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22.茨の剣は舞い踊る

 迂闊だった。

 油断していた、とも言えるかもしれない。


 そういえば、以前もこんな風に前後を敵に挟まれるようなことがあったような。確か幽霊屋敷のときだったか。

 同じ失敗を繰り返すなんて、成長していない証じゃないか。

 正直、ヘコむ。


 反省点は尽きないが、とりあえず今はそのことは頭の中から追い出す。反省会はこの状況を切り抜けてからだ。

 ……もっとも、生きて帰れる保証は無いが。



 グルル、と唸り声。

 額から汗が流れる。


「……っ」


 ごくり、と唾を飲む。

 じりじりと迫る黒い獣。

 一歩下がれば───その分背後の獣との距離が詰まる。

 一歩進めば───その分目の前の二匹との距離が詰まる。


 前を警戒し、後ろを警戒し。

 喉を鳴らして着実に距離を詰めてくる獣の動きに、少しずつ追い詰められていく。


 既に間合いは十分に詰められている。

 奴らの脚力なら、この距離でも射程圏内。瞬き一つの間に跳躍し、俺の喉笛を噛み切るなど造作もないだろう。


 ―――額に新たな汗の玉が浮かぶ。

 雫になって、ゆっくりと頬を伝う。


「……」


 獣は動かない。

 こちらを睨みつけ、唸っている。


 互いが互いを警戒し続ける硬直状態。だが実際、こちらには打つ手がなく、向こうには数の差という圧倒的リーチがある。

 ────どうすれば、いいのか。


 再び唾を飲む。

 かすかに動いた喉。

 振動で汗の雫が顎を離れ、落ちる。

 そして地面で弾け────







『■■■■■■■■■ッ!』




 飛び掛かってきたのは、前にいた獣。その一匹。


 涎を撒き散らし、目を爛々と輝かせ、驚異的な後ろ足の脚力で跳び上がり、一直線に突っ込んでくる。


 ぬらぬらと光る牙。

 限界まで大きく開かれた口が、俺の首筋に食いつかんと―――



「ぐ─────ッ!」



 咄嗟に腕を突き出した。

 獣の牙は左腕に深々と突き刺さる。だが首を食い千切られるよりかは遥かにマシだ。


 痛みで一瞬脚から力が抜けた。

 獣と共に後ろに倒れ込む。



『■■■■■■―――ッ!』



 その隙を逃すはずもない。

 背後にいた獣がすかさず飛びついてくる。


 地面に倒れ込んだまま、腕に食い付いた獣と格闘している俺の頭に牙を立ててくる―――!



「っ、Schneiden(切り裂け)ッ!」



 ゼロ距離で獣の体に叩き込まれる魔力の刃。

 不意打ち気味に術をまともに食らった獣は後方へ吹き飛ぶ。


 地面に叩きつけられた獣は、全身をずたずたに切り裂かれ、顔にもぱっくりと傷ができていた。

 そこから血が吹き出―――さない。使い魔は血を流さない。だがダメージはあるのか、獣は痛みに悲鳴を上げてのたうち回る。


 一時的とはいえ、これで一匹は無力化した。



「この……っ!」


 相変わらず腕を食い千切ろうと牙を立てたままの獣の脳天に掌を向け、標準を合わせる。

 そのまま魔弾を―――



『■■■■■!』


「っ……!?」


 突如、沈黙を守っていた最後の一匹が飛び掛かる。

 眼前に迫る牙。

 倒れたままの姿勢ではろくな防御もできず、俺はまたも腕で急所を庇った。

 右腕に鋭い痛みが走る。が、先程よりも小さい。どうやら牙は皮膚を突き破ることはなかったらしい。


 しかし地面に倒れ込み、しかも両腕を封じられたままでは反撃もできない。

 悲鳴を上げている一匹がすぐに復活しないとも限らない。早くこの状況を脱さなければ。


「く、―――おおおおおっ!」


 右腕に魔力を通す。

 バチィッ、と鋭い音。

 右腕に牙を立てていた獣が弾け飛ぶ。


 そのまま右手を振りかぶり、左の獣へ。

 魔力により強化された拳を獣の腹に叩き込む。確かな手応えと共に拳が食い込み、一瞬遅れて獣が吹き飛んだ。


「はあ……っ、はあ……っ」


 よろよろと立ち上がる。

 ぬらり、と頭から垂れてくる何か。

 痛む箇所に手を当てれば、赤い血がべっとりと付いてきた。


 どうやら頭を噛まれた時の傷は深いようだ。

 左腕からもだらだらと血が流れ、かなり痛む。


 ……早めに勝負を決めないと、マズイことになりそうだ。



「―――『生き物を殴る』って感触が、どうにも好きになれなかった。だから、なるべく自重してきた。だけど……」


 拳を構える。

 強く握った手に魔力を通す。拳にまとった高密度の魔力。視認可能なほどに高まったそれは、稲妻のような輝きをもたらす。

 筋力。骨の強度。その他諸々を一時的に強化。

 ―――コントロールをミスって少し魔力を込め過ぎた。反動で傷の痛みが増す。だが無視。


 そして深呼吸。


これ(・・)が、俺の本来の戦い方なんだよ―――!」


 狼の体が沈む。

 それと同時に、俺は拳を振りかぶった。


『■■■■■■■■■■ッ!』


「はあああ―――ッ!」


 飛びかかってくる使い魔。

 その顔面に、カウンター気味に拳を叩き込む。

 何かが砕ける音。獣が吹き飛び、そして崩れ落ちる。


 拳にダメージはない。

 まあ、ちょっとは痛むが。

 でも魔力を通したお陰だ。


 ―――これが俺の戦い方。

 魔力による肉体強化を活かした接近戦。簡単な詠唱や魔弾程度しか攻撃魔術を使えない俺が選んだ戦闘スタイルだ。

 学園が課す試験では、魔術とは呼べないようなこんな戦い方は許されないが、ルール無用の殺し合いなら問題はない。一つ欠点があるとすれば、素手で骨を砕く感触は、決して心地良いものではないというところか。


『魔術師……、隠シテイタノカ……』


「別に、隠してたつもりは無いんだけどな」


 顔面を殴りつけた一匹は動かない。俺はぐったりと動かない使い魔を片足で蹴り飛ばした。もちろん、反応はない。

 しかし、代わりに全身を切り裂かれたはずの獣が復活して加わり、残りは二匹。


「……っ、ぅ」


 目眩がする。

 痛みで足元がおぼつかない。


 状況はかなり深刻だ。傷を負いすぎた。

 足元には血溜まりができている。これ以上は命に関わる、かもしれない。


 だが、敵はいまだ健在。

 牙を剥き、威嚇してくる。


 ぽたり、と血溜まりに新たな雫。

 ―――波紋が、広がる。


『―――■■■■■ッ!』


『■■■■■■■■――ッ!』


 同時に襲いかかる二匹の使い魔。

 俺は大きく振りかぶり――――



(────……あ、れ?)



 気が付いた時には、膝から崩れ落ちていた。


(おか……しいな……)


 体に力が入らない。血を流しすぎたのだろうか。

 視界が霞む。

 大きく開け放たれた顎が迫る。


 俺は、その様子をぼんやりと眺め────















「―――Lass m(森の賢)ich es d(者はこう)ir sagen(言った)






 ―――聞き慣れた、声を聴いた。



 ずっと聞いていた声だった。

 昔から―――子供の頃から、ずっと。



Eisen is(その蔦は鋼)t scharf,(の如く硬く、) Schwert i(その剣は水銀)st weich(の如く自由)―――」



 シュルルルル、と糸が走る。

 まるで急速に成長する蔦のような動き。

 糸は今まさに俺に食らいつこうとしていた獣たちに絡み付き、その身体を縛り上げる。


『■■■■■……ッ!』


 ぐぐ、と糸が獣の体に食い込んでいく。

 やがて肉が切断される音。苦悶の絶叫。次いで骨にヒビが入る音。再び絶叫。

 獣の体に巻き付き、締め上げる糸。獣の口から溢れた俺の血が、ゆっくりと糸を紅く染める。


 ……血が伝う。雫が滴る。


 だんだんと二匹の脚が地面を離れ、宙に浮く。



 そして─────



「《茨の剣(アイアン・ローズ)》―――!」




 ドサッと地面に何かが落ちた。

 血溜まりの中で俺が見たのは―――バラバラになった獣の肉片。

 そして、一人の少女。


「―――ちょっとアレン!? 血まみれじゃない!」


 駆け寄ってきた少女は、倒れた俺を助け起こした。

 その顔。その声。間違えるはずもない。

 俺の、幼馴染―――。


「る、ふぃ……な……?」


「喋らないの! 治癒魔術は苦手だけど……酷いとこだけ治しちゃうから、じっとしてて」


 頭に当てられる、柔らかい手の感触。

 すぐに傷口に暖かな魔力が流れ込んで来る。


「……俺、生きてる……のか」


「当たり前でしょ」


 いささか怒ったように聞こえるルフィナの声。

 俺は苦笑する。


「……なんで、ここに?」


「アニちゃんっていう女の子が教えてくれたの」


 ……そうか、あの子が。

 感謝しなくちゃな。

 アニちゃんにもそうだけど、とりあえず、今は。


「ありがとうな、ルフィナ」


「いいから。もう黙ってなさい」


 癒しの魔力で血が止まり、意識がはっきりとしてくる。

 そうなると、生きているという実感が湧いてきた。

 と、同時に安心感。一気に脱力する。





 ─────と。

 ルフィナの治療を受けながらぼんやりと街並みを眺めていた俺は、そこで違和感を覚えた。

 今、一瞬、景色が揺らいだような……?

 


「……?」


 なんだろう。この感じは。

 確かに覚えがある。この体が覚えている。

 決して、気分の良くない感覚。

 そう、あの日、学園の結界が破壊された時のような―――空間が歪曲する感覚。




「……なあ、ルフィナ」


「黙ってなさいって言ったでしょ? アレンは怪我人なんだから、大人しくしてなさ────」


「いや、そうも言ってられなくてさ」


 俺は痛む腕を上げ、それ(・・)を指さした。


「あれ、なんだろう」


「はあ? 何言って────」


 俺の示す先を見て、ルフィナは沈黙した。

 そしてようやく彼女が言葉を発した時、その声は震えていた。


「……なに、あれ」


 俺が指さした先。

 ―――ロマイナの街から見える山。山中にあるはずのデルタミヤ学園は、そこにはなかった。

 代わりに、見覚えのない城が立っている。




 直感的に理解した。

 ここは、俺たちの暮らす場所とは別の世界。

 ────結界の、内部。



 ―――俺たちは、敵の本拠地である結界の中に、引きずり込まれてしまったのだ。

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