0011
断続的に響く轟音を目指し、一人のノイドがジャンクの荒野を駆けていた。
地下コロニーソンデイユを拠点としているパーツハンター、クロムである。
足取りは急ぎつつも、しかし余計な物音を立てぬよう慎重に。
戦闘経験が豊富な故に普段は豪気ではあるが、原因不明の異様な“音”が彼に強い警戒心を抱かせていた。
『結構進んだってのに、まだ見えてこねえ。何が起きてやがる……』
小高い丘に昇り、黄色い眼光を走らせる。
灰色の砂嵐ばかりの風景を瞬時に走査し、異常が認められないと判断するや、再び駆け出す。
集音機構が割れんばかりの轟音は常に聞こえてくるが、未だ視界には入っていないようである。
『そろそろのはずだ』
だが、着実に近付きつつはある。
走る度に音はより甲高い響きを強くしているのだ。
今この瞬間、瘴気の向こう側から異常な光景が現れたとしても何ら不思議ではない。
『……!』
故に、彼がいつか目的地に到着するのは必然である。
そして焦らず慎重な足取りを重ね続けたおかげか、不意打ちを食らうこともなかった。
『なんだ、マジかよ。ありゃあ……』
細かな廃材の丘から見えたのは、二つの動体。
一つは騎士。全身を黒い鎧に包んだ、隻腕の騎士である。だが騎士らしい姿はその鎧だけで、その手に握っているのは廃材であろう長めのシャフトだった。
もう一つの動体は、巨大な肌色の怪物である。相対する騎士と比べれば冗談のように大柄で、類似する生命を挙げようにも口をつぐんでしまうような、奇怪な巨大生物だ。あえて古風な表現をするのであれば、それは“巨大な肌色の大山椒魚”とでも言えるのだろう。だが生憎とそのような表現の通じる生き物は、この地上にも地下にも、ほとんど存在しない。
「ゲッゲッゲッ」
怪物は水かき付きの手を振り回し、黒い騎士を殴打せんと襲いかかっている。
掠めた手先は廃材の地面を大きく抉り、生身の人間であれば穴だらけになるであろう高圧の破片を散らす。
この巨大生物も決して無傷ではなかったが、巨体から繰り出される攻撃は見た目のまま強烈であり、黒騎士はそれを回避するために全力を発揮している。
手には鈍器のつもりか無骨なシャフトこそ握っているものの、それを使用する隙があるようには見えない。
『……すげぇな、あいつ』
助太刀をすべきだろう。少なくとも、クロムにとってはそうすべき光景にしか見えない。
だが彼はこの非日常的な光景の中に、場違いな感動を覚えずにはいられなかったのだ。
手負いであろうに、荒れ地を縦横無尽に立ち回る謎の騎士。
巨大な怪物を前に逃げること無く、繰り出される攻撃を次々に避ける鋼の精神。
その上に虎視眈々と反撃の機を伺う、不屈の戦意。クロムは名も知らぬ彼の雄姿に、パーツハンターとしての男心を昂ぶらせていた。
『――そこのノイド! 加勢するぞ!』
見ているだけの時間は、そう長く続くことはなかった。
彼は隠れて様子を伺うことも、勝敗の行方を見守ることもしない。
「ゲッゲッ! ナニィ……!」
『嬉しいぜ、まさか魔獣なんてものが実在していたとはな!』
廃材の丘から飛び出したクロムは、そのまま全速力で怪物の袂へと向かう。
そこに恐れはない。存在に気付いた怪物が注意をこちらに向けようとも、全身は躊躇すること無く、より一層の戦意に燃えてくるようであった。
『いくぜバケモノ――』
「愚カナ、貴様モ大地ニ……」
『遅ぇ!』
短い腕を掻い潜り、一瞬で懐に入る。
その瞬間だけを見れば黒騎士よりも鋭く、力強い踏み込みだ。
怪物は両腕が何者も捉えなかったことに驚き……。
『オラァッ!』
「ゲァッ」
次の瞬間には、腹部への強烈な圧迫感だけが思考を埋め尽くした。
強靭な脚力による踏み込みと、爆発したかのように鋭く突き上げられた鋼の右腕。
それは怪物の膨れた下腹を大きく陥没させ、巨体を押しのけるだけの威力を誇っていた。
「ゲッ、ゲェッ! コレハ……!」
「援護、感謝する!」
『気にするな。つうか、これも耐えるのかよ。マジでバケモノか、こいつ』
ボディーブローは強烈な一撃であったし、本人としても必殺のつもりで放った技であった。
だが、それは怪物に致命的な損傷を与えることはなく、外観にも大きな変化はないように見える。
『……再生すんのか。厄介だな』
そして大穴が空いたはずも傷口も、瞬く間に塞がってゆく。
一撃を加えた瞬間こそ戦意高揚していたクロムであったが、怪物の身体が元通りに修復されるのを見ると、背筋に冷気を感じざるを得なかった。
「だが、二人になった。心強いことだ」
『そうだな。一人じゃちと厳しそうな奴だが……強そうなアンタがいりゃあ、安心だ』
しかし、二人である。
戦うのは自分一人ではない。クロムは先程の黒騎士の動きを見ていたために、彼の実力をある程度信頼することができた。
目にしたのは超人的な機動能力だけであるが、足がそれほど動くならば腕も同じ程度には働くだろう。
全く情報のない不気味なバケモノが相手とはいえ、クロムはこれが分の悪い勝負だとは思っていない。
「ゲェッ、ゲェッ……」
認識は、巨大生物も同じであった。
相手は二人。そして両者ともに、尋常ならざる動きが可能。それは高度な身体能力と再生能力を誇る彼をして、闘いを躊躇させるに充分な状況であるらしい。
腹の傷は完全にふさがりつつある。だが、仕切り直すには分が悪い。
「……ゲゲゲッゲゲッ! ゲッ! イツノ日カ、根絶ヤシテヤル……!」
巨大生物はその姿に似合わぬ、非常に高い知性を持っていたようだ。二体の小さな獲物を前に、どうやら退却を選択したらしい。
四足でしっかりと地面を掴み、長い尾を左右に振りながら、肌色の巨体が遠ざかってゆく。
黒騎士も、クロムも、それを追おうとはしなかった。
クロムは慎重であり、黒騎士は追っても仕留められる可能性が絶望的であると悟ったのだろう。
二人はしばらく去っていった肌色の影を眺め、その場に佇んでいた。




