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03.金髪女と悪魔のグリモワール

 ―――悩みがあったら教会へ行くといい。


 そう言ったのは誰だったか。

 確か、友人のウェインだった気がする。



 図書館から逃げ出した俺は、そのままの足でロマイナの街へ向かった。

 目的は教会。あそこで悩みを吐き出すと、もれなく心優しい神父様や可愛いシスターに慰めてもらえる……といつかウェインが言っていた。


 既に心の中に悪魔のことはなかった。それはもう諦めていた。

 元より不可能な話だったのだ。召喚の実例はあれど、そんなものは何百年も前の話。信憑性があるかは怪しいところだ。


 ……っていうか、さっきまでの俺は何をやってたんだ。

 無理やり禁書庫に入ろうとするなんて。

 いくら何でもなりふり構ってなさすぎだろ。

 思い出すだけで顔が熱くなる。


 忘れろ忘れろ。

 七十二の悪魔など、作り話だったのだ。

 そう思うことにする。






 この街───ロマイナは円形の街だ。

 四方に門があり、その外には領主エルド・ベルク伯爵の屋敷。街の北には山が広がり、山中にデルタミヤ魔術学園がある。


 そして教会は、街から少し離れた丘の上に建っている。

 石でできた壁と床。なんでも数百年前からここにあるのだとか。



 赤いカーペットの敷かれた長い廊下を歩く。

 誰もいないのか、廊下はやけに静かだった。


 取り敢えず礼拝堂に向かってみることにする。


「……」


 礼拝堂に近付くにつれ、パイプオルガンの音が聞こえてきた。

 教会に相応しい、神聖で荘厳な音色。

 それでいて、どこか親しみやすさを感じる。



 大きな扉を開け、中に入る。

 ───礼拝堂の中には、一人の少女がいた。


(シスター……じゃないよな……?)


 薄いマントを身にまとい、頭にはフードを被っている。チラリ、と艶のある金髪が見えた。


 歳は二十手前だろうか。

 少女、という表現は適切ではなかったかもしれない。

 十代特有の瑞々しさはあるものの、彼女が醸し出すのは紛れもない大人の色気。

 そこにいたのは、間違いなく一人の女だった。



「──良い曲でしょう? 私、この曲好きなの」


 演奏を止めた女は椅子を降りて俺に向き直る。

 フードで目元は隠れているが、口元が弧を描いたことから微笑んだのがわかった。

 柄にもなく聞き惚れていた俺は、咄嗟のことに反応が遅れた。


「あ、ああ。ところで、神父様はどこだ? 悩みを聞いてくれるって聞いたんだけど──」


 女はフードを外した。

 長い金髪が溢れ、端正な顔が(あらわ)になる。

 思わず見惚れるような美貌だった。


 女は軽く頭を振った。

 背中まで伸びた長い髪が揺れる。


 コツコツ、と女は俺に歩み寄った。


「噂を聞いたのね? でも残念、神父様はいないわ。けれど何も問題はない。だって、あなたにはお悩み相談なんて必要ないもの」


「……? どういうことだ……?」


「あなたの進むべき道は、もう決まっている。──私、ずっとあなたのことを待っていたの」


 女は俺の目の前まで来ると、その手をとった。


「お、おい──」


「さあ、行きましょう」


「行くって、どこに……」


 ぐい、と腕を引っ張られ、女に連れられるまま、歩いてきた廊下をそのまま戻っていく。

 半ば女に引きずられるような形で廊下を進む。

 やがて、彼女は立ち止まった。



「ここよ」


 女が立ち止まったのは、なんの変哲もない廊下。


「ここって言われても……」


「ここに、あの子がいるの。この向こう側に」


「はあ?」


 この向こう側。

 そう言って女が指さしたのは、一枚の風景画だった。

 少し古いが、それ以外はごく普通の、牧草地帯を描いた絵だ。


「この絵が何だって……」


「見ていて」


 女は絵に手を当てる。

 掌から仄白い光が溢れ出し、廊下を照らした。


(魔力……?)


 女は壁にかかった絵に魔力を通している。

 コイツ、魔術師だったのか?


 ……いや、違う。こんなものは魔術ではない。

 詠唱もしてないのだ。それに、魔術師にしては、コントロールが少し拙い気がする。いや、俺が言えたことじゃないけれど。


 まあ、とにかく。

 彼女は、ちょっとばかり魔力を操れるだけの、ただの一般人。

 それは間違いないだろう。


 しかし、こんなことをして何を───



「!!」


 突如───絵が、割れた。

 丁度真ん中で、縦に切られたかのように真っ二つになる。

 そしてその向こう側には、石の壁ではなく暗い通路があった。


「付いて来て」


 先に進む女の後を、戸惑いながらもついて行く。





 ──そこは、通路というよりも洞穴に近かった。


 壁にも床にも、石は敷かれていない。

 湿った土が剥き出しだった。


 暗くジメジメとしていて、空気はひんやりと冷たい。

 風がないとということは、この穴は何処かに通じている訳ではないということだが……。


「……なあ、この先に何があるんだ?」


「行ってみればわかるわ」


 先程から何度も同じ問いを投げかけるが、返ってくるのは同じ答えばかり。

 誤魔化されているのか、それとも本気で言っているのか。

 いずれにせよ、俺にはついて行くことしかできない。



 しばらく歩くと、開けた場所に出た。


「おぉ……」


 そこはまるで部屋のような空間だった。


 その空間だけが壁にも床にも石が敷き詰められており、さっきまでの洞窟とは逆に、土が見える場所など何処にもない。

 部屋の中央には祭壇のようなものがあった。

 そしてその上には、真っ黒な光を放つ岩。


 黒い、黒い、大きな岩。

 大人一人分くらいはある。

 真っ黒な岩だが、黒曜石とは明らかに違う。

 黒曜石は光を放ちはしない。


 しばらく見ていて、その光が魔力が発現したものだと気がついた。

 それもそうだ。黒い光など存在しない。


「これは……」


「驚いた? あなたのものよ」


「俺の……?」


 意味はわからなかったが、何故だか不思議な説得力を感じて、俺はゆっくりと祭壇に歩み寄った。


 凄まじい魔力だ。

 気を抜けば圧倒されてしまうような魔力の奔流(ほんりゅう)

 黒い光はうねるように暴れ、禍々しさすら感じる。



 ──だが、その光が、たまらなく美しく見えた。



「……」


 祭壇の目の前に来て、岩を見上げる。

 今や魔力は勢いを増し、開放の時を待つかのように脈打っている。


(触れてみたい……)


 ふと、そんな衝動に駆られた。

 だがそれは駄目だ。これは手を出してはいけない類のものだ。直感がそう告げている。

 しかし、それでも手を伸ばしたい。触れたみたい。

 この魔力は、外の世界を望んでいる。


 禁断の鼓動は、俺を招くように強さを増していった。


「……」


 我慢できなくなって、ついに黒い岩に指を伸ばす。

 ゴツゴツとしていて、ひんやりとした表面。

 そこに、手の平を───






 ─────その瞬間。

 ガラスが割れたような音が鳴り響く。



「─────うわあっ!?」


 (ほとばし)る魔力。

 暴風のような衝撃に吹き飛ばされる。


 石の床の上を二転三転。

 体勢を整え、必死に堪える俺の目の前で、岩は砕け散った。





 そして─────



「────────」





 ────砕け散った岩の中から、一冊の本が現れた。






「……」


 本は黒い光に包まれたまま、ふわりと降ってくる。

 そのまま俺の腕の中にすぽりと落ちた。

 呆然とそれを見下ろす俺に、女が言う。


「それは、悪魔召喚の魔導書(グリモワール)。あなたが探し求めていたものよ」


「……なんで、そのことを」


 金髪女はクスリと笑う。


「私は知っている。全てを。……アレン・クリアコード君。これから君の身に起こることも、全て」


「!」


 俺は名乗っていない。

 なのに、この女は俺の名を当てた。


「お前、何者だ……!」


 体の奥底に意識を向ける。

 そこに眠る魔力を呼び出し────









「おおっと、待ちな。お嬢に敵意はねえよ。バカな真似は止めるんだな」





 ────背後からの、声。


「!」


 背後に、一人の男が立っている。


 今まで見たことないほど長身の偉丈夫(いじょうふ)だった。

 見たところ歳は三十半ば程か。筋骨隆々とした体躯は、そこに居るだけで威圧感を感じさせる。


 やけに鋭い犬歯と、獣を連想させる獰猛な目つき。

 栗色の頭髪は獅子の(たてがみ)ようにボサボサだった。


 ──鬼人(オーガ)

 ふと、そんな名前の魔物を思い出す。


 それほどまでに男の肉体は人間離れしていた。

 世の中には剣闘士と呼ばれる、己の肉体のみで猛獣と戦う戦士もいるらしいが、恐らくその彼らですら目の前の男には敵わないだろうと思った。


「……っ」



 ────だが。


 そんなことよりも、まず最初に俺が驚いたのは。




 その男から放たれる魔力が、おおよそ人間のそれとは思えないものだったからだ。




「……へえ? 気付いたのか。結構、見る目あるじゃあねえか」


 男が片眉を釣り上げる。

 そして不敵な笑みを浮かべた。



 ―――この男は魔術師ではない。

 それは見ればわかる。これでも魔術師の端くれだ。目の前の相手が魔道に携わっている者か、そうでないかは判別できる。

 だというのに、この男の持つ魔力は、俺の知るどんな魔術師よりも苛烈(かれつ)だった。


 魔力量でいえば、学園長をはじめとするデルタミヤの教師たちの方が遥かに上を行くだろう。

 だが、そんな話ではない。

 違うのだ。対峙してみればわかる。言葉では言い表せないが、とにかくこの男は違う。決定的な何かが。


 ────人外。人ならざるナニカ。

 この男は、その類のものだ。


「お前は――――」


「『お前は一体何者だ。人間なのか?』―――と、言う」


「!」


 思考を、読まれた……?


 戦慄する俺を見て、男は再び笑う。

 間をおかず金髪女の声。


「言ったでしょう? 私達はあなたのことを知っている。何もかも。―――これから取る行動すらも」


「次は『左の手を握りしめる』だ」


「!」


 左手に力を入れ始めていた俺は、ビクリと停止した。


 冷や汗が流れる。

 なんだ、これは。どういう状況だ。

 何故こんなことになっている。


「……俺を、どうするつもりだ」


 震える喉を気合で抑え込み、静かに問う。

 返ってきたのは、静かな答え。


「別にどうもしないわ。私達は、ただあなたにその本を手に入れて欲しかっただけ」


 俺は手の中の本を見下ろす。


 悪魔召喚の魔導書(グリモワール)

 俺に、これを……。


「その本はもうあなたの物。使うかどうかはあなた次第。……まあ、きっと使うことになるでしょうけど」


 金髪女が俺の脇を通り抜け、男の傍らに立つ。

 そして二人は、俺に背を向けた。


「お、おい……」


 呼び止める声も虚しく、謎の二人組は姿を消した。




 後に残された俺は、魔導書を抱えたまましばらく一人立ち尽くしていた。


 ふと我に返り、慌てて地下から脱出する。

 地上に出ても、未だ教会は無人のままだった。


「……っ」



 魔導書を手に、街を駆け抜ける。

 目指すは男子寮の自室。


 召喚するんだ。悪魔を。

 これで変わる。変えられる。

 俺の、何かが欠けた日常が。



 あの二人の狙いはわからない。

 俺に悪魔を召喚させて、何がしたいのか。




 ―――でも、別に何だっていいさ。

 今は、利用させてもらうだけだ。




      ◆



 この時は思いもしなかった。

 この二人組に、一ヶ月後また会うことになるとは。


 そして、俺がとてつもなく大きな計画に巻き込まれていることも、この時点ではまだ知らなかった。

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