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40.君を救いに来た

 クラリス・ベルクには、姉が一人いた。

 名をクラウディア・ベルクという。



 幼い頃のクラリスは、クラウディアにべったりだった。

 どこへ行くにも姉と一緒だった。

 いつも姉の後ろを付いて行った。

 

 またクラウディアも妹を可愛がった。

 クラリスが何かを欲しがれば、それが自分の物だろうと構わず与えた。

 クラリスが遊びたがれば、自分の用事があろうと彼女の相手をした。

 姉は、可愛い妹の我儘なら何でも聞いた。


 それは、二人に弟が生まれても変わらなかった。

 クラリスとクラウディアは、非常に仲睦まじい姉妹だった。



 ───だが。

 そんな幸福な日々は突然終わりを告げた。


 クラリスが十歳、クラウディアが十三歳の時。

 その日、姉妹は初めて喧嘩をした。

 始まりは誰も覚えていない。だが、とても些細なことだった。

 誰も記憶に留めなかったほど些細なことだった。


 しかし、仲良し姉妹の初めての喧嘩ということで、それはなかなかに激しいものだった。

 取っ組み合いはしなかったが、二人はしばらく口を聞かなかった。


 父エルドは、それはそれは心配した。

 周囲は「あれだけ仲が良かったのだから、いずれ自然と関係も修復する」と言ったが、エルドは愛する娘たちが心配で堪らなかった。


 そしてエルドは、家族を連れて気晴らしに旅行のようなものを提案した。

 断る理由も無かったので、姉妹は了承した。


 ────そして、事件は起きた。



 クラウディアが、忽然と姿を消した。


 旅行先での出来事だった。

 帰りの日の朝、彼女はどこかへ消えた。

 誰も彼女の姿を見た者はいなかった。


 エルドは全力を上げて娘を捜索したが、遂には見つからなかった。

 当時のお抱え魔術師たちが必死で占っても、彼女の行方が判明することは無かった。


 エルドは大きく嘆き、悲しみを打ち消すように仕事にのめり込むようになった。

 結果として彼は大きく出世することになるのだが、それでも家族の悲しみが晴れなかった。


 母は心身を病んだ。

 元々身体の弱かった彼女はなかなか回復せす、今も遠く離れた別荘で療養中だ。


 幼い弟は母と離れることを拒み、同じく遠い別荘で生活することを選んだ。


 父は度重なる不幸から目を背けるように、一層仕事に打ち込んだ。自然、クラリスと話すことも減った。


 そして、家族はバラバラになった。


 そんな中でも、クラリスは気丈に振る舞った。

 それまでお転婆娘だった彼女は、姉の失踪を期に『貴族の令嬢』としての作法を身に着け、公共の場でも父の名を汚さないように振る舞った。

 元が活発だっただけにストレスの溜まる生活ではあったが、それでもクラリスが折れなかったのは、彼女心に一つの罪悪感があったからだ。


『私のせいで、お姉様はいなくなった』

『私に嫌気が刺して、お姉様は消えてしまった』


 そんな罪悪感が、クラリスのそれまでのお転婆っぷりにブレーキを掛けた。

 必要以上の発言を避け、誰とも言葉を交わさず、それでも穏やかな笑顔は絶やさず、好きだった散策は自粛した。

 社交会があれば父の後ろで相応しく振る舞い、おしとやかな貴族令嬢を演じきった。


 これは人生がくれたチャンスなのだ、と。

 周りに迷惑をかけて自分勝手に生きてきた自分が、バラバラになってしまった家族を元に戻すのだ、と。


 自分がしっかりしていれば。

 ちゃんと振る舞えば、姉は自分のことを見直して戻って来てくれる。

 そうすれば父は喜ぶだろう。母は回復するだろう。弟も母に付いて帰って来るはずだ。


 だから、今は。

 今は、少しだけ頑張ろう。

 そう思って、五年間ひたすら耐えた。


 誰かと楽しく会話したい。

 緑の中を歩きたい。

 対等に話せる友人を作って、一緒に森を散策したり、会えなくても手紙でやり取りしたり、時には屋敷に招いたり────。


 そんな友人が欲しいと思っても、我慢した。



 そんなストレスが遂に破裂したその日。

 一人の少年と出会い、友人になってしまったことは。

 彼女にとっては史上の幸福であり、そして同時に不幸なことだったのかもしれない───。




     ◆




 俺は呆然とクラリスを見た。


 彼女は顔を伏せている。

 金髪がさらりと流れて、彼女の顔を隠している。

 表情は、見えない。


「………なんで」


 吐息にも似た呟き。

 問いかけというよりも、独り言。

 自分の口から出た言葉と思えなかった。


「どうして、一緒に行けないなんて……」


 クラリスの為にここまで来た。

 悪魔と契約を結び、結界の入り口を探り当て、ヴィルムリンドの城を冒険し───。

 ようやく見つけた、探し求めた人。

 その彼女が、他でもないクラリスが、俺を否定した。


「思い出したの。ずっと忘れてた、大切な記憶。忘れちゃいけないことだったのに……!」


 その言葉は、俺が悪魔に放った言葉に似ていた。

 だが、込められたニュアンスはまるで正反対だった。


「思い出した……?」


「私の罪よ。私が、どれだけ自分勝手で、愚かで、罪深い人間だったのか……それを思い出したの」


 訳がわからない。

 俺は何も言えない。


 クラリスは顔を覆う。


「また私のせいよ……! 皆が私のせいで危険な目に……! アレンだって、私のせいで怪我をして……」


「違う! クラリスは悪くない! 悪いのは君を狙う敵だ!それに、俺が死にかけたのは俺が弱いせいだ! 先生たちを巻き込んだのも、全部俺が弱かったから────」


「私が声を受け入れたからこうなったの!」


 声を受け入れた。

 あの日の、ヴィルムリンドの念話のことを言っているのか。


「あの日、アレンには言わなかったわよね? 私が声に何を願ったのか……」


「……」


 確かにあの日、ふざけてしつこく聞き出そうとする俺に、クラリスは断固として願いを教えなかった。

 だがそれが何の関係があるというのか。

 クラリスは声を受け入れたが、それは純粋な少女を惑わしたヴィルムリンドが悪いのだ。

 クラリスは何も───。


「あの日ね、私は願ったの。『アレンに会いたい』って」


「……え」


「あんな風に誰かと楽しくお話したの、久しぶりだったの。手紙でのやり取りはしていたけど、やっぱり顔を合わせて話す方が楽しいもの」


「……でも、だからってクラリスが悪い訳じゃない。卑怯な手で君を騙そうとした奴が───」


「違うの!」


 悲痛な叫び。

 クラリスのそんな声は初めて聞いた。

 彼女がそんな風に激しく感情を表に出すことは、今まで無かった。


「仮にそうだとしても、違うの……。そうじゃない、大切なのはそこじゃないの。違うのよ、アレン……」


 ふるふる、と力なく首を振る。


「違うって、何が……」


「思ってしまったの。───『嬉しい』って」


 クラリスの身体が小刻みに震える。


「本当にあなたが来てくれたからじゃない。願いが叶ってアレンに会えてから嬉しいって思ったんじゃないの……」


 そして。

 彼女は叫んだ。


「『友達を家に招待する』って、夢が叶ったから嬉しかったのよ! あんな状況で! お父様やトルードや、皆が大変な状況で! 呑気に、自分勝手に! 夢が叶ったことを喜んでた!」


「な……」


「結局私は自分勝手なままだった! 変われなかった! お姉様がいなくなったのは私のせいなのに……! 私の我儘のせいで家族がバラバラになったのに! 私はまだ、自分の欲望が叶うことを喜んでる!」


 何も言えなかった。

 彼女の過去に何があったかは知らない。

 聞き出そうとは思わない。それはきっと辛い記憶だから、無理に思い出させることは彼女を傷付けることになる。


 でも。

 何も知らない俺には、結局何も言う資格は無いのだ。

 彼女のことを知らない人間が、彼女に下手に声をかけることは、抱え込んだ傷に塩を塗り付けるような真似に近い。


 ───俺には、何も言えない。

 何も出来ない。

 クラリスを、救えない。



「私は自分勝手で、我儘で、汚くて、罪深い人間なの! 救ってもらう必要なんて無いの! そんな資格なんて無いのよ!」


 泣き叫ぶクラリス。

 俺は彼女の前に片膝を付いたまま、何も出来ず、何も言えずにただ呆然としているだけ。


「守ってもらう資格なんて無い! こんな私……皆を傷付けるだけの私はなんて……!」


 クラリスは心を固く閉ざしている。

 何を言っても、届きやしない。


 救えない。

 俺には彼女を救えない。

 未熟な俺では、彼女に手を伸ばしても────。





 バルバトスが、俺を見ている。


「!」


 背後から突き刺さる視線。

 背を向けているから、悪魔の表情はわからない。

 でも、確かに俺を見ている。


 『お前はどうするんだ?』と。

 何も言わず、視線だけで問うている。


「……」


 泣き叫ぶクラリスを見下ろす。

 そして、俺は拳を握りしめた。


 手を伸ばしても届かない、だと?

 ふざけるな。何を諦めているんだ。

 まだ伸ばしてもいない癖に、手を伸ばす前から届かないと諦めるのか?

 そんなザマで、『世界一の魔術師』になれるのか。


「っ……!」


 俺は人を救うために魔術師になった。

 だったら、目の前で泣き叫ぶ女の子を見捨てる理由も、手を伸ばすのを躊躇う理由も、何一つ無いだろうが。

 救うべき人がいるなら、俺は───!


「私なんかの為にアレンが命を賭ける必要ない! 私は救われちゃ駄目な人間なのよ! 報いを受けなくちゃいけない人間で───」


「……違う」


 自分でも驚くほど、静かな声が出た。

 静かで、力強い声が出た。


 ピタリ、と声が止む。

 見上げてくるのは、驚いたような青い瞳。

 俺はそれを、真っ直ぐ見つめ返す。


「二つ、だ」


 指を二本立てる。


「俺が違うと言ったのは、クラリスが言った二つのことに対してだ。───まずは一つ目」


 一本。

 指を折り畳む。


「人は、変われる」


「そんなこと……」


「根拠は俺だ」


 目を背けるクラリスに、いいから聞けと言外に告げる。


「俺はクズ野郎だった。自分でも思い出したくないほど、自分勝手で、愚かで、罪深い人間だった」


「!」


「たぶん、クラリスよりもずっと」


 クラリスに俺の言葉は否定できない。

 だって彼女は俺の過去を知らない。だから俺に対して何かを言う資格は無い。

 俺が彼女に何も言えなかったように。

 今のクラリスは俺に何も言えない。


「ホント、ロクでもない奴だった。……でもな、変わることができたんだ。そして、変わるきっかけをくれたのはクラリスなんだ。変えてくれたのはバルバトスなんだ」


「私と、バルちゃん……?」


「ああ。長くなるから言えないけど、俺がこうして今ここにいるのは、二人のおかげだ」


 俺みたいな奴でも変われた。

 だから、きっと。


「──きっと、クラリスも変われる」


 いや、絶対に。

 変われるんだ。


「これは、チャンスなんだよ。人生を変えるチャンスだ。そしてチャンスってのは、訪れるのが一度とは限らない」


 きっとクラリスがここまで自分を責めるのは、一度変わるきっかけがあったのに、それを棒に振ってしまったからなのだろう。


 だから教えてあげよう。

 チャンスはまだあると。

 俺たちの人生は始まったばかりなのだと。


「人生には何度も選択がある。選択の度に、成長するチャンスがある。そのチャンスを棒に振り続けた俺が変われたんだ。クラリスにだって、絶対にできる」


「本当……?」


「本当さ。……それと、もう一つ」


 もう一本。

 指を折り畳む。


「クラリスに救われる資格が無いなんて、そんなことあり得ない。俺を救ってくれたクラリスが救われないなんて、そんなのおかしい」


「っ……!」


 クラリスがしゃくりあげた。

 気付けば、彼女の目には涙が溜まっていた。


「本当に……? 私、救われていいの? アレンに助けてもらってもいいの……?」


「当たり前さ。だって……」


 だって。

 俺は───。


「俺は、君を救いに来たんだから」


 その言葉と同時。

 クラリスはわっと泣き出した。

 そしてしがみついて来る。


「おっと……」


 抱きとめる。

 クラリスは俺の胸に顔を押し付けてくる。

 くぐもった鳴き声が聞こえた。


(また泣かしちゃったな……)


 そんなことをぼんやり思いながら、俺はクラリスの頭をポンポン叩いた。


「アレン……! っ、ありがとう……! 本当に、本当にありがとう……!」


「うん……。うん」


 頭を上げたクラリスの顔は、涙でぐちゃぐちゃだった。

 たぶん「ありがとう」と言ってるのだと思うが、実際何を言っているのならほとんど聞き取れなかった。


「わかったからもう泣きやめよ。ほら、涙拭いて……。ああ〜〜……鼻水垂れてる……。貴族のお嬢様が何やってんだ……」


「! み、見ないで! それと、どうしてアレンは何も着てないの!?」


「あ……」


 ローブを銀髪少女に着せ、その下のシャツはバニラの召喚にで使い物にならなくなってしまった。

 そういう事情で今の俺は上半身裸なのだった。


 泣き顔を見せないためか俺の体を見ないようにするためか、クラリスは顔を背けてしまう。

 仕方なく、俺は腕を組んで一部始終を静観していたバルバトスの方を向いた。


 薄く笑いかける。

 悪魔はピクリと眉を動かした。


「……ありがとう。背中押してくれて」


「さて、何のことだか」


 肩をすくめる。

 すっとぼけるつもりのようだ。


 ゆっくり近付いてくる。


「それより急いだ方がいい。もうここに用は無いだろう。色々気になることはあるが、まずは元の世界に帰───」


「いーや、逃さねえよ?」


 ───声。

 部屋の入り口から。


 バッと顔を向ける。

 悪魔と共に。




 クレイグ・クレインが立っている。

 何匹もの、黒い獣を従えて。

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