインは屋台に向かって歩き出した。
近付いてみるとわかったが、どうやら彼女は、設置されたテーブルに突っ伏して眠っているようだった。
あまりにも客が来ないものだから、暇すぎて睡魔に負けてしまったのだろう。
「……」
呑気に寝る女子生徒───腐女子先輩を見下ろす。
そういえば、彼女の占いは当たっていた。
『馬に気を付けろ』というあの言葉。結局活かすことはできなかったが、彼女は未来を言い当てていた。
「先輩、起きてください」
声をかけてみたが、起きる気配はない。
肩を揺さぶってみようか。そう思った時、腐女子先輩はガバリと状態を起こした。
「……」
ぼんやりとした目。
寝ぼけているのだろうか、目の焦点が合っていない。
「先輩、悪いんですが、しばらくここを離れててくれませんかね。ちょいと面倒なことが始まるんで……。ああ、どうせならこの際、屋台を動かしてみたらどうです? きっとお客さんも激増ですよ」
ぼーっとしている腐女子先輩に話し掛けてみるが、反応はない。
どこか様子がおかしい。
ウェインは訝しんだ。
「先輩? おーい、せんぱーい?」
顔の前で手を振ってみる。
反応はない。
「おい、ウェイン!」
「ちょっと待っててくれ! 今先輩を……おいちょっと! 何ぼーっとしてるんすか! 寝起き最悪かよ!」
後ろからの呼びかけに振り向かないまま返し、ウェインは先輩の目の前でブンブン手を振る。
肩も揺さぶってみる。
しかし、やはり反応はない。
後ろでアレンが何かを怒鳴っている。
上手く聞き取れない。
待っててくれと言ったのに。
「いつまでボケッとしてんだ! ああクソ、どうすりゃ起きてくれんだ……!? 目の前でアレンと濃密な絡みを演じてみるか……!?」
チラリ、と顔色を伺う。
───反応は、ない。
おかしい。いくらなんでも、おかしい。
普通じゃない。これは……何か、奇妙だ。
ウェインは振り返った。
「アレン! 先輩がおかしい! 何かわからないが……とにかく様子が───」
瞬間、気配を感じた。
アレンじゃなくてもわかる。これは───殺気。
咄嗟に振り返る。
「───ウェイン!」
同時に、アレンの叫びが耳朶を叩いた。
「違うんだ! 違ったんだ! そいつは先輩じゃないんだ! 肉体は先輩だが、そいつは……!」
無表情の女子生徒。
───その無感動な眼差しには、見覚えがある。
「そいつが、透明の男なんだ───!」
女子生徒が、ニタリと嗤う。
───ウェインの胸を、衝撃が貫いた。




