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一服くゆらせ候

狂い咲き

作者: 紅月 実

 夜になったら『出て』はならない――――。


 日の光は陽の力。生命いのち育む温もりの光。

 星月の光は陰の力。生命奪う冷たい光。


 これは己の存在と同じくらい確かな事だった。

 しかし、今宵は夜の街を歩いている。こうして離れて動けるようになってから、禁忌を犯したのは初めてだった。


 日が暮れたというのに、なんと明るく人が多いのか。遠くから見下ろすのとは全く違う景色に心を奪われる。唄を聞くために出向いた場所には、こんなにたくさんの人は居なかった。

 行き交う人の波。そして広い道の中央を我が物顔で走る四角い物。木よりも高い建物。その全てが星のように光っていた。空の星たちがどこかに隠れているのは、人の作り出した光に遠慮しているのだろうか。


 そして街は音に満ちていた。木々のざわめきにも似たものが街全体を包んでいる。たくさんの声、たくさんの音が聞こえた。だが、これだけたくさん人がいて音が溢れているのに、唄が聞こえないのが不思議だった。

 人は集まると唄い楽しむものと思っていたのに、心に響く唄は一節たりとも聞こえて来ない。人は唄を止めてしまったのかと訝しむ。


 遠くで、ピシリと小さな音がした。



―― ◇ ――



 己という意識を覚えた時には、大地に深く根付いていた。日の光を浴び雨で身を潤して枝葉を伸ばす。暖かな日射しの下で花を咲かせ実を生し、大地に落ちた種子が寒さに負けぬように葉を落とした。季節が巡る度に芽吹いた命がすくすくと育つのを見守った。

 周りには人も寄って来た。人の声、唄は心地良く響いた。もっと唄をと願っていると、『外』へ出られるようになった。大勢が集まり唄う時は『出て』行って聞いていた。誰もこちらに注意を向けない。存分に唄を聞きながら日の光を浴びると、濃緑色の葉が艶やかに輝いた。

 夜の唄は眠りながら聞いた。夜になったら『出て』はならないのだ。禁忌を守り、朝に起きて夜に眠る。暖かい日射しと冷たい風が繰り返し繰り返し訪れて……。


 何時しか雨が毒に変わっていた。日の光を浴びているのに花芽を付けるのが難しい。唄もあまり聞こえなくなり、昼でも眠っている事が増えた。水と共に、日の光まで濁ってしまったのか。唄だけでも聞ければ、もっと葉を茂らせるのだけれど。

 どれくらいそうしていたのだろう。呼び声に微睡まどろみを妨げられると、眷属ともが夕暮れの中に佇んでいた。昼と夜の境目は、太陽と星月が同時に空を飾っている。

 すっかり様変わりした山の上で、眷属は乾いた地面に目を留めた。寂しげに、そして愛しげに触れた。眠るために戻ろうと呼び掛けると眷属は静かに首を振った。


――――あちらへ行くよ。

 弱々しい思念は根から幹へと伝わり、葉脈を通って隅々まで届いた。

――――その前に『夜』を見てみたいんだ。

 『夜』などどうでも良いではないか。早く戻らねば……!


 強い風に煽られたように枝がざわめき、傾いていた太陽が沈み切った。陽の気が払われて陰の気が満ちた瞬間、危機を察知した本体に吸い寄せられて眠りに落ちた。朝日を浴びて目覚めた時には、眷属は枯死していた。本体から離れて夜の気に当てられると、戻れなくなるのをらぬ訳でも無かろうに。

 だが、既に眷属は毒の雨で病んでいた。どちらにしろ、共に居られる時間はもう残っていなかったのだ。抜け殻となった幹にはひびが入り、今にも折れてしまいそうだった。かさかさに乾いた樹皮に触れて眷属ともを呼んだ。

 応えなど無いのは分かっている。それでも呼んだ。幾度も幾度も呼び続けた。たくさんの眷属の中でたった一つ傍らに残っていた命も消えた。

 幼い双葉は踏み潰され、他の眷属たちはとうに切り倒されていた。人が、切ったのだ。

 人が、木を切った。切った切ったきったキッタ…………。



―― ◇ ――



 夜の街を独りで歩く。眷族ともと過ごした季節を偲びつつ、行き交う人の中を、歩く。

「あの頃貴方にってたら、"今"は違っていたのかな?」

 人の真似をして謳ってみるが、そんな事は有り得ない。


 日の光は陽の力。生命いのち育む温もりの光。

 星月の光は陰の力。生命奪う冷たい光。


 死期を悟った眷属は、最後に『夜』を見る事を選んだ。星月の光を浴びてはならぬと止めたところで、聞き入れはしなかったろう。


 冴え冴えとした冷たい空気は陰の気で満ちている。毒の水と濁った日の光が降る人の街でも、遠い眷属たちは生きていた。道から僅かに覗く土に根付いた彼らは今、したたかに眠りに就いている。

 そんな中を、歩く。独りではない事を喜びながら歩く。


 遠くでピシリと音が響いた。人の形を模していた足先が徐々に消える。それでも意識は人波の中を進んだ。ピシピシと乾いた音がする度に、枝先に似た手指が音も無く弾けた。末端から徐々に存在が稀薄になり、塵すらも溶け消える。

 『夜』に包まれて消え逝くこの地の主を送るために、眠りに就いているはずの草木が仄かに光り出す。遠い眷属の灯した生命の光を、意識が大気に溶け散る前に主は見届けた。

 ちらちらと振り出した雪が街路樹を彩り、イルミネーションの一部のように煌いた。



―― ◇ ――



 アスファルトで整備された遊歩道を登ると、小高い丘の上に展望公園がある。丸太を組み合わせたアーチを潜り、遊歩道を道なりに進む途中には、自然の遊具として切り株が点々と見受けられる。登り切ると中心にあるのは公園のシンボルだ。自然保護の名目で伐採を免れた大樹が堂々とした枝振りを見せていた。真冬の今時期は花も葉も付けておらず、寒々しい立ち姿だった。

 大気汚染と酸性雨に傷め付けられた太い幹は所々ひび割れ、厚い樹皮は触れると容易く崩れた。同様の症状で立ち枯れた木は、倒木の恐れがあるので全て切り倒されていた。


 大樹の生命は尽きていた。寒空にこの場所を訪れる者も無く、未だ誰も気付いていない。昨夜の雪がうっすらと乗った枝先が、昏い雪雲の下で僅かばかりの光を反射した。大樹はかつてこの地が豊かな森であった頃の残滓として存在していた。


 もう、春が来ても花は咲かない――――。

お読みくださりありがとうございます。

企画参加作なので、珍しく単発となっております。


今作の執筆裏話を少し。

自分では恥ずかしくて口にできないセリフを他所さまに言ってもらおう! てな趣旨の企画だったので、届いたセリフもそれっぽいものでした。

きゃぴきゃぴのJKものがチラっと頭を過ぎったものの、脳内プロットの段階で耐えられなくなってボツ。

小っ恥ずかしくて自前のCPUが稼動を拒否しました(汗)。


つらつらと考えて「自分流の解釈するのダ!」と開き直ったらと暗~いモノが湧き上がって来て、3日くらいでできたのがコレ。

……曲解とも言います。


繁華街も一応モデル地区があります。

ネオン看板やコンクリートのビル、電子音と人いきれの某所は、実際に行った事がなくても名前くらいはどなたでも知ってる有名な一帯です。

登場人物? は幽霊でもあやかしでも、最後に儚く消えれば何でも構いませんでした。

樹精に落ち着いたのは、植物の不思議な生態のせいでしょうか。

植物って、昼夜で性質が百八十度変わるじゃないですか。

酸素を吸って二酸化炭素へ、二酸化炭素を吸って酸素にって具合に、呼吸器系からそれに繋がる生体循環がコロっと変わるのがほんとに不思議で。

そんな不可思議なイメージから昼夜で相反する『気』の質になりました。


そうそう、実際の樹精は好きな時に徘徊するみたいです。

妖と同列視される事が多い精霊は、陰の気が満ちた夜のほうがかえって動きやすいんじゃないかな。

まあ、付喪神と同じで本体(依り代)からあまり離れられないんですが。


蛇足ですが、変化すると言えば、爬虫類(魚もだっけ?)は片方の性しか居ない環境だと性別が変わったりするのもいるみたいですね。

ニンゲンは人工的に性別変えるけど、生殖能力まではさすがにねえ……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短いのに、伝わってくる情感のほとばしりといったらない。哀切なトーンが読み手に入り込んでくるところの自然さがまたたまらない。 [一言] 一服の感動をありがとう、と伝えたいです。
2015/05/12 00:34 退会済み
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