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13.襲撃、迎撃

 その音は驚愕と共に俺の耳朶を叩いた。



「そんな……! 学園長の結界が……!?」


 破られた……?

 そんな馬鹿な。あり得ない。

 あの人は――学園長は偉大な魔術師だ。それこそ、ジェイルすら超える、真の『最強』の魔術師。

 その彼が張った結界が、破られたというのか。


 背筋を冷たいものが駆け下りる。

 先程まで心地良く感じていたはずの夜の空気が、途端に恐ろしいほど体温を奪い出す。

 ―――恐怖。それが俺の体を支配し、感覚を奪い、凍り付かせる。


 冷や汗は止まらない。

 俺の知る中でも最強の魔術師の結界を破るほどの敵が、この学園の敷地内にいる。

 そう思うだけで震えが止まらなく―――



「……ふざけろ、間抜け」


 ガクガクと笑う膝を殴りつけ、大きく息を吸う。


 呼吸は、全ての基本。

 息が浅ければ、それだけ意識も浅くなる。思考は散漫になり、いざという時に本来の力を出せなくなる。

 緊急事態の時こそ、落ち着いて冷静に。

 魔術師としての当然の心構えだ。


「……ふぅ」


 息を吐く。

 取り込んだ空気の分だけ思考はクリアになり、幾分か冷静さを取り戻した。


 俺は校舎の方を見る。

 それらしい騒ぎが起きていない所を見るに、あちらにいる大多数はこの事態に気が付いてないのだろう。むしろ丁度いい。生徒たちはともかく、戦う術を持たない貴族に余計なことを知られてパニックになられるよりは余程良い。

 ――パニックとは伝染するものだ。一人がなれば、十人に伝染る。そうして、本来落ち着いていられた者まで冷静ではいられなくなる。

 そう考えれば、校舎の方が騒がしくなっていないのは僥倖だ。


 だが、問題は。

 もし本当に侵入者に気付いたのが俺一人だとしたら、この状況をどう打開すれば良いのか。

 俺のようなヘッポコでは、結界を破壊するような相手には到底勝てやしない。ならどうするか。

 ―――沈黙は正解ではない。

 なら、どうするのが正しいか。


「……簡単だ」


 時間を稼ぐ。これだけだ。

 まさか本当に気付いたのが俺だけなんてことはあり得ないだろう。自分の張った結界が破壊されれば、嫌でも気付く。―――恐らく、学園長は既にこの事態に気付いているはずだ。


 が、いかに最強の魔術師といえど、(よわい)八十を超える高齢。侵入者の元へと向かう体力はない。きっと学園長本人ではなく、教師の誰かが迎撃に向かうはず。


 ならば、俺にできるのはそのサポートだ。

 気配はそう遠くない。今から探って位置を特定しても、校舎から走ってくる教師たちよりかは早く辿り着けるはず―――。


「……」


 ────俺はふと、傍らの建物を見上げた。


 バルバトスは付いてきてくれるだろうか。

 アイツは俺を『つまらない男』と言った。契約者に値しない、お前のために力は使わない、と。


 だが、今回は俺だけの問題じゃない。

 この場にいる貴族たち―――戦う力を持たない人間が、巻き込まれる恐れがあるのだ。そのことを説明すれば、アイツは力を貸してくれるだろうか。


「──────」


 俺は頭を振った。

 無駄だ。余計なことを考えるな。


 あの悪魔のことだ。どうせ協力する気などないだろう。どれだけ頭を下げで頼み込んだところで、結果は知れている。

 そんなこと、するだけ時間の無駄だ。

 人の命が掛かっている。一秒たりとも時間は浪費出来ない。


「……よし」



 俺は、冷たい闇の中を走り出した。




      ◆




 デルタミヤ学園には、様々な施設がある。

 生徒用の寮の他にも、図書館、闘技場、薬草の飼育ハウスなど―――。それらは古くからある物も、最近になって建てられたものも、様々だ。


 そして、最近建てられた施設の中に、貴族用の宿泊棟がある。

 生徒用の寮から少し離れた場所に、豪華な装飾を施されて建っている屋敷。

 今回のような式典も含め、学園でイベントが行われる際に招待された貴族たちが寝泊まりする施設だ。




 気配の元を辿れば、そこはその貴族用の部屋がある棟のすぐ近くだった。


 息を切らして走ってきた俺を目にして、棟の近くに立っていた二人の男が声を上げる。


「止まれ!」

「何者だ!」


 見張りか。鎧を付けた男たちが、槍を俺に向ける。

 穂先が揺らめく篝火を受けて煌めいた。


 むろん、本気で突き出す気はないのだろう。

 それは実戦用の構えもいうよりも、俺のような武術を知らない素人を威嚇する為の大げさな動きに見えた。


「お、俺は、アレン・クリアコードといいます。デルタミヤの生徒です」


「学園の生徒が何の用だ」


 近付いたことで俺の着ている制服に気付いたのか、兵士たちは槍を下げる。

 しかし、その声には未だに硬いものが感じられた。


 それもそうだろう。彼らは魔術を知らない。

 得体の知れない力を使う相手が目の前にいるのだ。警戒するのは見張りとして当然のこと。その程度で気を悪くしたりはしない。


「学園の周りに張られていた結界が、何者かに破壊されました。侵入者の気配はこの近くに感じられるので、恐らく辺りに潜んでいるかと……。今先生たちがここに向かっているでしょうが、まだ少し時間が掛かるでしょう」


 早口で捲し立てる俺に、二人の兵士は瞠目する。


「な、何という……!」


 二人の様子に直感した俺は、すぐに問いただした。


「お屋敷の中に、今どなたかいらっしゃるのですか?」


「エ、エルド様のご息女、ベルク家のお嬢様がご休憩中だ」


「!」


 ベルク家の令嬢。

 ―――昼間に会った、あの娘か。


「……俺はお嬢様の元に向かいます。お二人は引き続きここで警備をお願いします!」


 叫ぶやいなや駆け出す。

 後ろで呼び止める声が聴こえた気もするが、無視。

 貴族の寝泊まりする場所に勝手に侵入したら大問題だが、今回ばかりはそんなことは言っていられない。どうか大目に見てほしい。


 ―――扉を蹴破り、中へ。

 柔らかいカーペットの敷かれた廊下を、脇目を振らずに疾走する。


 何だかわからない豪華な装飾品や、壁にかけられた何かの剥製、綺麗な絵画。

 こんな時じゃなければ、足を止めて見入ってしまうような絢爛な内装だった。


 気配は相変わらず屋敷の周りをうろついている。

 向こうも獲物を見つけられていないのか、探し回るような気配は絶えない。

 何とかして奴より先にお嬢様を―――。


「!」


 気配が止まる。

 それと同時に、俺も止まった。


 扉の隙間から魔力ランプの光と、声が漏れている。いや、声というより―――歌、か。

 とにかく、俺はその声に聞き覚えが合った。


「お嬢様!」


 半ば破壊するような勢いで扉を開く。

 カーテンの付いたベッドに横たわって、鼻歌を歌っていた彼女は、驚いて飛び跳ねた。


「あ、アレン!? どうしてここに―――!?」


 読書中だったのか、傍らに本を置き、毛布を抱き寄せるようにして体を隠すお嬢様。布の隙間から、桃色の薄い寝巻きがちらりと見えた。


「ああ、でも嬉しいわ。丁度貴方に会いたかったの。昼間に貴方と歩いたことが、ずっと忘れられなくて―――」


 ベッドから降り、こちらへ寄ってくるお嬢様。

 俺は周囲を警戒しながら彼女に近付き―――。






 ―――その時。

 窓の外に、黒い影が見えた気がした。



「―――■■■■!」


 砕けるガラス。

 声にならない雄叫びと共に、一匹の黒い獣が躍り出る。


 狼にも似た姿。

 その鋭利な爪と牙は、人の命を奪うには十分な殺傷能力を持っているだろう。


 獣は窓を突き破った勢いのまま、牙を剥いてお嬢様へと飛びかかる―――!



「―――Barriere(防げ)!」


 俺は獣の前に割り込み、鋭く詠唱した。


 イメージするのは壁。

 こちら側を『内』、あちら側を『外』と定義することによって、即席の結界を作り出す。

 俺の体から弾けた魔力が不可視の障壁となり、獣の牙を弾いた。


「■■■■■ッ!」


 一度吹き飛び、もんどり打って壁に激突した獣。

 しかし諦めずに再度突進を仕掛けてくる。


 「─────ッ!」


 激しい衝撃。

 結界が歪み、ビリビリと空気が震える。

 あまり長くは保たないか。


「きゃぁぁぁぁぁっ!」


 背にかばう少女が悲鳴を上げた。


 ……何をしているんだ、俺は。

 俺がここにいるのは、彼女を守るためだ。

 だったら、その守る相手に悲鳴を上げさせるなんて、絶対にあってはいけないことだろう―――!


「……Fixierung(狙い澄ませ)


 詠唱と共に、俺の右手に魔力が集まる。

 右の掌に現れた魔法陣。その上に集結した魔力は球体を作り出し、輝き出す。


 激しい奔流。

 滝のような衝撃を拳大の光球に凝縮し、それを右手に留め待機させる。


 俺から湧き上がる激しい魔力を感じ取ってか、獣はその体から黒い魔力を放出させる。

 ぶわりと吹き出す魔力。奴の体が二倍に膨らむように錯覚する。


 これだけの魔力……。奴は次で決めるつもりだ。

 恐らく、結界ごと俺たちを食い破る気なのだろう。


 ―――なら、それより先に倒すだけ。




Starten(砲撃)―――ッ!」


 ―――迸る魔力。

 突き出した右手から放たれた魔弾は、突進してきた獣を貫き、割れた窓から夜の闇に消えていった。


 ドサリ、と崩れ落ちる獣。

 その体には魔弾による穴が空いているが、血は流れていない。代わりに、倒れた獣は光の粒子となって消えていく。

 やがて奴が消え去った後には、何も残されてはいなかった。


(やっぱり……使い魔だったか……)


 最初は魔物の襲撃かと思ったが、魔石が残っていないということは、やはり何者かが寄越した使い魔だったのだろう。


 そしてその使い魔自体は、俺一人でも充分に倒せるレベルだった。この程度の使い魔が結界を破壊できるはずがない。

 どこかに主―――結界を破壊した術者がいるはず。


 俺はすぐに気配を探ってみたが、辺りにそれらしき気配は一切感じられなかった。


(逃げたか……。それとも、はじめから近くにはいなかったのか……)


 どちらにせよ、何とかこの場を切り抜けられたことには変わりない。

 とりあえずお嬢様を守り抜けたという事で良しとしよう。


「な、何……? 今の……」


 後ろから、震える声。

 俺は振り返らず、窓の外を睨み付けたまま答える。


「使い魔。誰かが君を狙って寄越してきたんだ。……でも、もう大丈夫。お嬢様を傷付ける奴は、俺が今倒し―――」


 くい、と袖が引かれた。

 振り向いた先には―――少女の顔。

 驚いた瞬間、軽い衝撃と共にお嬢様が抱きついてくる。


「!? ……!?」


「怖かった……。ありがとう、助けてくれて。駆けつけてくれて、本当にありがとう……」


 パッと顔を上げるお嬢様。


「それでね────」


 そのまま頬を両手で挟まれ、がっちりとホールドされてしまった。自然、至近距離で見つめ合うことになる。


「ずっと、思っていたのだけれど……」


 か、顔近……っ。

 ていうか、お嬢様まつ毛長いな……。


 これほどの美少女と互い息が顔に掛かるほどの超至近距離で見つめ合うと、流石に顔が熱くなる。

 心臓がバクバクとうるさい。それでも俺は、どもりそうになりながら声を出した。


「な、ななな何でしょう……!?」


 めっちゃ噛んだんだけど。

 そういや、俺口臭とか大丈夫だろうか。

 ちなみにお嬢様からはなんかすっごい甘い匂いする。女の子ってこういうものなのだろうか。ルフィナからはしないけど。


「私は名前を知っているのに、アレンは『お嬢様』だなんて、不公平じゃない?」


「そそそ、そうですか? そんなことよりお嬢様。これは流石に近過ぎ―――」


 じいっ、と真っ直ぐに見つめてくる彼女。

 目を合わせられるはずもなく、俺は上下左右に視線を逸らす。


「―――クラリスよ」

 

「……へ?」


「クラリス・ベルク。私の名前。今度から、それで呼んでね」


 そう言って微笑む。

 花が開くような笑顔だった、


「あ……うん……」


 まともに声も出せない俺はただ頷くしかできないが、それでもお嬢様―――クラリスは満足したのか、俺の頬から手を離した。

 パッと離れるぬくもり。少し名残惜しい気がしたのは、きっと気のせいだろう。




      ◆




 そこからは怒涛の勢いだった。


 襲撃から少しして廊下がざわつき出したと思ったら、エルド伯爵が数人の教師を引き連れて部屋に飛び込んできた。


 どうやらこそこそと動く教師陣に何かを感じ取り、問い詰めて侵入者のことを知ったらしい。

 娘が危険だと察知して飛んで来たようだが、件の侵入者が既に倒されたと知ると、涙ながらに俺の手を取った。


『素晴らしいッ! アレン、お前はきっと優れた魔術師になるだろう! 我が娘クラリスの危機を、一度ならず二度までも救ってくれるとは!』


 まさか、彼も『優れた魔術師になる』と断言してみせた相手が、実は学園最低レベルのヘッポコだなんて思いもしないだろう。流石に申し訳ない気持ちにもなったが、まさか言い出せるはずもない。

 罪悪感に苛まれながらも、そのまま貴族たちのパーティーへと連行された。



 ようやく開放されたのはエルド伯爵が飲み過ぎて呂律が回らなくなり出した頃であり、それまで彼に引き摺られて『期待の新人』として挨拶周りしていた俺はヘトヘトになっていた。


 ふらふらと足元のおぼつかないエルド伯爵が従者に支えられながら去っていくのを見送っていた俺に、クラリスの付き人だという女性が何かを差し出してきたのだった。






 渡されたのは一輪の白い花だった。

 ほのかに、彼女と同じ甘い香りがした―――。

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