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青魚の腹から溢れ出る巨大なフナムシ達は、砂煙を上げて走り寄る黒騎士の姿を感じ取るや、各々の進路を彼一人に絞って動き出した。
それまでフナムシは扇状に拡散しながら押し寄せていたが、今は少しでも最短距離を狙い、黒騎士を食い破らんと渇望するかのように、互いの身を踏み台にしつつ収束している。
暴走によって組み上がるのは、フナムシの津波。人一人分を丁度良く飲み込む生半可な洪水などではない。幾重にも重なったフナムシによる、建造物さえ飲み込むほどの高さを得た、面による災害であった。
茶褐色の濁流が正面より迫る中、それでも黒騎士は走ることを欠片も躊躇しない。
むしろ彼は好戦的にも長剣を翻し、大振りに構えてみせる。
両手でしっかりと握られた剣が真後ろに引き絞られ、それと全く同時にフナムシの第一波が殺到した。
「――斬る」
故に、黒騎士の剣が波を横一閃に斬り拓いたのは、目にも留まらぬほどの一瞬だったのである。
『な……何だぁ!?』
後方で立ち竦んでいたズールは、偶然にもその瞬間に顔を背けていなかった。
彼は見たのである。雷光を帯びた黒剣がフナムシの激流を斬り、文字通りペースト状にして押し返した、その瞬間を。
「その程度か」
青白い雷光を帯びた剣は、目にも留まらぬ速さでフナムシの大群を斬り伏せてゆく。
一対一ではない。フナムシは常に、常人の視界いっぱいに広がるほどの方向から同時に突撃を仕掛けてくるし、恐れを知らぬ彼らは同胞が最前線で粉微塵になろうとも、焼け死のうとも、構わずに走り続けてくる。
だが、それでも黒騎士はフナムシの特攻を防ぎきっていた。
一度に三匹が飛び込んでくるならば、その三匹を各々斬り潰し。
一度に五匹が来るなら、剣の纏う雷光が一瞬にしてフナムシの殻を赤く焦がす。
「セイッ」
そして正面から雪崩のように固まって来ようものならば、真下から斬り上げた剣が十数匹のフナムシを一度に両断してみせた。
『……化け物かよ……』
『ズール、無事か!?』
呆然と立ち尽くすズールの後ろから、ネイルハンマーを装備した女性ノイドが駆け寄ってくる。
だが、ズールは心ここにあらずといった様子で、ユレンの声に反応しない。ユレンは無反応な幼馴染に嫌な予感を覚えたが、彼と同じ丘の上に立ってその光景を並び見た時、ユレンもまた、口を閉ざすのであった。
「魔物め。斬っても、斬っても、貴様らは――次から次へと、増え続ける」
岸辺は、大量のフナムシの死骸によって埋め尽くされていた。
いや、死骸は今も尚増え続け、黒い岩礁を茶褐色に染め続けている。
フナムシの死骸と内臓による悪臭が立ち込める最中、黒騎士は未だ剣を休める様子がない。
『嘘だろ、あいつ……あの、悪臭が立ち込める中で……動いてやがる』
『……なんだ、あれは……信じられない……』
“海神の遣い”は、“海神”の腐肉を喰らうことによって育った変異種である。
彼らは常識外に巨大な甲殻と、それを十全に動かす筋肉を備えているが、それを成しているのは“海神”が持つ特殊な肉を常食としているがために得られたものだ。
強く、頑丈で、比較的軽く、燃費が良い。あらゆる生物が求める肉の究極系を、その魚は食すことで手に入れたのである。
だがその肉は当然、真っ当な代物であるわけもなく、強くあるかわりに多くの問題を同時に抱えてもいた。
そのひとつが、言語化出来ないほどの公害的悪臭だ。
『あの死骸は、近くに居たらノイドでも耐えられないほどの悪臭だぞ……それが、あんなにあるってのに……』
『うぐッ……! だ、だめだ、臭いが、もうここまで……!』
『ッ……ああ、畜生、ユレンッ、逃げるぞ!』
その臭気は、ただの臭気ではない。慣れるものでもなければ、耐えられるものではない。
実際にその凄まじい臭気によって近海が汚染され、コロニーに住む人間が死んでいるのだ。彼らがその場から逃げなければ、間違いなく気絶し倒れ、そして瘴気に侵され絶命していたであろう。
黒騎士が闘う最中とはいえ、すぐにでも逃走を選択した彼らの行動は、極めて正しかったと言える。
「――最後」
そして彼らの決断の合理性を肯定するかのように、黒騎士が最後のフナムシの一匹を鮮やかに両断してみせた。
腹を斜めに断たれたフナムシは力なくその場に落ち、岩場に穢れた内臓をぶちまけて、すぐに動かなくなる。
「覚悟」
そうして最後に残ったのは、もはや黒騎士の目と鼻の先に横たわる、巨大な青魚のみ。
青魚は黒騎士が激闘を繰り広げる数分間もの間、岩礁の上で身じろぎひとつたてることもなく、ただ口を開閉させているだけであった。
白く濁った、無感情な青魚の目。
規則的な開閉を繰り返す口と鰓。
しかしその魚を、彼の破けた腹を中心に溢れ出る激臭は、フナムシの比ではない。
人を、ノイドですら一瞬で昏倒させる悪臭は、間違いなく黒騎士の立つ空間にさえも漂っているのだ。
それでも黒騎士は倒れないし、怯む様子もない。
彼は普段通りの毅然とした姿勢で剣を構え、青魚の鰓に狙いをつけていた。
「貴公に生きる価値はない」
青魚は語らない。青魚は抗わない。
彼は、結局何らかの雄叫びを上げるでも、生への執着を見せるわけでもなく。
黒騎士の尋常ならざる剛の一太刀によって、身体の根幹部分に致命的な傷を負い……そうして、息絶えた。
もはや口は開かず、鰓も蠢かない。
元々が死んだような目だったそれは、こうして動かなくなってより一層、その魚の持ち主であるかのように馴染んだ風に見える。
「討伐完了」
こうして、海岸付近のコロニーを脅かしていた巨大怪魚と巨大海虫は、その騒動の規模のわりに非常にあっけない終わりを迎えた。
宿主も、宿に巣食っていた虫も、同時に絶滅したのだ。
あと数年の間は海も汚染され続け、到底漁業に着手することはできないだろう。それでも確かに大本は死んで、この地に平和が訪れたのである。
「他愛ない」
だが、黒騎士はわざわざ平和の訪れを伝えようとはしないらしい。彼の足はドームではなく、全くの別方向へと向いていた。
どうやら彼は激闘を繰り広げたその脚を休めること無く、再びこの荒廃した世界を旅することに決めたらしい。
死に絶えた海魔と、語らぬ黒騎士。
コロニーの人々が平和の訪れを知覚したのは、それから四日経ってのことであった。
脳幹寄生体とフェロモンによる高度な遠隔誘導を実現した。
問題は看過し難いレベルの異臭と、誘導体が異臭で死ぬことだな。
また廃棄物を増やしてしまったよ。
――ウルボス・ラットマンの手記




