29.失くした夢
あの日───ジェイルに負けた日、俺は絶望の味を知った。
海よりも深く。
夜よりも暗い。
もう二度と味わいたくないと思った。
みじめだった。
何もできないまま、コテンパンにやられた。
ありもしない才能を信じていた自分が馬鹿みたいだった。
恥ずかしかった。
向けられた冷たい目。
周りから聞こえる笑い声。
無様に立ち尽くす俺。
───あの日、俺は壊れた。
腐りきったクズに成り下がった。
ルフィナが距離を置いたのもわかる。今思い返せば、あの日からの俺は途方もない愚か者だった。
わかってたんだ。本心では。
才能なんて無くたって、努力すれば後からどうとでもなると。
だって、それを証明した奴らはいた。入学時には俺みたいなへなちょこでも、努力を重ねて一年後にはマシになっている奴らは大勢いた。
それを、俺は結局あいつら才能があったんだと言って、現実から目を背け続けた。努力することを避けて、逃げ続けた。
『────大それた力が、何の努力もせず、リスクも負わずにいきなり手に入るだなんて思うなよ。甘いんだよ小僧、お前は』
バルバトスの言葉があんなにも心に突き刺さったのは、それが正論であることを俺自身わかっていたからだ。
努力したってどうにもならない。無駄なんだ。────本当か? 本当に俺は努力したのか?
全力で取り組んだか? 簡単に諦めるのが許されるほど、努力が無駄だなんて語れるほど、本気で取り組んだか?
───違う。俺は、才能を盾にして向き合うことから逃げていただけだ。
何もやって来なかったことを、本当は俺自身が一番わかっていた。
わかっていたからこそ、それを他人に指摘されると心がささくれ立った。
俺は、クズだった。
でも、そんな俺もようやく変わることができた。
『私、わかるわ。アレンはきっと凄い魔術師になるって』
───その言葉を聞いたとき、俺は自分の胸につっかえていた塊がゆっくりと溶けるのを感じた。
結局、俺に必要だったものは、それだった。
信頼であり、期待だった。
俺は弱い人間だ。
無理に背中を押されると、その手を払ってしまう。
強い言葉で励まされると、耳を塞ぎたくなる。
だから俺に必要だったのは、何もせずにただ期待を込めてこちらを見つめる視線だった。
変われたんだ。あの子に会って。
変われた。あの言葉で。
俺は彼女に救ってもらった。
救ってもらったのに。
ようやく、変わることができたのに───
『大層な使命なんて抱えて随分浮かれてたみてえだけどよぉ、自分に酔ってんじゃねえぞ。テメエはクズなんだよアレン! テメエの本性は俺たち側なんだよ!』
俺は結局元に戻ってしまうのか。
もしクラリスを守れなかったら。
ヴィルムリンドを倒せなかったら。
もう一度大きな挫折を経験したら────向けられた期待に応えることができなければ、俺はまた腐ってしまうんじゃないのか。
(───怖い)
ヴィルムリンドと対峙したときとは違うベクトルの恐怖。
本能に訴えかける恐怖じゃない。───これは、ようやく手に入れたアイデンティティを破壊されるのではないかという恐怖。
(────怖い)
向けられる期待が失望に変わる。
信頼が反転する。
『所詮アレンはその程度なのね。がっかり』『何が期待の新人だ。よくも騙してくれたな』『君に任せた儂が愚かじゃった』『やはり君には処分を与えるべきでした』『結局変わってなんてないじゃない』
クラリス。
伯爵。
学園長。
ハーケン先生。
ルフィナ。
皆が俺を見ている。
氷のように冷たい目で。
『ようこそアレン。俺たち側へ』
聞こえた声はクレイグのもの。
誘うような声音に、俺は落ちていく─────。
「─────アレン!」
「!」
目を見開く。
目の前にルフィナの顔があった。
心配そうに覗き込んでくる。
荒い息と共に周囲を見渡す。
辺りには人だかりができていた。
(気絶してたのか……)
そこはクレイグと話した廊下だった。
柱によりかかるようにして、俺は倒れていたようだった。
「なんでこんなところに……。ほら、医務室に戻りましょう? 支えてあげるから一緒に───」
「いや……図書館に連れて行ってくれ」
ふらつきながら立ち上がる。
目を剥いて何か言おうとするルフィナを手で制して、俺は彼女に顔を寄せた。
周りには聞こえないよう、囁く。
「力を貸してくれ。ヴィルムリンドを倒すためだ」
「……っ、なんで図書館なんか……」
「調べたいことがあるからだ。あそこはたくさん本があるだろ? きっと俺が知りたいことに関する本だってあるはずだ」
早口で述べる。
ルフィナが渋々ながら頷くのを見届けて、俺は声を上げた。
「ちょっと道を開けてくれ! 通してくれ!」
人の群れがさっと割れる。
野次馬たちは何やらざわついていたが、特に文句は言わなかった。
「アレン……」
「大丈夫……大丈夫だ……」
野次馬たちからの視線。
それがいつか浴びた侮蔑の視線と重なって、体の底が冷える。
(考えるな……)
歯を食いしばり、ネガティブな方へと引きずられそうになる思考を気合で留める
余計なことは考えてはいけない。
目の前のことに集中しろ。
今やるべきことだけを見るんだ。
そのことだけを考えろ。
俺の本性だとか、クラリスを守れなかったらとか、ヴィルムリンドを倒せなかったらとか、そんなことは考えるな。
俺の本性? 知るか。俺自身ですらわからないことがクレイグなんかに理解できてたまるか。
クラリスを守れなかったら? 意地でも守りきれ。約束しただろうが。
ヴィルムリンドを倒せなかったら? 思い上がるな。そもそも俺の力じゃ、奴には勝てやしない。魔力砲を使いこなせたところで勝利は遠い。
失敗は当たり前だ。
勝てる相手じゃないんだ。
でも、それでも挑むと決めた。俺なんかにできることは少ないけれど、それならせめて数少ない『できること』を全力でやるんだ。
◆
「着いた……」
図書室に着くなり、俺は書架から一冊の本を引っ張り出した。
魔術についての基本書。今の俺に必要なもの。
今こそ基本に立ち返る必要がある。いや、立ち返るというのは違うか。その基本すら、俺はまともにできていないのだから。
「何を調べるの?」
横からルフィナの声。
本を見つめたまま答える。
「魔力を増やす方法」
「私、魔力は日頃から魔術を使うことで少しずつ増えていくって聞いたことあるけど……」
「いや……」
それは俺も聞いたことがある。
だが、俺はそんなに頻繁に魔術を使ってはいなかった。日頃から、だなんてとてもじゃないが言えない。
ルフィナの言う『日常的な魔術の行使』は俺には当てはまらない。俺の膨大な魔力量を説明する材料にはならない。
「……」
俺は特別な鍛錬なんてしてなかった。
むしろ何もしてこなかった。
やってきたことといえば、毎日の瞑想くらい。しかしそんなもの、他の魔術師は皆やって────。
「ちょっと待って」
ルフィナが声を上げる。
「瞑想って……何それ」
「は?」
ルフィナは眉根を寄せていた。
困惑の表情を浮かべる彼女に、俺もまた困惑することしかできない。
「何って……瞑想は瞑想だろ。魔術の基本鍛錬。精神を統一して、体内に魔力を取り込む────」
……おい待て。
俺はそこで言葉を切った。
今俺はなんて言った?
魔力を……取り込む?
「はあ……それよ。どう考えてもそれが原因よ」
ルフィナが大きく息を吐いた。
俺も思わず天を仰ぐ。
首を振り、だるい体を押して本を書架に仕舞った。
「じゃあ、なんだ? つまりこういうことか?」
俺が基本鍛錬だと思ってたコレは全然そんなものじゃなくて、むしろ誰もやっていなかった。
そして俺は瞑想を基本鍛錬だと思って十年間毎日続け───十年間毎日魔力を体内に取り込み続けて、才能は無いのに魔力だけはどんどん増えた……と。
「一日単位で魔力量が大幅に増加してるなら、道理でその変化を感じ取れないはずだわ。普通に暮らしてれば、魔力切れを起こす事態になんて遭遇しないもの」
さっきも言ったが、俺は普段から魔術を頻繁に使用してはいなかった。
一日に消費する魔力はほんの少し。
日常的に上限を確認していないのだから、自分の魔力量なんて把握できるはずがない。
俺は気づかない内に努力を重ね、魔力量だけは成長していたのだ。
……まさか、努力を嫌ってた俺が毎日コツコツ続けてた鍛錬が、ヴィルムリンドを倒す鍵になるなんてな。
「命懸けの鍛錬でも、続けてた意味はあった。ってことかな……」
「……命懸け?」
「あっ」
ルフィナがじろりとこちらを見る。
やべ。
俺は肩をすくめた。
「まあ、いいけど。今度からやらないって約束するなら」
「え、やっちゃ駄目?」
「当たり前でしょ! ヴィルムリンドを倒すための鍛錬なのに、ヴィルムリンドと戦う前に死んじゃったら意味ないじゃない!」
これまで十年間やってきて、一度も失敗したことなんてなかったのだから、別にこれからも続けて問題は無いと思うのだが……。
しかし、もしものことを考えれば、やはりこれからはあの鍛錬はやめた方がいいかもしれない。
(となると、他に方法を探さなくちゃな……)
「っていうか、一体どこで瞑想なんて方法知ったのよ。学園じゃ教えてないでしょ」
「あー……。あ?」
そういえば……誰だっけ?
思い出せない。
故郷にいた頃誰かから聞いたことは覚えているのだが。
「……」
目を閉じて唸る。
記憶の奥から、忘れ去られた記憶を引っ張り出す。
────脳裏に蘇ったのは、若い男の声だった。
『────魔術師になりたい? ムリムリ。こればっかりは才能だからなあ……。いや、確かに俺には才能無かったって言ったけどよ……』
『あんまりオススメはできねーぜ? 特にお前みたいなガキには。めっっちゃくちゃキツイんだからな? わかってんのか?』
『それでもっていうんなら仕方ない。教えてやるけど……死ぬんじゃねえぞ?』
月明かりを背に立っているた男の顔は、逆光になってよく見えない。
でも何故だろう。顔は思い出せないが、その言葉だけは覚えていた。
いや、思い出したというべきか。
俺は目を開いた。
「魔術師の男から教わった。そう記憶してる」
「……? 私たちの故郷に魔術師なんていなかったじゃない」
「それはわかってる。でも、確かにあの男は魔術師で────」
俺はこめかみに手を当てた。
あと少し。思い出せそうなのに。
喉元まで出かかっているのに、彼が何者だったのかが思い出せない。
「っ」
代わりに脳裏に浮かんだのは。
少年特有の高い声だった。
『おれ、やくそくするよ! “せかいいち”の“まじゅつし”になる!』
穢れを知らない子どもの声。
その声は、まさしく俺のものだった。
「世界一の……魔術師……」
ぽつり、と呟きが漏れる。
「ああ……。そういえば、アレン昔から言ってたわね。『世界一の魔術師になるんだ!』って。……まあ、最近は言ってなかったけど」
「!」
そうだ。
俺がこの学園に入ったのは、夢を叶えるため。
世界一の、最高の魔術師になるためだった。
ああ、そうか。
思い出したよ。
俺は本気で夢を見ていたんだ。
愚かなほど真っ直ぐに。
でもその夢は壊れた。
ジェイルに手も足も出ず敗北して、自分の才能の無さに絶望したからだ。
あの日、俺はかつて抱いた理想に背を向けることを決めた。
そしていつの間にか、忘れてしまっていたんだ。
「……アレン、ちょっと顔色良くなった」
「そうか? まあ、そうかな……」
胸のつっかえが取れた気分だった。
まだ記憶の魔術師が何者だったのかは思い出せないが、それでも忘れていた夢を思い出せたんだ。
もう捨てたりしない。この魂に刻み込もう。
俺の原点。この壮大な夢を。
「……っと」
こんなことしてる場合じゃない。
図書室に来た目的を忘れてた。
俺はここに、魔力を増やす方法を調べるために来たんだ。
再び書架に向き直る。
そこに並べられた本をしげしげと眺める。
と、後ろから俺に声をかけて来る者があった。
「クリアコード君」
「! し、司書さん……」
振り向くと、そこには司書さんがいた。
以前、禁書庫に入りたいと無理に彼女に迫ったことを思い出し、俺は羞恥から目を伏せた。
マジであの時の俺どうかしてたからな……。
その様子に司書さんが薄く微笑む。
何も言えない俺に代わって、ルフィナが首を傾げた
「どうかしたんですか?」
「お客さんですよ」
司書さんが図書室の入り口に目を向ける。
そこには人影。
俺はその影に見覚えがあった。
「トルードさん……?」
トルード・センタース。
ベルク家の専属魔術師だ。
「クリアコード君にお話があるそうですから、行ってあげてください。あ、それとミラーさんはそろそろ授業の時間ですよ?」
「あっ、そうだった。ごめんアレン、私はこれで……」
「ああ」
ルフィナは小走りで扉まで行き、トルードさんに会釈して出て行く。
俺はその後ろからゆっくりとトルードさんに近付いた。
「トルードさん」
「どうも、クリアコード君。三日ぶりですね。……無事なようで何よりです」
「……ありがとう、ございます」
トルードさん自身もそんなつもりはなかっただろうが、どうもその件を話題に出されると、鏡の世界に取り残されたハーケン先生のことを思い出してしまう。
トルードさんは申し訳なさそうな、そして痛ましそうな表情を浮かべだ。
「……失礼。そんなつもりでは……」
「いえ、大丈夫です。……それで、今回はどのような御用でこちらに?」
「ああ……そのことなんですが……」
トルードさんは言いづらそうに視線を彷徨わせる。
「僕も止めはしたんですがね……。どうしてもクリアコード君とお話したいと……ご本人たっての希望でして……」
「はあ……」
話が見えない。
俺は頭上に疑問符を浮かべる。
その様子を見て、トルードさんは意を決したような顔を浮かべ、咳払いした。
────そして、告げた。
「……お部屋で、クラリスお嬢様がお待ちです」




