28.お前はクズなんだよ
「あークソ。マジで痛え……」
俺は柱に寄りかかって呻いた。
片手は脇腹に。強めに押さえる。
三日前、ヴィルムリンドの使い魔に思いっきり噛みつかれたところだ。
血は出ていない。
出ていないが、痛い。
出血していなけりゃいいってもんじゃないんだ。痛みというのは集中力を奪う。思考を奪う。肉体の活動を奪う。
「痛み止めの呪いでも使えればよかったんだけどな……」
俺は柱にもたれかかったまま、ずるずると床にへたり込んだ。
立つ気力もなかった。
少し眠ろうか。
あれだけ寝たのに、身体はまだ休息を欲している。
本調子じゃないのだ。仕方ない。
ときにはゆっくり休むことも肝心だ。
最高のパフォーマンスを発揮するには、適度な休息が───
「……もう十分に休んだろうが」
俺は自分の弱い心に吐き捨てた。
膝を叩き、立ち上がる。
いつまた敵が動き出すかわからない。
俺がこうしている間にも、ヴィルムリンドは鏡の世界で次の計画を練っているに違いない。もしかしたら、既に準備は始まってるかも。
状況は一刻を争う。
すぐにでも奴に対抗できる力を付けなければ。
学園長もハーケン先生もここにはいない。ヴィルムリンドに対抗できるのは、現状俺の魔力砲が唯一なのだ。
やらなければならない。
これが俺のやるべきことだ。
「……っ」
柱に手をつく。
深呼吸。顔を上げる。
そして前を向く。
「……」
そこで俺は見た。
「……クレイグ」
「よお、アレン。こないだはどーも」
クレイグは皮肉たっぷりに言った。
俺はその態度に少し引っ掛かるものを感じたが、すぐにその原因に思い至った。
この間の追認試験のことだ。
彼は記憶処理でバルバトスのことを忘れている。クレイグの頭の中では、彼は真っ向勝負で俺に負けたことになっているのだろう。
きっと屈辱なはずだ。こんな態度なのも頷ける。
……正直、申し訳無い気持ちもある。
「お前、授業はどうした。今の時間はまだ授業中だろう」
「いいんだよ、あんなもんは。俺はもっと高尚で素晴らしいことを見つけたんだ。このくだらない学園のくだらない授業なんかよりも、ずっとずっと素晴らしい……俺がやるべきことを」
「……そーかよ」
学園のことを『くだらない』と言ってのけたクレイグに少しむっとしたが、ここは抑える。価値観は人それぞれだ。俺がどうこう言うことじゃない。
それに、クレイグが『やるべきこと』を見つけたというのなら、それは良いことじゃないか。
「そういや聞いたぜアレン。色々大変だったらしいじゃないか。なんでも、こことは別の異空間に乗り込んで大冒険とか」
「!」
俺は先日の件を誰にも話していない。
ルフィナも、言いふらすような性格じゃない。
「その話、誰から聞いた」
「誰でもいいだろ? そんなこと」
「良くない。……答えろ。一体誰からその情報を手に入れたんだ」
「……まあ、知ってる奴は知ってるってことだ」
「……」
クレイグを睨む。
だが彼はヘラヘラしたままだった。
これ以上の追及は意味を為さない。
それに、俺は急いでいるのだ。
俺は前に立つクレイグの横をすり抜けた。
「おい待てよ」
ぐっ、と腕を掴まれる。
強い力だった。
傷が少し痛む。
「……なんだよ」
「もう少し話そうぜ。聞きたいことがあるんだよぉ」
「急いでるんだ。話があるなら手短に頼む」
「そうカリカリすんなって」
ケラケラ笑うクレイグ。
俺は眉を潜めた。
さっきから何なんだ、コイツは。
いつもと比べて態度が軽薄すぎやしないか?
いや、普段も大概だが。だがそれにしても、この様子はおかしい。まるで酔っ払っているみたいだ。
しかし彼の顔に赤みは見られなかった。
息も酒臭くないし、足取りもしっかりしていた。
ならば素面でコレなのか。
「で? なんだよ、聞きたいことって」
「ああ、それはな……」
すっ……と。
途端にクレイグの顔が変わる。
先程までの苛立ちすら感じる締まりのない表情はどこへやら、急に真面目なものに。
「なあ、アレン。人は変われると思うか?」
「は……?」
俺は呆気にとられた。
なんだ、それは。どういう意味だ。
俺が何かを言う前に、クレイグは俺に背を向けた。
「俺はよぉ、アレン。俺は、クズだ」
「……あえて何も言わないでおく」
「どうしようもないクズだ。最低のクソ野郎だ。こんな俺に真っ当な生き方ができるわけがねえ。……いや、はじめっからマトモな道なんてなかった」
彼の言葉を聞きながら、俺はふとあることを思い出す。
クレイグは確か、クレイン家の三男だったはずだ。
長男は家を継ぎ、次男は他家へ婿養子に。
三男だった彼は、僅かにあった魔術の才能を頼りにこの学園に入学した────。
魔術学園の卒業生は、大きく分けて三つの進路に進む。
一つは、宮廷魔術師。魔術師としての最高職。学園の中でも特に成績優秀なものはこの道を進む。
もう一つは、貴族のお抱え魔術師。魔術師といえば思い浮かぶのが大体この仕事だ。大抵の生徒は貴族に雇われ、この道を進む。
そして最後は────冒険者。
最低職。底辺やはみ出し者が進む道。
一般的に魔術師はエリート職と言われるが、これだけは例外だ。荒くれ者だらけの冒険者の世界に好んで進む者なんていない。
「俺が進む道は冒険者だった。それしか無かった。当たり前だよなあ? 宮廷魔術師なんてなれるわけがない。あの道を進めるのは、ほんの一握りだ。ただでさえウチの学年はバケモノが多いのに、そいつらに勝って成績上位なんて無理に決まっている」
「……」
「貴族に雇われるのだって無理だ。他の貴族の息子を、一体誰が雇うって言うんだ? 実家に雇ってもらう? ふざけんな。そんなみじめなの、死んでも御免だね」
彼は背を向けたまま天を仰いだ。
その口からため息が溢れた。
「結局俺の道は最初から決まってたのさ。最底辺の道だ。信じられるか? 貴族の俺が、そこらのゴロツキと同じ階級だぞ?」
俺は何も言えなかった。
ただの嫌な奴だと思っていたクレイグが、こんなにも辛い気持ちを抱えていたなんて、俺は──
「────哀れんでんじゃねえぞ」
唐突に、クレイグが振り向いた。
ずんずんと近付いてくる。
そして、クレイグは俺の胸倉を掴んだ。
「テメエも同じなんだよアレン。俺と同じクズだ。自覚はあんだろ? 努力を嫌い、面倒事を疎い、何もしないで幸福が降ってくるのをただ待つだけ。それが間違っていると知っていたのに、何もしてこなかった」
「……!」
「同じなんだよ、俺とテメエは。同じ仲間、底辺のクズだ」
互いの顔に息がかかる距離。
見開いたクレイグの目に、俺の顔が映っている。
揺れる瞳が映っている。
「大層な使命なんて抱えて随分浮かれてたみてえだけどよぉ、自分に酔ってんじゃあねえぞ。テメエはクズなんだよアレン! テメエの本性は俺たち側なんだよ!」
パッと手を離す。
俺は床に崩れ落ちた。
立つ気力が出ない。
クレイグに言われたことが胸を抉った。
────それは、自覚があったからだ。
自分自身がろくでもない人間だと。
そういう自覚があった。
クレイグの言うことが真実だと、すべて彼の言うとおりだと俺自身が思ってしまった。確信を持ってしまった。
確信を持つだけの根拠が───心当たりが、俺の中にはあった。
「ハハハハハハ! 俺はクズだ! お前もクズだ! 俺たちはみじめな卑怯者なんだよ! 変われやしねえ! 変われる訳がねえ! 一生このままなんだよ! ハハハハハハ!」
クレイグは俺に背を向け、高笑いを上げながら去っていった。
俺はその背中を呆然と見送った。
(俺は……)
頭の中にクレイグの哄笑がこだまする。
お前はクズだ、と。
そのまま変われないのだ、と。
(俺は……変われないのか……? 一生このまま、クズのまま底辺の人生を送るのか……?)
変わったと思っていた、
クラリスに出会って。彼女を守りたいと思って。
でも思い返してみれば、俺が彼女にしてやれたことなんてほとんどないじゃないか。
俺に何ができた? 何をした?
俺がやったことなんて、最初の日の襲撃を防いだくらいだ。
(─────怖い)
ウェインが言った。
ルフィナが言った。
俺は、変わったと。
────果たして、本当にそうか?
(─────怖い)
さっきまで、俺は希望に満ち溢れていた。
ヴィルムリンドを倒す鍵は見たかったと。あとはそのために魔力を増やす方法を調べるだけだと。
だが俺は大事なことを忘れていた。
────失敗したら、どうする?
もしやってきたことが無意味と知ったら。
何をしてもどうしようもないとわかったら。
絶対に勝てないとわかってしまったら。
俺は、元に戻ってしまうんじゃないか?
あの日、ジェイルに破れた日のように、自分自身に絶望して、元の俺に戻ってしまうんじゃないか?
────それが、怖い。
とてつもなく怖い。
俺は、弱い。
俺の心は弱い。
一度挫折したら、なかなか立ち直れないくらいに、弱い。
だったら、二度目の挫折を経験したら、俺はもう二度と立ち直ることなんてできないんじゃないか?
「俺は─────」
頭の中では、まだ笑い声が響いていた。




