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36.再びの鏡の世界

 俺の操る馬が街道を進む。

 緑の香りを含んだ爽やかな風を掻き分け、全力疾走で駆けていく。


 背後にはバルバトス。

 彼女は俺の腰に腕を回し、しがみつくようにして後ろに乗っていた。


「……勢い良く学園を飛び出したのは、まあそれは別に良いんだが」


 背中からの声。

 声音には少しの疑惑の念が含まれていた。


「果たしてアテはあるのか? そのヴィルムリンドとかいう奴の居場所、それはわかっていないんだろう?」


 彼女の疑問はもっともなことだった。


 この三日間、奴は動きを見せなかった。

 さらに砦のウネウネは消え失せていた。


 そして今日の唐突な襲撃。

 こちらには奴の居場所───鏡の世界の入り口を特定する手段なんてない、はずだ。


 だが────



「……アテならある」


「ほう……」


 バルバトスの声は単なる相づちのようにも、続きを促しているようにも、どちらにも聞こえた。

 俺はそのまま根拠を述べる。


「鏡の世界は、ヴィルムリンドの居城であると同時に、奴の隠れ家でもある。あんな体じゃ外に出られるはずがない。……奴は常に、『隠れ家』を必要としているんだ」


 隠れ家。

 隠れるための、家。


 隠れるための拠点の入り口を、見つかりやすい場所に設置するだろうか?

 人目に付くような場所に設置するだろうか?

 ───答えは、否だ。


「わざわざ見つかりやすい場所に置くなんて、絶対にあり得ない。結界の入り口があるとしたら、そこは人の寄り付かない場所だ」


 例えば、あの砦のように。

 廃棄された砦。おどろおどろしい外観。

 滅多に人の来ない場所。


 ────ああ、そうだ。

 一つだけ、ある。


「……して、その場所とは?」


 俺は軽く笑った。


「お前も行ったことのある場所」


「?」


 視線を上げる。

 ────目的地が見えてきた。


 山を下った先にある、倒壊寸前の今はもう使われていない建物。

 荒れ放題の庭。

 割れた窓。

 格子状の錆びた門。


 こんなところ、昼間でもあまり人は来ない。

 だって噂があるんだから。

 幽霊が出るって噂が。




「────『幽霊屋敷』だよ」







 バルバトスの力で錆びた門を破壊し、敷地内に侵入する。

 荒れ果てた庭園を駆け抜け、目指すのはあの重たい扉。

 それも悪魔の射った矢が破壊し、俺たちは馬ごと屋敷の中に飛び込んだ。


「……」


 内部は相変わらず酷い有様だった。

 あの夜の、俺と巨大スケルトンとの激闘の跡がそのまま残されている。


 崩れ落ちた階段。

 めちゃくちゃになった調度品。

 破壊された石像。


 馬の足を止める。

 俺は馬から降り、埃まみれの床で胡座をかいた。


「あ、バルバトス。馬頼む」


「お、おい! ここでアレをやるのか!?」


 流石に驚いたようで、バルバトスは戸惑った声を上げた。


「これやると魔力感度が一時的にだけど上がるんだよ。きっと結界の入り口も感知できる、はず」


 ルフィナからは禁止されてたけど、今回ばかりは許してほしい。

 緊急時だ。人の命が掛かってる。

 まあ俺の命ってリスクもあるんだが……。十年間毎日やってて失敗なんて一度無かったんだから大丈夫だろ、たぶん。


「……ふぅ」


 意識を体の中央へ。

 一連のプロセスを正確に、かつ手早く終わらせる。


「───────ッ」


 深く。もっと深く。

 心は冷静に。焦らず。

 しかし素早く。

 精神は、肉体から離れる────。



「……終わった」


 俺は立ち上がった。

 なんだか、いつもよりもアッサリ終わった気がするが………。


 何故だろう?


「あー、うん。無事終わったか。そうかそうか、それは良かったな」


「……」


 ……バルバトスの様子がおかしい。

 俺は彼女の顔を睥睨(へいげい)した。


「お前、絶対何か知ってるだろ」


「おかしなことを言うな。言いがかりだ。知ってるはずがないだろう」


「……本当に?」


「……」


 しばし無言で見つめ合う。

 彼女は口を開かなかった。


「……主からの命令だ。教えろ」


「あっ、おい! アレンお前それはズルいぞ! 私にも黙秘権というものがだな────」


「うるせえ! さっさと教えろ!」


 俺がそう言うと、彼女は渋々といった顔をしながらも教えてくれた。


「……時の牢獄は、対象の精神だけを閉じ込める術だ。つまり、肉体と精神が乖離するという点では、お前の変態的な特訓と近い」


「……」


 変態って言うな。

 いや、いくら知らなかったとはいえ、死ぬかもしれない鍛錬を十年間毎日やってたのは、我ながらちょっとマゾっぽいとは思うが……。


「それも、かなり上位の術だからな。もしかしたら、時の牢獄を突破した影響でお前にも耐性が付いたのかもしれない、と思ってだな……」


 それは……。

 ありがたいのか、ありがたくないのか。

 非常によくわからない所だった。


「じゃあ、バルバトスのせい? おかげ? で、俺は『精神と肉体の乖離』に耐性が付いたってことか?」


 「そうだな。あくまで可能性の話だが……。まあ、幻術とかそういうのには強くなったと思っていいんじゃないか?」


 役に立つと思っていいのだろうか。

 少しでも力が付いたと思えば、それはプラスか。


 これも成長。

 そういうことにしておこう。


「……そんなことはどうでもいいんだ。問題は結界の入り口だろう。で? 見つかったのか?」


「あ、ああ……。ちょっと待っててくれ」


 目を閉じ、意識を集中させる。

 探すの空間の歪み。

 魔力の集中しているポイント────。



「────あった」


 食堂だ。



 俺はすぐさま馬に飛び乗った。

 腹を蹴り、食堂へと向かう。


 食堂へと続く扉は、以前巨大スケルトンによって完全に破壊された。

 その代わりに、今は食堂の前にこれでもかと瓦礫が積み重なり、山を作っていた。


「……ふっ」


 が、その瓦礫の山も、バルバトスの放った矢が弾き飛ばす。

 俺たちの行く手を阻むものは、もうない。


 そして食堂に飛び込んだ俺たちは、ソレを見た。


「!」


 いつかの夜に巨大スケルトンに破壊された、やけに長い食卓。

 その上に空間の歪み───ウネウネがある。


「……っ、見つけた」


 唾を呑み込む。

 この向こうにヴィルムリンドがいるのだ。


「……」


 息を吐く。


 恐怖が無いわけではない。

 もう一度あの強敵と対峙すると思うと、体の奥が冷えるような感覚に陥る。


 でも立ち往生している暇はない。

 クラリスが待っているのだ。

 早くしないと、あの子が────。


 指の震えを気合で抑え込み、俺はしっかりと手綱を握り直した。


「っ、行くぞ……!」


「ああ」


 馬は助走を付け、飛び上がる。

 そして俺たちは強敵の待つ鏡の世界の中へと飛び込んだ。



「……」


 何度やっても、この感覚には慣れそうにない。

 空間を飛び越えるような、この感覚。

 なんだかとても嫌な感じがするのだ。


 魔力感度が上昇していたためか、今回の嫌な感覚はいつもより強かった。

 少し息を整える。


 ゆっくりと歩を進め、食堂を抜け────。



「……?」


 と、そこで俺はある違和感を感じた。

 今、何かがおかしかった気がする。

 何かが────。


「……アレン、気付いたか?」


「気付いた、というか……違和感は感じた。でもその違和感の正体がわからない」


「振り向いてみろ」


 バルバトスにそう言われ、俺は振り向いた。

 ───そして、気付く。


「瓦礫の山が……」


 今はもうない食堂の扉。その跡地の前に積み重なっていた瓦礫の山が綺麗に無くなっている。

 先程バルバトスが破壊したのと、まるっきり同じように。


「……もし、この『鏡の世界』が、真実『鏡に写した世界』なのだとしたら、これも当然のことではあるな」


 バルバトスの声を聞きながら、周囲を見渡す。


 崩れ落ちた階段。

 めちゃくちゃになった調度品。

 破壊された石像。

 そういえば、食卓も叩き割られてはいなかったか。


「……現実世界で起きた変化は、この世界にも反映される?」


「恐らく……そうだろうな。ここがお前が表現する通りの『鏡の世界』であるならば」


「……」


 この情報、何かの鍵になるだろうか。

 まあ何が役に立つかはわからないし、とりあえず頭の片隅にでも置いておけば良いのかもしれない。


 案の定破壊されていた扉を抜け、庭園へ。

 そのまま駆け抜けて行き、俺たちは幽霊屋敷の敷地内から外へ出た。


 相変わらず、というか。

 ここは本当に人の気配が無いな。

 街並みは人間の営みを感じさせるのに、命の気配が無いと言うのがなんとも不気味だ。


 まるで住民が消えてしまったみたいだ。

 そんな風な錯覚すら覚える。


「なるほど。ここが『鏡の世界』か。言い得て妙だな」


 明らかに異世界に迷い込んだのだとわかる、と背後でバルバトスの呟き。

 俺は無言で頷いた。


「それで? 敵がいるのはどこだ」


「……たぶん、あそこの城だ」


 俺は山中に見える城を指さした。

 すべてが鏡に写したようなこの『鏡の世界』の中で、唯一現実世界と異なる異物。

 ヴィルムリンドのアジト。


「学園のあるべき場所に自分の城を、か。なかなかに悪趣味な奴だな。ヴィルムリンドとやらは」


「よほど学園長が憎いらしい」


 そう言いながら馬の腹を蹴る。

 目指すはヴィルムリンドの城。



(待ってろ、クラリス───!)



 すぐに、助けてやるからな。




      ◆




 城に近付くに連れて、段々と馬の足取りは重くなっていった。

 そして城門の前の橋まで来たときには、完全に怯えて前に進もうとはしなくなった。


「ここまで来れればむしろ上出来だろう」


 バルバトスの呟き。

 頷き、馬から降りる。


 近くにあった木に馬をつなぎ、俺たちはヴィルムリンドの城へと向き直った。


 学園と同じ、石で出来た巨大な建造物。

 窓があるのは、塔のような円柱状になっている上層階だけ。下の階に光を取り込むための造りは見られない。

 それ以外には見た目に特に変わったところはない。ごく普通の城……のはずなのに、何故か危険な雰囲気を醸し出している。

 開け放たれた城門は、まるで俺たちを誘い込むかのように───。



「……あからさまな罠だな」


 俺は無言で同意を示した。



 いかにも「入ってきてください」と言わんばかりに全開にされた門。

 奴が俺たちに邪魔をされたくないならば、こんなことはしないはずだ。

 いや、それとも、これはアレか? 罠などではなく、単純にもう一人の狙いである俺は拒まないという意思表示か?


 いやそれにしても、これは……。

 ヴィルムリンドってこういうことする性格だったかな……?


「どうする? 裏から回るという手もあるが」


「……いや」


 ────少し考える。


 これは、きっと心理戦だ。

 あえて正面の門をあからさまに開けておくことで俺の疑心を誘い、裏から攻めさせようと誘導する奴の魂胆────。

 いや、それとも逆に、俺たちがその裏をかくであろうことを狙って───?


「─────」


 ────違う。

 目的があるとすれば。


「……時間稼ぎ、か?」


 これが一番しっくりくる。


 俺が悩んでいる間にクラリスの魔力を吸収し、遅れてやってきた俺を仕留める────。

 たぶん、それが狙い。

 いや、確証は無いが。

 それでも、今までの考察の中では、ヴィルムリンドが一番やりそうな作戦ではあった。


「……私は違うと思うがなぁ。こういうのはな、大体正面から入って行くと待ち伏せされてたりするものだ。そういう罠だよ、これは」


「お前はヴィルムリンドのことを知らないからそう思うだけだろ。相手は『最低最悪の魔術師』だぞ? そんな単純な罠のはずがないだろ。悪知恵働かせてくるに決まってる」


「お前だって大して知らんだろうに」


「む……」


 それは……確かにそうだが。

 しかし奴のことを少しも知らないバルバトスよりも、一度対峙した経験のある俺の方が────。



「────大体、この罠を仕掛けたのがヴィルムリンド自身かはまだわからんだろう」


「は?」


「お前、言ったよな。『ヴィルムリンドがそんな単純な罠を仕掛けるはずがない』と。だったら、まさにそういうことなんだろ。この罠を仕掛けたのはヴィルムリンドじゃあない」


「じゃ、じゃあ誰が……」


 そこで俺は言葉を切った。

 ヴィルムリンド以外に罠を仕掛ける人間。

 ───そんなもの、一人しかいない。



「……裏切り者」


 ボソリと出た呟きに、バルバトスは頷いた。


「ああ。……考えてもみろ。何もかも向こうにとって都合が良過ぎはしないか?」


 三日間大人しくしていた癖に、クラリスが出かけた途端に襲いかかってきた使い魔。

 閉じていたはずなのに、今日になって急に別の場所に現れた結界の入り口。

 ここ数日動いていなかったヴィルムリンドが急に動き出して、たまたまクラリス外出の情報を手に入れて、使い魔に襲わせた────?


 ───確かに、出来すぎている。


「……ヴィルムリンドは外に出られないはずだ。なのにどこから情報を手に入れた……?」


 奴が外の様子を知るためには、使い魔を放って情報収集をさせる必要があるはずだ。

 だが、三日間使い魔は姿を見せていなかったのだから、それはあり得ない。

 じゃあ裏切り者か? そいつに情報を集めさせて……。いや、鏡の世界に入る手段が無いんだからそれも結局は不可能か。

 だったら、奴はどこから─────。



「────違う」


 冷涼な声。

 ハッと顔を上げた先には、琥珀色の瞳。


「前提が違うんだよ、アレン」


「え……」


「───今回のクラリス誘拐、そもそもヴィルムリンドは絡んでいないんだよ」


 俺は絶句した。


 ヴィルムリンドが絡んでない?

 じゃあ、アイツは何をして────。


「さあな。そこまではわからない。……だが、『クラリスが学園に来ているという情報を知っている』という観点から見れば、ヴィルムリンドよりもお前の学友かもしれん裏切り者の方が、今回の主犯である可能性は高いだろう」


「……」


 バルバトスの言うことは一理あった。


「で、その上で私はこれは罠だと言ってるわけだが……。どうする?」


 開け放たれた城門に一瞥をくれる悪魔。

 俺は少し考えて、結論口にした。


「……正面から行く」


「その心は」


「今から裏に回ったら余計に時間がかかる。もしそれで手遅れになったら元も子もない」


「罠はどうする?」


 バルバトスの問い。

 俺は鼻で笑った。


「そんなもの。何が待っていようと、お前が全部正面からぶっ壊してくれるだろ?」


「……ああ、もちろん」


 ニヤリと笑う。

 俺も笑った。



 歩き出す。

 思考は止めない。

 考えつつ、足を前に。


(もしバルバトスの推理が真実だとするなら、ヴィルムリンドは今何をしている……?)


 城門の前の橋を渡る。

 こんなものは現実世界には無かった。

 恐らく、現実と同じなのは周囲の森までなのだろう。この橋より先は鏡写しではないのだ。


(わざわざ手下に任せて、本人は動かない理由……)


 やることは今までと同じはず。

 鏡世界に引きこもって使い魔に指示を飛ばすだけでいいのに……どうして本人は動かない……?


 思考と共に歩みを進め、橋を渡り終えた。

 開け放たれた城門に近付く。


(何が狙いだ……奴は何を考えて……)


 そして城門をくぐり抜け────。





「■■■■■■■■■■─────ッ!」

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