04.召喚
教会から帰ってきた後。
デルタミヤ魔術学園、男子寮にて。
俺は自室にて悪魔召喚の儀式の準備を行っていた。
魔導書によれば、悪魔たちの本体は思念体であり、普段はこことは違う異界―――『神の世界』にいるらしい。
『神の世界』は精神の世界。それに対し、こちらの世界は肉体の世界。その為、肉体を持たない悪魔は本来この世界に存在することは出来ない。
―――だから、依代を用意する。彼らがこの世界に留まる為の、仮染の肉体として。そうすることで、悪魔は精神世界で有していた容姿をこの世界に存在するための肉体として取り戻すのだ。
「これで良し、と……」
散らかった部屋を、取り敢えず足の踏み場が出来るくらいには片付け、その中央に魔法陣を用意する。
魔法陣は召喚魔術の基本。この魔法陣が異界とこちらを繋ぐ『道』になる。
用意した魔法陣は、魔導書に描かれていた特別な物。悪魔召喚用に独自に作り上げられた代物だ。
悪魔ごとに魔法陣の形が異なるらしく、いくつか種類があったのだが、今回は最初に開いたページに載っていたものを使うことにした。
それを大きめの紙に描き写して、部屋の中央に広げる。
依代は、自作の不格好な紙の人形。それを魔法陣の中央に置く。
大きく深呼吸。心を落ち着ける。心が乱れれば、成功するものも上手くいかなくなってしまうからだ。
そして、完全に集中状態に入る。
かつて悪魔を召喚した優秀な魔術師たちは、皆優れた力を持っていたはずだ。―――俺とは、違って。
だが、魔導書曰く。
悪魔を召喚する上で最も重要なのは、魔力量でもなければ魔力制御でもない。必要なのは、何としても願いを叶えたいという『強い想い』だと言う。
ならば―――応えてくれるはず。
この心に一切の嘘偽りはない。
あるのは、ただ純粋な願いのみ。
息を吸う。
心から余計なモノを削ぎ落とし、魔法陣へと注ぐ魔力をより鮮烈なものに―――。
強く願った。強く望んだ。
この魂、この願いに歪みはない。
ならば、彼らは必ず応えてくれるはず―――。
「Auftauchen!」
魔法陣が強く輝く。
瞼を焼くような光に思わず目を閉じる。
そして─────
―――術の失敗による魔力の爆発で、俺は吹き飛んだ。
◆
目を開く。
視界に飛び込んできたのは、見覚えのない天井だった。
……ほのかに、薬草っぽい臭いが漂う。
あまり好みではない臭いに、俺は顔をしかめた。
見覚えはない。
だが俺はこの場所を知っている。
ここは確か……医務室だったか。
首を巡らす。
部屋の中には誰もいなかった。
体を起こそうとして、思わず呻く。
痛い。それも全身が。
打ち付けたように痛い。
「目が覚めたようじゃの」
「!」
扉が開く音と老人の声。
顔をそちらに向ける。そこにいたのは学園長だった。
学園長は俺の横たわるベッドの隣まで来ると、そこに置かれていた椅子に腰を下ろした。
「これは……」
最後まで言い終わらない内に学園長が口を開く。
「魔力の爆発を感じとったので男子寮に来てみたら、君が部屋で倒れておったのじゃ。すぐに治癒魔術をかけて、他の生徒にも手伝ってもらって医務室に運び込んだ。そして君が目を覚ましたところじゃな」
「はあ……ありがとうございます」
軽く頭を下げる。
落ち着いてみると、頭の中に気絶する前の記憶が呼び起こされた。
そうか……。俺、術に失敗して……。
何が駄目だったのだろうか。
願いは本物だったはず。偽りはなかった。全てが本心だった。
なのに失敗した。
何が足りなかった。
魔力量か。それともコントロールか。
───結局は実力か。やはり実力が足りないのか。願いなんてものよりも、魔力の質や量の方が重要なのか。
―――俺には、悪魔は喚べないのか。
「……っ」
毛布の上で拳を握りしめる。
結局、俺には不可能なのだろうか。
「……悩んでおるのかね」
「!」
「一人で抱え込むのは良くない。こんな老いぼれで良ければ、話してみてはくれんかのう」
「……はい」
俺は大事な部分はぼかして、事情を学園長に伝えた。
とあるハプニングに直面したが、自分の力ではどうにもならないこと。だが、どうにかしないと未来はないこと。
学園長は、たどたどしく話す俺を黙って見つめていた。
「ふむ。なるほどのう」
「俺は……どうしたらいいんでしょうか」
退学は、嫌だ。
駄目だ。それだけは駄目だ。なんとしても回避しなければならない。
でも、このままじゃ─────。
「そもそも、君は何故魔術師を志したのかのう?」
「え……?」
思わず聞き返す。
何の脈絡もない問いだった。急すぎてポカンとした間抜け面を晒してしまう。
「君はこの学園に入学した。それは魔術師になりたいと思ったからじゃ。そうじゃろう?」
「え、ええ……」
「そして、その魔術師を目指す理由というのは、きっととても深いものじゃと儂は思うておる。でなければ、成績が悪いのならば諦めて故郷に帰ればいいだけの話じゃからのう」
それは……確かにそうだ。
いや待て。そういえば、俺は何でここまでして退学を回避しようとしているんだ?
絶望的な成績なんだ。諦めればいい。
悪魔召喚なんて無茶をしてまで、魔術師を目指す必要なんて───。
「──────」
必要……なんて……。
ない、のか? 本当に?
諦めても、いいのか?
それで本当に後悔しないのか?
「もう一度訊くとしよう。……君は何故、魔術師を志した?」
何故。
俺は、何故────。
「思い……出せないです。それが何でだったのか、俺も覚えていない」
「……」
「でも─────」
でも。
でも、諦めたらいけない気がする。
諦めたら、俺は絶対後悔する。
だから、諦めきれなかった。
何かやらなきゃ始まらない。
何もしないなら進めない。
だったら────何かしなきゃ。
それなのに、何をすればいいのかわからない。
努力なんて、意味がない。才能の無い俺には、そんなもの積み重ねたところで無意味なんだ。
そんなもの、簡単にひっくり返されてしまうのだから。
「だから、あんな身の程知らずな術に頼ったんだ。現状をどうにかしたくて、でもどうしたらいいかわからなくて……」
────結局、それも失敗に終わった訳だけど。
「一つ……良いことを教えてあげよう」
俺の話を聞き終わった学園長は、ゆっくりと話し出した。
「学園の建っている山。この山には、大昔に魔術師たちが修行の場として選んだという過去がある。何故かわかるかね?」
「いえ……」
「あそこはのう、『龍穴』なのじゃよ」
「!?」
俺は瞠目した。
────龍脈、というものがある。
大地には魔力が流れており、その魔力の流れるルートのことを、龍脈と呼ぶ。龍脈は大抵山の屋根伝いに流れており、その龍脈の根源である魔力が吹き出すポイントのことを龍穴と呼ぶのだ。
この龍穴には、とてつもないエネルギーがある。それもそのはず、大地を流れる魔力の大元なのだから。当然のことだ。
「君の起こした爆発は、魔術の失敗によるもの。違うかね?」
「……当たってます」
「なら、今度はその魔術をあの山で試してみるといい。……魔術の成功には場所の良し悪しも絡むからのう。『特別な場所』というだけで大きく結果は変わるものじゃ。龍穴のエネルギーを借りれば、失敗した術も今度は成功するかもしれん」
そう言うと、学園長は腰を浮かせる。
部屋を出る前に、俺は思わず訊いた。
「あ、あの! どうして、俺なんかの為にそんなこと教えてくれるんですか……?」
学園長が振り向く。
「……図書館で君と別れた後、どうしても気になってつい占ってしまった。君の未来を」
「え……」
「生徒一人にそこまで肩入れするのも良くないからのう、詳しくは見ようとはしなかった。じゃが、儂の占いによれば、これから君が行おうとしている術は、君にとって大きな助けになるはずじゃ。……故に、少しだけ君に力を貸すことにした」
それだけ言って、学園長は今度こそ部屋を出ようとする。
その直前、彼は言った。
「────魔術師を目指した理由、思い出せるといいのう」
それはきっと、君にとっての『始まり』であるはずじゃから────。
◆
その日の夜、俺は山を登っていた。
頼りの明かりは魔術で生み出した光球だけ。
少し怖いが、この山には結界が張られているため獣はいない。足元にさえ注意すれば問題はないはず。
既に体は完全に癒えた。
元々軽い打ち身だけだったようだ。頭を打った訳でもないし、治癒魔術のおかげですぐに調子は戻ってきた。
「よし……この辺りか……」
俺が足を止めたのは、大きな岩の上だった。
斜面から突き出すように顔を出した巨石。足元は平らで、そこそこスペースがある。
「……っ」
取り出したナイフで指先を切る。
滲み出す血。だがこれでいい。これがいい。
血液には魔力が宿る。
ただのインクで書くのでなく、魔力のこもった血で龍穴に直接魔法陣を描く。
これで術の発動は確実なものになるはず。
魔法陣の中央に人形を置く。
「……」
深呼吸。
これから行う大魔術を前に、高ぶる心臓を落ち着けさせる。
そして─────
「――――Auftauchen!」
迸る光。
次の瞬間、俺は─────
「……人間、私を喚んだのはお前か?」
俺は―――落雷のような衝撃と共に、その声を聴いた。
悪魔召喚ガチャSSR