四話 病気療養
ワタシは、結婚相手を見つけられなかった。
女性はいくらでもいる。ワタシが声をかければ、二つ返事で了承してくれる女性が。
より取り見取りだ。年齢も外見も、ワタシの望むがままの相手が手に入る。
贅沢な話ではあるのだろうが、見つけられない。どうしても無理だった。
期限の日まで、残すところあとわずか。
ワタシが結婚相手を見つけられなければ、父が選ぶ女性と結ばれるであろう。
父も目星はつけてあるらしい。
しかし、ここにきて問題が生じた。ワタシの病状が悪化したのだ。
何年前からだったろうか。ワタシの体がおかしくなっていた。
最初は食欲が落ちた。食べなければいけないと思い、無理矢理食事を詰め込んでいたが、それすら徐々にできなくなった。
食べれば吐く。食べ物を見ただけでも吐き気がある。
そもそも、空腹を覚えない。
ワインを飲み、酔っていれば、なんとか食べられなくはない。少しだけだが。
このようなやり方が、体にいいはずがない。
当然のように体は衰え、わずかに動くだけでも体力を切らすようになっている。
病気を治療しようと、高名なお医者様に診察してもらったが、体のどこにも異常がないと言われた。
食事を碌に食べていないので痩せてはいるが、それだけだ。
病気ではない。食べれば、おそらく治る。だが食べられない。
見事なまでの悪循環だ。
必死で取り繕い、我慢していたが、我慢すらきかなくなりつつある。
最近は、動くのも億劫、人と会うのも億劫。
いや、億劫どころか怖い。人が、貴族が怖い。
ワタシに近付く者全てが、裏で何か企んでいるように感じられ、信用できない。
結婚どころではなくなってしまった。
ワタシは、王城で文官として働いている。
名誉ある仕事だ。人々のためになると誇りを持っている。
人間関係が良好であれば、もっといいのだが。
ジアノース家の人間であるワタシにすり寄る者、疎ましく思う者。
ウェルサウスやベンウェストの人間とも付き合わなければならず、頭が痛い。
夜遅くに帰宅する頃には、疲弊し切っている。
「アテニルザ様、もうおやめになられた方が……」
帰宅後、ワインを飲んでいたワタシに、使用人の一人が進言した。
「いや、もっと持ってきてくれないか」
「しかし……」
「頼む」
繰り返し命じれば、渋々といった様子でワインを一瓶持ってきてくれた。
いいワインだ。本来は味わって飲むべきそれを、ワタシはただ喉に流し込む。
飲まなければ自分を保てないのだ。酔っている時だけは気持ちが楽になる。
酷い有様だとは、自分でも思う。改善すべきだとも。
最後通牒の日をとうに過ぎ、二十歳になった今も結婚はしていない。
一人で飲んだくれているのは、誉れあるジアノースの嫡男にあるまじき行動だ。
理解していてもやめられない。
ワタシは何も食べず、ワインだけを飲み続けた。酔い潰れて眠るまで。
それから一年以上の月日が流れ。
ワタシの病状は、悪化の一途をたどっている。
仕事にも支障をきたすようになったため、病気療養のためにジアノース家の領地へと赴くことになった。
父は悩んでいたが、今のワタシを王都に置いておくよりも、遠くへ飛ばした方がよいと判断した。
ジアノースの嫡男が病気など、家の恥部だ。父からすれば隠しておきたい。
だが、ワタシの様子があからさまにおかしいため、隠し切れない。
やむを得ず、療養させる方を選んだのだ。
建前としては、父の名代として、領地の視察を行うことになっている。
王都を離れて療養すれば、この病気は治るのだろうか。
馬車に揺られ、ワタシはジアノース家の領地に到着した。
広大な領地の中でも最も発展している町、ジアノース。
王都には及ばないものの、我がジアノース家の名を冠しているだけあり、賑わっている。
この辺りは、魔物も亜人もほとんどおらず、他国との国境線も遠い。
要するに平和なのだ。ゆえに人も集まる。
人が集まることで生じる事件も多いのが、悩ましい問題だが。
ワタシを乗せた馬車は町中を走り、領主の館へ。
「お待ちしておりました、アテニルザ様」
「ご無沙汰しております、叔父上」
領主である叔父が出迎えてくれたので、挨拶をする。
叔父と甥の関係だが、彼はワタシに敬語を使う。ワタシがジアノース家当主の嫡男だから。
同じジアノースであっても、格差は大きい。
「長旅でお疲れでしょう。歓迎のパーティーは明日にしますので、本日はお休みください」
「お心遣い、感謝します。ですが、パーティーは……」
「アテニルザ様は、先日二十二歳の誕生日を迎えられたはず。歓迎パーティーだけではなく、誕生パーティーも兼ねているのです」
ワタシの誕生日は、旅の途中で迎えた。
御者や供の兵士はいるが、彼らがワタシの誕生日を祝ってくれるわけもない。
嬉しくないわけではないし、断るのも失礼になりそうだ。
「では、ありがたく」
ワタシが了承すれば、叔父も安堵した表情になった。
まあ、今日は休ませてもらう。弱った肉体に、長旅はこたえたのだ。
ワタシが住む場所は、ジアノース家の別荘になる。
叔父には叔父の家族がおり、ワタシが転がり込むのはいささか気まずい。
叔父も、ワタシが屋敷にいれば気が休まらないだろう。
離れて住む方が、双方のためになる。
別荘には徒歩で向かうことにした。気分転換をしたいのだ。
歩くのは億劫だが、王都にいた頃に比べればかなり楽になっている。
あそこは――魔窟だ。魑魅魍魎が跋扈している。
貴族社会とは、どうしてこうも面倒なのか。
人それぞれ考え方は違うし、譲れない部分があるのも理解する。
それにしたって酷い、というのが正直な気持ちだ。
仕事そっちのけで、横のつながりを深めたり他人を蹴落としたり。
せっかく王都を離れられたのだし、考えないでおこう。
その日はゆっくりと休み、翌日のパーティーも無難に切り抜けた。
それからのワタシは、別荘に引きこもる日々を過ごしている。
何をするでもなく、のんびりと過ごすのは、非常に楽だ。使用人はいるが、彼らは必要以上に出しゃばらないし、ワタシは一人きりになれる。
面倒な人付き合いはなく、叔父ともパーティー以来顔を合わさない。
楽なのだが、人としてどんどんダメになっていく感じがする。
病気療養とはいえ、このままでは少々まずい。
ワタシは町を見て回ることにした。建前ではあるが、領地の視察のために赴いているのだから、多少は仕事をしなくては。
使用人たちに出かける旨を伝え、ワタシは一人、視察へと向かう。
護衛をつけるとも言われたが断った。一人がいいのだ。
ジアノース家の者として、あるまじき軽挙だ。命を狙われでもしたらどうするのか。
それでもいいと思った。どうせワタシは、ジアノース家を継ぎはしない。
父には何も言われていないが、病気のワタシを見限り、弟に家督を譲るだろう。
であれば、ワタシの命など取るに足らない。
半ば自暴自棄になり町を歩く。暗いワタシの心とは裏腹に、人々の顔は明るい。
露店も多く並び、いい匂いがする。普通であれば食欲をそそるのだろう。
ワタシは、食欲とは無縁になって久しいが。
視察といっても、これといってすべきことはなく、あてもなく歩き回る。
さて、どこに行こうか。