0101
「消えてもらう」
重機の部品を繋ぎ合わせた、無骨ではあるものの、巨大な鉄塔。
黒騎士はその塔を片手で支えながら、そこに立っている。
ノイドの男は、その姿を見て口がきけなかった。
戻ってきたのか。何故勝手に出て行ってしまったのか。
その金属の塊を、何故片手で持つことができるのか。
言葉はない。紡ぎ出す前に、時は動く。
『うわっ!?』
黒騎士が手を離すと同時に、巨大な鉄塔がゆらりと傾いた。
超大な自重が前方向への傾きに従い、その身を倒し始めたのである。
鉄の塊が自分側へと迫るのを見て、ノイドの男はすぐさま駆けだした。
いくら金属製の身体とはいえ、巨大な重機用の金属に押しつぶされては、即死は免れない。
少しオーバーなほど遠くまで離れた時、砂地さえ揺るがすほどの轟音が響き、そこでようやく、男は振り向いた。
砂地を押し潰し、粘着質の海面を叩き割り、巨大な鉄塔が倒れきった。
しかし砂地には既に破損する物はなく、粘性の高い海面は細かな飛沫をあげはしない。
轟いたのはあくまで音のみで、鉄塔が倒れた衝撃は目に映る限りではほとんど感じられないものであった。
『サリーナ……!』
しかし、鉄塔のすぐ隣で立ち竦む少女は、ただ呆然と立ち竦んでいた。
身体を両断されても、首を跳ねられても無事でいられるはずの彼女が、その表情を緊張に固めて、身動きが取れずにいたのである。
少女の面影をよく知る、かつて父であったノイドの彼は、彼女の表情に差し迫るものを直感した。
『サリーナッ!』
湖面に頭を倒した鉄塔は粘性の高い水中に囚われ、一気に沈まりきることがなかった。
今なお鉄塔はゆっくりと沈み、その鋭く尖った頭の方向を湖底へ近づけているのだ。
黒騎士は、それ故に待っていた。
倒れた鉄塔の根本を再び持ち上げ、それを肩の上に構えながら、ただ静かに待っていた。
ノイドの男が、湖面に呆然と立ち尽くす少女の姿に向けて走る。
湖面の少女が、近づきつつあるノイドを見て、呆けた顔にわずかな悲しみを浮かべる。
その瞬間、両者は互いに何かを感じ取ったのかもしれない。
だが時は無慈悲なままに進み、巨大な鉄製の秒針は、湖底で鮮やかに輝く赤色の球体を指した。
「はっ」
投擲。黒騎士が半身を力強く捻り、鉄塔を投げ放つ。
槍のように撃ち出された鉄塔は湖面を直進し、波を立て、一瞬のうちに湖底の球体にまで届いた。
球体と鉄塔。硬質な両者の衝突は、湖全体を大きく揺るがす。
「あっ……」
『サリーナッ! 大丈夫か!?』
揺れは湖面の少女にまで行き届いた。
彼女の足はもつれ、水面に尻もちをついてしまう。
「嫌だ……」
それが、少女が少女の姿を保持できた、最後の姿であった。
「終わりだ」
黒騎士は鉄塔の先端が球体に接触したことを確認し、足元から太いケーブルを引っ張って、頭上に掲げた。
巨大なケーブルは長く、盆地を離れ、どこかも知れない場所から伸びている。
これは、黒騎士が遠方から探し出し、引っ張り出してきたもの。
地下の電床に直接繋がる、高電圧のケーブルである。
彼はケーブルの端を、躊躇なく鉄塔の根本に押し当てた。
『あ……』
そして、少女はそのまま音もなく崩れ、溶け、湖と同化し、見えなくなったのであった。
盆地に、静寂が戻った。
風は止み、静けさが戻り、気のせいか、湖面は少しずつ引いているようにも感じられる。
ノイドの男は両膝を黒い砂地につけて、行き場のない手を震わせている。
数十秒後に決心を固めて、恐る恐ると触れた湖面は、ただの粘ついた水のようで、何も感じられないし、何も起こりはしなかった。
湖から、少女が消えた。
バケモノは、この地から消滅したのである。
「討伐完了」
黒騎士は黒衣を翻し、男が気づかぬまま、どこかへ歩き去ってゆく。
彼はまた、どこか遠くへと旅を続けるのだろう。
盆地には跪く男だけが残された。
男はただ、そこに跪いて、湖面を眺めている他に何もなかった。
失敗作。これはシーエイトの領分だな。
――ウルボス・ラットマンの手記




