33.時の牢獄
───気が付くと彼は森の中にいた。
太陽は既に沈んでいた。
……正確にはまだ沈んでいないかもしれないが、そんなことが些細な違いと感じられるほどに森の中は真っ暗だった。
「……あれ?」
そんな暗闇の中で、鬱蒼と繁った木々に囲まれながら、幼い少年───アレン・クリアコードは首を傾げた。
「オレ、なんでこんなことに……?」
確かさっきまで違う所にいたはずなのに。
そこがどこだったかは思い出せないが、どうしてか早く帰らなければいけない気がした。
だって、オレにはやらなきゃいけないことがある。
たとえ命をかけてでも、やらなきゃいけないことがあったはずで────。
「……? なんだっけな……?」
いくら頭を捻っても思い出せない。
なんだか頭痛もするし、無理に思い出そうとしないほうがいいのかもしれない。
まあ忘れてしまったということは忘れても良かったことなのだろう。そう思うことにして、アレンは思考を止めた。
別のことについて考えてみる。
例えば───ここはどこなのか。
辺りを見回しても、太い幹があるばかり。
しばらく首を傾げながら周囲をキョロキョロしていた彼は、ようやくこの場所がどこであるか検討をつけた。
「ここ、“もり”だ……」
幼い少年は思い至る。
ここは自分の暮らす村にある、大人たちが口を揃えて「入ってはいけない」と言っている森だと。
「かーさん……?」
不安げに母を呼ぶ幼子。
だがその声に答える者はいない。
少年はさらに激しく辺りを見渡す。
が、そこにあるのは、大人が腕を回しても足りないほど大きな幹を持った木々ばかりだった。
と、そこでアレンは再び頭に痛みを感じた。
同時に、脳裏に記憶が蘇ってくる。
「なんだか……こんなこと、まえにもあったような……?」
確か一人で森に入って行って。
それから迷って。
それで─────
頭痛がする。
ガンガンと。内側から金属の棒で叩かれるように。
「ううう……」
涙目になりながら、少年は唸る。
あと少し。あと少しで思い出せそうなのに。
確か……。
確か……それから……。
「あ! そうだ!」
魔物に襲われた。
その時の記憶が蘇る。
「こわかったなぁ……。しぬかとおもったぜ」
と、アレンはある事に気付く。
(そういえば、まえにおそわれたときは、どうやってたすかったんだっけ……?)
それだけはどうしても思い出せなかった。
なんだか、自分があの時助かったこと、こうして生きていること自体が嘘のように感じる。
だってどうにも現実味が無くて。
まるで、夢みたいな────。
「……っ!」
途端に言いようのない恐怖に襲われて、アレンは走り出した。
がむしゃらに。
振り返らず。
しかし、明かりもない森の中を、恐怖に取り憑かれた子供が全力疾走すれば、その結果はわかりきっている。
案の定、アレンは木の根に足を取られて、盛大にずっこけた。
「いってえ……」
呻きながら土に汚れた膝を見る。
擦りむいた膝からは血が滲んでいた。
「……ぐすっ」
痛みで思わず溢れた涙を服の裾で拭き、アレンは鼻を啜った。
唇を噛みながら立ち上がる。
─────その時だった。
「……!」
聞こえた唸り声。
弾かれたように振り向くと、そこには不気味なバケモノの姿があった。
「ひっ!」
恐ろしい魔物だった。
球状の体に、こちらを見つめる巨大な一つ目。手足は無く、代わりに無数の触手が蠢いている。
───ゲイザー。
前回の遭難のとき、アレンを襲ったのと同じ魔物だ。
「あっ……、ああ……!」
慌てて逃げ出そうとしたが、足が竦んで動かない。
思い出す。前回と同じだと。
あの巨大な一つ目に睨まれると、恐怖でアレンの体は動かなくなってしまうのだ。
「や、やめろ……! くるな! あっちいけ! くるな……! っ、こないで……!」
涙の混じった懇願。
だがゲイザーは容赦無く接近してくる。
「あ、あああ……」
ぐわっ、と目玉の下についた口が開く。
ねとりとした涎。
それが顔に垂れかかり、鋭い牙が迫る───。
「うわああああああああっ!?」
───そしてアレンは目を覚ました。
「!? はあ……! はあ……!」
彼は森の中にいた。
さっきと同じ場所だ。
「な、なんで……!」
自分の体を見下ろす。
あれだけ噛まれて血を流したはずの体は、綺麗さっぱり元通りになっていた。
「ど、どうなって……」
痛みは確かに感じたはずだった。
生きたまま魔物に食われるという、想像を絶する苦痛。それを確かに味わったはずなのに。
アレンは混乱した、
何がなんだかわからない。
「あれ……? あれ? どゆこと?」
一人呟く。
幼子の脳みそでは、到底理解できないことが起こっていた。
「きず、ない……。けが、したのに……」
服を捲って見るが、そこにあったはずの傷は消え失せている。
ゲイザーの牙に貫かれ、内臓と血をぶちまけたはずの腹も。骨ごと噛み砕かれた腕や足も、傷跡すら無かった。
いや、それどころか、転んで擦りむいたはずの膝も無傷だった。
当然、服に血や泥も付いていない。
「なんだ、これ……」
頭がおかしくなりそうだった。
どう考えてもおかしなことばかり。少年の身に起こったことは、とっくに彼の頭の許容量を越えていた。
ふるふると頭を振る。
いつまでもそこに突っ立っていても仕方がない。
アレンはとぼとぼ歩き出した。
歩き出して─────
「え」
──木の影に隠れていたゲイザーを見た。
「あああああああっ!?」
子どもの柔らかい肉に、魔物の牙が容赦無く突き立てられる。
うねうねと蠢く触手が四肢を絡め取り、体の自由を奪う。
「あ、が……っ!?」
そして──────
────再び同じ場所で、アレンは目覚めた。
「……」
服を捲くる。
案の定、傷はない。
だが、先程の痛みを、脳は確かに記憶している。
「……おえっ」
襲い来る目眩。
こみ上げてくる吐き気。
アレンはその場に崩れ落ち、素直に吐いた。
そうして嘔吐している間に、もう一度ゲイザーに襲われた。
そして死んだ。
◆
気が狂うほどの死を経験して、アレン少年はようやく一つの結論に到達した。
繰り返しているのだ。
死ぬ度に生き返り、また死んでいる。
いつも同じ。ゲイザーに襲われて。
───まるで、以前に襲われたときに起こったかもしれない最悪の可能性を、自分に見せ付けてくるように。
「ひ……!」
目に涙を浮かべ、恐怖に顔を歪めながら、幼い少年はしきりに周囲を警戒する。
次はどこから来る?
いつ襲いかかって来る?
足元に落ちていた棒切れを武器に構え、アレンは敵を探す。
そんな抵抗は無駄だとわかっていても。
それでもアレンはそれを止めようとはしなかった。
抵抗することを諦めれば、繰り返す死の前に心が折れ、狂ってしまいそうだったから。
────もしここにいる少年が、魔術学園に入学し、ヴィルムリンドと戦ったアレンだったとすれば、ここまで追い詰められはしなかっただろう。
だが、ここにいるのは幼い少年であるアレン・クリアコードだ。
十にも満たない年齢の子どもに、この状況を打開するのはあまりにも困難過ぎる。
────そう、ここは時の牢獄。
悪魔に見限られた者が行き着く先。
ここにいるアレン・クリアコードは、永遠に成長することなどない。
彼はずっと子どもの姿のまま、かつて味わった恐怖を最悪の形で追体験し続ける。
死と恐怖、そして絶望。永遠に続く苦痛。終わることのないそれらに囚われ続けるのだ。
ガササッと茂みが揺れる。
アレンは反射的にそちらに目を向けた。
細く先端の尖った木の棒を構える。
槍として扱うにはリーチが短すぎるし、棍棒として扱うには細すぎる。だが、近くに落ちている武器になりそうなものはこれしかなかった。
「こ、こい……っ!」
震えながら叫ぶ。
目は恐怖に怯え、脚は産まれたての子鹿のように。心は今にも屈しそうなほど弱っていたが、アレンはそれでも戦う道を選んだ。
なんてことはない。
逃げたら後悔する、と。そう心の中で、自分ではない自分の声が聞こえたような気がしただけだ。
ギエエエエエエエッと雄叫びを上げ、茂みの中からゲイザーが飛び出してくる。
血走った一つ目はアレンを睨みつけ、牙の生えた大口は今まさに喰らい付かんと迫る。
牙が届く寸前、勢いよく棒を振り降ろした。
決死の抵抗が功を奏したか、脳天に一撃を食らったゲイザーは呻き声と共に怯む。
その隙をアレンは見逃さなかった。
「わあああああああああっ!!」
一瞬の隙を突いて飛びかかる。
倒れたゲイザーの上に馬乗りになり、鋭利な棒の先端を────ゲイザーの目玉に勢いよく突き刺した。
「───────!?」
森に響き渡る絶叫。
魔物は大きく身をよじってアレンを振り落とそうとするが、ゲイザーの体をしっかり脚で挟み込んだアレンは、決してそれを離さない。
逆にぐりぐりと木の棒を動かし、より深く目玉に突き刺そうとする。
狂乱するゲイザー。
その体の上で、振り落とされぬよう必死にしがみつく少年。
───格闘は、数分で決着がついた。
「はあ……っ、はあ……っ」
ぐったりと動かなくなった魔物。
アレンは荒い呼吸と共に、その上から地面へと崩れ落ちた。
「っ、……はあっ」
子どもの体力では、今の格闘でもう限界だった。
しばらく動けそうになかった。
とはいえ、敵を倒せたのには変わりない。
アレンは安堵のため息と共に笑みを零す。
「やった……!」
倒せた。ようやく倒せた。
これでもう安心だ。
もうこれ以上死ぬことはない。あんな苦しい思いはしないで済む。ようやくこの地獄から開放されるんだ。
「へへ……っ」
満足感と達成感。
誰に見せるでもなく得意気な笑みを浮かべながら、ごろりと土の上で寝返りをうつ。
「────────え」
────視界に、無数の目玉が映っている。




