0001
地下の小居住区は、電床から引かれた灯りによって煌々と照らされている。
ダイオードによって光源が確保された小区画には所狭しとアカムギが植えられており、アカムギがそのコロニーにおける主食であった。
穂の高さは三メートル。巨大な麦粒はたわわに実り、あと数週間もすれば収穫時期となるだろう。
「もうそろそろ、祝祭の頃か」
自分よりも遥かに背の高い穂を見上げ、黒髪の青年は呟いた。
『この都市初の、農業専用区画。祝祭では、全ての民にたらふく、存分に食わせてやりたいものだな。フウエン』
「ふ、そうだな。今まで我慢を続けてきたのだ。一日や二日くらい、皆の喜ぶ顔を見ていよう」
青年の後ろでは一体のノイドが腕を組み、同じように穂を眺めている。
密室で風は吹かないために、穂は揺れない。
それでも、手で押せば靭やかに返る程の高さにまで、アカムギはしっかり、高く育った。
二人は、この農地を育て続けてきた都市の管理者であり、一族を率いる長でもある。
その地下都市はいくつもの区画に分かれており、それぞれの区画に責任者が当てられ、運営されている。
照明用のダイオードも数に限りがあるため、それによって広さは制限されるため、地下空間のほとんどは居住区だ。
しかし、ダイオードの比較的多いこの都市では居住区だけではなく、農地専用の区画を作ることもできた。
計画の発足から工事拡張、施工、農地開拓まで随分と時間を要したが、その苦労はもうじき、報われるのである。
結論からいって、地下開墾は成功した。
広く敷かれた土によってアカムギはのびのびと育ち、遮蔽物のない空間はダイオードの輝きを隅から隅まで届ける。
通常二メートル程度までしか穂の届かいアカムギは、なんと三メートルにまで成長した。
実際に収穫してみなければわからないことではあるが、高く実った麦粒を撫ぜてみても、違いは瞭然。居住区の片手間で育てるよりも遥かに効率の良い収穫量となるのは、おそらく間違いない。
「穀物庫の拡張も、総長に掛け合う必要があるかもしれんな」
『秤にかける時まではなんとも言えないが……』
「大いに余るさ。俺にはわかる」
青年はダイオードが白光を振りまく天井を見上げ、目を輝かせた。
「余ったなら、飢えの恐れを無くせる。子にかける税も減らせる。酒だって、作れるかもしれん」
青年の目には白い灯りの輝きと、同じくらい眩しい未来の都市の姿が見えていた。
「それだけじゃない。このまま、別の区画にも農地を増やしていくんだ。キノコや草だけじゃない。麦を主食にして、みんなが食うに困らない世界を作っていく」
『ふ……』
「そうすれば、遠征もできる。道中のデブリは皆で討伐していく必要もあるだろうが……遠征先で見つけたコロニーと合流して、更に都市を広げて……」
『お前は、本当にいつまで経っても子供だな』
ノイドは喉の奥で笑い、青年はその笑みに顔をしかめた。
「なんだよ、シス。馬鹿にするのか?」
『ふ、いいや、しないけれども』
シスと呼ばれたノイドは口元に手を当て、正していた背筋を猫背に曲げて小さく震えている。
『なんだか、懐かしくなってな。昔のことが……』
「……」
笑いもそこそこに、二人は再び、一面に実った穂を眺める。
青年のフウエン。ノイドのシス。
彼と彼女の詳しい過去を知る者は、ここ数年だけでまた、更にぐっと減ってしまった。
二十数歳の彼らであったが、それでも今では立派に年長者の仲間入りだ。
相変わらず外は危険で、中は貧しく、人の命は短い。
人の命が移り変わり、人の記憶も洗い流される。そこには彼ら地下人間達の、言いようのない哀愁が含まれていた。
だが、実りはきっと、それを助けるだろう。
豊かな食は命を繋ぎ、人を繋ぎ、記憶を繋ぐ。
たとえ一年でもいい。人の心を、人の絆を、長くこのゆりかごの中で育んでいければ。
それが二人の幼いころからの夢であり、間近に来たる、幸福でもあった。
「大変だ! 隔壁が! 隔壁がぁー!」
『!』
突然、コロニーに大きな声が響いた。
同時に警鐘が鳴らされ、地下空間に何度も何度も、耳うるさく反響する。
「……隔壁……一体、何が……」
『……』
収穫まで、あと一週間。
しかし地下都市に響き始めた足音は、それを待たずに、すぐそこにまで迫っている。