39.再会
───その声を聴いた瞬間。
俺の目に涙が浮かんできた。
「っ」
両手は背中の少女を支えるために使っているから、目元を擦ることは出来ない。
目から溢れた雫が頬を伝う。
嘘だ、と思った。
もう会えないと思っていたのに。
まさかこんなところで再会できるなんて。
「アレン……?」
訝しげに見てくるバルバトス。
だが俺は、その視線に答えることができなかった。
答えを用意している暇なんてなかった。
「おい! アレン!」
脇目も振らず走り出す。
悪魔の呼び止める声すら無視して、俺は走った。
(信じられない……!)
なんてこった。最高だ。
可能性としては考えていた。彼がここにいるのは知っていたから。
でも、まさか本当にまた会えるなんて。
「ハーケン先生!」
俺は叫んだ。
歓喜と共に。
「ッ! その声、まさかクリアコード君ですか!? 何故君がここに!? 脱出したはずでは!?」
「色々あって戻って来たんです! 先生どこにいるんですか!? 声は聴こえるのに……!」
部屋の奥。
聴こえる声を頼りに先生の姿を探すが、そこにあるのは壁だけ。
先生の姿は見えない。
確かに声は聴こえるのに。
目の前の壁を睨みつける。
この壁の向こう側に先生はいるのか……?
だったら、こんな壁……!
「バルバトス! この邪魔な壁をぶっ壊───」
「待て。その判断は軽率だ」
彼女はいつの間にか俺の隣に来ていた。
顎に手を当て、何かを考えるように壁を見つめている。
「……なるほど」
ニヤリと笑う悪魔。
何やらぶつぶつ呟きながら、バルバトスは石壁のあちこちを触る。
時折軽く叩いたり、何かを調べるような仕草をしながら。
やがて一通り調べ終わったのか、バルバトスは壁から一歩離れる。
そして、今度は床を眺め始めた。
「ふむ……」
バルバトスは石床の上で膝立ちになる。
俺はその様子を横で見つめる。
「となると、この辺りか……?」
そう言いながら、床に嵌め込まれている石の一つを押した。
ガコン、という音と共にその石だけが沈み込む。
途端、轟音。
ゴゴゴ……と地の底から響く様に。
「な、何したんだ……!?」
「仕掛けを解いただけさ」
「仕掛け!?」
バルバトスは平然とした顔で言う。
「確かに、この壁の向こう側には空間──もう一つの部屋があった。そしてその部屋に入るには、こちらの部屋から行くしかない」
音が段々と大きくなる。
俺たちの目の前で、壁が割れる。
左右へと、二つに別れていく。
「正しい方法でしか隠された部屋に入ることはできない。もし力づくで壁を突破しようとすれば、二人まとめてペナルティを食らっていただろうな」
「ペナルティって……」
「さあ? 爆発でもしたんじゃないか?」
「……はは」
乾いた笑い。
たぶん、俺の笑顔を引きつっていた。
冗談にしても怖すぎる。
──そして、壁は完全に開き切った。
その向こうは、闇。
真っ暗で何も見えない。
「Flash」の詠唱で光球を作り出し、照らす。
中には───。
「先生!」
そこにあったのは、檻だった。
囚われたハーケン先生は、両手を手錠と鎖で拘束されていた。
檻の中はそこそこ広い。が、先生以外にも多くの人──二十人くらいが中で縛られていて、スペースにはそこまで余裕はない。
そして先生以外の全員が女性や子供だった。
恐らくヴィルムリンドが『養分』として攫ってきたのだろう。女子供の肉は柔らかくて食べやすいのか。
俺はバルバトスを置いて檻に駆け寄った。
少女を背負ったまま。
「ハーケン先生! 無事だったんですね! 無事で良かった……」
中のハーケン先生は少しやつれているようにも見えた。
身体は汚れていたし、普段は綺麗に剃っている髭も伸び始めている。
が、特に怪我はしていないようだった。
「ええ……。クリアコード君も、怪我が治ったようで……」
囚われている他の人々は、突然現れた俺に驚いているようだった。
ポカンとした表情を浮かべている。
が、俺とハーケン先生が会話するのを見て、次第に落ち着きを取り戻していった。
「でもどうしてこんな所に捕まって……。あの後、一体何が……」
「……君たちを逃した後、私の使い魔を呼んで応戦したのです。ヴィルムリンドは君の魔力砲でかなり消耗していたらしく、戦いは有利に進みました。ええ、そこまでは良かったのですが……」
ハーケン先生は軽く振り返った。
そこには、囚われた人々。
「彼女らを人質に取られては、私も何もできず……。使い魔たちは強制的に現実世界に帰還させられ、彼らを召喚するための魔法陣を描いた自作の魔導書も取り上げられて燃やされてしまい……」
先生は力無く項垂れる。
彼なりの戦いや苦悩があったことを察し、俺は固唾を飲んだ。
と、先生は視線を上げる
「ところで、何故君はここに? その背中の子は……というか、まさか一人で来たのですか?」
「あ、いや。えーっと……」
俺は後ろを振り返った。
闇の中からバルバトスが姿を現す。
ハーケン先生が息を呑んだ。
「あなたは……あくっ……!? どうしてあなたがクリアコード君と一緒に……!?」
目を白黒させながら、俺とバルバトスを交互に見るハーケン先生。
一瞬「悪魔」と言いかけたようだが、後ろの人々の存在を思い出したのか、その言葉は飲み込んだ。
別に声に出しても一般人にはわからないだろうし、問題は無いのだろうが、一応用心したのだろう。
「えっと、俺の使い魔……です」
「使い魔だ。よろしく頼む」
「……っ!?」
あまりのことに言葉が出ないのか、ハーケン先生は口をパクパクと動かす。
ちょっと面白かった。
「し、信じられない……! あのクリアコード君が、まさか……! 本当に……!」
「信じられない、か。少し前の私も同じことを思ったよ。まさかあの小僧がここまでの覚悟を持った男になるなんてな」
「!」
バルバトスの言葉に、先生は反応を示した。
今の一言で、彼は全てを理解したようだった。
バルバトスが俺に従った理由も。
俺がここに来た理由も。
「……人は苦難を経て成長する。クリアコード君のこの急成長……。起きてしまったのですね。成長の代償として、最悪の事態が」
神妙な顔。
俺は黙って頷いた。
「……念の為に訊きます。学園長は?」
「……まだ帰ってきていません」
「センタースさんは?」
「ヴィルムリンドの使い魔に。命に別状は無いそうですが、まだ意識が戻らなくて……」
「……それで、君が彼女を連れてここに来た、と」
ふう、と先生は息を吐いた。
そして拳を握る。
「……情けないですね。こんな戦いは本来君がすべきことじゃない。我々大人の仕事です。だというのに……生徒がこんなにも頑張っているというのに、教師の私は何も出来ないなんて……!」
「! そんなこと……! 俺が今ここにいられるのは、先生が助けに来てくれたからじゃないですか!」
それは本心からの言葉だった。
俺がこうして一歩踏み出せたのも、バルバトスと契約出来たのも、あの時先生が助けてくれたお陰だ。
あれがなければ、俺もルフィナもあの時死んでいたのだから。
「せめて君の為に何か出来たら良かったのですが……魔法陣が無いのでは、自慢の召喚術も役立たずですからね……」
「……」
自嘲気味に笑う先生。
見ていて心が痛む。
無理やりに話題を変えようと、俺は檻の鉄格子を見た。
「そ、それより! 早くここを脱出しなきゃですよ! 後ろの人たちも、こんな所にいたくないですよね!」
視線を先生の背後へ。
いきなり話を振られた彼女たちは一瞬驚いたようだったが、すぐにコクコクと激しく頷く。
逃げ出したいのは皆同じだろう。
「しかし脱出するのは簡単じゃありませんよ。この檻は魔力に耐性を持っているようで、魔術では破壊できませんでした。物理手段を取ろうにも、私は召喚魔術を使えませんし、他の皆は女性や幼い子供ばかり……」
「……」
俺は再び彼らが捕らえられている檻を見た。
太い鉄格子。感覚は狭い。
格子が並ぶ中、一箇所だけ扉のように開く形状になっている。そして鍵はごく単純な造りだった。
とは言え、俺に錠前破りの技術なんて無い。
これを開けることは難しい。
「バルバトス。これを壊すことって……」
「破壊の一点で言えば可能だ。だがそうした場合、中の奴らも巻き込まれることになる」
「……」
バルバトスの矢なら破壊は可能らしい。
あれが魔術なのか物理攻撃なのかは判断が付かないが、本人曰く壊せるには壊せると。
だが檻の中にスペースの余裕はあまり無い。中の人たちを端に寄せたところで、衝撃で飛んだ破片が彼らに当たってしまう。
「壊すならやはり内側からだな。……中の奴らに鉄の檻を破壊できる怪力の持ち主がいれば、の話だが」
「バニラを喚ぶことが出来れば簡単だったのですが……。肝心の魔法陣が無いのでは……」
バニラ。
確か、先生の使い魔のユニコーンの名前だ。
あのユニコーンが何度か体当たりでもかませば、この檻を壊すことも出来るかもしれないが……。
「ちなみに、バニラを召喚する手段は……?」
「現状、ありません。使い魔の召喚というのは魔法陣さえあれば可能です。が、その魔法陣がここにはない。インクでもあればこの場で描くことも出来たのですが……」
「え、描けるんですか……?」
「ええ。使い魔を召喚する為の魔法陣の形は全て頭の中に入っていますから。ああ、でも────」
手錠を掛けられた両腕を見る先生。
肩をすくめる。
「……両手がこの状態では描けませんね」
「……」
……何か無いだろうか。
魔法陣を描く手段が。
今のところ、先生たちを檻から脱出させる方法はその一つしかない。
だが、ハーケン先生の両手は塞がっている。
おまけにインクも何も無いのでは────。
「!」
瞬間、閃く。
この状況を打開する手段が。
「……バルバトス。この子頼む」
「……? ああ」
背中の少女を下ろし、悪魔に預ける。
それと同時に、俺はバルバトスの手からナイフを取り上げた。
そして俺は。
自らの手をナイフで切りつけた。
「っ」
鋭い痛みが走る。
だが、これで。
「これでインクができましたよ先生。……天然の、真っ赤なインクがね」
「……!」
思い出したのだ。
俺がどうやって悪魔を召喚したのか。
そう。
俺はあの日、自らの血で魔法陣を描いた。
今からやるのは、それと同じことだ。
上着を脱ぎ、床に敷く。
後はこれに魔法陣を描き、鉄格子の隙間から牢屋の中へと渡すだけ。
そうすれば、ハーケン先生はバニラの召喚が可能になる。
「さあ、魔法陣の形を教えてください先生。正確に、詳しく。言われたとおりに再現して見せますから」
◆
呼び出されたユニコーンが鉄格子を破壊し、ハーケン先生を含む囚われた人々は全員無事に脱出した。
開放された人々が歓喜の声を上げる中、先生がバニラと共にこちらへ歩いて来る。
彼の目には優しい光があった。
照れ臭くて、俺は鼻の頭を掻いた。
「一人の人間として、そして魔術師として……君の『器』は今回の事件を通して、一つの完成に近付いた」
ハーケン先生は俺の前に立った。
隣にはユニコーン。
穏やかな瞳が俺を見つめる。
「人の器とは、最初から決まっているものではありません。あらゆる経験、そして挫折の果てに、徐々に形作られ、磨かれていくものです。そしてその完成に近付いていく過程のことを、人は成長と呼ぶ」
ぽん、と。
頭に手が置かれる。
「……成長しましたね、クリアコード君。本当に。以前とは大違いです。君は、自慢の生徒だ」
「!」
「君ならきっと出来る。お嬢様も助けられる。さあ、行ってあげてください。彼女は君の助けを待っている」
「……はい!」
力強く頷いた。
それを見て、ハーケン先生は微笑む。
『──して、リームよ』
ふと、ユニコーンが声を上げた。
俺たちはバニラに顔を向ける。
『この者たちはどうする?』
バニラが言っているのは、囚われていた他の人々のことだ。
少し離れた所で抱き合っている。
「彼女たちは、私が責任を持って送り届けるとしましょう。クリアコード君には、囚われのお姫様を助け出す使命がありますからね。……バニラ、力を貸してくれますか?」
『もちろんだ、我が主よ』
ユニコーンは大きく嘶くと、離れた所で喜びを分かち合っている人々の方へと顔を向けた。
『人間たちよ。安心するが良い。そなたたちの命は、この私が責任を持って預かろう!』
歓声が上がる。
歓喜にむせぶ人々を前に、聖なる一角獣は雄々しく前足を振り上げた。
その後ろで、先生は微笑みながらそれを見ている。
俺は傍らの悪魔に囁いた。
「……なんか良いよな、ああいうの」
「何がだ」
「ほら、主と使い魔の信頼関係っていうかさ。先生とバニラって凄い良いコンビじゃん? どこに居ても駆けつけてくれるしさ……」
ハーケン先生は何匹もの魔獣を使い魔に従えているようだが、その中でもバニラには特別信頼を寄せている気がする。
今回もそうだし、思えば鏡の世界で一番最初に呼び出したのもあのユニコーンだった。
「俺たちもなれるかな……あんな風に」
「それはお前の頑張り次第」
少ししんみりしながら言う俺に、バルバトスはすげなく返すと、ユニコーンへと近付いていく。
彼女の腕の中ではまだ銀髪少女が眠っていた。
「おい一角」
『なんだ、人ならざる娘よ』
「ついでだ。コイツも連れて行け。……落とすなよ」
そう言って馬の背に少女を乗せる。
少女は少し呻いたようだが、いまだ目を覚ます気配は無かった。
『要人か』
「知らん。だが恐らく何かある」
『なるほど。ただの餌ではないということか』
「それと、コイツは下着を付けてない。ウチのご主人サマの配慮で今は問題無いが、一応気を使ってやれ」
『……心得た』
小声で何事か話す。
何の話かは聞き取れなかった。
と、バルバトスは戻ってくる。
「何話してたんだ?」
「あの娘をよろしく、と言っておいた。一角獣は処女に優しい生き物だからな、良いようにしてくれると思ってな」
「ふうん」
───さて。
もう行かなくては。
「じゃあ先生、後はお願いします」
「ええ、任せてください。……君も気を付けて」
そうして俺たちは別れた。
幽霊屋敷のことは既に伝えてある。
仮に獣に襲われても、先生とバニラなら心配はいらないだろう。無事に全員で帰還できるはずだ。
「……クラリス、どこにいるんだろうな」
「さあな。だが迷うことはないさ。この城に地下はなかった。上に登るしかないだろう」
城の外観を思い出す。
上層階は塔のようになっていた。
あの頂上に、彼女はいるのだろうか。
「……待ってろよ」
今、行くから。
◆
─────そして、俺たちはそこに辿り着いた。
城の最上階。
彼女の待つ部屋へ。
道中で一度も襲われなかったこと。
罠らしい罠も見かけ無かったこと。
まるで誘い込まれるようにスムーズにこの部屋まで辿り着けたことに、少しばかりの不安を抱きながらも、俺たちはその部屋に辿り着いた。
「……」
扉に手を掛ける。
唾を飲む。
勢いよく、開けた。
「クラリス!」
彼女は部屋の中央にいた。
床に座っていた。
殺風景な、小さな石の部屋。ドーム状の屋根。
窓はない。いや、あるのだがガラスが嵌め込まれていない。風がそのまま入ってくる形だ。
「アレン……」
金髪を揺らして振り向く。
青い瞳は揺れていた。
俺は彼女に駆け寄った。
肩を抱き、怪我が無いか確かめる。
「クラリス、無事か? 怪我は無いか? 体調は? ああ、良かった……。無事で本当に良かった……」
肩から手を話す
その小さくて白い手を引く。
「さあ、帰ろうクラリス。さっきはあんなこと言って本当にゴメン。でも、ようやくわかったんだ。俺は君を助けたいって。君の為に────」
そこで、俺は言葉を切った。
切らざるを得なかった。
「え……?」
思わず溢れた困惑の声。
目の前の少女は、顔を伏せている。
「……ごめんなさい、アレン」
────俺が掴んだ腕と、反対の手。
その手が、俺の手首を掴んでいる。
もう片方のクラリスの手。
彼女の手が俺の手首を掴んで、俺が掴んだ彼女の手から無理やり引き剥がしている。
「本当に、ごめんなさい……」
泣きそうな声。
俯いたクラリスの表情はわからない。
彼女が何を考えているのかも、わからない。
「───私は、一緒には行けないわ」
理解、出来ない────。




