01.劣等生のヒラメキ
───夢を、見ていた。
眠っていた、という意味じゃない。憧れを持っていたという意味だ。
長い間。ずっと。
俺は魔術師というものに憧れてきた。
魔術師になるために、この学園に入学したんだ。
なのに────。
その夢は、今壊れた。
いいや、壊された。
眼前に突きつけられた掌底。
目の前で輝く魔法陣。
いつでもトドメの一撃を放てる体勢。
俺はそれを呆然と見つめていた。
──“敗北”。
ふと脳裏に浮かんだその言葉が、頭の中でしつこいくらいに反響する。
追い打ちをかけるように、勝者の名を告げる審判の声が耳朶を叩いた。
観客席から歓声が湧く。
その中には、闘技場に立ち尽くす俺を嘲笑うかのような声もあった。
負けた。負けたのだ。
手も足も出ず、コテンパンにやられた。
そう意識すると共に、急にすうっと体温が下がっていくような感覚に陥る。視界が狭くなり、目の前が暗くなっていく。
全てが、泡と消えた。
これまで積み重ねた努力。何年も何年も……魔術師を志した時から続けてきた努力が、全て。
何度も、何度も鍛錬を重ねたのに。
魔術のまの字も知らなかった俺が───魔力を扱う力すら持っていなかった凡人の俺が、これだけ頑張ったのに。
基礎練習は毎日欠かさなかった。
魔弾だって狙った所に撃てるようになった。命中率はそこそこだけど、数年前に比べれば格段にマシだ。
魔術だって。簡単な初級魔術だけだけど、使えるようになったんだ。
成長している。
確かに、そう思っていたのに。
──俺の進んできた歩みなんて。
才能ある連中にとっては、とてつもなく小さな、豆粒ほどの一歩だったということか。
才能の差とはこれほどのものなのか。
俺が積み重ねてきたものは、必死になってやってきたことは、こんなにも簡単に覆されてしまうような、半端なものだったのか……?
突き付けられた手が降ろされても、俺はそこに立ち尽くしていた。
「そこを退け、凡骨」
ひゅっ、と口から情けない音が溢れた。
冷えた鉄を思わせる感情の無い声。
それを発したのは、目の前の少年。
つい先程まで戦っていた相手は、氷のごとく冷たい目で俺を見つめている。
「貴様は負けた。敗者は大人しく去れ」
がくがくと笑う膝。
相手の鋭い目と声に心臓を握り潰されるような錯覚を覚え、俺は言われるがまま道を開けた。
少年は鼻を鳴らすと、俺の方をちらりとも見ずに通り過ぎて行く。
俺もまた、彼の方を見なかった。
いや、見れなかった。
俺は、震えながら立ち尽くしていた。
入学して最初の実力試験で、俺は大敗を喫した。
同級生全員が観戦する中、手も足も出ずにボロ負けした。
今思えば。
俺の破滅はあの時から始まったのだ―――。
◆
この世に努力ほど無駄なものはない。
『最も無駄なものは何か?』と問われれば、俺はそう返すだろう。
それほどに、俺は知っている。
痛いほどに理解してしまっている。
一年前のあの敗北で、俺は知った。
努力というものの無意味さを。
才能という力が持つ、運命の決定力を。
「……まいったな。どうするかな」
俺───アレン・クリアコードは、デルタミヤ魔術学園男子寮の自室で頭を抱えていた。
普段、昼休みは学園の裏にある山で、誰にも邪魔されず昼寝をするのが日課なのだが、今回ばかりはそんな呑気ではいられなかった。
入学してから一年。今の俺は二年生。
昨年は学園側のお情けでなんとか進級することができたものの、このままでは留年の可能性がある。
今度の試験で好成績を取ることが出来ればまだ希望はあるが、果たしてそんなことが可能だろうか。
……正直絶望しかない。
『──アレン。正直な話……今の君の成績では、三年生への進級は難しい』
教師から受けた言葉が頭の中で反響する。
溜息を吐けば、なんだか余計に気分が重くなるような気がした。
「どうすりゃいいんだ……本当……」
俺はあらゆる科目において底辺を極めている。いや、『極めている』だなんて得意気に言えることではないけれど。
とにかく、俺の成績はかなりピンチなのだ。次の試験で失敗すれば、留年は免れないだろう。
いや、留年ならまだいい。もしこのまま酷い成績を取り続ければ、退学を突きつけられる可能性だってあるのだ。
──魔力自体は、人間は誰しも持っている。
だが、魔術師に必要不可欠な能力である『魔力を扱う力』を持った人間は割と珍しい。
だから国内唯一の魔術師養成機関であるデルタミヤ魔術学園では、入学試験は行われない。
しかし代わりに、成績の芳しくない生徒は結構容赦なく切り捨てたりする。
来る者は拒まず、能の無い者は追い出す、だ。
「……」
俺は間違いなく『能の無い者』であるが、しかしまだ追い出されたくはない。
なんとかしなければ。
今から猛勉強すれば間に合うだろうか。
実際に魔術を使う実技試験はともかく、知識を問うような問題ならイケるか?
あとは錬金術とか、薬草学とか……。
正直、あの辺は鍋に材料ぶち込んでテキトーに掻き混ぜてれば何とかなる気がする。
どうにもならないのは占いだろうか?
前に当てずっぽうでやったら大目玉を食らったし、カンで勝負をかけるのは得策ではないだろう。
こればかりは一から勉強を………あ、いや、いっそのこと占いは捨てて他の科目に全力で臨めば可能性はあるのでは……?。
だが、仮に知識を詰め込んだところで。
問題は──。
(実技が、特にヤバいんだよなあ……)
恥ずかしい話だが、俺は魔術学園の生徒なのにロクに魔術が使えない。
初歩中の初歩である一節の詠唱が精一杯なのだ。
デルタミヤ魔術学園では、特に実技試験の結果を重視している。
他の科目で点数を稼いでも、よほどの高得点―――それこそ満点でもない限り、実技で失敗すればおしまいだ。
まあ実技で失敗とか、そんな生徒他にいないだろうけど……。
しかし実技試験か……。
確か今回は……模擬戦闘だったか?
「ぬうううううぅぅぅぅ……!」
駄目だ。勝てる気がしない。
大体、魔弾―――それも属性付与してない無属性の魔弾くらいしか攻撃魔術を使えない俺に、どうやって魔術戦に勝てって言うんだ。無理だろ、そんなの。
試験までは二日。
もう遅い。今からどんな修練を積んだとしても手遅れだ。
「はあ……」
重い気持ちと共に再び溜息。
──と、その時だった。
「……?」
部屋の外からふと感じた視線。
窓の方へ目をやれば、一羽のフクロウがこちらを見下ろしている。
──真昼なのに、フクロウ。
明らかに野生のものではない。
使い魔、か。
窓を開け放ち、青空の下でホバリングする使い魔に向けて腕を差し出してやる。
するとフクロウは降下してきて俺の腕に止まった。
見ればその脚には、手紙が結び付けられている。
「お前も大変だな……。夜行性なのに」
紐を解いて手紙を受け取ると、フクロウは主の元へと飛び立っていった。
それを見送り、俺は手の中の手紙を開いた。
内容は取るに足らないものだった。
ただの授業連絡だ。
受け取った紙をくしゃくしゃに丸めてズボンのポケットに突っ込んだ後、俺はフクロウの飛び去った方向を見つめた。
そして、ふと思う。
(使い魔って便利なもんだよな……)
先程のフクロウのように、本来の習性に反していても、主の命令ならばどんな願いでも聞いてくれる。
どんな願いでも───。
瞬間。
俺は、自分の頭に電流が走るのを感じた。
「────」
“どんな願いでも”。
そのキーワードからふと連想する。
たしか、いたはずだ。
召喚術の教科書の片隅に載っていた。どんな願いも叶えてくれる──と、その強大な力ゆえにそう呼ばれた存在が。
遥か古来──天地創造の以前より存在するという、七十二柱。
「───ッ!」
俺は音を立てて立ち上がり、自室から飛び出した。
男子寮の廊下を全力疾走。木の床が軋む音を立てるほど踏みしめ、駆ける。
すれ違う生徒たちの顔が猛スピードで後方へとすっ飛んでいく。
後ろからの咎める声も聞かずにひた走る。
寮を飛び出す。
石でできた城───校舎の中へ。
すれ違う生徒たちを避けながら、目的の人物を探す。
──神は実在する。
それは偉い学者も言っているし、確か教会の方で証明されていたはずだ。どうやって証明したのかは知らないが。
とにかく、いるのだ。
神と呼ばれる超高次元存在が。
ならば、神に近い存在である彼らもまた同じはず。過去に召喚に成功した実例もあった気がする。教科書で読んだ。
───どこだったか。
確か、遥か東の国では『式』と呼ばれる使い魔を操る術者たちがいるとか。
彼らは時に神すらも式にする。そして式になった神を、『式神』と呼ぶらしい。
ならば、魔術でも同じことは出来るだろうか。
下級とはいえ、人智を超えた存在を使い魔にすることができれば……!
試験だって、きっと突破できる!
「──先生!」
目的の人物はすぐに見つかった。
渡り廊下を反対側から歩いて来る、二十代後半の男性。
デルタミヤ魔術学園教師、召喚術担当リーム・ハーケン。
彼は息を切らす俺の姿に驚いたようだった。
「おや、クリアコード君。どうしました、試験範囲でも忘れましたか?」
「い、いえ……」
呼吸を整える。
「教えて欲しいことが、あるのですが……」
「?」
絶望的な俺の成績。
今からどんな練習をしても、試験には間に合わないだろう。
なら、もう手段は選んでいられない。
自分の力で不可能ならば、外から力を借りればいい。
どんな願いでも叶える。人の手には余るほどの力を持つ故にそう呼ばれた下級神たち。
彼らならば、あるいは────。
「────悪魔召喚の秘術について、です」
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