06.異変
謎の美女と別れたウェインは、その後無事にアレンと合流した。
「いやー、お待たせ。トイレ混んでてさぁ」
「本当にそれだけか? 途中でナンパとかしてたんじゃないか?」
「ソンナコトナイヨ」
「……まったく」
呆れたような口調とは裏腹に、アレンの表情に嫌そうな色は見えない。
ウェインがどういう奴なのか、もう理解しているからだ。
───辺りを見ると、他の客たちの多くは休憩所へと集まってきているようだった。
時間帯で言えば、今はまさに昼食の時間だ。落ち着いて食事ができる場所を求めてきたのだろう。
だが、アレンとウェインは、二人とも朝から色々な屋台で買い食いしていたため、あまり腹は減っていない
二人のような客たちは休憩所には向かわず、それぞれ昼飯時なのも忘れて祭りを楽しんでいるようだった。
空腹も感じず、かと言って特に何かすることがあるわけでもなく。
行く宛もなく、二人はふらふら歩き出した。
「これからどうする? 次はどこ行くよ?」
「食べ物屋はあらかた周ったな。となると、何か出し物やってる所にでも行くか」
確か、何人かの生徒が集まって劇をやる、なんて話をどこかで聞いた覚えがある。
あとは、魔術を使ったショーなどもやると。
そういうのを見に行くのも悪くないかもしれない。
「んじゃあ、劇見に行くか。開演まではまだ時間あるし、途中で色々寄ったりしながら……」
そう言いつつ、ズボンのポケットに手を突っ込むウェイン。
───その動きが、停止する。
「……アレ?」
「どうした? まさか……」
最悪の未来図が脳裏に思い浮かび、アレンは思わず顔をしかめた。
「財布、スられたのか?」
「いや、違う」
なんだ、違うのか。アレンはホッと息をつく。
が、すぐに表情を改めた。
違うと言うのならば、何があったのか。何が問題だ言うのだろうか。
「違うんだ。逆なんだよ……」
「逆?」
ウェインはポケットから手を引き抜いた。
その手にはハンカチが握られている。
フリルの付いた、女物のハンカチが。
「……もちろんこれは俺のじゃないし、どこかで拾った覚えもない。でも、ポケットの中に入っていたんだ。いつのまにか、知らない間に」
気付かないうちに奪われる、スリとは逆。
気付かないうちに、ポケットの中に突っ込まれていた。
見覚えのないハンカチが。
「誰かに入れられたってことか? でも、誰が……」
「……心当たりはある」
そう、一人だけ。
ウェインの脳裏には、フードを被った金髪の美女の姿が浮かんでいた。
彼女との接触。
たった数分前のそれは、互いの体がぶつかることで始まった。
このハンカチが他人によって入れられたものだとしたら、そのタイミングはあの瞬間しか考えられない。
「でも、何の為の行動なのかがわからない……。俺のポケットに女物のハンカチなんて突っ込こんで、一体何がしたいって言うんだ?」
二人で頭をひねるが、当然わかるはずもない。
一旦思考を中断する。
「で、どうするんだ? それ」
「とりあえず、運営本部に届けることにするよ。このまま俺が持ってても仕方ないし」
──入場ゲートの近くには、運営本部のテントが設置されている。
落とし物などを拾った際は、そこに届ける決まりになっているのだ。落とし主が本部テントを訪れると、ボランティアの生徒などの運営スタッフが代わりに手渡してくれるシステムになっている。
件の金髪女がハンカチを取りに来るとは到底思えないのだが、本部に届ける以外には方法が見当たらない。
本部テントは劇場からさほど遠くはないし、劇が始まるまでの適当な時間つぶしには丁度いいのではないだろうか。
「じゃあ、本部行くか」
「おう」
ウェインたちは運営本部へ向かって歩き出した。
◆
「はい、確かにお預かりしました」
「んじゃ、よろしくお願いしまーっす」
運営スタッフにハンカチを渡し、二人はテントを離れる。
前を歩いていたウェインが唐突に振り向いた。
「思ったより早く済んじまったな。おかげでまだ時間が余ってる。どうだ? また何か買って食べねぇか?」
「俺はもう腹に入らないよ」
「嘘だろ? 俺ら育ち盛りなんだからまだまだ行けるって。それに、ほら、劇見てる間に腹が減るかもしれないだろ? 買っといて損は無いって」
確かに一理ある。アレンは思わず押し黙った。
劇が始まれば席を立つことはできない。今は空腹は感じないが、食べた時間帯が時間帯だから、変な時間で腹が減るかもしれない。
それに、食べ物系の屋台が一番混むであろうこのタイミングを逃せば、ほとんど売り切れてしまうことも考えられる。
そうなれば答えは一つだった。
「……何か買っておこうか」
「そうこなくっちゃ!」
ウェインは破顔する。
「あれ買おうぜあれ! ほら、あの串焼き! あれ美味かったよなぁ、買うならあれ一択だろ!」
昼飯時だから混んでるかもしれないが、まあ多分開演には間に合うだろ。
そう能天気に笑って歩き出すウェインの背を見て、アレンは息をついた。
この男が相手だと、どうにも調子が狂う。狂って仕方がない。
口論になっても、何故だか言いくるめられてしまう。反論してものらりくらりとかわされ、結局余計に疲労することになるのだ。
気に入らないし、うんざりする。
でも、一番辟易するのは、そんな彼をいつの間にか許して、受け入れてしまっている自分なのだ。
……今だって、最初は嫌々だった祭りをいつの間にか楽しんでしまっている。
ウェインも、最初はしつこく話しかけてくる程度だった。
でも、いつの間にか自分はそれを受け入れていて、ウェインはどんどん距離を縮めてきた。そして、その度にアレンは無自覚に接近を許してしまった。
今では勝手に部屋に入って来たり、無理やり一緒に祭りを周る約束を取り付けてきたりする始末だ。
受け入れたつもりはなかった。
アレンとしては、「追い払ってもまた来るし、面倒だから勝手にしろ」くらいのスタンスでいるつもりだった。
しかしそれが受け入れていることになってしまっていたのだ。
認めたくはないが、事実としてそうなっている以上、そう理解するしかない。
「……」
思えば、彼のように向こうからアレンに話しかけてくる人間は、今までいなかった。
故郷にいた頃は、皆アレンを気味悪がって近付こうとしなかった。
それなり仲の良かった相手もいたが、彼らもアレンの元から離れていった。
誰かと深く関わることがなくなっていた。
悲しみも、楽しみも、共有することなどない。一人で抱え、一人で噛みしめる。
この身は大多数の住む世界から離れた、『あちら側』にいるのだと認識していた。
それで良いと思った。
元より自分で望んだことだ。後悔はない。
でも、きっと寂しかったのだ。
だから来る者を受け入れた。一人が怖くて。
(そういえば、ルフィナも……)
天生の才能ゆえに、入学早々多くの生徒から尊敬の眼差しを集めている彼女ではあるが、いまだに友達らしき人物と一緒にいるところを見たことはない。
多少改善されたとはいえ、元々引っ込み思案な性格だ。それが災いしてしまっているのだろう。
ああ見えて、結構寂しがりだ。
手を差し伸べてやるのも、幼馴染の務めだろうか。
(明日はとことん付き合ってやろうか)
人混みは徐々に数を増していく。
思考の海の中にいたアレンは、すっかり人並みに揉まれてウェインの姿を見失ってしまった。
勝手にいなくなったと思われると面倒だ。
後でグチグチ言われるに決まってる。
捜して合流せねば。
「ウェイ……、?」
アレンの足が止まった。
全身の毛が逆立ち、肌がピリピリするような嫌な感覚が襲う。
首の後ろ、うなじのあたりに手を当てて撫でながら周囲を見渡す。
何もない。何もいない。
が、確かに感じた。
直感する。───これは、良くないモノだ。
ピリピリとした緊張は止まない。
背筋に冷たい氷を入れられたような寒気。
表情が険しいものに変わる。
神経を研ぎ澄まし、探る───。
「!」
───いた。
見つけた。微かだが、感じる。
後方。人並みの奥に。
アレンは踵を返し、雑多な人混みを掻き分けて走りだした。
一方、串焼きの屋台を目指して止まることなくずんずん進んでいたウェインは、付いてきてるとばかり思っていたアレンの姿が見えないことに気付いた。
慌てて辺りを見渡す。
「あれ? アレンの奴どこ行った?」
きょろきょろと首を動かして視線をあちこち彷徨わせていたウェインは、ようやく人混みの中に見慣れた顔を見つけた。
「おー、いたいた」
ホッと息を吐いてそちらへ向かおうとした、その時。
ウェインの全身に緊張が走った。
「……! これは……一体……!?」
嫌な感覚だ。
反射的に周囲を見渡す。
近くにはちらほらと生徒たちの姿も見えたが、彼らに変わった様子は見られなかった。
(気付いては、いないか……)
見渡していて気付いたご、どうやらこの近くにいるのは生徒だけらしい。
間の悪いことに、監督役の教師は席を外しているようだった。
頼れる人間は、いないということだ。
視線を巡らせながら警戒態勢をとっていたウェインは、アレンもまた真剣な表情をしていることに気付いた。
(アイツも気付いたっぽいな)
が、先に気付いたのは間違いなくアレンの方だろう。
本人に自覚はないが、感知と探知については、彼の能力は凄まじいものだ。
精度も、速度も。彼のそれはウェインよりも優れている。
ウェインには、自他共に認める魔術の才能がある。
ジェイルはそれ以上のものを持っている。
対して、アレンに才能はない。
だが、彼は持っている。
ウェインにもジェイルにもない、特別な何かを。
まるで何年も厳しい鍛錬を耐え抜いてきたような、特化しているが優れた感知能力を。
そのアレンが感じ取ったということは、この感覚は決して間違いではないということだ。
ウェインは人混みを掻き分け、喧騒に飲まれぬよう大声で友人を呼ぼうとした。
「おい、アレン────」
瞬間、悲痛な嘶きが喧騒を引き裂いた。




