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31.裏切り者

 馬車が進む。

 風が頬を撫でる。

 ちらり、と視線を横に向ければ、ざわざわと揺れる木々が高速で後方へと流れていった


 軽快に走る馬の背に視線を戻す

 それから俺は隣のトルードさんを見た。

 彼は手綱を握り締め、緊張した面持ちをしていた。



 俺は微かに振り返った。

 見つめるのは馬車。そこにクラリスがいる。


 ────裏切り者がいる。

 トルードさんはそう告げると、クラリスを馬車に乗せた。

 そして自らは馬を操り、俺は隣に座らせて、急いでベルク邸へと馬車を走らせた。


「……本当は、学園の生徒である君にこの情報を伝えるのはあまり良いことではないのかもしれません。ですが、僕は君を……お嬢様の為に何度も命を掛けてくれた君を信じたい」


 風を切りながらトルードさんが言う。


「───初めて違和感を覚えたのは二日前。異界から帰還した君に事の顛末を知らされたときです」


 二日前。

 鏡の世界から帰って来た翌日。

 黒幕の正体やハーケン先生のことを手紙に書いてトルードさんへ送ったときのことだ。


「君が書いた手紙……そこに記されたヴィルムリンド・バルトの姿からは、私はどうしても想像が付かなかった。学園の結界を破壊するだけの力強さが、生ける屍と化した今のヴィルムリンドにあるとは思えなかった」


「……」


「思い出してください。以前、クラリスお嬢様がヴィルムリンドの声を受け入れ、結界を破壊してしまったことを。……あの事例が示すように、結界というものは、外部からの干渉には強くても内側からの力には弱い……」


「……だから、学園の内部にヴィルムリンドの仲間がいると?」


「ええ……。僕は、結界を破壊したのはヴィルムリンド本人ではなく、その裏切り者だと睨んでいます」


 前を見つめたまま馬を操るトルードさんの横顔をちらりと見てから、俺は俯いた。


 『最低最悪の魔術師』に手を貸した裏切り者。

 そいつが学園の中にいる。

 生徒か。それとも教師か。


「……正直、信じたくありません。ヴィルムリンドに魂を売った奴が、学園にいるなんて……」


「あくまで可能性の話です。僕の考え過ぎかもしれない。……ですが大事をとって、お嬢様にはお屋敷に戻って頂きたかった」


 ヴィルムリンドは動きを見せない。

 だが、もし本当に裏切り者がいるとすれば────そいつは自由に動き回れる。


「今度からは学園へのお出かけも控えて頂かなければ……。君も気を付けてください。敵は、案外近くにいるかもしれない」


「……!」


「……覚悟は、しておいてください」


 馬車は街道を進んでいく。

 回る車輪の音と振動。

 見上げた空は澄んだ青。

 爽やかな風が道端の木々を揺らして通り過ぎていき、緑の匂いが鼻孔をくすぐる。


 こんな状況でもなければ、草むらに寝転がって昼寝するのには最適な日だっただろうに……。

 景色の爽快さとは裏腹に、俺の心は重かった。


「……」


 クラリスに辛辣な態度をとったこと。

 それに重ねて、明らかになった裏切り者の可能性。


 正直、もう頭の中がいっぱいだった。


 ため息とともに頭を抱える。

 そんな俺にトルードさんが言う。


「……無理はしなくていいんですよ」


 弾かれたように顔を上げる。


「君はまだ学生です。本来なら学業に専念しているはずで、こんな修羅場を経験する必要なんてなかった。……僕が君くらい歳の頃は、自分のことで精一杯だったのに……君は他人の問題まで抱え込もうとしている」


「……」


「今からでも遅くはない。君は戦いから降りるべきです。君が命を懸ける必要なんて─────」


 俺は無言で首を振った。

 トルードさんをの言葉を止める。


 もう遅いのだ。

 俺はヴィルムリンドに歯向かった。あの恐ろしい魔術師の怒りを買った。

 彼は俺を逃さないだろう。六十年間も力を蓄えて学園長に復讐しようとする男だ。たとえどれだけ時間がかかったとしても、ヴィルムリンドは俺を追い詰め、殺すはずだ。

 彼には、それだけの執念がある。



 ────それに。


「────約束したんです」


 トルードさんが息を呑む気配。


「クラリスに、約束したんです。俺が守るって。もう怖い思いはさせない、君の笑顔は俺が取り戻すって。それまでは戦うって、誓ったんです」


 俺は弱い。

 なんてったって《学園最弱》だ。

 こんな俺があの子のためにできることなんて、本当は何一つとしてないんだ。

 役に立てるはずがない。

 力にはなれるわけがない。

 だって、俺には誰かを助けられるほどの力なんてないんだから。

 ────大切な人を守れる力すら、俺には足りていないのだから。


 足りないのだ。何もかも。

 サボってきたツケだ。自業自得だ。

 ここにいるのは、魔力だけは無駄に多い、ロクに魔術の使えない三流ヘッポコ魔術師。

 こんな俺が何かを成すことなんてできない。


「それでも守りたい。約束したから。誓ったから。俺はあの子に救われたから。だから、その為なら命だって掛ける」


「……怖くはないのですか?」


「怖いですよ。怖いですし、すごく辛いです。今すぐ全部投げ捨てて逃げ出したい。あんな恐ろしい奴ともう一度対峙するかもしれないのかと思うと、震えが止まらなくなる」


 でも────。


「でも、もっと怖いのは、何もできないことです。無理だと思って逃げ出すことです」


 逃げたら、俺は絶対後悔する。

 そして、沈黙は不正解。

 何もしないでいることが正しいなんてありえない。きっと間違っているはずだ。


 沈黙という選択肢はない。

 逃げるという選択肢もない。

 他に選択肢が無いなら仕方ない。もう立ち向かうしかないじゃないか。


「戦わせてくださいトルードさん。クラリスの為に、何かさせてください……!」


 トルードさんはしばらく何も言わなかった。

 耳に届くのは風の音と車輪の音だけだった。


「……覚悟はできているようですね」


「はい」


 たとえ、敵が知り合いだろうと。

 ヴィルムリンドと直接戦うことになろうと。

 俺は─────













「■■■■■■■■■■■■ッ!!」


「──────ッ!?」



 突如、響く咆哮。

 衝撃が俺たちを襲う。


 倒れる馬車。

 悲鳴。

 馬の嘶き。


 投げ出された俺は大きく吹き飛び、勢いよく地面に叩きつけられた。


「ガッ……!?」


 全身を打つ。

 鈍い痛み。

 霞む視界に映る、熊のような巨体の黒い狼。


 薄らいでいく意識の中で思ったのは。

 クラリスは無事か、と。それだけだった。



      ◆




 酷い痛みを感じて、俺は目を覚ました。


「……いっ、てぇ……」


 喘ぎながら目を開けると、横倒しになった馬車が視界に飛び込んできた。


「!」


 慌てて周囲を見渡す。

 そうだ、確かベルク邸へと向かう途中で何者かに襲われて───。



「おお、目が覚めましたか!」


 見知らぬ男の声。

 顔をそちらに向けると、知らない男が立っていた。

 行商人だろうか。それらしき服装をしている。

 視線を滑らせると、そこには一台の馬車。俺たちが乗っていたものとは違う。恐らくこの行商人のもの。


「驚きましたよ。街道を進んでいたら、前の方に倒れた馬車が見えて。近付いてみたら、あなたともう一人男性の方が倒れていらっしゃったんですから。いやあ、気が付かれたようでよかったよかった……!」


 安堵の声を漏らす行商人。

 俺は痛みを押して立ち上がる。


「あの、俺の他に倒れていた男の人は────」


 トルードさんのことだろう。

 彼は無事なのだろうか。


「……ああ、あの人。まだ目を覚まされていないのですよ。今は私の馬車で寝かせています。まあ命に別状はないみたいですけどねえ……」


「そう、ですか……」


 俺は息を吐いた。

 途端に胸が激しく痛む。傷が開いてしまったか。

 顔を歪めて苦痛に耐える。


 と、目を見開く。

 そうだ。クラリスは。


「あの、もう一人いませんでしたか? 俺よりも少し幼いくらいの、金髪の女の子が馬車の中に……」


「いいえ? 馬車ってあの倒れた馬車でしょう? 中は無人でしたよ?」


「!」


 途端、脳裏に気絶する直前に見た光景が浮かぶ。

 見えたのは巨大な狼。その体躯は熊と同等の大きさであり、毛の色は闇のような漆黒。

 間違いない。大きさこそ今での個体とは違えど、俺たちを襲ったのはヴィルムリンドの使い魔の獣だ。


 操っていたのはヴィルムリンドか。

 それとも─────。

 とにかく、クラリスが攫われたというのは紛れもない事実だった。


 こうしてはいられない。

 すぐに追わなくては。

 追う……どこに?


「……獣。黒い、熊のような大きさの狼を見ませんでしたか」


「いいえ、いませんでしたよ。そんなバケモノがいたら、私とっくに逃げ出してますもの」


 出かかった舌打ちを飲み込む。

 苛立っても仕方ない。窮地のときこそ冷静になれ。


 ────思考する。

 学園長は不在。

 ハーケン先生は帰ってこない。

 トルードさんは目覚めない。

 なら、今戦えるのは────。


「……」


 敵の居場所がわからない。

 でも悩むな。

 やるべきことは一つだ。


 弱い俺ができることなんて、たった一つ。

 強い者を頼る。

 自分の力で勝てない相手には、外部からの干渉を期待する他ない。


 ────俺は覚悟を決めた。


「急いで行かなければならない所があるんです。申し訳ないのですが、馬車で眠っている彼のことをしばらくお願いします」


「は、はい……」


 行商人はおずおずと頷いた。

 礼を言い、駆け出す。

 と、後ろから呼び止める声。


「待ってください! 急ぐのでしたら、この子を……」


 振り向くと、行商人が一頭の馬を連れて立っていた。


「その馬は……」


 確か、俺たちの乗っていた馬車を引いていた馬だ。

 襲撃を受けたときに嘶きが聞こえたが、無事だったのか。


「ええ。馬車と一緒に倒れていたのですが、幸い怪我はしていないようで。きっと十分に走れますよ」


「……ありがとうございます」


 馬にまたがり、腹を蹴る。

 故郷にいた頃はよく馬に乗った。山深い場所だったので、馬を乗りこなせなければ遠出なんてできなかったから。

 最近は乗っていなかったが、乗馬の技術はしっかり体に染み付いていた。


 俺の操る馬は全速力で駆け、学園へと向かう。

 そこに待つ、悪魔の元へと。



 ────悪魔バルバトス。

 彼女と、今度こそ契約する為に。

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