0.5
呆然と、李怜を見つめる子供は何も喋ろうとしない。
二人の間で沈黙が続く。瞬きすらわすれてしまうほど、気まずいような対面だった。
「親は? どこへ行った?」
半分以上壊れた家の中を指差す子供。
嫌な予感がした。これ以上、この子供に深入りしてはいけないと、何度も修羅場をくぐり抜けながらもさえてきた、直感がそう訴えている。
だが、李怜の足は止まらない。
子供の親は二人共、事切れていた。
腹部についた切れ目から、鮮血が吹き出し骸にかかる。
四肢をあらぬところへと投げ出し固まっている姿は、李怜が見慣れたものであった。
この子は、李怜は思う。
このままでは、野垂れ死んでいく運命だ。と。
野盗に両親ともども殺されることとあまり差異はない。
ただ、死ぬまでの時間がわずかばかり伸びるだけだ。
二度と動かない両親の脇で佇む子供。
李怜は彼を無下にすることができたはずだ。
何もなかったことにして、立ち去ることもできたはずなのに。
「わたしと、一緒に行くか?」
知らないうちに、声をかけていた。
その事実に本人が驚いていた。
(あの後)
李怜は回想する。
(両親ならず、集落の皆の墓を作った。愁が言って聞かないからだ。あいつだけじゃ、全然捗らない作業を私が手伝ってやってから、か。あいつが私の技術に興味を示したのは)
強くなりたい、と出会った頃の愁は短く言い切った。
「強くなっても、見える景色は同じだ」
李怜はそのように告げたことを覚えている。
強くなったとして、救える命が増えたとして、それがどうになる。気まぐれに助けたとして、力のないものはすぐに、別の強いものに食われる。
かつてあったとされる、天下泰平の世が、遠いおとぎ話のように聞こえるほどの乱世。強くあり続けるものでさえ、策略一つであっという間に弱者へと成り下がる時代。とはいえ、その逆は見当たらない。
強者が弱者となった強者の肉を食み、食われていく。
弱者には何も与えられない時代。
「僕が弱かったから」
その頃、愁は己のことをまだ、僕と名乗っていた。
「だから、村のみんなもお父さんもお母さんも殺された。でも強くなれば、そんなことはなくなる」
それは、私も考えたことだ。李怜は言葉にはしない。
子供の真っ直ぐな瞳を、すぐに曇らせるようなことは、彼女にはできなかった。
曇らせることが、親心だとしても、まだ師から独り立ちした少女が決断するには、まだ経験が足りなかった。
「強くなるには」
李怜は静かに愁を見すえる。膝立ちになり、彼と同じ高さに目線を合わせる。
「死んだほうがましと思える修練を重ねる必要がある」
お前には、それが耐えられるのか?
李怜の迫力に押される愁。
それでも、愁は頷いた。
李怜は思い出す。師父についていくと、己で誓ったとき、同じことを師父にたずねられた。
師父がその時、どう思っていたかなんて、彼女は知る由もない。
(私は)
ふと、木々のざわめきが気になった。
ぱちぱちと静かに爆ぜる焚き火はもとのまま。
(本当にこの選択で良かったのか?)
終着地を間近にして、己に問いかけるのはその文言。
孤児として、師父に見つかられることがなく、何処かで野垂れ死んでいたことが。
厳しい修練のさなかで力尽きてしまったままでよかったのか。
弟子を取らず、流派を己にて止めるべきだったのか。
今まで歩んできた過去の選択ばかりが頭をよぎる。
どれだけ強くなろうが、悩みは尽きることがない。
そのことを、まだ李怜は愁に告げたことがない。
強さを求めれば、問題は解決することができる、と愁は信じているようだが、現実はそう甘くない。
(日がまた昇れば)
李怜は空に浮かぶ月を見上げる。
(私の悩みに決着がつく。考える必要がないというのに、どうしても考えないと心が落ち着かない)