九話 王都への帰還
クートと知り合い、稀に会うようになってからしばらくの月日が経った。
楽しい日々は、唐突に終わりを告げる。
クートがジアノースの町を去ると言い出したのだ。
「一所にとどまり続けるのも飽きたのでな」
そっけなく言い放つクートは、惜別の情があるのかないのか。
いつもと変わらぬ自然体だ。別れを惜しむ挨拶すら碌にない。
引きとめたくはあったが、ワタシでは無理だ。ワタシの言葉では、クートの気持ちは動かせない。
だから、最後に伝えておく。
もしも、彼女がその気になってくれれば。
「ワタシは、近いうちに王都へと戻る。よければ訪ねてきてくれないか? 歓迎しよう」
「気が向けばの」
その会話を最後に、美しき少女はワタシの前から姿を消した。
ワタシもやらなくてはならない。王都へ戻り、以前の生活を送るのだ。
病が完治したとは言えない。王都で暮らしていた頃に比べれば格段によくなってはいるものの、相変わらず食欲はないし、人間不信もそのままだ。
貴族社会へ舞い戻れば、せっかくよくなっている病状が再び悪化する恐れもある。
だが、休んでばかりもいられない。
療養のためにジアノースの町へやってきてから、既に半年近くが経過している。
これ以上とどまっても仕方あるまい。
クートも去ったことだし、王都へワタシも帰ろう。
叔父に事情を話し、準備を整える。ジアノース家嫡男である事実は変わらないので、身一つで旅をするわけにはいかない。
馬車や護衛をそろえ、さらにはパーティーまで開催し、大々的に送り出してもらう運びとなった。
半年ぶりに戻った王都では、まずは父への挨拶を行う。
「父上、ただいま戻りました」
「……痩せたな」
父の第一声は、ワタシの外見に言及するものだった。
「痩せ過ぎて別人かと思うほどだ。病はまだ治らんか?」
「まだですね。かなりよくはなりましたが」
「戻ってきたところで、ジアノースを任せることはできんぞ」
なるほど、病が治ったわけでもないのに帰還した理由を、父はそう捉えたのか。
今のワタシがジアノース家を継げるとは、自分でも思っていない。
「承知しております。家督はワタシの弟に。父上もそうお考えでしょう?」
「ああ、その通りだ」
「ワタシは構いません。弟は有能ですし、うまくやるでしょう。後日になって、ワタシに譲れとも主張しませんよ」
「そうか。ならば、すぐにでも正式に決定しよう」
一応、父もワタシを待っていてくれたのだ。
ワタシを心配してのことなのか、もしくはジアノース家を心配してのことなのかは知らないが。
ジアノース家の後嗣の地位を放棄したのは、変に揉めたくないからだ。
今のワタシは、体力的にも精神的にも、無駄な労力を割く余裕がない。
必要な仕事のみをこなす。ワタシにできるのはそれだけだ。
王都に戻ってきたのは、貴族としての使命を全うしたいから。
かつて、クートが言っていた言葉を思い出す。
『弱き者を守るのは、強き者の役目じゃ。そう思わぬか?』
まさしくその通り。ぐうの音も出ない正論だ。
まさか、貴族どころか人間ですらないクートに教わるとは思わなかった。
さすがは、三百年の長き年月を生きているだけはある。
外見は十歳前後の幼き少女であるにも関わらず、どの人間よりも年上だ。積み重ねてきた経験も、ワタシのような若造とは比べ物にならない。
ところで、最近ふとした瞬間に抱く疑問がある。
これは幼女趣味になるのだろうか?
幼女趣味とは、外見と年齢、どちらを指すものだ?
そう、ワタシはすっかり、あの気高き女王に惚れ込んでいる。
「お前が笑みを浮かべるとは珍しいな」
「……ワタシは、笑っていましたか?」
「かすかにな。家族でもなければ分からん、些細な変化だ」
「王都に戻れて嬉しいのですよ。そういうことにしておいてください」
まいったな。クートのことを考えるだけで、笑みが漏れてしまうほどとは。
だが……ワタシと彼女が結ばれるのはあり得ない。
人間と魔物という種族の差もある。
家督を継がないとはいえ、ジアノース家の者に自由恋愛が許されないという事情もある。
何よりも、ワタシが気にしているのは。
クートをワタシの妻として束縛してもよいものかどうか。
やりたいことをやり、そうでなければやらないと自由奔放に生きる彼女は、一人の人間が手に入れるにはあまりにも……
あまりにも、恐れ多いのだ。
もっとも、気にする必要はないかもしれない。
次にクートと出会うのはいつになるか定かではないし、会えるかどうかすら不明だ。
王都を訪れてくれないかと頼んでおいたものの、三百年も生きていれば時間の感覚も異なるだろう。
数十年後にでもフラリとやってきて、何食わぬ顔で「久しぶりじゃの」とか。
いかにも言いそうだ。
「本当にどうした? 先ほどから、笑ってばかりいるが」
「いえ、なんでもありません」
父に怪しまれてしまうし、ここまでにしておこう。
さて、父への挨拶も終わったことだし、仕事への復帰準備をしようか。
関係各所への挨拶を始め、すべきことはいくらでもある。