38.銀の少女
バルバトスは賢明だった。
そして俺よりもずっと冷静だった。
彼女はすぐに駆け寄ろうとする俺を片手で押し止め、耳元で囁いた。
「……待て。クラリスじゃない」
「!」
もう一度少女を観察する。
うつ伏せに倒れた少女。
砂埃と暗がりのせいで顔ははっきり見えない。
だが、体型や格好などから、クラリスとは別人だと断定することはできた。
砂埃が薄れてくる。
やがて少女の全身がはっきりと見えてくる。
身にまとっているのはボロボロの服。ズボンは履いていない。上だけだ。
ところどころが破れ、白い肌が覗けている。ずた袋でも被ってた方がまだマシに思えるほどだ。
汚れた服には袖が無く、小さな肩が丸だし。
おまけに丈も短い。膝が出ているし、細い太ももまで少し顕になっている。さらに足は裸足だった。
横になっているからわかりにくいが、身長も低かった。たぶん、クラリスよりも低い。
年齢もどことなく彼女よりも幼く見えた。
やせ細っているから正確な年齢はわからないが……たぶん、十二か十三くらいだ。
だが、何よりも目を引くのは。
───彼女の、その銀髪だった。
「……」
肩に付く程度の、短い髪。
格好の汚らしさからは信じられない美しい髪。
浮浪者の子供のような格好には似合わないほどに艷やかで、サラサラとしている。
(……雪)
朝日を反射して煌めく雪原。
もしくは、冬の夜の月明かり。
そういう類の美しさを連想させる。
「なんだコイツ。季節外れの雪の妖精か?」
「……こんなみすぼらしい格好した妖精がいるかよ。たぶん、ヴィルムリンドに攫われた被害者とかだろ。見た感じ武器とかも無さそうだし、ただの子供だよ」
俺たちはゆっくりと少女に歩み寄った。
倒れているのだから当然なのだが、彼女は気を失っているようだった。
傍らに膝を付く。
その小さな肩に触れ、そのあまりの冷たさに内心驚きながら、俺は少女の体を軽く揺らした。
「君……、大丈夫?」
少女が身じろぎする。
ゆるゆると瞼が開き、紅い瞳がこちらを見た。
「───……」
無言。
ゆっくりと体を起こしていく。
と、そこで俺はあることに気付いた。
うつ伏せに倒れていたのと、その銀髪で隠れていたからまったく気が付かなかったが、少女の首には首輪が付けられていた。
黒い、重そうな金属の首輪。
人にこんなものを付けるなんて。
戦争中に労働力として使われたという奴隷を思い出し、俺は眉を潜めた。
(悪趣味だな……)
捕虜を意味しているつもりか。
……本当、嫌なジジイだ。
少女の動きはかなり緩慢だった。
こうして俺が思考している間も、ずっと起き上がっている最中だった。
体調が悪いのか。
そう思い、俺は少しだけ彼女に身を寄せた。
「大丈夫? 立てるか?」
「……」
ぼんやりとした眼差し。
彼女は光の無い瞳で俺の顔を見つめる。
「……」
「? ……?」
感情を失った目。
少女の体がぐらりと傾く。
彼女は自身の股ぐらに手を───。
「アレンッ!」
背後からの鋭い声。
途端、首根っこを掴まれる。
「うぐッ……!?」
物凄い力で後ろに引っ張られた。
同時に白刃が腹部を突かんと迫る。
──が、切っ先はギリギリで届かない。
ナイフを突き出した少女と、目が合う。
「!?」
彼女が股間に隠し持っていたナイフで俺を攻撃したのだと気付くまでには、一瞬の時間を要した。
──後ろに倒れ込む。
したたかに尻を打った。
痛い。だが呑気に寝転んでいる暇なんて無い。
咄嗟に膝立ちになる。
チカチカする視界の中。
悪魔が手刀を振り下ろす。
少女が顔を歪める。彼女の手の中の短刀が叩き落とされるのが見えた。
紅い瞳がバルバトスを見る。
琥珀の瞳が少女を見る。
二人の視線が交差する。
「ッ!」
俺は少女に掌底を向けた。
ほぼ同時に悪魔が手刀を振り上げる。
少女は後ろに飛んでそれを避けようと────。
「────Starten」
俺の右手に現れる魔法陣。
突き出した手に宿る、強い輝き。
その眩い光の色は、薄く明るい黃。
時間が引き伸ばされるような錯覚。
放たれた魔弾はまっすぐ少女に向かって飛ぶ。
何かの気配に少女が振り向き───。
「paralyse」
バチンッ、と音が響く。
同時に衝撃が弾けた。
一瞬見えた、青白い小さな稲妻。
ビクンッと少女の体が痙攣する。
ふらりと倒れ込む小さな肢体。
石の床に激突する前に、滑り込んでその体を抱きとめる。
「っ……と」
「!」
揺れる紅い瞳。
光を取り戻した目はふらふらと視線を彷徨わせ、やがて俺を認めた。
「ぁ───……」
縋るような弱々しい声。
少女の体から力が抜ける。
既に彼女は動かなくなっていた。
「……」
薄い胸が微かに上下する。
その姿を見て、俺はほっと胸を撫で下ろした。
バルバトスが近付いてくる。
「……麻痺魔弾、撃てるようになったんだな」
「三日間ずっと練習してたからな」
俺みたいなへっぽこ魔術師の魔弾では、ヴィルムリンドの獣たちに致命傷は与えられない。
それを鏡の世界での戦いで実感した。
だったら、と俺は発想を変えた。
──殺せないなら、殺す必要などない。
一時的に動きを止めてしまえばいいのだ。
そういう訳で、俺は帰還するなり麻痺魔弾の練習にひたすら打ち込んだ。
幸い時間は沢山あったし、属性付与の練習だけならベッドの上でも問題なく行えた。
「……でも、まさか使い魔相手じゃなくて、こんな小さな女の子相手に使うことになるなんて思ってもみなかったけど」
腕の中の少女を見下ろす。
彼女は穏やかな顔で眠っていた。
「で、結局なんだったんだコイツは。いきなりこんな物騒な物を振り回して……。最近のガキは随分とファンキーだな? え?」
手の中でナイフを弄ぶ悪魔。
俺は軽く苦笑した。
「なあ、バルバトス。頼みがあるんだ」
「ん?」
悪魔チラリとこちらに視線を向ける。
「この首輪、外してあげられないかな」
「……ああ、それか。まあ確かに悪趣味だしな。だがな、アレン。そのガキはお前を殺そうとしたんだぞ。本来だったら普通の魔弾で撃ち抜いても問題ない相手だ」
「いや、それは違う」
俺は黒い首輪を示した。
──そこからは、微かに魔力が感じられる。
「……これ、たぶん魔道具だ。この子は、自分の意思で俺を刺そうとしたんじゃない。この魔道具のせいで、そうせざるを得なかったんだ」
魔術を付与した特別な道具。
それが魔道具。
そして、俺はこの首輪がどういった物なのか知っている。
知識として知っている。
「───服従の首輪」
それは、装着した人間を意のままに操るという凶悪な代物だ。
戦時中、捕らえた敵国の兵士を無理やり自国の戦力に変えるために開発され、使用された魔道の負の遺産。
でも……確か、非人道的だという理由で終戦と同時に生産は中止されて、出回っていた物も全て回収、処分されたはず……。
「なんでそれがここに……」
「……ヴィルムリンドが六十年前から大事に隠し持っていたか、それとも奴が製造法を知っていて一から作り上げたか。どちらかだな」
そう言うと、悪魔は舌打ちした。
「攫ってきた子供を傀儡に……か。どこまでも悪趣味な奴だな、死に損ないのクソジジイめ」
「……激しく同感だ」
心の底から頷く。
しかし、あのヴィルムリンドがこの少女をまだ食らっていないというのは、少しだけ引っ掛かった。
奴が攫ってきた子供ということは、恐らくこの少女もそれなりの魔力を秘めているはずだ。この罠を仕掛けたのがヴィルムリンド本人か手下かはわからないが、いずれにせよこの子が五体満足で放置されているのは気になる。
(食べることができない理由があった、とか……? なんだ、その理由って……)
……気にはなるが、考えたところで今はどうしようもないことだ。
俺は思考を中断した。
「で、バルバトス。どうだ? この子の首輪、外せそうか?」
「……調べてみよう」
片膝を付き、首輪に触れるバルバトス。
彼女はしばらく目を閉じて何かを探るような素振りを見せていたが、やがて首輪から手を離した。
「……面倒な術式を幾重にも重ねているな。そこらの魔術師には到底手も足も出まい。だが……」
トン、と。
彼女は首輪を指で突いた。
「───私にかかれば、この程度朝飯前さ」
カチャリ、と金属音。
首輪が石の床の上に落ちる。
「……さすが」
「当たり前だ。私は悪魔だぞ」
俺は少女の小さな体を背負った。
驚くほど軽い。
落とさないよう、彼女の腕を首に絡ませた。
……少し臭う。恐らくまともに水浴びもさせてもらっていないのだろう。
「連れて行くのか」
「ここに放置しておく訳にもいかないだろ」
俺は人を救うために魔術師になったんだ。
こんな小さな子を捨てておくなんて、そんなこと出来るはずがない。
助けられる命は、無理してでも助けてみせる。
「首締められるなよ」
「気を付けるよ」
バルバトスは少女のナイフを手の中でクルクル回しながら先を行く。
この部屋はまだ奥に何かありそうだ。恐らくそれを確認しに行くのだろう。
俺は両腕を背後に回し、少女の体を下から支えながら、急いでバルバトスの後を追う。
「……」
と、気付いた。
指先に感じる確かな感触。
小さく、すべすべとしていて柔らかい。
……布の感触は、無い。
俺は恐る恐る手を上に移動させた。
心の中で謝罪の言葉を述べながら。
念の為、手を触れる位置の都合上、何かの間違いがあってはならないように確認を───。
太ももより少し上。
そこには、丸くてもちっとした……。
「……ん」
身じろぎする少女。
手の中の感触に、一瞬で血の気が引く。
(こ、この子……下着履いてねえ……!?)
まさか本当に履いていないとは。
一気に緊張感が増す。
どうしよう。
おんぶした女の子がノーパンでした。
こんな時どうすれば良い!?
……いや、とりあえず尻から手を離せよ。
俺は硝子細工を扱うときのような慎重さで、そろそろと手を下の方へ戻した。
なるべく、膝裏に近いところに手を置く。
少し支えにくいが仕方ない。太ももを触っていると変に意識してしまいそうだった。
「……どうした?」
「な、なんでもない!」
振り返るバルバトスに慌てて返す。
ふと彼女の手の中のナイフが目についた。
「……」
そういえば、銀髪の少女は初め、脚と脚の間にナイフを隠し持っていた。
まさかそんなところに凶器を隠しているなんて想像もしてなかったので、完全に不意を突かれてしまったのだ。
……そして今、少女は下着を身に着けていないことが判明したわけだが。
それは、つまり……。
あのナイフは……。
「……おい」
「!」
我に帰る。
バルバトスが怪訝そうな目で俺を見ている。
……視線が自動的に彼女の手の中にあるナイフに誘導された。
バルバトスは俺がナイフを見ているのに気付き、半眼になった。
じとっ……とした視線が突き刺さる。
「……今、変なことを考えていただろう」
「か、考えてない!」
ぶんぶん首を横に振る。
悪魔は鼻を鳴らした。
「そういえば、さっき格闘したときにチラリと見えたが……そのガキ、ノーパンだったな」
「! し、知ってたのかよ!?」
バルバトスはニヤリと笑う。
その笑みを見て、俺は自分がまんまと罠にかかった事を悟るのだった。
「……尻を触って欲情したか?」
「してないッ!」
「童貞め」
「童貞は関係ないだろ!」
待てよ。この場合は関係あるのか……?
いや、そんなことはどうでも良いんだよ。
女の子にいつまでもそんな格好をさせているのも可哀想だったので、俺は銀髪少女に自分のローブを着せた。
体格的には大きすぎるくらいだが、ボロ布しか身に着けていない彼女にとってはむしろ丁度良いくらいなんじゃないだろうか。
とりあえず、これで履いてない問題は解決だ。
背中の少女を背負い直す。
改めて先へ進もうと───。
「! 誰か! 誰かそこにいるのですか!?」
───そして、その声を聴いた。




