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43.逆転の一手

 狂獣の咆哮が響き渡る。


「……!」


 猛々しい雄叫びを上げて迫る巨体に、俺は正面から突進した。

 ぶつかる寸前、スライディングの姿勢をとる。

 床の上を滑り、獣の脚の間へ。


 獣の真下に滑り込む。

 視線を上に。

 見えるのは獣の腹。

 手をかざす。


「おおおおおおッ!」


 最早余裕など無い魔力を、必死に振り絞る。

 練り上げた塊を腹部に叩き込む。


「■■■■ッ!?」


 衝撃に一瞬獣の体が浮く。

 床を転がり、奴の下から抜ける。


 獣がよろめく。

 俺は立ち上がる。

 ──クレイグが走ってくる。


「オラァ!」


 ドロップキック。

 まともに食らう。


「がっ……!」


 床の上に倒れる。

 すかさず飛んでくる蹴り。上から振り下ろすように。

 腹に突き刺さる。


「ぶ………!?」


 こみ上げてくる何かを飲み下し、俺はクレイグを睨んだ。

 こめかみに青筋を浮かべたクレイグが、容赦なく二発目の蹴りを放つ。


「が、ぁ……!」


 突き抜ける衝撃。

 意識が飛びかける。

 喘ぐ俺に、三発目の蹴りが迫る。


「……っ!」


 体を回転させ床を転がり、寸前で避ける。

 床を蹴りつけたのとは逆のクレイグの足を、咄嗟に蹴り飛ばす。


 バランスを崩すクレイグ。

 すかさず詠唱。


Puppe(付き)npuppe(従え)ッ!」


 壁の残骸がふわりと浮かび、クレイグの元へ飛んでいく。

 拳大の石を腹に叩き付ける。

 クレイグはよろめいた。


Gefängnis(縛り上げろ)!」


 床に浮かぶ魔法陣。

 何本もの鎖がクレイグに絡みつく。

 腕。足。胴。全身を束縛する。

 これで身動きは取れない。


「■■■■■■────!」


 気配。

 聞こえたのは荒々しい咆哮。

 振り向きざまに障壁を貼る。


「ぐぅ………!」


 振るわれた巨獣の爪。

 何とか受け止めるも、そう長くは保たない。

 音を立てて障壁が割れる。


 爪は連続で襲い来る。反撃する隙など無い。

 脅威が迫る度に新たな障壁を作り出し、ギリギリで捌く。

 もし獣が本気で俺を殺しにかかっていれば、とっくにずたずたにされて死んでいただろう。


「……っ! ぐっ…!」


 衝撃を受け止めきれない。

 じりじりと、攻撃を受ける度に後退する。

 気を抜けば吹き飛ばされてしまいそうな一撃を、意地で意識を繋ぎ留めながら何とか切り抜ける。


「■■■■■■■ッ!」


 突進。

 両手で障壁を貼る。

 が、一瞬で弾け飛ぶ。


 二三歩よろめき、後退。

 そして瞠目。

 下から迫る、爪。


「■■■■■!」


 かち上げ。

 防御する暇もない。

 まともに入った。

 吹き飛ぶ体。ナイフが手を離れる。

 天井が一気に近付く。


 待つのは落下。

 このままでは床に叩き付けられる。

 いや、その前に───。


 脳裏をよぎるのは、鏡の世界での死闘。

 放り投げられた俺は、床に叩きつけられる前に落下地点に群がっていた獣にズタボロにされた。

 今、同じ目に合うのはマズい。


 視線を下に。

 落ちる前に敵を探す。

 待ち構えているであろう巨獣に反撃するために。


「────」


 探す。

 視線を左右に。

 見えるのは、瓦礫、瓦礫、縛られたクレイグ。

 ───獣は、いない。


「■■■■■■───!」


「!?」


 聞こえた咆哮。

 視線を上に。

 ───いた。


 空中で体を丸め、今まさにその長大な尾を俺に叩きつけようとしている。


(嘘だろ……!?)


 奴は、跳んでいたのだ。

 俺をかち上げたのと同時に。

 俺よりも高い位置へと、跳躍していた。


 ぐるんと回る獣の体。

 振り下ろされる尾。鞭のようにしなる。

 が、そのサイズは大木のそれだ。


「■■■■■■ッ!」


 雷のような衝撃が体を撃ち抜く。

 防御など意味をなさない。

 ななめ下に叩き落とされる。


 弾き飛ばされた体。

 壁の穴を抜け、外へ。

 そしてそのまま、俺は森の中へ突っ込んだ。


 視界が緑一色に染まる。

 バキバキバキと枝の折れる音。

 何本もの木を折り、ようやく止まった。


「……ぁ、が」


 呻きつつ、うっすらと目を開いた。

 どうやら吹き飛ばされた俺は、丁度良く太い枝の上に腰掛ける形ではまったようだった。

 枝やら棘やらが引っ掛かったのか、半裸の体には至る所に擦り傷ができていた。

 ……もっとも、擦り傷だなんて今更過ぎるが。


「……っ」


 何度も攻撃を受け止めた両手は血まみれだ。手の平の皮が弾け飛んで、今も血がだらだら流れ続けていた。

 腕には沢山の裂傷。稲妻が走ったような傷が多数。

 他にも、確認はできないが……背中から派手に叩きつけられたし、内出血も起こしているかもしれない。


「あと少し、保つかな……」


 頼むから保ってくれよ、俺の体。


 痛む体を押して身を起こす。

 おそらく、今のダメージでクレイグにかけた術は崩壊し、奴の拘束は解けただろう。

 いつ追撃に来るかはわからない。

 すぐにでもここを離れなくては。


 傍らにあった木の枝を掴もうとして、止めた。

 呆然と血塗れの手を見る。

 何かを掴める状態じゃない。

 こんな手じゃ、幹や枝を掴んで降りるのは不可能だ。


 仕方なく、俺はその場から飛び降りた。

 決して小さくはない衝撃。

 傷に響く。


「〜〜〜〜〜ッ!」


 唇を噛んで悲鳴を押し殺す。

 一瞬よろめいたが、何とか踏み留まった。


 周囲を見渡す。


 景色には見覚えがあった。

 学園の周りに広がる森だ。

 どうやらかなりの距離を吹き飛ばされたらしい。

 ……死んでなかったのが奇跡だな。


 歩き出す。

 痛みをねじ伏せて。


「……」


 俺の頭の中には、一つの希望があった。

 それは賭けみたいなものだったが、それでもこの状況において、俺がすがることのできるものは、それ一つしかなかった。


 逆転の一手。

 ここからのジャイアントキリングに欠かせないものが、この森にはある。

 ──ある、はずだ。


 歩を進める。

 全てが始まった、あの場所に向けて。




      ◆




 どれだけ歩いただろうか。

 いや、ひょっとしたら大した距離は歩いていないのかもしれない。


 何しろこんな体だ。

 限界なんてとっくに過ぎた。

 一歩進むだけで倒れそうになる。


 おまけにここは山の中。

 足場は悪いし、鬱蒼と繁った木々のせいで太陽の光は満足に届かない。

 魔術で明かりを作ろうにも、限界ギリギリの肉体強化と魔力砲の連射のせいで、俺の魔力はもうすっからかんだ。光球を作る余裕もない。


「っ」


 ふと足から力が抜けた。

 傍らの木に寄りかかる。

 目を閉じて天を仰いだ。


「よぉ〜やく見つけたぜ……アレン」



 ───低い唸りと共に、憎悪のこもった声が聞こえた。


「……クレイグか」


 息を吐く。


「こんなところまで追いかけて来て、ご苦労なことだな」


「テメェを徹底的にいたぶって殺すって決めちまったからよぉ〜。逃がすわけにはいかねーんだわ」


 目を開く。

 前方にクレイグ。

 その後ろには巨獣。


「時間稼ぎ、だったか? テメェの目的はよぉ。……それならお前の勝ちだ。それは認めてやる。俺はまんまと策に乗せられて、みすみす女を逃しちまったんだからな」


 ほらよ、という声と共にクレイグが何かを投げた。

 コロコロと足元まで転がって来た球体。

 目線だけを下に向け、俺はそれを見た。


 水晶玉だった。

 中には学園が映っている。


「見ろよ、結界の中に逃げ込まれちまった。お前の使い魔付きでだ。……これで俺にはもう手出しはできねえ」


「……」


「負けだ。俺の負けだよアレン」


 土を踏む音。

 クレイグが近付いて来る。

 獣は動かない。


「……この時点では、な」


「!」


 ぶんッと拳が振るわれた。

 顎を撃ち抜く衝撃。

 そのまま倒れる。


「ああ、負けたさ。でもよ、それは『この時点』での話だ。テメェをここでぶっ殺しさえすれば、そこからは華麗な逆転劇だ」


 倒れた俺の腕を掴み、クレイグは無理やり立ち上がらせた。

 拳が顎を撃つ。

 何度も。何度も。何度も。


「俺の! この最強の使い魔なら! 結界も壊せる! 怖いものなんて! 何一つ無い!」


 殴る。殴る。殴る。

 血を吐いた。

 歯が折れて欠片が宙を舞った。

 それでも、殴打は止まない。


「学園長のジジイはいねえ! ハーケンは召喚術を使えねえ! 俺を邪魔する奴は、誰一人いねえ!」


 クレイグは大きく振りかぶる。


「ここから先は、俺の勝ちだ───!」



 拳が、迫る。


 それを。

 俺は、受け止めた。



「!」


「……っ、……!」


 とてつもなく痛い。

 が、折れる訳にはいかない。


「お前を邪魔する奴は一人もいない、だと……? お前の使い魔が最強、だと……!?」


 ぐぐぐ、と腕に力を込める。

 傷が開き、おびただしい量の血が流れる。


 だが、止まらない。

 止めはしない。


「聞き捨てならないな……!」


「……!」


「お前の邪魔をするのは、俺たちだ……!」


 俺と。

 そして、アイツ。

 俺たち二人だ。


「そして────」


 クレイグの顔が歪む。

 それは恐怖か。それとも腕を捻られる痛みか。


 どうだっていい。知るかそんなこと。

 俺はただ、あの子の為にこの拳を振るだけだ。

 


「最強なのは……俺の使い魔(バルバトス)だッ!」



 繰り出した一撃。

 綺麗に顎を捉える。


「ご……ッ!?」


 大きくよろめくクレイグ。

 俺は右手を振り抜いた姿勢のまま、奴を睨んだ。


「お前の逆転劇なんてありゃしない。あるのは、俺たちの逆転劇だ。ここから全部ひっくり返す。たった一手で、全てをな」


 体を起こし、クレイグは俺を睨んだ。


「偉そうに……最弱が偉そうな口を叩くんじゃねえ! お前の使い魔が最強だ!? ああそうかよ! でもその使い魔はここにはいねえんだよ! テメェはここで俺に殺されるんだよ!」


 声を荒げ、肩で息をするクレイグ。

 俺は静かに息を吸った。


 ───ああ、そうだ。

 バルバトスさえいれば俺の勝ちだが、生憎アイツはここにはいない。

 最強の武器も、手元になければ意味がない。

 だが────。


 手元に無いのなら(・・・・・・・・)呼び寄せれば(・・・・・・)良いのだ(・・・・)


「確かに、アイツはここにはいない……」


「だったら!」


「いないからこそ、これから呼ぶんだ(・・・・・・・・)


 その為に必要な情報は既に得ている。

 全て。これまでの道程で得ている。


「これから呼ぶ? 馬鹿言うんじゃねえよ」


 クレイグは笑った。


「事前に準備でもしてたってのか? 逆転の布石を?」


「ああ、してたね。その布石ってヤツを」


「!」


「──三週間前の、あの夜から」


「何を……」


 薄く笑い、俺は駆け出した。

 ボロボロの体で必死に走る。

 自分でも信じられない速度だった。


「追え! アイツを追え──!」


 背後からクレイグの叫び。

 獣の咆哮。

 が、振り返らない。それよりも足を前に出す。


「はあ……! はあ……!」


 倒れた木を飛び越し。

 岩の間をくぐり抜け。

 俺は、その場所へと────。



「構わねえ! 殺せッ!」


「■■■■■■■■────ッ!」



 背後からの衝撃が、俺の体を跳ね飛ばした。

 次いで痛みが襲ってくる。

 背中を。裂かれるような痛みが。


(ああ……)


 空中を舞いながら思う。

 爪でやられたな、これは。


 背中から温かいものが零れている。

 命の雫。きっと、これ以上出てはいけなかったもの。

 赤い飛沫が視界の隅に映った。


 ぐしゃり、と地面に叩き付けられた。

 そのまま勢いでゴロゴロと斜面をころがる。

 何かにぶつかり、ようやく止まった。


 仰向けになって緑の葉を眺める。

 傍らには、斜面から突き出すように顔を出した巨石。

 上面は平らになっていて、そこそこスペースがあった。

 ……これにぶつかったのか。


「まだ何か作戦があったみてぇだが……残念だったなぁ。今の一撃は容赦なくいかせてもらった」


 わかっているさ。

 今のは手加減なしに命を奪う一撃だった。

 まったく、この場面で使い魔を完全にコントロールしてみせるなんて、クレイグもなかなかやるじゃないか。


「これで正真正銘、俺の勝ちだ。逆転の芽は摘んでやったぜ」


 クレイグの声は、少し遠い。

 恐らくまだそこまで近い距離には来ていないのだろう。

 なら、少し声を張り上げる必要があるか。


「────これは、賭けだった」


「……あぁ?」


 怪訝そうな声。

 少し近付いたらしい。


「この鏡の世界のルール……というか特性は理解したけど、俺の推測通りになっているかは、確証がなかった……」


 だからこそ、これは賭けのようなものだった。

 でも、俺にはこれしかなかった。

 この方法を信じるしかなかった。


 ───俺の戦いは、いつだってギリギリだった。

 幽霊屋敷の時も、式典の日も、アニちゃんの時も、鏡の世界に初めて入った時も、ヴィルムリンドと対峙した時も。

 いつだって命懸けの戦いだった。


 でも、いつも切り抜けてきた。

 ギリギリで切り抜けてきた。

 だからきっと、今回もギリギリの勝負になるだろうと思っていた。

 そしてやっぱり、俺の戦いはギリギリ死ぬかどうかの戦いだった。


「俺たちの勝ちだ、クレイグ……。この場所(・・・・)に辿り着いた時点で、俺たちの勝ちは決定した……!」


「何を……言って……」


 木の影からクレイグが姿を現す。

 そして次の瞬間、奴は目を見開いた。



 ────岩の上に(・・・・)描かれた魔法陣(・・・・・・・)を見て、目を見開いた。



「な、んだ……それ……」


「そうだ……。お前は、コレを知らない」


 知っているはずがない。

 だって、俺がこの山で悪魔召喚を行ったことを知っているのは、俺自身を含めてたったの四人だけなのだから。


「いつ描いたんだ……。そんなもの……いつの間に……!」


「だから言っただろ。三週間前、だよ」


 鏡の世界は、鏡写しの世界。

 現実世界で起きた変化は、鏡の世界にも反映される。

 例えば、幽霊屋敷の内装のように。

 ならば、俺の描いた魔法陣もまた、この鏡の世界に反映されているはずだった。


「確証はなかったから……不安はあった」


 だから、これは賭けだった。

 俺の予測が当たっているかどうかの賭けだった。


「でも、ここには───この始まりの場所には魔法陣があった……! 俺は賭けに勝った!」


 傍らの岩に触れる。

 脳裏に浮かぶのは、数十分前の光景。


 ハーケン先生は、魔法陣さえあれば使い魔を呼ぶことは可能だと言っていた。

 そして実際に、彼はバニラを召喚してみせた。


 魔法陣。

 それはここにある。

 ならば、条件は満たした。


「トドメを刺せ! 詠唱をさせるなァーッ!」


 クレイグの絶叫。

 迫る獣の爪。

 だが、もう遅い。


 息を吸う。

 思考をクリアに。

 考えるのは、ただ一つ。

 あの悪魔───いや、相棒のことだけ。



Auftauchen(召喚)!」


 魔法陣が輝きを放つ。

 溢れ出す琥珀色の光。

 高まる魔力が、一気に開放される────!



「来い、バルバトス────!」

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