5.新たな関係
しばらく王のあとをついて歩いていると、王はとある部屋の前に止まった。侍従が扉を開けると王はその部屋の中へ入って行ったので、私もあとについて入る。
部屋の中には机と装飾の施された本棚や柱時計などが置かれていた。ここは王の執務室かしら?
「そこのソファーにかけなさい」
部屋の中を眺めていると王にそう勧められたので、私はスカートが皺にならないよう気を付けながらゆっくりと座った。
「さてと、君には全てを話しておかなければならないな」
王は執務用の椅子に腰掛けると少し気まずそうにそう言ってきた。全てって一体どんな話をするのかしら? はっ、まさか王の気まずそうな様子からして王妃──私のお母様は私が魔王に拐われてから病に倒れ、もう会うことができないなんてことだったらどうしよう……。
私はそうでないことを祈りながら王を見る。王は侍従に何か指示をし、侍従は部屋にある本棚の前に向かった。侍従が本棚から本を取り出し、奥へと手を伸ばす。すると“カチッ”という音がし、本棚がゆっくりと横へ移動し始めた。そして本棚があった場所には扉が姿を現した。一体この扉の向こうには何があるというのかしら……?
疑問に思いながら扉を見ていると、侍従は現れた扉にノックをし「失礼します」と言って中へ入っていった。
「急に何よ。今日の教養の時間はもう終わったじゃない」
「陛下がお呼びです」
「お父様が? もう、しょうがないわねぇ」
隠し扉の向こうから侍従と若い女性の声が聞こえてきた。ちょっと待って、さっき若い女性から「お父様」って単語が出てきたわよね? ということは私には姉か妹にあたる人がいたということ? だとしたら何故、人目につかないよう隠し扉の先にいたのかしら?
疑問に思いながら待っていると、隠し扉から侍従と1人の女性が出てきた。扉から出てきた女性の姿に、私は目を疑ってしまった。
その女性の顔はなんと私にそっくり──というよりまさに瓜二つと言っていいほど似ていた。体型は私と対照的で女性の方がぽっちゃりとしているけど。
「お父様、これは一体どういうことかしら?」
女性は私を指差しながら王に尋ねた。ちょっと、人を指差すなんて失礼な人ね! 私と同じくらいの年齢に見えるけれど、そんなことも知らないなんて一体どんな教育を受けてきたのかしら。背は私より低そうだし、仕草にあまり品を感じられないから恐らく私より年下──たぶん妹にあたる人物ね。なら、あとで姉としてしっかりと教えてあげなくてはね。
「まずは指をさすのをやめなさい。彼女は15年もの間、お前の身代わりとなって魔王に捕らわれていてくれたのだぞ」
王がぽっちゃり妹(仮)に注意をしながらそう言った。……ん!? ちょっと待って! 今、王の口からおかしな単語が出てきたわよね!?
「それがなんですの? 私は身代わりを頼んだ覚えもありませんし、そもそも魔王が勝手に間違えてその女を連れ去っていっただけでしょ?」
は? 今度はぽっちゃり女の口からとんでもない言葉が出てきたんだけど! 「間違えて」ってどういうこと!?
「陛下、彼女が混乱しておりますので先にご説明をされた方が良いかと」
侍従が私の状況を察して説明を促してくれた。
「そうだな、こほん。えー、君は魔王の元ではこの国の姫という扱いを受けていたと思う。だが実は君の前にいる彼女こそが本当の姫──私の娘なのだ」
王は少し申し訳なさそうな表情をしながら私が魔王に拐われるまでの経緯を説明し始めた。
どうやら私は孤児だったらしい。当時、本当の姫の侍女としてついていた人が王都へ買い物に訪れた際、ボロ着を着た本物の姫にそっくりな私を見つけ、「美味しいご飯が食べれるところに連れていってあげる」というような誘い文句を言って王城へ連れ帰ったそう。幼かった私は疑うことなくついていったみたいね。
そして侍女は「歳も近そうなこの子は姫様の『影』として最適な人材です」と王を説得し、王は私を姫の影として城に迎えたと。
しかしそんな矢先に魔王が復活し、王城を奇襲してきたらしい。奇襲を受けた際、侍女は姫の部屋に私を置き去りにして本物の姫と安全な場所に逃げていき、魔王は本物の姫だと思って私を連れ去っていったということだそう。
それから王は本物の姫が無事だということを隠すためにあの隠し部屋で姫を育てることにし、勇者が魔王を封印して私を連れて帰って来るのを今日まで待っていたという状態だったみたい。
「15年間、さぞ辛かったことだろう。だがもう安心しなさい。これからはここで快適な生活を送ることができるのだから」
「ここで……ですか?」
それってつまり──。
「お父様! どこの馬の骨とも分からないこんな貧相な女に、私の影なんて務まるはずがありませんわ!」
王の言葉の意味を理解した姫が、私を見下げながら王に言った。「どこの馬の骨とも分からない」というのを否定できないのは悔しいけれど、こっちだってあんたの影になるなんてごめんだわ!
「こら、そんなことを言うんじゃない」
「だって本当のことよ! 15年も食べるか寝るかしかしてこなかった人に、この私の代わりが務まるはずがないもの!」
はぁ? その言葉、ぽっちゃり体型なあなたにそっくりそのまま返してやるわよ! そもそも私が貧相に見えるのはあなたがぽっちゃりしているからよ!
……とはいえ、こんな姫の影として生きるのはごめんだから今のうちに姫の言葉に便乗してさっさとここから出てしまわなくてはね。
「陛下、私も姫様の影としては分不相応だと自覚しております。なので私はここで失礼させていただきたく思います」
私は深く頭を下げるなり、すぐさま立ち上がった。
「待ちなさい。これからどうするというのだね? 君にはどこにも行くあてがないだろう」
「いいえ、ありますのでご安心下さい」
ここからだと歩いて行くにはかなり遠いけれど、魔王城へ行けばこの国と無縁に過ごせるわ。
「し、しかし君は魔術師に魔術を教えてもらう予定があるではないか」
「それは『姫様』が、ですよね? あの方は魔術を教えるのがとてもお上手ですので是非とも護身用に習っておかれることをお勧めしますわ」
私はそう言い部屋の扉へ向かった。
「なんで私が魔術を習わなければならないのよ! 護衛がしっかりと護ってくれれば必要ないことでしょ? お父様、今すぐそんな話を取り消してちょうだい!」
「それをしたら魔術師にこの事がバレて……。お、おい、まずはあの子をこの部屋から出さないようにするのだ」
「承知致しました」
王は侍従にそう命令した。私を捕まえる気ね。絶対に捕まるもんですか!
私は扉を開けて走り出した。確かあの角を曲がって真っ直ぐ行けば最初に通された部屋が見えてくるはず。
「誰かっ、そこのおん……姫様を止めてくれ!」
侍従は近くにいる人に聞こえるように叫んだ。「そこの女」をわざわざ言い直したということは本物の姫がいることを知っているのはごく一部の人だけということね。
そう推測していると、進行方向に何事かと2人の衛兵が姿を現した。面倒ね、だったらこのまま姫に成りすまして逃げ切るわ!
「そこを退きなさい! さもなければお父様にあなた達が私に暴力を振るってきたと言いつけますわよ!」
そう言うと衛兵達は顔を強張らせながら数歩下がった。
「私がちゃんと君達が無実だということを証明する! だから姫様を止めてくれ!」
追いかけてくる侍従が衛兵達に向けてそう叫んだ。衛兵達はホッとした表情を浮かべるなり両手を広げて廊下に立ち塞がった。くっ、王の側仕えをしている侍従の言葉の方が上となると厄介ね。どうしたらいいかしら。前には2人で後ろから1人、しかも後ろに退くわけにはいかないこの状況……。
悩んでいると、魔王からもらったブレスレットが淡く輝いているのが視界に入った。そういえばこのブレスレットには護身用の魔術を付与してあると魔王が言っていたわね。だったら──。
私は両手を突き出しながら思いきって衛兵がいる方へ突っ込んでいった。すると衛兵達は見えない壁に阻まれた直後、弾き飛ばされるように左右の壁に吹き飛んだ。うわぁ、痛そう……大丈夫かな……? いや、でも人の心配をしている場合じゃないし……。
「お二人ともごめんなさい」と小さな声で謝りながら、私は再び走り出した。
しかし目的の角を曲がった直後、私は勢いよく何かにぶつかって尻餅をついてしまった。
「おっと、すまない。立てるか?」
私にしか聞こえないくらいの小さい声で聞き慣れた声がした。その声にハッとし顔を上げると、そこには魔王がいた。魔王は尻餅をついている私に手を差し伸べてくれていたので、私はその手を掴んで立ち上がった。
「いいところに! お願い、助けて! このままだと私、一生本物の姫の影として過ごさなければならなくなってしまうの! 後でちゃんと説明をするから私を匿って!」
「本物の姫の影? 匿う? ……わかった、幻術で姫の姿を周囲と同化させるからそこを動くでないぞ」
そう言うと魔王は片方の手を私の頭に乗せた。すると、全身を淡い光が包み込んだ。
一方で、もう片方の手では姿形が私と全く同じ魔導人形を作り出していた。確か魔導人形は術者の作り出す魔術次第である程度自我を持った行動ができるのだったわね。
魔王が助けてくれることに安堵しながら私にそっくりな魔導人形を見ていると、魔導人形は目を閉じてぐったりと魔王にもたれ掛かった。魔王は魔導人形をそっと抱き上げる。そのすぐ後に、私を追いかけて来た侍従が曲がり角から現れた。
「事情は分かりませんが、かなり興奮されたご様子だったので姫様には一時的に眠っていただきました」
魔王は侍従に聞かれるよりも先に状況の説明をした。
「そうでしたか、ありがとうございます。お陰で助かりました」
侍従はそう言うと魔導人形の私に手を伸ばした。
「何か問題でもあったのですかな?」
そう尋ねながら魔王はチラリと侍従の顔を見て、魔導人形の私をゆっくりと侍従に託した。
「陛下と姫様の間にちょっとした誤解があったようです。親子とはいえ、まだお互いのことをあまり知らないので仕方ないことですね」
侍従は本当のことを一切話さず世間話をするようにそう言った。
「そうでしたか。早く仲の良い親子関係を築き上げれるといいですな」
「私もそう思います。では私は姫様をお部屋へお連れしなければならないので、これにて失礼させていただきます」
侍従はそう言って一礼すると魔導人形の私を抱き直して足早に去っていった。……ふぅ、魔王のお陰でとりあえず目の前の危機を回避することができたわ。
「……さてと、そのまま静かに我の後についてきなさい」
ホッとしていると魔王が私だけに聞こえるくらいの小さな声でそう言った。私はおとなしく魔王の後ろについていくことにした。
*****
魔術師のために用意された部屋へ入り扉を閉めると、魔王は私の頭に軽く触れて幻術を解いてくれた。
「さて、廊下で聞いた話からおおよその見当はついているが、詳しく話を聞かせてもらおうか」
「えぇ、もちろん。話は王との面会が終わって魔王が部屋を出ていってた後に遡るわ」
私は現在に至るまでの出来事を全て魔王に話した。
「……まさかそういうことだったとはな。本当にすまないことをした」
「そんな、謝らないでよ。むしろそんな環境から救いだしてくれたことに感謝してるわ」
だって魔王に拐われなかったらいざという時、あんな我が儘な姫の身代わりになって死ななければならないところだったんだもの。そんな環境から救いだしてくれたことに本当に感謝しているわ。
「それにあのまま過ごしていたらきっとダメ人間に育っていたかもしれないし」
あの姫と一緒にいたら絶対に教養はもちろんのこと、ちゃんとした品格ですら身につけることができなかったと思うわ。あと、かなり甘やかされて育てられた感があるから姫ではない私は雑に扱われていただろうし、そのせいで捻くれた性格になっていたかもしれないし。
「確かに、話を聞いた感じだとその可能性は否定できぬな。さて、事情は分かった。影の件は魔導人形が代わりにやるから問題ないだろう。しかし君はこれからどうするのだ?」
「そうねぇ……」
まさかこんなことになるとは思ってもいなかったから、逃げたあとのことなんて全然考えていないのよね。特にこれといった目的があるわけでもないし……そうだわ!
「決めた! 私、魔王の助手になる!」
「は? 我の助手になるだと!?」
「そう。特にこれといった目的がないから助手になって魔王のお手伝いをしたいの。ダメかしら?」
「むぅ……」
魔王は考え込むように腕を組みながら瞼を閉じた。魔王からすぐに返事がないということは、あまり良く思っていないということかしら……。
「もし迷惑ならせめて私が世の中を実際に見て理解し、独り立ちできるまで一緒にいさせてほしいの」
流石に今すぐ魔王から教えてもらった知識だけで独り立ちするのは心細いし、そもそも一文無しからのスタートでやっていけるとは思えないのよね。迷惑にならないようなるべく早く独り立ちできるよう頑張るけれど、ダメかしら……?
「……なぁ、1つ提案があるのだが……」
魔王はゆっくりと瞼を開くと少し視線を彷徨わせながら私を見た。
「助手ではなく、娘になるのはどうだろうか?」
魔王は少し恥ずかしそうに視線をそらしたりしながらそう言ってきた。
「む、娘? 娘というのはもしかして魔王の……」
「そう。我──あぁ、魔王の娘ではなく魔王を封印した魔術師の娘としてだがどうだろうか? その方が何かあった時、親として力になれると思うのだ。それに……その、助手というよりも我、個人としては……」
魔王はさらに恥ずかしそうな表情をしだした。
「何よ、急に言うのを躊躇ったりして。いつも堂々としている魔王らしくないわよ」
「むぅ、これはそうそう気軽に言えることではないのだから仕方ないだろう。……ふぅ、よし、言うぞ!」
魔王は覚悟を決めた様子で私を真っ直ぐに見た。
「我、個人としてはこれまでの生活を通して“捕らわれの姫と魔王”という関係ではなく“娘と父”のような関係に思っていたから助手というのは違和感があるのだ」
魔王は視線をそらすことなく私を真っ直ぐに見ながら言い切った。……どど、どうしよう。魔王がそう思ってくれていたことはすごく嬉しいのだけれど、どう反応したら……。私も実は魔王との生活を通して“魔王と姫”という関係よりも、いつもそばにいてくれていろんなことを教えてくれるお父様のような存在だと思っていたのよね。でもそれを素直に喜ぶのも恥ずかしいし……。
「……すまない。いきなりこんなことを言われたら困るよな」
「いや、そうではないの。嬉しくてその、素直に喜ぶのが恥ずかしくて……」
慌てて私は正直に今の気持ちを魔王に伝えた。
「そうであったか。嫌がられているのかと思ったがそうではないのだな? よかった。では、そうと決まれば早速今後について話し合おうではないか」
「えぇ、そうね!」
心の中で嬉しさで舞い上がりつつも、私達は早速今後についての話し合いを始めた。