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19.胸に刻む約束

「おお、二人共よく来てくれた……!」


 大急ぎで馬車に乗りベルク邸まで来た俺とハーケン先生を、エルド伯爵は震えながらも出迎えてくれた。


 本当は学園長にも来てほしかったのだが、残念ながら彼は数日前に用事で出かたきり、まだ帰ってきていなかった。

 齢八十を超えた今でも世界最高峰の魔術師と名高い彼は、何か国内で式典があるとそちらへ呼ばれることが多い。そしてその度に律儀に出向くので、こうして学園を留守にすることも多々あるのだ。




「ご無事で何よりです、伯爵。ところで、使い魔の襲撃を受けたというのは─────」


「そのことなのだが、来てくれ」


 馬車から降りた俺たちを、伯爵は屋敷の中に招き入れる。

 襲撃されたという割には、屋敷の中は綺麗なままで、荒らされてはいなかった。


 不思議そうに屋敷の中を見回している俺に気が付いたのか、エルド伯爵が言った。


「念の為トルード―――私専属の魔術師を待機させておいたからな。敵の数も少なく、なんとか追い払うことができた。結界は壊されてしまったが」


「結界が、壊された……?」


「ああ……。これを見てくれ」


 通されたのは、最奥の部屋だった。

 部屋の中には一切の家具が置いてはおらず、代わりに祭壇のようなものの上に、砕けた水晶玉があった。


「これは……!」


「え、何なんですか、これ」


 驚いたような声を上げるハーケン先生を、状況を把握できない俺は見上げる。

 この水晶玉にかすかに漂う魔力の残滓から、魔術的な道具だということはわかるのだが────。


「これは、屋敷を建てたときにアイゼルから受け取った物だ」


「! なるほど……」


 こんな無残な姿になっても、なお魔力を宿す魔道具。確かに学園長の制作した物だというのなら頷ける。


「ロマイナはかつて魔道の追求の為の場所だったゆえ、魔物が寄り付きやすい。そのための結界だったのだが……」


「それがこんな風になるとは、にわかには信じられませんが……。一体何者がこのようなことを……?」


 エルド伯爵が口を開こうとしたとき、部屋の扉が開いて何者かが入り込んできた。


「──それは僕からご説明を」


 会話に入り込んできたのは、二十代前半の男だった。

 眼鏡をかけ、髪は後ろに撫で付けている。切れ長の黒い目は実直そうな印象を受けた。


「紹介しよう。私の専属魔術師、トルードだ」


「トルード・センタースです。以後、お見知りおきを」


 一礼するトルードさん。

 俺たちも頭を下げる。


 やがてトルードさんは話しだした。


「襲撃してきたのは、前回と同じ黒い獣でした。敵を追い払った後、本拠地を探ろうとこちらも使い魔を放って後を追わせていたのですが……途中で攻撃され、気が付いた時には気配が途切れていました。状況から見て結界の内側に逃げ込んだのは間違いないのかと」


「我々の推測は当たっていたということですね……」


 しかし、となると―――。


「……ご想像の通り、敵はかなり強大な力を持った魔術師と考えられます」


 トルードさんがそう言うのには、大きな根拠があった。



 ―――結界には、大まかにわけて二つの種類がある。


 一つは、『外敵を阻むもの』。

 魔力で作り出した障壁で特定の『空間』を守るもので、基本的に結界というのはこちらを指す。


 そして、もう一つは―――。



「『異空間を作り出す』結界……」


 前者が前提として守るべき『空間』が存在しているのに対し、こちらはそもそもの『空間』自体を魔力で作り出し、その入り口を覆い隠すというものだ。

 しかし、これはそう簡単にできるものではない。

 もしも敵が本当にその結界を作り出したというのなら、一体どれほどの力を持っているのか。


「しかしそれほどの魔術師ならば、学園長の結界を破壊できるのも頷けますね。設置から時間が経ち、少し効力が落ちていると、本人も言ってましたから……」


 そこでハーケン先生は、何かを思い出したように言葉を切った。


「そういえばトルードさん、結界は―――」


「もちろん結び直しました。……とはいえアイゼル様のものに比べれば当然脆く、その場しのぎにしかならないでしょうが……」


 すぐに新しい水晶を用意する必要がある。

 だが、ひとまずは敵を退けられたことを喜ぶべきか。



 その後は大人三人が難しい話を始めてしまった為、付いて行けない俺は少し離れたところでぼーっとしているだけだった。

 と、そこにエルド伯爵が声を掛けてきた。


「おお、そうだアレンよ。一応娘の様子を見てきてくれないか」


「え、俺が……お嬢様のですか?」


「うむ。あの子はお前のことを信頼しているからな。顔を出してくれれば安心するだろう」


 そう言ってパンパンと手を叩く伯爵。

 すぐさま数人の女性が入室してくる。

 ──その内の一人の顔に、俺は見覚えがあった。いつかクラリスからの贈り物を渡してくれた、彼女の付き人だ。


「どうぞ……こちらです……」


 女性たちに案内され、俺は部屋を後にした。




      ◆




「お嬢様、アレン様をお連れしました」


「アレンが!? ……わかったわ、通して」


 ガチャリ、と重厚な音を立てて扉が開かれる。


 クラリスの部屋は、年頃の少女らしく可愛らしい内装だった。

 そういえば式典の時に飛び込んだのは学園が用意していた部屋だったのだが、こうして見ると結構彼女の趣味にあっていたのかなあ、なんてことを思う。


「えっと、久しぶり……でもないか。また会えて嬉しいよ」


「ええ、私もよ。アレン」


 クラリスの様子は至って普通で、普段通りの元気な姿だった。

 震えてはいないかと心配だったが、柔らかな笑顔を浮かべる彼女の様子におかしなところは見当たらない。ひとまずは安心だ。


 クラリスがさがるように指示すると、付き人たちは一礼して退室していった。

 座るように促され、俺は手頃な椅子に腰を下ろす。

 凄く柔らかい、座り心地の良い椅子だった。


「怪我とか、なかったか?」


「平気よ……ふふっ」


 突然顔を背けて笑い出すクラリス。

 俺はわけもわからず困惑するばかり。


「だって、アレンってば変なんだもの。借りてきた猫みたい、って言うの? 気付いてないかもしれないけど、体がカチコチよ」


「え? いや、なんか……緊張しちゃってさ」


 この世に生を受けてから十七年、同年代の女の子とはルフィナ以外にまともに交流した経験が無い。筋金入りの童貞だ。そんなわけで、俺はどうしても緊張してしまう。

 それも相手は貴族のお嬢様。本来ならばこうして知り合いになることすら考えられないような高嶺の花だ。

 考えてみれば、こうして女の子の部屋に入るのもの初めてだった。本来は見ることのできないプライベートな空間にいると意識したからか、途端に体温が上がっていくのがわかる。


「緊張なんてすることないのに。私達は友達でしょう? 気を置く必要なんてないわ」


「ああ、そうだな。うん。その通りだ」


 ハハハ、と誤魔化すように笑う。



 ──さて、世間話はこのくらいにして。


 一度息を吸って意識を切り替えると、俺は単刀直入に切り出した。


「……最近、変わったこととかあったか?」


 ───水晶玉の部屋を出る直前、ハーケン先生が俺に言ってきた。

 クラリスに変わったことはなかったか聞いてこい、と。

 いくら年季が入って耐久力が衰えてきているとはいえ、学園長の結界があんな使い魔ごときにそう簡単に破壊できるとは思えない。破壊されたのなら、それは特別な何か──他の要因があったということだ。

 ハーケン先生は、そう考えていた。


「変わったこと……?」


 首を傾げるクラリス。

 だが、その表情が一瞬だけ動いたことを、俺は見逃さなかった。


「……あったんだな?」


「……そんなこと」


「誤魔化すなよ。いいか? 絶対に誤魔化しちゃ駄目だ。正直に言うんだ。……これは大事なことなんだ。クラリスを守るために、大切なことなんだ」


 身を乗り出して語りかける。

 俺の言葉が届いたのか、クラリスはこくりと小さく頷くと、話し出してくれた。


「最近ね、声が聴こえるの」


「声……?」


「おじいさんみたいな、しわがれた声で『こっちへ来い……』って」


 声が、聴こえる。

 そんな話は伯爵もしていなかった。


 ──血の気が引く。

 俺の様子に気付き、クラリスが心配そうに声を掛けた。


「アレン……? 大丈夫? 顔色が悪いようだけど……」


「い、いや、問題ない。全然平気だ。……それより、続けてくれ」


 クラリスの話を聞きながら、俺は早金を打つ心臓を落ち着けようと必死だった。

 頭の中では、クラリスの話がまだ木霊していた。



 ──声が聞こえる。

 間違いない。念話だ。


 離れた所にいる相手に声を届ける、習得するのに何十年も掛かると言われる超高等魔術。

 しかも、対象が範囲指定の『場所』ではなく、座標指定ピンポイントの『個人』だと? ふざけるな。そんなもの、理論上可能なだけで実際に習得した人間なんて聞いたことがないぞ。


 改めて敵の強大さを実感し、俺の頬を冷や汗が流れた。


 だがそれでも、不安をクラリスに気取られてはいけない。俺は魔術師だ。どんな時でも、冷静に──。

 震えを抑え、声を絞り出す。


「他に……他に何か、言ってなかったか?」


「えっと……」


 俺がそう言った瞬間、クラリスは目を逸らした。

 が、俺がじーっと見つめ続けると、観念したように口を開いた。


「……『願いを叶えてやる』って。『叶えてやるから、こっちに来い』って、ずっと」


「願い、か……」


 ──と。

 そこで俺は何か引っかかるものを覚えた。


「……待てよ」


 ハーケン先生は推測した。結界が壊されたのは『特別な要因』があったから、と。

 そして例の声は『願いを叶えてやるからこっちに来い』と言った。


 それは、つまり───



「まさか───」


 俺が驚愕に目を見開きながらクラリスを見ると、彼女は気まずそうに目を伏せていた。


「応えたのか……!? そんな、明らかに怪しい声に、応えた!? どう考えても答えたらいけない声に、応えたのか!?」


「うぅ……」


「何考えてんだよ……!」


 『特別な要因』とは、クラリス自身だった。

 守られるべきクラリス自身が『声』を受け入れたことで、結界はその効力を失い、たやすく破られてしまったのだ。

 思わず頭を抱えたくなるが、過ぎたことを後悔しても仕方がない。クラリスは無事だったのだ。次から気を付けて貰えれば、それでいい。


 だが、俺はふと、クラリスがそんなにも『叶えたかった願い』というのが気になってしまった。

 気になったので、聞いてみる。


「あのさ、ちなみになんだけど……クラリスが願ったのって、一体……?」


 ちらり、と彼女の顔を除き見る。

 クラリスは一瞬面食らった顔をしたが、すぐさま顔そむけてそっぽを向いた。


「……教えない」


 よくよく見れば、わずかながら顔に赤みが刺しているのがわかった。


「え、なんでだよ」


「なんでもよ。絶対に、ダメ」


「……いいだろ〜? 俺たち『友達』じゃないか」


 恥ずかしがるクラリスの姿に、少しばかり嗜虐心のようなものが芽生え、俺はしつこく追及する。

 ニヤニヤとした笑みを抑えることは、到底できそうになかった。


「ぜっっったい、ダメ! 友達でもダメなものはダメなの!」


 もう少しイジメてみたかったが、クラリスが顔を真っ赤にして声を荒げたので引き下がる。

 クラリスは「ふんっ」と鼻を鳴らし、拗ねたように再びそっぽを向いてしまった。

 ……少し遊び過ぎただろうか。



 しかし────。



「アレンには……特にダメだもん」


「?」


 彼女の最後の呟きの意味は、俺にはよくわからなかった。



 まあ、それはともかく。


「これからは絶対に応えちゃいけないからな。どんなことを言われても、絶対にだ」


「うん、わかったわ」


 こくん、と頷く。

 わかってくれたようで何よりだ。



「──ねえ、アレン」


「ん?」


 これで心配はないなと、満足してうんうん頷いている俺に、クラリスは言った。


「大丈夫、よね……」


「……」


「私、怖いの。毎日声が聴こえてきて……。街では、人が行方不明になってるっていうし……」


 俺は瞬きした。

 普段通りに振る舞ってはいたが、やはりまだ十代半ばの少女。理由もわからず魔術師に攻撃されて、怖くないはずがない。


 俯いたクラリスの手を、俺は包み込むようにして握った。

 クラリスが小さく息を呑む。


「大丈夫だ。先生たちもいるし、いざという時は学園長も力になってくれる」


「……アレンは?」


「もちろん俺もクラリスの為に戦うよ。……俺なんかがクラリスの役に立てるかは、わからないけれど。それでも──」


 少し情けなくて、それを誤魔化すように笑う。


「俺は、クラリスには笑ってて欲しいから」


 いつかみたいに、あの花が咲くような笑顔をまた見せて欲しい。

 俺は救われたんだ。あの日──クラリスに出会ったあの日、現実に打ちのめされていた俺は、確かにあの笑顔を救われた。


 だから俺は、彼女から笑顔を奪った奴を許さない。

 笑ってて欲しいんだ。ずっと。

 この子が怖い目に遭う必要なんてない。恐ろしい事件に巻き込まれる必要なんてない。

 ただ、あの輝く笑顔を浮かべていてくれれば、それで良い。


「俺が守るよ。力になれるかはわからないけどさ。……それでもクラリスの為に何かしたいんだ、俺」


「とっても心強いわ。ありがとう、アレン」


 そう言って彼女は笑った。

 花が咲くように、笑った。


 ──この笑顔に誓おう。

 約束しよう。

 何があっても、絶対に、俺がクラリスを守る。



 戦うんだ。

 この笑顔を、本当の意味で取り戻すまで。

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