プロローグ--はじまりの夏の日--
「あーあ、つまんないなぁ」
太陽が眩しい快晴の空。
それを開け放たれた窓から顔を出し、ぼんやりと眺めていた七海はぼやいた。
呟くやいなや、一心不乱に持っていた黒板消しを二つ擦り合わせてチョークを落とし始めた七海に、輝はクリーナー使えよ、怒られるぞと注意を促した。
だってこっちの方が楽しいんだもん、と七海はまるで子供のように唇を尖らせた。
しかし、以前にも今と同様のことをしていた七海は忘れ物を取りに教室に戻ってきた担任にこっぴどく怒られているのだ。曰く、落ちた粉が下に居る生徒達にかかったらどうする、と。
眼下に広がるグラウンドは野球やらサッカーやら陸上、はたまたすぐ隣にはこれまた広いテニスコートが設置されていた。
清掃に当てられたこの時間は、当番でなくやる気に満ち溢れた生徒なら準備運動なりなんなりとっくに活動を開始していた。高体連間近のこの時期なら特に気合が入っている部活も多い筈。
確かに目に入ったりなんてしたら痛いだろうし、吸い過ぎると身体に害ではあるのだろうけど、正直、何もそれだけでそこまで怒る事だろうか。否、ただ単に妙に潔癖で神経質なこの担任の美徳だとか信念的な物だろう、と七海も輝もそう考えていた。
実際、他クラスではそういった少しくらいのおふざけには特には口出しされていなかった。
全くうちの担任は……とぶつくさ愚痴りながら結局クリーナーを利用した七海に、輝は呆れたように口を開いた。
「んで、何がつまんないんだよ」
クリーナーを終え、次はチョーク受けを綺麗にしようと小さな箒を手に取った七海はよくぞ聞いてくれましたとばかりに目を輝かせた。
「だってさ、だってさ!」
「落ち着け」
「平凡な毎日! 変わらない日常! 毎日毎日同じことの繰り返しで!!」
「中二臭いぞ。それに俺は結構今が楽しいし。平和が一番だろ」
「も〜〜〜〜!! 輝は枯れてるなあ。そんなんだから彼女が出来ないのよ」
この格好付け、と理不尽に貶され大きな溜息を吐く。輝がお前もだろと睨むと、うっと潜もった声をあげる七海にもう一つ。
「周りの友人が全員男持ちだから焦ってんのか。もう高三だもんな。なのにお前だけ御独り様ってのが寂しいと」
「うぐっ。そんなにはっきり言わなくても……。っていうか寂しい訳じゃないし! 只、世間は愛だの恋だので溢れている今、自分達だけ惚れた腫れたの話に無縁とか屈辱的じゃない!」
「さらりとお前の仲間に俺を入れるなよ」
益々呆れた様子の輝。
そんな輝に気付く事もなく、再びドン、と声高らかに主張した。
「兎に角、ドキドキでもハラハラでも良いから刺激が欲しいのよ!」
鼻息荒く、目線を明後日の方向に飛ばしている七海に輝が口を開いた。
「お前ら喋ってないで真面目に掃除しろよ!」
しかし、それはクラスメートの声にかき消されてしまった。
発声された方を向くと、机を持った大柄な男子生徒が苛立った様子で二人を睨みつけていた。どうやらご立腹の様だ。確かバスケ部に所属しており、大会が近い為に早く掃除を終わらせて練習に行きたいのであろう。
彼だけでなく、他の生徒達も呆れたように見つめている。
二人は酷く申し訳ない気持ちになり、謝罪して掃除を再開した。
清掃も終わり、部活に入っていない七海と輝はさっさと下校する。
今日は何処に寄り道しようかという七海に対して輝が中間テスト近いんだから勉強しろよと嗜める。
笑いながら帰る道のり。
二人の日常。
七海は先程つまらないと言ったものの、輝と同様、そんな毎日が楽しくもあった。
きっと、これからも変わらないんだろうなと顔を上げると突然強風が二人を襲った。ひゃっと小さく溢れる。
強い風だったねと隣の輝を振り返れば、真剣な表情で七海を見つめていた。
一度目を逸らし、再び見つめる。
そして意を決したように、また、特に何でもないかのように口を開いた。
「さっきの話だけどさ」
「うん?」
……さっきの話? 何だっけ。
首を捻る七海。
風はそよそよと穏やかに二人を包んでいた。
「俺と付き合えば」
「は?」
暑い夏の日の事だった。