2014/06/14
「ねぇ、まだ着かないの?」
「もう少し」
神原美佳は、ふてくされた子どものような顔をした。前を歩く斎藤潤は振り返り、その様子を見ると、少し困ったように笑う。
「まだ歩き始めてちょっとじゃないか」
「歩くの嫌いなの。知ってるでしょ」
美佳は、夏先取り、といったような涼しげな格好をしていた。真っ白なワンピースが太陽の光を受けて輝いて見えるが、潤にとってはその下に伸びる、真っ白な素足の方が、眩しかった。少年のような黒いショートカットが風に揺れ、いかにも涼しげだった。それでも美佳は、「暑い」と小さく呟き、眉間にしわを寄せて太陽を睨む。彼女は、極端に暑がりだった。
「あと、どれくらい?」
「もうちょっと」
前を向いたまま、潤が言う。その顔は、幸せそうにニヤついていた。
大学に入学すると同時に始めた、初めての一人暮らし。その部屋に、初めて彼女が来る。
この日を、どれだけ楽しみにしていたことか。
「ほら、ここ」
潤は言い、少し先に見えてきた古アパート、“こもれび荘”を指差した。彼の住む部屋は二階、一番奥の部屋。“203号室”。
美佳は小走りに、潤の横に並んだ。見定めるような目で、建物を見ている。
「ふーん」
見た目はボロいけど、中は意外ときれいなんだ。などと弁明しながら歩き、アパートの正面までたどり着く。
「……なんか、天気悪くなってきたね」
美佳が言った。潤は空を見上げる。確かに、先ほどまでは太陽が出ていたのに、今は灰色の雲が空を覆っている。
「本当だ」
そう言うと潤は空を見上げたまま、右手を胸の辺りまで上げた。
掌に水滴が、ぽつりと落ちた。