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変わらぬ先生。

11月。

前田先生と初めて出会ったあの日から、二度目の秋を迎えていた。

日が短くなったと感じながら、洗濯物を片付けてパソコンを開いた。


検索結果の画面を見ながら、1人呆然と座り込んでいた。


先生が神戸に帰ったと聞かされたのが1年半前。

パソコンを開いては時々、先生の名前を検索していた。


どこで働いているのか


元気にしているのか


ただそれが知りたいだけだった。


元気ならそれでいい・・・


そんな軽い気持ちで検索していたが、この1年半、前田先生らしき人にヒットすることはなかった。


それが


1ヶ月ぶりに先生の名前を入力すると、今まで出ることのなかった検索結果が・・・


「○○歯科クリニック 院長 前田晋一」


名前のみで、“歯科医”と入力したわけでもないのに、歯科クリニックの院長として出た名前。


前田晋一


一文字も狂うことなく、同姓同名。

歯科医で、同じ名前で、別人である確立はどれくらい?

間違いなく前田先生だと確信していても、そんな疑問が頭をよぎる。


呆然としたのは、先生の名前がヒットしたからじゃない。

院長と記されたクリニックの所在地は、ここから数十分離れただけの・・・隣町



トクン トクン トクン トクン


2年前を思い出すかのように、胸の鼓動が鳴り始める



どうして


どうしてこっちにいるの?


神戸じゃなかったの?


いつから?


いつから?



前田先生・・・




どうして?




震えた手でマウスを動かし、クリニックのページを開く。


「○○歯科クリニック 一般歯科 インプラント 審美歯科 矯正歯科 予防歯科 ホワイトニング スポーツ歯科


  総院長 伊戸田 肇


   院長 前田晋一    」


トクンッ・・・


「ー・・・せん・・せい・・・」


あの頃と変わらない、前田先生の顔写真がそこにあった。

凛々しい切れ長の目

額からスッとのびた高い鼻

今にも声が聞こえてきそうな・・・

インターネットに掲載された、ただの顔写真なのに、息を呑んで見惚れてしまう

顔が熱くなっていく


どうして・・こんなに近くにいるの・・・


携帯電話を手に取り、麻耶ちゃんにメールを送った。

『前田先生 見つけたかも』


どうしたらいいのか  わからない


先生がいた


思いがけないところに


先生はいた


いないと思っていたはずの先生


もう会えないと思っていた



               先生・・・






「来週の水曜日、出張になったんだ」

仕事から帰った和晃が、ビールを一口飲んでから言った。

「出張?どこに?」

「大阪。今井さんと」

「えっそれって・・」

「そ。名目は出張だけど、食べ歩きだよ」

「ええーいいなあ〜。それ食事代全部会社もちでしょー?」

「仕事の一環だからね。だけど、間を空けずに朝から晩まで食べなきゃなんないんだよ。結構ツライんだって」

「あ〜、そういえば、東京の食べ歩きの時も、後半はかなり辛かったって言ってたね。」

「んんー・・またあの地獄のような食べ歩きかぁ・・」

「初めっからとばして食べるからでしょ。少しずつ味見程度に食べないと」

「そうなんだけどねー。美味いとついつい食べちゃうんだなこれが」

「ふうーん・・・うらやましー」

「水曜の昼から出発して、木曜の夜帰るから」

「あ、泊まりなんだ」

「うん。ごめんね。はるか・・1人になるね・・」

「あはは、気にしないで。大丈夫だから」

1年半前、和晃にいわゆる“メルカノ”がいたことが発覚して以来、和晃はそれまでに比べてより一層優しく、私を思いやってくれるようになった。

和晃なりの誠意なのだろう。

私は素直にそれを受け入れてきた。

怒りや憎しみを抱いたまま生きていくのはしんどい。

和晃を許そうと決めたあの日から、穏やかな日々が続いていた。




なのに・・・




「・・・・だからね」

「・・は?」

「ええっ!?」

「あ、ごめん。もっかい言って」

「大丈夫?はるか・・眠たい?」

「あ、うん、少しね。で、何て?」

「昼の新幹線だから、朝はゆっくりでいいからね」

「うん、わかった。来週の水曜日ね」

サインペンを手に取り、リビングのカレンダーにしるしをつけた。

11月12日水曜日 和晃・大阪出張・・・


一瞬、よからぬことが頭をよぎる


前田先生に 会いに行こうか・・・


「ごちそうさまでした」

食事を終えた和晃が、食器をシンクへ運ぶ。

「お風呂入ってね、和晃」

「うん。じゃあお先〜」


浴室の扉が閉まる音を確認してから、自分の携帯電話を開いた。


着信メールあり


麻耶ちゃんだ


『うそ!?どこで?ネットで!?』


着信は0時14分。

もうすでに深夜の2時を回っている。

返信はしないでおくことにした。




『もちろん会いに行くんやろ!?』

仕事の昼休みに、麻耶ちゃんが電話をかけてきた。

やや興奮気味だ。

「ー・・・」

『何??迷っとんの?はるちゃん』

「ー・・うん・・」

『なんでなん?ずっと会いたかってんやろ?神戸まで行ってんやんか!やっと見つかったんやんかー!!』

「うん、そうだけど・・」

『はるちゃん・・』

「先生には・・・会いたい」

『うん』

「でも・・いいのかな・・行ったりして」

『ああーわかった。はるちゃん、行けって言うてほしいんやろ?ウチに』

「え?」

『はるちゃん。悪いけどウチは何があってもはるちゃんの味方やに。和晃さんには申し訳ないけど、ウチははるちゃんの気持ち最優先やでさあ』

「・・・うん」

『うん。とにかくウチは絶対会いに行くべきやと思うわ。あんないなくなり方してんやし、何か聞きに行ってもええんちゃう?』

「・・・そうだね・・」

『はるちゃん、今でも先生が好きなん?』

「ー・・・好き・・・かな。でも」

『でもはない。それならそれでええやん。好きやから会いに行く。顔見に行くくらいええのんよ』

「うん・・・」

『聞きたいこともたくさんあんねやろ?』

「・・・ある」

『ほな、ちゃんと聞いてきいよ?』

「うん」

『大丈夫やって。はるちゃんは、自分で思うてるよりずっとしっかりしとるし、間違い犯したりはせえへんよ』

「うん・・・わかった。行ってみる」

『おお!その意気その意気』

「ありがとう、麻耶ちゃん」

『もお〜、ほんま頼むわあ〜。今度ウチが恋愛で悩んだ時は、はるちゃんにいっぱい相談に乗ってもらうでな』

「アハハッ、うん!必ずね」


麻耶ちゃんの言う通りだ。

私は背中を押してもらいたかった。

麻耶ちゃんなら、「絶対に会いに行くべきだ」と言うだろうと、頭で予想していた。

麻耶ちゃんと話すことで、自分の気持ちを確かめたかったのかもしれない。

先生に、会いたいという気持ちを。



先生と会うと決めてからは、待ち遠しい反面、本当に行ってもいいのだろうかという迷いとの葛藤が続いた。

和晃がいないときは先生を想い、和晃が帰ってくると、自分への嫌悪感が募った。


早くその日が来て欲しいと思えばなかなか来ないが、来て欲しくないと思うとすぐにやって来る。


和晃の出張の日は、一瞬でやって来た。


迷っている、本当に行ってもいいのか、でも、やっぱり会いたい。

当日はもう、自分でもよくわからなかった。

とにかく行ってみよう。

それだけだった。





「何時の新幹線?」

コーヒーを飲みながら、テーブルの向かいで遅めの朝食を摂る和晃に聞いた。

「13時ちょうどの・・東京行きって言ってたかな。切符は今井さんが持ってるから」

「送ろうか?駅まで」

「いや、今井さんがタクシーでここに寄ってくれるから・・・って、この前も言ったけど」

和晃が目を細めて私を見る。

「あっ・・そうだったね・・アハハ・・」

そんなこと言ってただろうか。この前っていつ?

「なに?なんかうわの空みたいだけど」

「私?そうかな」

「大丈夫?ホントに1人で」

「大丈夫ですっ」

「あ、でも、はるかも今日出掛けるんだよね?」

一瞬、ドキッとした。

「うん、友里とね」

そういえば以前も、前田先生に会いに行く時は、よく友里を言い訳にしていた。

今回も、友里しか浮かばなかった。友里と和晃は全く接点がないため、何か知られる心配も少ない。

「夜の食事だろ?気をつけて帰るんだよ。」

「はあい」

30分ほど経って、和晃の携帯が鳴った。

「もしもし・・おはようございます・・はい、あ、はい、じゃ、下に行きます・・はーい」

和晃は携帯をポケットに入れると、1泊分の荷物の入ったバッグを持って玄関へ向かった。

「今井さん、着いたって?」

「うん、今、下にいるって」

「じゃあ、今井さんによろしく。また今度“ディル”に食べに行きますって言っといてよ」

「うん、わかった。じゃあ、いってきます」

「うん、いってらっしゃい。気をつけて」

「はるかも。戸締りしっかりね。連絡するから」

「うん」

玄関の扉が閉まる。

鍵をかけるのと同時に、ため息が漏れた。

「ハア・・・」


ごめんね和晃・・・


どうしても会いたいの


今回だけ・・一度会いに行くだけだから・・・



2年前は、前田先生に会いに行こうが、和晃に対する罪悪感はなかった。

でも、今は違う。

無性に罪悪感に苛まれていた。

時間が経ってしまったせいか。

2年前より、和晃に愛されていると実感するようになったせいか。



先生を好きな気持ちは、2年前のままなのに。



寝室のタンスの奥から、隠していた封筒を取り出した。

中には、先生を好きだと思ったあの日、思わずネットの顔写真をプリントアウトした紙と、先生と一緒に行ったラグビー観戦の半券が入っている。

そして、携帯電話にぶら下がった、ラグビーボールのストラップ。


私が会いに行ったら、先生はどんな顔をするだろう。

今日はクリニックにいるのだろうか。

学会やセミナーで、県外へ行っている可能性だってある。

約束もせず、一方的に会いに行って・・・

本当に会えるのだろうか。


封筒の中身を取り出して眺める。

この前ネットで見た先生の顔と、着ている服以外は何も変わっていない。

半券は少し、茶色く色褪せていた。

今でも鮮明によみがえる競技場での記憶。

けれど、その半券の色は、2年という歳月を確実に物語っていた。




久しぶりのおしゃれをして、19時半に家を出た。

前田先生が今現在勤務するクリニックは、以前のオフィス街とは違い、デパートや飲食店が立ち並ぶ市街地のビルにある。

バスの窓から外を眺めると、夜の街の光が、色づいた銀杏を照らしている。

そう。

先生に初めて会ったあの日も、さわやかな秋空の下に、銀杏がさらさらと輝いていた。

私はこれから先もずっと、この季節が来るたびに、先生とのことを思い出すのだろう。


クリニックのあるビルは、意外に早く見つかった。

ビルを見て、改めてショックを受けた。

先生がいなくなってからも、ショッピングで何度かこのビルの前を通ったことがある。

こんなに近くにいたのかと、同じショックが何度も襲う。

なんだか胸が、ドキドキしてきた。

エレベーターで7階に上がると、扉の前にすぐに受付があり、フロア全体が歯科クリニックになっていた。

あの、歯科特有のにおいが鼻を突く。

先生が前にいたクリニックと同じで、内装がとてもキレイだ。

受付カウンターに座る若い女性に、すぐに声をかけられた。

「こんばんは。ご予約でしょうか?」

「あ、いえ、あのう・・」

「はい?」

「こちらに・・前田先生はいらっしゃいますか?」

「あ、はい、おりますが・・前田晋一でしょうか?」

女性は不思議そうな顔をしている。

「・・・はい」

「えーと、あのう失礼ですが、どういったご用件でしょうか?」

「あ・・その・・お会いできますか?」

「はい・・・あの、只今他の患者様の治療に当たっておりますので、しばらくお待ち頂いてもよろしいでしょうか?」

「・・・はい」

「お名前を伺ってもよろしいですか?」

「・・・春日部です・・・」

「春日部様ですね。前田の方にお伝えして参りますので、おかけになってお待ち下さい。」

女性は愛想よく立ち上がり、待合室のソファーをすすめた。

上品なピュアホワイトのソファーの端に座った。

待合室には静かに音楽が流れている。

時間が遅いせいか、自分以外は誰もいない。


先生は、私の名前を聞いてどう思うだろう。


先生は、私を見てどんな顔をするだろう。


緊張が増していく。


本当に、来てよかったのだろうか。


今頃になって


こんなところへ







診療室の扉が開いた







思わず、息を呑む



ダークグレーのシャツに黒いネクタイ、長い白衣に黒のズボン。

白衣の袖は、相変わらず肘まで捲くられていて、左手にカルテを持っている。

背は、そんなに高くない。


2年前と変わらない、前田先生がそこにいた。


私は立ち上がり

驚きに満ちた表情で、先生は私を見ている。



「ー・・・はるかさん・・・」



胸の鼓動が  高鳴る



声が出ない



「・・・・・」




受付の女性が、こちらを横目で見ながらカウンターへ戻ってきた。


何か・・


何か言わなきゃ

「あっ・・あのう・・私・・」

「はるかさん・・・」

先生は、受付カウンターにある置時計を見て言った。

「西通りにある、“オルヌ”っていうカフェで待っててくれませんか?」

受付の女性を気にしてか、若干小声だった。

先生は、困ったような顔をしている。


どうしよう・・・


やっぱり来るべきじゃ・・・


「終わったら必ず行くから」


先生は、真っ直ぐ私を見て言うと、私の返事を聞かずに診療室へ戻って行った。






ビルを出て、西通りへ向かう。


足取りが重い。


先生の、困った表情が、頭から離れない。



きっと、迷惑だったに違いない



2年ぶりに会えた先生



あんなに探し求めて、会いたかった先生



長かった2年



先生にとっては、どんな2年だったのだろう



私とのことは、もう、過ぎたことなのだろうか



  あのラグビーの半券のように



                色褪せてしまったのだろうか。

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