2. 焦土
その土地はかつて日本と呼ばれていた。
東洋に浮かぶ細長い島国は、第三次世界大戦の折に焦土と化し、無事に住める土地ですらなくなった。
……そして、今は物好きな人間や「それ以外」の住処となっている。
「うわっ、死体かと思った」
「アンドロイドは土に還らないから、死体よりタチが悪い。オイルで土壌が台無しだ」
ゴロンと転がった頭部は、人間のそれと大差ないように見える。
違うのは、断面から覗くのが血管でなくケーブルであることだが……迂闊に触れると感電する代物。処理はとうの昔に追いついていない状態だ。
「電池切れ、まだなの……?」
「終戦が2042年ってことは……新品なら、あと30年は放電してるかもな……髪が青色ってことは介護用だ。電池が150年は持つよう設計されてる」
利便性は人々の生活を潤したが、その潤いも瞬きの間に蒸発した……と、
我は読み上げていた書物を閉じる。
つまらない。下らない。私が何千何百の書物に目を通したことか。古は万葉集、昨今ならば日本が滅びるまでの電子書籍、あらゆるものだ。
美しいと呼ばれた日本語は、今やノンフィクションを記すだけとなった。貴公が新たな日本語の担い手となるには早い。私は貴公に失望したと言ってもいい。
我、先日の評に不快を覚えし折、貴殿になんと申したか答えよ。
我ら、2対の怪物。2対の異形。我を貶すはすなわち貴殿の咎なり。
ふん、またしても機械のように言葉を紡ぐか。私は退屈している。否、飢えている。私に物語を与えるがいい。ヒトを妬みに妬む渇望に至上の悲劇を悦楽を蜜を与えて満たせ。
嗚呼、若しくは……私を嫉妬の悪魔と呼ぶ愚かしいヒトの子どもに、同じく妬みを与えに行くか。その力が欲しかった、その力さえあればと、焼け石ならぬ焦土に水ならぬ涙を注がせるべきか……
我は嘆きとも悦びともつかぬ声音で天を見上げ、もはや人の形を成さぬ亡骸を一瞥し、嗤った。」
***
赤髪の男は一人、つらつらと語った。調査員を紙のように引き裂いた指が血で文字を綴り、手帳に書いた文章を批評のように読み上げ、更にはそれに怒り、己の行動を書物の描写のように語り……赤い瞳を爛々と輝かせ、紅い髪を振り乱し、緋い足跡をひたひたと鳴らし……
これを異様な光景以外に、どう形容できるだろう。
と、そこで男は隠しカメラの存在に気づいた。にたりと口角が吊り上がり、ぎらりと赤い眼光がレンズを睨めつける。
外装の破壊音とともに映像は途切れた。
画面を覆うノイズ。観測者は息を呑み、再び冒頭から記録映像を再生した。
「……うん、うん、間違いない。PSBLシリーズだよ、これ」
女はブツブツと繰り返しながら、血塗れた惨劇を巻き戻し、また冒頭から繰り返す。
PSBLシリーズ。2042年に本土が壊滅状態に至ってもなお、至る所でサービスを提供し続けたアンドロイドの機種だ。
その品質、その完成度の高さから、他社の追随を許さないほど売れ行きは伸び続け……その技術は、今やほとんどが無意味となった。
残骸の処理方法すら確立しないまま時は流れ、22世紀となってなお、焦土には多数の危険物が転がっている。
「ヒナノ」
背後からの声に振り返る。金髪の青年はにこりと穏やかで、それでいて爽快な笑みを浮かべ、うやうやしく礼をした。
流暢な日本語が、流れるよう紡がれる。
「先日仰っておられました、お客様がお見えです」
「ああー……あいつね。部屋の中入れといて。すぐ行くから」
「かしこまりました。応接室にて、お待ちしております」
にこりと笑みを崩さず、オールバックの青年は部屋を後にする。
モニターの出力を玄関のカメラに変更しながら、嶋村雛乃は白衣に腕を通した。
アイリスの背後、ソワソワと周囲を見渡す男の名を、彼女はまだ知らない。短い金髪にグリーンの瞳、自らと比較して白い肌から白人男性だと察するぐらいのことはしたが……
それ以上のことも、すぐに分かるだろう。……そもそも、あの手記を拾った人間なら、何者だって構いはしない。
「……どうも、お待たせしました」
100年の時を経て蘇った意味が欠片でも見つかれば……今は、それだけで構わない。