八話 弱き者、強き者
智を司るジアノース家の者として、魔物に関する知識もある。
魔物の頂点。全ての魔物の上に君臨する王。
マモノと呼ばれる魔物だ。
ふざけた名前だが、その力は破格とされる。
単騎で国一つを滅ぼしたとか、ドラゴンの群れを殲滅したとか。
てっきり、大げさに伝わっているだけだと思っていたが。
クートの正体は、人間ではなく魔物だった。それも、魔物の王であるマモノ。
嘘を言っているとは思えない。人間離れした戦闘能力をこの目で見たのだから。
魔物の王。実在したのか。
魔物は人間の天敵だ。人間を襲うので、見つけ次第倒さなければならない。
ワタシは貴族として、クートを見逃すわけにはいかないのだが。
「……場所を移そう。思い切り目立っている」
「移動してどうするのじゃ?」
「話を聞かせてくれないか? ワタシは、君のことが知りたい」
貴族としても、アテニルザとしても。
ワタシはクートが気になっていた。
「よかろう。飴一つでは、昨日の恩を返したとは言えぬからの」
思いのほか簡単に、クートは了承してくれた。
ワタシが暮らす別荘にクートを連れて行く。使用人たちには、子供に手を出す男と誤解されそうだが、誤解させておけばいい。
彼らも我が身は可愛いだろう。内心ではワタシをどのように思っていたとしても、表には出さないし吹聴もしない。
別荘に戻ると、予想通りだ。使用人たちには眉をひそめられてしまったものの、それだけだった。
クートを私室に連れ込み、話を聞かせてもらう。
「最初に言っておくが、我は無差別に人間を殺す気はない。その気があれば、昨日の時点であの男どもを殺しておった」
「しかし、君は魔物だろう? どうして人間を庇う?」
「庇っておるわけではない。が、あえて殺す必要もないと思っておる。そもそも、人間を殺してどうする? それの何が楽しい?」
人を殺す行為が楽しいとは、ワタシも思わない。
しかし……強いのは楽しい。
荒事には向かないワタシだが、だからこそウェルサウスやベンウェストの者たちに嫉妬する。父が両家を過剰に敵視するのも、もしかしたら強さへの嫉妬があるのかもしれない。
強き力に憧れるのは、男子の性だ。
寝物語として英雄譚を聞かされ、自分もそのようになりたいと憧れるのだ。
「力を無駄に誇示し、自身に従わぬ者を叩きのめして悦に浸るのは、人間だけじゃ。我は人間のように愚かではないし、そのような趣味も持たぬ」
耳が痛い。ワタシの考えを見透かすかのように、厳しい言葉を投げかけられてしまった。
「まあ、それについてとやかく言うつもりはない。人間は愚かじゃが、我がこうして人間社会にいるのは、楽しいからじゃ。我は、一人でも生きてゆけるが……つまらぬぞ。何もすべきことがない日々は、本当につまらぬ。幸い、この見た目のため人間の中に溶け込むことも難しくなく、あちこちを放浪しておるのじゃ」
ワタシの知る魔物とは、化け物のように醜悪な姿をしている。
人間と見分けがつかず、知性を持つ魔物もいないではないが、クートほどに美しい魔物は寡聞にして知らない。
「無礼を承知で言うが、好事家たちが欲するだろうね。魔物だろうと関係ない……いや、魔物である分だけ希少性が高く、より高値がつく」
「よく狙われるの。我の正体を知らずとも、この美しさでは無理もない。諦めるのであれば見逃すが、しつこい輩には容赦せぬ。結果として大事になり、別の国へ移動する羽目になる。毎度のことじゃ」
迂闊に力を使ってしまったり、正体が露呈してしまったりすれば、町にいられなくなる。
だから、普段はなるべく自重しているというわけか。
「では、今日に限って力を使ったのは、相手がしつこかったから?」
「それもあるが、弱き者を守るのは強き者の役目じゃ。そう思わぬか?」
「魔物の君なら、守るべき『弱き者』は魔物になるのでは?」
「関係ないの。魔物だろうと人間だろうと、あるいは亜人だろうと、我は我の気分が赴くままに行動する。守ってやりたいと思えば守り、思わなければどれほど懇願されようと守らぬ」
なんとなく、理解した。
クートの行動理念は、どこまでも「自分」にある。
やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。
自分本位とも言えるが、ワタシは異なる感想を持った。
やりたいからやる。それは、見返りを欲しているわけではない。称賛の言葉や報酬のような見返りがなくとも満足なのだろう。
やりたくないからやらない。それは、罵倒も悪評も受け入れる。「なぜ助けてくれなかったんだ!」のように言われても、クートは気にしないのだろう。
たとえどのような結果になったとしても、クートは全てを背負う。
改めて言おう。
彼女は、気高い。
「……もっと聞かせてくれないか? ワタシは、君が知りたい」
「まるで愛の告白じゃの。我ほど美しければ、惚れるのもやむなしか」
「ち、違っ!」
「動揺するでない。話すのはやぶさかではないが……ところで、お主は客に菓子の一つも出さぬのか?」
「し、失礼……すぐに用意させる」
まただ。気高き女王から、菓子をねだる子供のようになった。
使用人に菓子と果実水を用意させれば、実においしそうに食べている。
どうしてだろう。この落差が、ワタシには嬉しい。
もっと様々な表情を見たいと思っている。
菓子に舌鼓を打ちつつ、クートは色々と聞かせてくれた。
驚いたのは、彼女の年齢だ。三百年ほども生きているらしい。
寿命がないわけではないが、基本的には今の容姿のまま変わらないと。
特定の条件で外見が変化するらしいが、そこまでは教えてもらえなかった。
クートにばかり話をさせても悪いので、ワタシも自分の事情を話して聞かせた。
黙っていた正体も教えたが、クートの反応はそっけなかった。
気にする必要はなかったのだな。
「お主は、なぜそのような見た目になっておる?」
クートに質問されたので、少々暗い話にはなるがワタシの病状を伝えた。
誰にも言えなかった愚痴や不平不満も、クートになら不思議と吐き出せた。
「貴族か。人間の中でも、特に愚かな者じゃな。まあ、我には関係ない。慰めてもらえると思ったのであれば、あてが外れて残念じゃったな」
「いや、そちらの方がありがたい」
表面的に慰められるよりも、同情の視線を向けられるよりも、切り捨ててくれる方がすっきりする。
「……お主、そういう趣味があるのか? 美しい女に冷たくされて喜ぶような」
「だから、どこでそんな知識を……三百年も生きていれば覚えるのか」
十歳程度の年齢であれば、ませていると思うところだ。
三百歳ならおかしくない。
クートとの会話は、人と接することに疲れ果てていたワタシですら、心から楽しいと思える時間だった。
帰り際、無意識のうちに口から言葉が出る。
「また、会えるかな?」
「我は暇じゃから、相手をしてやってもよいぞ」
クートの性格上、ワタシの相手をするのが嫌なら絶対に引き受けない。
クートが帰った後も、ワタシの鼓動は高鳴り続けていた。