25.覚醒の時
凄まじい爆風が吹き荒れる。
砂。石。壁の残骸。それらが礫となって襲ってくる。
俺は咄嗟に腕で顔を庇った。
もう片方の腕───その先で繋いだ手を力強く握る。
闇の奥に、無数の気配。
爛々と煌めくいくつもの光。それらがじいっと俺たちを見つめる。
黒い獣。おびただしい数のそれが、暗闇の奥に潜んでいるのだ。
そしてその中に、俺はもっと恐ろしい存在を知覚した。
「────未熟な魔術師よ、儂は貴様には興味はない」
その声を聞いた瞬間、俺の体内に氷が滑り落ちた。
凍てつく視線。
無感動な眼差しが俺を貫く。
「命が惜しければ去れ。だが、その女は置いていってもらう。我が糧となるに相応しい逸材だ」
氷を思わせる目がついと横へ滑り、ルフィナの方を向く。
隣で小さな悲鳴。
俺は彼女を背中に庇うようにして前に出た。
「……断る」
────気配の放つ威圧感が増す。
それだけで身がすくむ。
存在そのものが、恐怖に繋がる。
そこにいるだけで、心が悲鳴を上げそうになる。
「……もう一度言おう。死ぬのが恐ろしいだろう? 今ここで逃げ帰れば、お前は死ななくて済むのだぞ」
「っ」
叫び出したい。
今すぐ背を向けて逃げ出したい。
だがその怖気付く心を気合でねじ伏せ、俺は両足でしっかりと床を踏みしめた。
「……何度言われても、答えを変えるつもりはない!」
毅然と声を張る。
「……そうか」
黒幕は短く言った。
闇の奥で、にたりと笑う。
「ならばここで死ね」
瞬間、殺気。
周囲の気温が一気に下がる。
「アレンッ!」
ルフィナの悲鳴。
それを聞くのと同時に、俺は横に跳ね飛ばされた。
使い魔の一匹に体当たりを受けたからだ。
「っ!?」
跳ね飛ばされ、床をゴロゴロと転がる。
飛ばされた先にもう一匹。
使い魔が、牙を覗かせ待ち受けている────。
「Starten―――ッ!」
ルフィナが魔弾を撃った。
今まさに俺に食らい付こうとしていた獣が、悲鳴を上げて吹き飛ぶ。
「アレン────ッ!」
ルフィナが手を伸ばす。
俺も手を伸ばした。
それと同時に、無数の獣が飛び掛かってくる。
「ルフィナッ! ルフィナ────!」
俺がルフィナの手を取るよりも早く、獣の海が俺たちを分断した。
闇の中に、無数の獣。
おびただしい数の獣に阻まれ、すぐにルフィナの姿は見えなくなってしまった。
「っ────!」
視界すべてが、獣、獣、獣。
闇の中に輝く眼光。
確かに感じる殺意。
「■■■■■■■■■────ッ!」
俺を取り囲んでいた獣の群れが、一斉に襲いかかってくる────!
爪が。牙が。
短剣を思わせる鋭さで、俺の四肢を裂く。
痛みに呻く。
制服が破け、血の染みが広がる。
足から力が抜けた瞬間、獣の一匹が制服の裾に噛み付いた。
そのまま勢いよく首を上へ。
恐ろしいほどの力で、俺は宙へと放り投げられた。
重力に従って落下。
使い魔たちが、我先にと落ちてくる俺に群がる。
俺は身を丸め、必死に耐えた。
一匹の獣が俺の身体を跳ね上げ、蹴り付けて床の上で転がす。
まるでボールだ。
獣たちは娯楽に興じるように俺の体を跳ね飛ばし、蹴り飛ばし、弄んだ。
「ぐ……っ」
ある一匹が制服の背を咥えた。
そのまま床に引きずり倒す。
うつ伏せに倒れた俺の背の上に、何匹もの獣が前足を叩き付けて、体重を掛けてくる。
一匹一匹が、仔牛ほどの体躯を持つ使い魔たち。
それらが一斉に体重を掛けてくれば、その衝撃は計り知れない。
背面から突き抜ける衝撃。
胸を刺す激痛。
息が詰まる。
目が回る。
「が……は……ッ!」
咳き込む。
と、同時に血の臭い。
苦しい。息ができない。
いや、しているはずなのに空気を取り込めない。
喉の奥から嫌な音がするだけ。
ひゅう、ひゅう、と。
(くそ……っ!)
獣に押し倒され、身動きがとれない。
それでも俺はうっすらと目を開け、霞む視界の中でルフィナを探した。
(どこだ……! ルフィナ……!)
────いた。
無数の使い魔に囲まれながら、それでも必死に戦っている。
群がる獣たちをひたすら《茨の剣》で切り裂きながら、彼女は俺の名を呼んでいた。
「アレン!? どこなの!? アレン!」
「ぁ……」
俺はほっとした。
良かった。彼女は無事だ。
まだ生きている。
一瞬、目があった。
ルフィナが息を呑んだのが見えた気がした。
「アレン────!」
体が軽くなる。
少し遅れて、ルフィナが俺の上にのし掛かっていた獣をまとめて弾き飛ばしたのだと理解した。
「アレン! そんな……!」
糸の蔦が踊る。
飛び掛かる獣を次々と切り裂きながら、ルフィナは俺の元に駆け寄り、倒れた俺を助け起こした。
ルフィナに抱えられ、膝の上で仰向けになる。
霞む視界に涙目の彼女が見えた。
「アレン……! どうしよう、血が……血が止まらないよ……! ああ、アレン……!」
身体に温かい魔力が流れ込む。
が、すぐに中断された。
群がろうとする獣に、ルフィナが反撃したからだ。
「どうしよう……! アレン……どうすれば……!」
ルフィナが治癒魔術を使おうとする度に、俺たちを囲む使い魔が飛び掛かってくる。
敵に囲まれ、その対処に追われながらでは、満足に治療ができないのか。
治癒魔術は難易度が高い。それを多数の敵との戦いと並行して行うとなると、いくらルフィナでも無理があるのだろう。
「る、ふぃ……な……」
上手く息が吸えない。
肺をやってしまったのだろうか。
「もう……いい、んだ……」
「ダメッ! 喋らないで! 今……今治すから……!」
胸に注がれる魔力が勢いを増す。
一気に流れ込む温もり。
ようやく肺に空気が届く。
しばらく咳き込んでから、俺は声を絞り出した。
「ルフィナ、お前は逃げろ……! ここは俺が何とかするから……」
「何言ってるの!? そんな体で……! そもそもアレンに何とかできるわけ無いでしょう!」
手厳しいなぁ。
思わず乾いた笑いが出た。
「二人で帰るの! 絶対に治すから……! 二人で、一緒に……!」
俺の体を抱くルフィナの腕に力がこもる。
糸が宙を舞い、獣を切り裂く。
飛び交う悲鳴。
吹き飛ぶ獣の四肢。
さながら糸の結界だ。
が、その糸の結界をくぐり抜けた一匹が、ルフィナに襲い掛かる。
「きゃ────!?」
その隙を突き、何匹もの獣が俺の腕に食らいつく。
そのまま引きずられ、強引に分断。また獣たちの玩具に。
爪が頬を裂き、腹に食い込んだ。
何本もの牙が皮膚を突き破り、容赦なく肉に穴を開け、血を啜る。
「……──ぁ」
どれだけの間、そうして血を流しただろうか。
いつの間にか獣たちは俺から離れていた。
飽きたのだろうか。それとも既に死んだと思われたのか。
どちらでもいい、と思った。
瞼が重い。
意識が朦朧とする。
ルフィナはどうなっただろう。
もう、彼女だけでも無事ならそれでいい。
俺はこのまま死ぬだろう。
それでも、ルフィナが無事なら、それで───。
だって、彼女は優秀だから。
生き残れば、きっと事件解決に貢献してくれる。
今この場で生き残るべきなのは、俺なんかよりも彼女の方だ。
それに、俺はもう駄目なんだから。
きっともうすぐ死ぬ。
せっかくルフィナに治してもらったのに、既にさっき以上の傷を負い、さっき以上の血を流している。
これでは助からない。
俺は、もう────。
霞む視界の端に、ルフィナが見えた。
「────────」
あの子は泣いていた。
獣の群れに囲まれ、泣きじゃくりながら戦っていた。
ひとりぼっちで。
俺の名を呼びながら。
その姿が、幼い頃の彼女と重なる。
ひとりぼっちで孤独と戦っていた彼女と。
「────────っ」
指先に力が戻る。
歯を食いしばる。
血を失いすぎてまともに思考もできないはずなのに、頭の中はやけに冴えていた。
俺はもう助からない?
もうすぐ死ぬだと?
────ふざけるな。
俺が死んだら、またあの子が一人になっちまう。
だから死ねない。
俺は、まだ死ねない。
「ルフィナ……!」
あの子が俺を呼んでいる。
俺の名を泣き叫んでいる。
だというのに、俺は何を呑気に寝っ転がっているんだ。
「おれは……まだ……ッ!」
まだ死ねない。
死んでたまるか。
全身が血まみれだ。
呼吸をするだけで肺が痛む。
頭から流れた血液が目に入り、視界を赤く染め上げた。
でも、だからなんだっていうんだ。
全身傷だらけで血まみれでも。
まともに呼吸すらできなくても。
あの子が、俺の名前を呼ぶならば。
「っ、立て……ッ!」
立てよ、アレン・クリアコード。
お前はまだ、戦えるだろう─────!
◆
全身を凍てつかせる恐怖に襲われながらも、ルフィナは懸命に腕を振るった。
彼女の動きに合わせて魔力の糸が踊り、三匹の獣の首をまとめて落とす。
彼女を取り囲む獣は、どれだけ倒しても尽きることがない。
積み重なる死体を乗り越え、次々と新手が迫る。
「アレン……っ! どこに……!」
走る糸が獣の肉を断つ。
倒れた獣が光の粒子になって消える。その向こうに幼馴染の姿を探すが、少年はそこにはいなかった。
「やはり、儂の目は間違っていなかった……!」
代わりに、闇に紛れた人影を見た。
そして歓喜に震える声を聞いた。
「たった一人でこの戦力……! 貴様の血肉を喰らえば、儂の力は一気に戻る! あとはクラリス・ベルク……! あの子供さえ手に入れれば、儂は遂にアイゼルを───!」
闇の奥で嗤う影。
その台詞の中によく知った名を聞き、ルフィナは瞠目した。
「あなた、学園長先生を知っているの……!?」
口にしてから、ルフィナは心中で頭を振った。
知っているも何も、彼らの学園長アイゼル・テスタロッサは、世界に名を轟かせる偉大な魔術師だ。
「知っているのか」と聞かれて「知らない」などと答える人間はまずいないだろう。魔道に携わる者ならば、なおさらだ。
もはやその名を知らない人間を探すことのほうが難しい。
影の答えもまた、「知っている」だった。
だが、その内容はルフィナの想像とは大きく異なった。
「────知っているさ。よく知っている。貴様らよりも、よっぽどな」
「それってどういう───!?」
「気になるか。しかし教えはしない。どうしても気になるのなら、帰ってからアイゼルに訊くといい……」
ククク、と喉の奥を鳴らす。
「……まあ、無理だろうがな」
氷の目線。
それがルフィナを射抜く。
「貴様は今日ここで、儂の糧となって死ぬ運命なのだからな────!」
影が叫ぶ。
それ合わせて獣が吠える。
一斉に飛び掛かる獣。
その爪が自身の元に届く前に、ルフィナは鋭く詠唱した。
「Lass mich es dir sagenッ!」
意識を指先に。
体内の魔力を一瞬で練り上げ、細く長く伸ばすイメージと共に爪の先から飛ばす。
「Eisen ist scharf────」
スルルル、と現れる糸。
たわみ、張り、自由に舞い踊る。
「 Schwert ist weichッ!」
糸が走る。
伸びて伸びて、獣の四肢を縛る。
「《茨の剣》―――!」
───そして、一気に切断する。
吹き飛ぶ肉片。骨の欠片。
それらが雨のように降り注ぐ中で、ルフィナは人影を睨みつけた。
闇の奥からさらに獣が姿を現す。
その鋭い眼光に射抜かれながら、しかしルフィナは決して臆したりはしなかった。
毅然とした態度で、宣言する。
「───私は、絶対に死なない。あなたの野望のための肥やしになるなんて、絶対に嫌よ」
その瞳に宿るのは力強い光。
絶対の意思。
「生きて帰るわ。アレンと一緒に。二人で学園に戻って、あなたのことを学園長に伝えてみせる」
既に、ルフィナの魔力は限界だった。
《茨の剣》は消費魔力の少ない魔術ではあるが、これほどの数を相手にすれば流石に負担は大きくなる。
だというのにも関わらず、ルフィナは最後まで戦う覚悟を見せた。
いまや彼女の心に恐怖はなかった。
あるのは、『幼馴染と共に生きて帰る』という固い鋼のような意思だけだった。
だが、その姿を前にしても影は嗤う。
そんな宣言など、取るに足らない戯言だと言わんばかりに。
「ふっ……。よく言う。まだ儂の体に傷一つ付けられておれぬくせに」
「っ……!」
それは真実であった。
これだけ戦っても、ルフィナは使い魔の相手をするのに精一杯。肝心の黒幕には、一度たりとも攻撃を仕掛けることができていない。
「それでも……! それでも私は諦めない!」
「いいだろう……。ならばその力、儂に見せてみよ!」
闇の向こうで、影が動く気配。
「往けい! 我が使い魔よ!」
獣が吠えた。
牙を剥き、爪を煌めかせ、歓喜の雄叫びを上げて飛び上がる。
「《茨の剣》────ッ!」
なけなしの魔力を振り絞り、襲い来る無数の爪牙を迎え撃つ。
走る糸は次々に獣を仕留めていく。
しかし多勢に無勢。
倒しても倒しても後から湧いてくる獣の群れを前に、ルフィナは少しずつだが押されていた。
「……っ」
このままでは。
最悪の未来がルフィナの脳裏を掠める。
涙が溢れた。
知らず知らずの内、ルフィナは幼馴染の名前を呼んでいた。
「アレン……っ!」
どこにいるのか。
闇の奥に引きずり込まれた幼馴染は、いまや生死すらも不明。
それでもルフィナは縋らざるを得なかった。
あの日、自分を救ってくれた彼に。
そんなことなどあり得ないとわかっていながら、それでも───もう一度救ってほしくて。
涙と共に、その名を呼んだ。
「助けて、アレン──────!」
──────その時だった。
ルフィナのすぐ横を、見えない何かが通り抜けた。
それが何かはよくわからなかった。
だが、純粋な魔力の塊だと直感的に理解した。
そして飛んでいった何かは、そのまま闇の奥へと消えた。
────そして絶叫。
しわがれた叫びが闇の奥から響く。
次いで衝撃波。
突風がルフィナの髪を掬い上げて、後方へと流れていく。
「───!」
弾かれたようにルフィナは振り向いた。
そして、そこには立っている少年を見た。
───右手を構え、踏ん張っている少年を見た。
全身血まみれで満身創痍。よたよたと足元はおぼつかず、身につけた制服はボロボロ。もはや原型を留めていない。
しかし、それでも───その瞳に宿る闘志はまだ消えていなかった。
────アレン・クリアコード。
《学園最弱》の異名を持つ少年が、街を脅かす巨悪に牙を剝いた瞬間であった。




