12.デイリー・トレーニング
ルフィナから逃げるように食堂を去った俺は、一人廊下を歩いていた。
あっちにウェインを残してきてしまったが……まあ別に問題ないだろう。ウェインだし。アイツなら上手くやれるさ。
ファイトだ親友。ああなったルフィナは面倒くさいぜ。
式典があった為か、廊下には簡単な飾り付けがされていた。
数日前まで一部の生徒や教師たちが談笑しながら何かを作っていたのを見かけたが、これだったのだろうか。
ほとんどの生徒や教師、さらには貴族たちも、今はそれぞれがそれぞれの会場でパーティーの最中だ。規模に差はあるが。
その為、廊下には俺以外に人の姿はなかった。
「はあ……」
俺は溜め息をついた。
お嬢様に励まされ、ウェインたちと話したお陰で頭からすっぽり抜けていたが、目の前の問題は何一つとして解決していない。
──そう、俺の成績である。
一週間後の追試。それは変わらずあるのだ。
本来ならばバルバトスの力で実技試験も含めて無双できたはずなのだ。それなのにあの悪魔が協力を渋ったせいでこのザマだ。
アイツさえ言うことを聞いてくれれば、俺は今頃こんな風に追試のことで頭を悩ませる必要も無かったはずで────
「そこを退け凡骨。俺が通れん」
低い男の声。
俺は苛立ちと共にため息をついた。
「……あ? お前が避ければいいだろ」
振り返ると、長身の男が立っている。
切れ長の黒眼と黒髪。
すっと通った鼻筋に、長めの下まつげ。
クールな雰囲気を漂わせた、憎たらしいほどの涼やかな美男子。
「……」
ジェイル・ガルガシア。
何人もの王宮魔術師を排出した魔術の名門、ガルガンシア家の嫡男であり、俺達の学年──いや生徒に限定すれば、間違いなく学園最強の男。
その成績は常に学年トップ。魔力量、魔力コントロール、使う魔術のバリエーション。どれをとっても右に出る者はいないと言われている、正真正銘の『天才』。
──そして、入学して最初の模擬戦で、俺が手も足も出ずに敗北した相手。
あの一年前の戦いを、今でも夢に見る。
積み上げてきた物が、音を立てて崩れ落ちたあの日。
俺の中でナニカが壊れたあの日を。
「避けるだと? ガルガシアである俺が、何故お前のような雑魚ごときの為に進む道を曲げねばならない」
「……ぶん殴るぞお前」
「ほう? やってみるがいい。落ちこぼれ無勢がこの俺に拳を当てられるというのならば、いいだろう。やって見せるがいい」
「……」
……相変わらず癪に触る奴だ。
自分以外のものを全て下に見るようなその物言いや、態度。初めて会った時から気に入らない。
正直この場で掴みかかってやりたいくらいだ。
が、数多くの“お客様”が来ている以上、生徒同士で騒ぎを起こす訳にはいかないだろう。というか、こいつとまともにやり合っても勝てるビジョンが見えてこない。
魔術戦はもちろん、肉弾戦でも。
仕方なしに、俺は壁際に避けて道を譲った。
「……ほら、行けよ」
何も言わずに、ジェイルはまっすぐに進んで行く。
──その目は、あの時と変わらず、俺を見てはいなかった。
◆
デルタミヤ学園は全寮制だ。
男子寮は三階建て。大浴場付き。
女子寮はよく知らない。
謎の魔術によって明らかに外観よりも部屋の数が多いが、そのお陰で一人一部屋というプライバシーの守りは万全である。
「やあ。おかえり小僧。パーティーは楽しかったか?」
部屋に入ると、ベッドの上でだらりと横になっていた悪魔が、目だけでこちらを見た。
「どうした、随分と疲れた目をしているな。何か嫌なことでもあったか? ん?」
「……」
「おい、会話くらいしろ。無視はダメだ無視は。寂しいだろう。悲しいことに、私にはお前くらいしか話し相手がいないんだからな」
『寂しい』などと言っておいて、表情や声色からは全くそんな感情が見えないあたり、やはりコイツは悪魔だ。
ふう、と息を吐く。
一旦心を落ち着けてから、俺はゆっくり声を出した。
「疲れている? そう見えるか? ……ああ、そうだよ。帰ってくる途中で嫌な奴に会っちまった。そのせいで、今の俺は凄く疲れているんだ」
「ほう、そうか。それは大変だったな」
「……なあ。俺は疲れているんだが」
「それは今聞いた。他に話題はないのか?」
「……」
俺はふつふつと湧き上がってくる怒りを、深呼吸をして抑えようとした。
が、無理だった。
我慢できず、バルバトスに歯を剥く。
「ベッドを使いたいって言ってるんだよ、この悪魔ッ! 俺は疲れてるんだ休ませろ!」
「残念だがそれは無理だな。なぜなら、この部屋にベッドは一つしか存在せず、その一つも現在私が使っている最中からだ」
「譲れよ!」
「断る。何故私がそんなことしなくちゃあならないんだ」
「部屋の主は俺だ!」
相変わらず自分勝手な悪魔に向かって吠える。
ほとんどの生徒がパーティーの方に行っているので、怒鳴り声のボリュームには気を回さない。思う存分声を張り上げる。
「───────」
悪魔はしかめっ面で耳を塞いでいた。
はあはあと肩で息をする。
ひとしきり感情を表に出せば、幾分か冷静になってきた。
俺は床にドカッと腰を下ろす。
色々なゴタゴタとショックな出来事で頭から抜け落ちていたが、そういえばまだいつものアレを済ましていない。
昼寝と並ぶ、俺の日課を。
あぐらをかいて、深呼吸。
心を落ち着かせる。
「……今日もアレをやるのか? まったく、物好きな奴め。何が楽しいのやら」
うるさい。黙れ。
心の中で悪魔を怒鳴りつけ、再び深呼吸。
「努力は無駄なんじゃなかったのか? 才能ですべてが決まるんだろう? だったら何故そんなことをする」
「……こんなのは努力じゃない。これは……そう、日課だ。騎士が剣や鎧の手入れをするのと同じ。一日一回はやらないと気が済まないんだよ。別にお前の言葉に影響された訳じゃない」
「そうか……。なら、いい」
バルバトスはまだ何か言いたげな様子だったが、それっきり何も言わず寝転んでしまったので、俺もそこで会話を切り上げた。
さて。
今から始めるのは、俺の欠かせない日課。魔術の基礎特訓にして、命懸けの修行だ。
瞑想、とも呼ばれる方法。
俺は入学以前―――地元にいた頃に聞き齧った知識でこれを知り、それから十年近く毎日続けている。もはやこれをやっておかないと、落ち着かなくて眠れないレベルだ。
……一向に成果は出てこないが。
だが、ただでさえヘッポコな俺は、少しでも努力を怠ればすぐに置いて行かれてしまう。……既に置いて行かれている気もするが、それは気にしない。まあ、これ以上差が広がらないようにする為だ。
とにかく、俺にとって―――アレン・クリアコードにとって、この鍛錬は欠かせないものなのだ。
──暗い部屋の中、目を閉じる。視覚からの余計な情報を断つ為に。
音はない。聴こえるのは呼吸と鼓動の音のみ。
それ以外は聴く必要がない。鳥のさえずりも、風の音も、悪魔の声も。邪魔なものは全て遮断する。
意識を身体の中央に向け、さらに奥深くへと潜り込ませていく。精神を統一させ、神経を鋭敏に。最深部に近づくに連れ、どんどん意識は遠くなっていく。
自分の存在が不確かになる。世界と自分の境界線が薄れ、曖昧になっていく。
ゆっくり、ゆっくり──。
まるで、水滴を一滴ずつコップの中に垂らしていくような作業。
水滴が落ち、波紋が広がる度に──コップの中が満たされていく度に、俺という存在が世界から薄れる。
不安定な世界。
不確定な世界。
肉体と精神は徐々に乖離し、浮かび上がった魂だけが遠くへ遠くへ──。
宇宙の気と同化し、その莫大な魔力を体内に取り込む。これは、そういう特訓だ。自らの魔力をより苛烈で、精錬されたものにする。
こうすることで肉体に魔力を馴染ませ、定着させ、より強力な魔術師へとレベルアップするのだ。
ただ、一つ問題なのは────。
「───────ッ!」
──少しでも失敗すれば、二度と戻ってこれなくなるということ。
肉体と精神を乖離させるというのは、とてつもなく危険な行為だ。それだけで命の危機を伴う。
肉体と意識……この二つは、『元は一つのものだった』という『繋がり』を持って、かろうじて完全な乖離を避けているが、万が一この『繋がり』が途切れれば一大事になる。
肉体は迎えるべき精神を失い植物状態になり、精神は帰るべき肉体を失い永遠に彷徨い続けることになる。………らしい。
こんな危険な修行を毎日行わなければならないのだから、魔術を極めるということは非常に険しいのだな、と思う。
「──……」
深く、深く───。
帰って来れるギリギリの距離。
そこまで行った所で────
「っ、く、戻って……来たあッ!」
意識を引き戻す。
カッと見開いた目。開けた視界はぼんやりと霞んでいて、瞬きしてもなかなか戻らない。呼吸がいつもより荒いし、手足はガクガクと痙攣している。
……少し、冒険し過ぎたか。
今日はお嬢様を連れて山を降りて―――途中で彼女をおぶったりとかしたせいで少し疲れていたのだが、やはり肉体に負荷が掛かっている時に無理はしない方がいい。
おまけに、廊下で苦手な奴に遭遇してしまった。その精神面での負担もあってか、『帰ろう』と思考してから実際に精神が動くまで、少しだがタイムラグがあった。もしその間に引きずられていたらと思うと、ぞっとする。
(問題は山積み、か……)
今日一日過ごした上での精神統一が、このザマ。これから補習に追われる毎日が待っているというのに、こんな調子で本当に大丈夫だろうか。
このままじゃいつか破滅だ。成績がどうこうの前に、俺自身が擦り切れる。かと言ってこの鍛錬を欠かせば、俺は―――。
いや、考えまい。
最悪の想像など無意味だ。対策を立てられるなら話は別だが、そうではないのに余計な心配など。
「──……お前」
背を向けていたベッドから声がした。
振り向けば、悪魔がこちらを見ている。
彼女は、まるで何かに気付いたような様子でこちらを見ていた。
「なあ、お前確か……今のを毎日やってるんだったか?」
「え? あ、ああ……。一応、十年くらいは」
「欠かさずか? 一日も、欠かさずか?」
「? そうだけど……」
「そういえば、スケルトンと戦った晩も帰ってきてからやっていたな……」
どうやら俺は体が頑丈らしく、物心ついた時から病気らしい病気はしたことがない。せいぜい鼻が詰まるくらいで、熱を出したことなど一度もない。
そのおかげか、俺は十年間一日たりとも欠かさず今のを鍛錬を行うことが出来たのだ。
その話を聞いたバルバトスは、何事か考える素振りでしばらく黙っていた。
そして、ようやく声を出した。
「……お前はよく、この学園の上の方の連中を『バケモノ』と呼ぶがな」
「?」
「私からすれば―――」
そこで悪魔は言葉を切った。
つい、と視線を外し、窓の外を見る。
「私からすれば、お前も十分……『集中力のバケモノ』だよ」
◆
体の調子が戻ってきたので、俺は寮の外に出た。
今日は、少しだけ。
ほんの少しだけ、良い日だった。
頭の中には、今日出会った少女の声が残っている。
彼女は、俺のことを認めてくれた。
それだけで救われた気がした。
──見上げた空は遠く、月は雲に隠れている。
あの敗北の日に、何かが砕けた。それはきっと大切なものだったはずだ。目指すものを失った俺は、行き場の無い船と同じ。
目的もなく、目の前に現れる障害に苦しみながら、それを乗り越えようとして足掻いている。未来なんて見ていない。見ている暇もない。
こうありたいという理想と、そびえ立つ現実とのギャップに、打ちのめされそうになるから。目の前の高波を超えるのに精一杯なのだから。
……それでも、目指す価値はある。
沈黙は正解ではない。何もしないことが正しいなんて、絶対にあり得ない。
少なくとも、俺はそう信じている。
……いや、信じることにした。
こうして足掻くことは、きっと間違っていない。
そう思うことができた。
だから、もう少しだけ頑張ってみよう。
「……?」
と、その時だった。
「何だ……これ……」
ざわざわと、胸の奥で騒ぐものがある。
鍛錬の直後で魔力感度が一時的に上昇していたのか、俺の神経はしっかりとそれを感じ取っていた。
それは、歪みだ。
空間の歪み。歪曲。学園を守る結界が、外界からの害を断つ不可視の壁が、あり得ないほどの力を受けて歪んでいる。
このままでは、いつまで持つか──。
「!」
音が響いた。
聴こえないはずの音。
バリィィィイン、と。結界が砕け散る音が。
その音が示す事実は一つ。
──デルタミヤ魔術学園に、侵入者が現れた。




